出会い/4
夜半。春の温もりは消え失せ、適度な緊張感を与える心地よい寒さが広がっている。
雨宮は私を腰に差すと、気だるげに欠伸をしながら廊下に出た。
きゅいきゅいという音を立てて玄関に向かうと、既に春香嬢が靴を履いている所だった。
「……わぁお」
彼女が身に纏っているのは、昼間の衣服ではなかった。
胸元に赤いリボンのついたフリルのブラウスに、闇色のミニスカート。それらの上に、黒地に赤い桜の刺繍が施された着物を羽織っていた。
腰には一振りの刀が差されているが戦いに赴くような姿には見えず、歌劇か何かの衣装にすら見えた。
「あら、来たの。もう少し遅ければ置いて行けたのに」
「初っ端からサボったらお嬢ちゃんのお父様に殺されるが故に。まあ、適当にやろうぜ」
マイペースな物言いに何かを言いかけた春香嬢だったが、言っても無駄だと思ったのかそれを飲み込み私たちに背を向けた。
「……邪魔だけはしないでよ」
「もちろんだ」
外は静かだった。
雨宮と共に都心で生活していた頃は、夜であっても光も音も絶えないと思ったものだが、ここは静かなものだ。
明かりの多くが失せており、まさしく夜といった風情だ。
そう、魔性の時間であり、怪異や幻想の時間である。
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはどんな戦い方をすんだ?」
雨宮が語りかけるが、春香嬢は答えない。やはりというか、それとも当然というべきか蛇蝎の如く嫌われている。
はあ、と溜息を吐いた雨宮は春香嬢の前に回りこみ、私の柄を軽く叩いた。なんか言ってくれ、という事らしい。
「……雨宮を嫌うのは構わないが、その程度は教えろ。協会でも春香嬢の情報は秘匿されているからな、情報がない」
時雨崎春香――二つ名赤色桜花。確かに、名だけなら有名ではある。
だが、その戦闘スタイルに関しては一切発表されていない。刀を使う、というのも今日初めて知ったくらいだ。
もちろん、秘匿にするという事は秘匿にする理由があるはずだ。だが、共に戦う者として秘匿されたままではおちおち背中も預けられない。
ふんっ、と少女は鼻を鳴らした。
「一緒に戦える程度の実力があれば、教えてあげるわ」
刃のように鋭く会話を断ち切り、少女は歩む。
……まるで、刀だな。
それも、斬鉄を為す名刀の類だ。もっとも、下手に振るえば折れ曲がってしまいそうな危うさがあるのだが。
溜息を吐ければ吐きたいものだ、そう思った矢先、
「――居るな」
ぴり、と。ドアノブに触れた時の静電気に近い痺れが刀身を駆け抜けた。
「音も何も聞こえないけど? 分かるの、貴方」
不審そうに問う春香嬢ではあるが、こればかりは譲れない一線であり、私たちが重宝される理由の一つなのだ。
断固と私は告げる。
「私はああいったモノと同一の存在だからな」
鬼を筆頭にした妖怪と九十九神は、生まれ方は同じなのだ。
誰かの噂や見間違いが広がり、架空の何かを集団で想像し――世界に創造される。
異法と呼ばれる技術とは違い何百何千という人間が同時に行う妄想は、混ざり合えば混ざり合うほどに不純物を削ぎ落とし世界に『生物』として認知される。
他愛もない噂から、
呆れる程に間抜けな見間違いから、
理解できぬ存在に対して適当な理屈をつける臆病さから、
純粋な祈りから、邪悪な呪いから――それら全てを引っ括めて『幻想』と呼ぶ。
異法とは大きくプロセスが違うものの、世界を勘違いさせて存在しないモノを創造するという面では同一だ。
「それに――私はこれでも魂喰らいの妖刀だからな」
こちら側の世界に身を置く者ならば、多少は感じ取れるようになるが――それでも私のような存在には敵わない。
単純な話だ。人間の感覚は元来、物理法則に従った世界を認識するモノ。だが、私は元々そちら側の存在。備わった五感は全て、本来あり得ぬ存在を見通すモノなのだ。
物理世界に存在しない魂という幻想。それを感知し、接敵し、攻撃し――敵を、そして使用者を咀嚼する。もっとも、使用者に対するそれは、今現在不可能なのだが。
「それじゃあ、鬼退治と行こうぜ。残念ながら三匹の従者は居ねぇけどな」
「あら、猿ならいるじゃない」
「せめて犬でって――いや、犬もやべェな。女子高生に犬って呼ばせるとかどんなプレイだ」
雨宮に先導させ、私が場所を指示する。背後で春香嬢が不満そうに着いて来ていた。
場所に近づくと、ぎしぎし、みしみし、と軋む音が響いてくる。民家の少ない山の麓だから、誰もその音を気には留めない。
「あれか……うっへ、ホントオリエンタルな化物だわな」
雨宮が辟易しているのか楽しんでいるのか分からない様子で言う。
視線の先には獣道。もっとも、木々をなぎ倒して生まれた道を獣道と表現してよいものか、とも思うが。
その最前線に、鬼は居た。赤黒い皮膚の巨漢である。腰巻といい丸太ほどある金槌といい、これ以上ないという程の鬼である。額の角も、鬼らしさを露骨な程にアピールしていた。
……しかし、随分と『らしい』鬼だ。らしすぎる、と言うべきか。
有名な童話の鬼のように、屈強な体躯に恐ろしい形相だ。しかし、奇妙なほど軽いような、薄いような。上手く説明は出来ないがそのような印象を受けた。
「丁度いいわ」
春香嬢が「遮断」と短く呟く。
瞬間、辺りに不可視の結界が張り巡らされた。
『無意識結界』
辺りの人間の意識に干渉し、「この道は今日は通りたくない」と無意識に戦場から退避させる術だ。自身のイメージで世界を変質させる異法士の初歩技能である。
無論、この力が通用するのは異法や異能などといった世界に関わりのない一般人だけであり、かつ明確な意思を以ってその場所に行こうとすれば突破できる程度のモノだ。
しかし、これの有無で人里での戦闘で一般人に見つかる可能性を可能な限り抑える事ができる。
「貴方はそこで見てなさい。適当に倒してくるから」
足音を隠さない無造作さで春香嬢が歩み出した。
刀に手をかけてはいるが、異法による身体能力強化を行っているようには見えず、有体に言えば隙だらけにしか見えない。
「どう思う?」
「さすがに見たままという事はないと思うがな……」
ただ、最悪に備えいつでも間に入れるようにしておくべきだとは思う。
そう言うと、「だよなぁ」と頭を掻いた。
「ウゥゥ……」
地底から響いてくるような低い声で呻く鬼。その瞳が、春香嬢に向けられた。
金棒を握り、踏み出す。ざわざわ、と周囲の木々の葉が揺れた。
対し、春香嬢は先程と何一つ変わりない様子で歩み続ける。
一歩、二歩、と歩み――三歩目を踏み出した時、鬼が駆けた。
轟! という音を立てながら金棒を振り上げる。血管が浮き上がった両腕は、少女などすぐさま肉塊に出切ると私たちに告げている。
それに数瞬遅れ、春香嬢が構えた。
両手を刀の柄に載せ、左足に重心を置いた構え。だが――遅い。あそこからでは回避は間に合わない!
刹那、白い光が夜の大気を引き裂く。
何かが宙を舞う。同時に、キン、と刃を鞘に収める音が鳴った。その音から僅かに遅れ、ズン、という重い音が夜半の道に響く。何か、大質量の物が地面に叩きつけられた音だ。
それは、金棒とそれを握る両腕である。赤黒い皮膚よりも尚赤黒い液体が、どろりとこぼれた。
「ウ……ウウウゥゥゥアアアアァァァ!?」
鬼の絶叫が、木霊した。
己の腕が喪失した困惑、肉体の一部を失った故の慟哭、間欠泉の如く吹き出す血液に伴った痛み。
全てが混ざり合った渾沌の叫びに、少女は冷徹な声で応える。
「遅いわね」
刹那、白い曲線が幾重にも重なり鬼を撫でた。その度に鮮血が風に乗った花びらの如く舞い散る。
疾い。
体の動きはそれほどではない。身体能力強化に特化した異法士に比べれば遅いくらいだ。
だというのに、剣閃は燕の如く軽やかで、そして無駄がない。それ故にすぐさま次の攻撃に移れ――結果、この五月雨の如く降り注ぐ居合となっている。
ああ、そうか。
これがその名の由来か。
赤色桜花――なるほど、宙を舞う鮮血はまさに真紅の桜吹雪のようではないか。
「グ――ウゥ」
無数の刀傷を全身に刻んだ鬼は、ついにその生命を手放した。
消滅していく鬼の亡骸。それを見ながら、雨宮は小さく口笛を吹いた。
「二つ名は伊達じゃねェな」
言いながら私を抜き放つ。
雨宮が振り向くと、先程春香嬢が斬り砕いた鬼と同種の化物が歩み寄って来ていた。私たちが気づいた事を確認すると鬼は、にたり、と笑い駆け出してくる。
春香嬢は来ない。傍観しているのか、ここでやられたら追い返すいい口実になると思っているのか――どちらにしろ、援護はしないだろう。
だが、それで構わない。援護があれば、それをアテにしてサボるだけだろう。こいつはそういう男だ。
「んじゃ、ちゃっちゃと終わらせようぜ」
「ああ」
応え、自身が取り込んだ幻想を変質させていく。
物理世界では有り得ぬ存在である『魂』という幻想。脳をいくら解体しようと発見する事のできない、科学技術が無かった頃に出た創作や噂話の結果産まれた存在。
それを分解し、再編成し、『この男の身体能力は非常に高い』という幻想に組み替える。
その力を柄から雨宮に流す。体中を闇色の光が纏わり付き――体の中に溶け込んでいく。
どくり、どくり、と脈打つ度に筋力が増していく。
それは本来鍛えに鍛えた者が、その道を究めた者だけに与えられる力だ。特別な鍛錬をしていない雨宮が持ち得るモノではない。
しかし、力を示した英雄に対し与えられる人々の幻想――それを体の中に埋め込む事により、世界を誤認させ力を得るのだ。
そう――我は強者であると。その証拠がこの幻想なのだと。故に、今現在の脆い身体は誤字であり、誤描であり、バグであるのだと。修正の対象なのだ世界に対し声高に叫ぶのだ。
そうして世界を騙し、身体能力を強引に掠め取る。
柄が強く、強く、強く握り締められる。しかし筋肉が硬直しているワケではない。ある程度の遊びを残しつつ、それでも強いと感じる程に握力が増強されているのだ。
「油断はするなよ」
「やー、これが俺のデフォだし」
強化を済ませた雨宮は、軽い笑みを浮かべながら私を最上段に構える。
叩き割るようなその構えは、人間相手ならば威圧感を与える事が出切るだろう。しかし、相手は鬼、こちらよりも頭四つほど大きい相手だ。そういった精神面でのメリットは期待できない。
鬼が咆哮と共に金棒を薙いだ。背の高い草が千切れて行くのを見もせずに、雨宮は跳躍した。
金棒が雨宮の靴底を削っていくのを見て、私は少々ひやりとしたが、本人は相も変わらず気だるげな表情のまま私を振り下ろした。轟、と風が逆巻く。剣圧が敵対する者にこれから繰り出す一撃の威力がいかほどなのかと語り聞かせる。
鬼の表情が変わった。
しまった、と。
見誤った、と。
驚愕に歪む鬼の顔面に、私が叩き込まれた。
ざぐり、と。僅かな抵抗と共に、斬る、というよりも叩き潰す形で肉の中に埋没する。毛髪、頭皮、頭蓋、脳。それらを斬り潰し、喉に至り――静止。
双葉が開くように、頭蓋がべろん、と両肩に乗った。同時に、鮮血が雨宮の体を赤黒く染め上げる。
「うえ、うえ、うえ。粘っこくて臭くてきめぇ」
鎖骨辺りにぶら下がっている雨宮はそれを多量に引っ被っていた。無闇に突っ込むからだ、馬鹿者。
呆れて忠告する気にもならない私は、何も言わず消えかけた鬼の幻想を喰らう。
黒い刀身に絡みつくように纏わりついたそれは、どくり、どくりと脈動し私に突き抜けるような快感を与える。多くの人の幻想によって構築された鬼は、まさに極上。それを食すのは、人でたとえるならば想い人と性向をする喜びと快楽であろう。
……ただ。
何故だろうか、鬼という強力な化物だというのに満足感が薄い気がするのだ。
全て喰らった頃に、観察していたらしい春香嬢が「ふうん」と小さく感嘆の声をもらした。
「完全に足手纏いかと思ったけど、そこそこやるみたいね」
視線は先程よりも多少柔らかくなっている――ような気がした。
声の刺々しさは薄まった気はするのだが、それとてただの誤差に思える。
「そら、な。伊達に行商してねぇってわけよ」
得意げに笑い、納刀。やはりこの位置が一番落ち着く。
「貴方の力じゃなくて、その刀の力でしょ? 異法どころか異能だって使ってるようには見えないもの」
蔑む響きの言葉だが正鵠を射ている。
見透かされた雨宮は、しかしそれがどうしたとばかりに軽薄に笑う。
「その力を上手く活用すんのが、俺の役目であり力ってわけだ」
「どうだか」
疑るように瞳を細める春香嬢は、私に視線を向けてきた。
聞きたい事は、なんとかく伝わって来る。
「……まあ、今まで私を握った者の中では、一番の使い手だよ」
溜息を吐きながらフォローを入れた。
「本当に?」
「本当にだ」
まあ、嘘は言ってはいない。
もっとも、真実かと問われれば首を傾げるのだが。
なにせ――私は使用者の魂を喰らった事がない半端者なのだから。