出会い/2
剣山の上を歩くような緊張感の中、私たちはようやく時雨崎家にたどり着いた。
古めかしい武家屋敷だ。辺りを白塀で囲われ、中の庭は質素ながらも手入れが行き届き、派手ではないものの確かな和の美があった。
かつての日本を思わせるそこだが、門に付けられたインターフォンと監視カメラが、今が現代であると告げている。
春香嬢に促され、中に入る。
靴を乱雑に脱ぎ捨てるのを見咎められる雨宮を無視して、ぐるりと辺りを見渡す。
一見すると古めかしい日本家屋だが、時を経ているようには見えなかった。何度か改装が施されているのだろうか、見た目以上に新しい建物なのかもしれない。
春香嬢の後を追って廊下を歩くと、きゅいきゅい、と小鳥が鳴いたような音が響く。
鴬張りか。
重さを感知して音を鳴らすそれはかつての防犯機具であり、近代科学の力なしで家主に敵の侵入を伝えるモノだ。
もっとも、雨宮はそんな事は知らぬようで、きゅいきゅいと鳴る床を楽しげに踏んでいる。春香嬢が呆れているのが背中を見ただけで分かる。恥ずかしい奴め。
先導していた春香嬢が立ち止まり、戸を開く。
中はどうやら客間らしい。
畳の床に、古めかしくも艶のある卓袱台。その上に刀掛台があるのは、私への配慮だろうか。窓からは整えられた庭が覗き、獅子威しが鳴る。
「そこが貴方が滞在する部屋よ。とりあえずそこに荷物を置きなさい」
「へいへい」
事務的な物言いを聞き流しながら、雨宮はバッグから私を引き抜き、腰のベルトに繋いだ。
ここ数年で定位置となったそこは、私に安心感を与えてくれた。どんなに狭苦しくとも自宅が一番落ち着くようなものなのだろうか。
廊下をしばらく歩いていると、窓から中庭が見えた。
白塀と建物に囲まれ外からは見えないそこは、表の庭と比べ華やかさはなく、喩えるなら学校の校庭のようだった。
隅に見える土蔵や、剣の練習に使っているであろう巻き藁の山などが実践的な扱われ方をしているのだと教えてくれる。
「ここよ」
その中庭を横断するような渡り廊下を抜けた場所で、春香嬢は立ち止まった。
道場だ。
心技体と書かれた掛け軸が吊るされたそこで、一人の男が素振りをしている。
両の手で握る得物は、竹刀と呼ぶより異常な竹塊とでも呼ぶべき何かだった。竹刀とは四つの竹を重ね四角形にし、そこに柄や剣先を付けたモノだ。しかし、あれは他の竹刀の竹部分を無数に束ね、縄で強引に縛り付けている。
その太さはたとえるなら丸太か。振るたびに轟と鳴り、切った空気がこちらにまで届く。闘気と呼ぶべき威圧感がぶち当たり、びりびりと体を痺れさせた。
「うっ、へえ……」
雨宮が化物でも見る様子で呟く。身体能力強化の異法を使っている様子もなく、あれを振り回せるのはさすがというべきだろう。
春香嬢は、先程よりもいくらか表情を和らげ、よく通る声で言った。
「父さん、協会の助っ人を連れて来たよ」
娘の声で気づいたのか素振りを中断し、こちらに歩み寄ってくる。
「ああ、ご苦労だった。春香は夜まで休んでおきなさい」
「うん、それじゃあ」
一礼だけして去る彼女を一度だけ見て、再び男に視線を向けた。
分厚い筋肉に、それを包む剣道着。熊のような大男であり近くで立つと威圧感を覚える。頭髪に混じる白髪が衰えを感じさせるものの、まだまだ現役の剣士のように見えた。
背格好や容姿だけを見れば、第一印象は『恐ろしい』なのだが。
「時雨崎蓮児だ。遠路遥々と良く来たな」
にかっ、と邪気を感じさせぬ笑みを浮かべる姿はどこか子供のようで、第一印象に無邪気という色を上乗せする。
その笑みに釣られるように、雨宮もまた歯を見せて笑った。
「仕事だしな。断りゃ食えなくなる」
「飾らんな。まぁ、礼などはどうでもいい」
時雨崎は床に正座をした。雨宮もそれに習って正座……はせずに、胡坐で座った。
それに対して特に何も言わず、快闊に笑う。
「確か雨宮宗平――だったな。娘が失礼をしただろう? あいつは君の事を歓迎していないからな」
「年下の女の子に敵意ビシビシ飛ばされンのは、ちいっとばかりきつかったな」
なに? 俺って今臭い? 女子高生から許されざる臭い放ってんの? と自分の脇の下を嗅ぎながら問うと、時雨崎は苦笑しながら「いいや」と言った。
「あいつはどうもプライドが高くてな。君のようなよそ者が招集される事が、自分の腕前を信用されていないのだと思い不満なのだ」
万事を期しただけなのだがな、と笑う。
「だから君に辛く当たる事も多々とあるだろうが、まあ仲良くしてやってはくれないか。歳の近い友人など、あいつには居ないからな」
「そうは言っても、学生時代じゃ一年違うだけでかなり隔たりがあるもンだぜ? 俺だってもう二十歳過ぎてんだ、学生的にゃもうオッサンだよ」
「協会の人員もここでは高齢化が進んでいてな、君も下から数えて二番目くらいだ」
無論、一番は春香嬢なのだろう。
「リアルに世知辛いなオイ」
「過疎で被害を被るのは表の産業だけではない、ということさ」
協会というオカルト側の組織も、常にオカルト側にいるわけにはいかない。
協会の上層部が、いつか科学を打ち負かし歴史の表舞台に帰ろうという老人ばかりのため、所属する異法士や異能者は隠しながら現実に溶け込む事を強要される。
……だからだろう。
地域に仕事がなければ異法士がその場所に滞在できず、能力者の過疎化が進むのだという。
成人男性が仕事もせず居座る姿は、この時代の日本において日常ではないからだ。
無論、それは雨宮にも言える事なのだが……こいつの場合は、冗談を織り交ぜながらいつの間にか周囲に馴染んでしまう。天性の根無し草気質と言うべきか。そういった点でも、協会はこいつを重宝しているのだろう。
「まあ、ここに居る間の面倒は全てみる。生活費を稼ぐのに疲れて本業を疎かにされては困るからな。だが、」
「分かってる、分かってるさね。やるからにゃしっかり勤めさせて頂きますよ」
軽薄に笑いながら立ち上がると、「んじゃ、夜まで寝腐りますわ」と言って背を向けた。
「その役目は――」
「ん?」
悲しげな言葉に、何事かと振り向く。
その表情は、悔しそうであり、悲しそうであり、そしてそんな事を考えている自分を憎々しく思っているような――
「……いや、すまないな。独り言だよ」
「なら、いいけどよ」
けれど、それは暴風雨後の桜の花びらが如く、再びそれを見る事は叶わなかった。