偽りに終焉を
音が失せ、人工の明かりが失われた夜半の世界。普段住んでいた街では多少の明かりはあったが、この辺りは深夜になれば驚くほど分厚い闇が夜を支配する。
その闇の中、田畑以外に目立つモノが何もない歩道に男が一人、そしてその傍らに無機物が一振り。
私と雨宮である。
互いに漆黒のため、ふとすれば夜に溶けてしまいそうだ。それを許さぬと言うように、雨宮の銀の装飾と私の金属部品が月光を反射し微かに輝く。
人気はなく、五月だというのに大気は針のように鋭く冷たい。居心地の悪い沈黙も私たちを凍えさせる。
春香嬢と共に屋敷で夕餉を食した後、彼女が寝静まった事を確認すると私と雨宮はこの場所に来た。
――――決断するために。
「よう、おっさん。お疲れみたいだな」
足音の主は僅かに驚いたようなそぶりを見せ、
「ああ、確かに――少々骨が折れた」
と、小さく苦い笑みを浮かべた。
筋骨隆々とした初老の男、時雨崎蓮児の姿がそこにあった。鬼による殺害事件があったためか、愛用の二刀を武装している。
距離は二メートルほど。遠いようで近い、微妙な距離。
「聞いたぜ、本部の奴が鬼に殺されかけたんだって?」
「ああ――鬼自体は倒せたのだが、客人を守ることができなくてな。分かっていたことではあるが、事件はまだ終わっていないようだ」
「……そっかい」
種の割れた手品を延々と見せられているような、そんな気分になる会話だった。
ひたすら寒く、盛り上がらず、観客はさっさと次に移れと眼で訴えるように。
雨宮の視線が、私に向けられる。瞳は無くとも、視線がかち合うのを感じた。
「雨宮」
「分ぁってる。ただ、気づかなかったフリしてもいいんじゃねェかな、とかついつい考えちまってな」
女々しいし情けねェ、と乾いた笑いを漏らす雨宮を時雨崎は怪訝な目で見つめる。
「土蔵のアレ――いつからあるんだ?」
怪訝が驚愕に塗り替えられる。
「それは――一体、どれの事だ?」
「シュタルクの異能だ。この前、苗さんたちの手伝いをして偶然見つけた。何であれがあそこにあって、おっさんはなんで奴と共謀してやがったんだ?」
会話が、途絶えた。
時雨崎の顔には既に驚愕はない。親に隠し事をしていたが見つかってしまった、そんな少年のようなバツの悪そうな顔があった。
「……、二年くらい前に、な。彼からコンタクトがあったんだ」
昔を思い出しているのか、とつとつと、時雨崎は語り出した。
「なんでも――彼の上司は完璧な存在を欲していたらしくてね、その実験の一貫で彼は鬼の逸話があるこの町に目をつけ――自分、時雨崎蓮児に協力を求めた」
「んで、オーケーしたってか?」
「まさか。彼と彼の上司の思惑など、自分には関係ない。当初は当然の如く突っぱねた。町に鬼が溢れるような実験など、許容できるはずもなかった」
だが、時雨崎蓮児はシュタルクと共謀し、異能の力をその身に宿している。
それは、つまり――
「彼は去り際にこう言った――『その結果、貴方は娘と対等の実力を得る』、と」
――シュタルクの提案に、時雨崎蓮児という男を動かすだけの魅力と力があったということ。
「その言葉は、自分の中でどんどん大きくなっていった。自分はどう足掻いても娘よりも、春香よりも格下だ。それが――私には耐え難かった」
「……時雨崎蓮児。お前は、時雨崎春香を疎ましいと思っているのか?」
自分より強い娘を、自分の理想に一足飛びに向かおうとする若造に対して苛立ちを抱いているのか。
「違う」
しかし、それを蓮児は否定する。
その言葉は力強く、同時に心からの本心だと感じた。
「愛してるからこそ、支えてあげたいんだ。愛してるからこそ、隣で守ってあげたいんだ。自分はあの子の父親なのだから。――だが、それで町に鬼を放つような実験に手を貸せと? 既にこの辺りで最強になった彼女は、真っ先にその鬼と戦う事になるというのに?」
然りだ。
娘を対等の位置で守りたいから力が欲するというのに、その過程で娘を傷つけるなど理論が破綻しているにも程がある。
「ああ、けれど、彼の言葉は抗いがたい魅力があった。力、力、そう力だ。若い頃から求め、修練し、けれど届かなかったそれを与えてやる、と彼は言ったのだ。心が揺れないわけがない。だから――迷いを断ち切りたかった。乗るにしろ、乗らぬにしろ、な」
「そりゃ――」
一体どういうことだ? とは続けなかった。私と同様に気づいたのだろう。
『全力で来てくれ――迷いを断ち切るように、な』
この町に来てまだ日が浅かった頃、時雨崎蓮児にそうやって試合を申し込まれた。
剣は冴え渡り、体さばきは我流の雨宮など遠く及ばぬ技巧だった。事実、私は一振りの刀として、彼に扱われる刀は幸せだろうと思った程だ。
――しかし、彼は負けた。
身体能力強化が秀でているわけでもなく、それを埋める異法も持っていない。対し雨宮は私の力で身体能力を大幅に上昇させていた。
羽虫がいかにその体を鍛えようと、倍以上の体を持つ動物には無力なのだとでも言うように――叩き潰された。
当然の道理だ。
近代兵器で武装しているワケでもなければ、『積み重ねた年月×才能=強さ』という方程式は揺るがない。
そして、雨宮の方が年月こそ少ないものの私を扱えるという才能で上回っていた。ただ、それだけの話だ。
だが、それで諦められる人間がいったいどれ程いるというのだろうか。
それで『しかたない」と諦められるような人間は、とっくの昔に努力など放棄しているはずだ。
「あの時に勝てれば――いや、負けても『仕方ない』と諦めることが出来れば良かったのだがな。だが自分にはそれは不可能で、娘の隣に立てる君を、自分よりずっと強い君と釣り合う娘を妬んでしまった――それが、自分には許せない」
血どころか肉片を吐き出したような言葉だった。
ああ、そうか。
許せない。そう、時雨崎蓮児は許せないのだ。
自分の娘でありながら才気に満ち溢れた時雨崎春香ではなく、
その娘の隣で戦う若造でもなく、
そんな彼らを妬み、恨んでしまいそうになる自分自身が許せない。そしてきっと、そんな感情を抱いてしまうことこそが、凡庸であり凡俗である証明だと感じ苦しむのだろう。
だから、だからこそ時雨崎蓮児は求めたのだ。
強さ、強さ強さ強さ強さ! ただ強さを! 娘の隣に立てる強さを、この醜い嫉妬から開放してくれる強者の証を!
彼にとって、強者になるということは唯一の救いなのだろう。
「……ッ、けどよ、おっさん。本部の奴を襲ったのは、おっさんの力のカラクリに気づかれそうになったから……なんだろ?」
時雨崎蓮児は答えない。
答えない、が。その沈黙は言葉より明確に肯定の意を表していた。
「けどよ、新しい奴が来て、そいつがおっさんの秘密に気づいたらまた同じ事をすンのか? アホか、破綻するに決まって――」
「なんとかなる。もうしばらく耐えればな」
「もう少しだ……?」
「今の自分は残された異能の力を間借りしているに過ぎないが――噂が広まり、周りの者たちが『時雨崎蓮児は強者である』と思い込めば、それは本物の力となる。そうなれば、調べられても痛む腹は無くなるんだ」
「幻想の創造の過程を、自分で再現する――か」
不可能なこと――ではない。
元々、学生の与太話がシュタルクの異能で増幅され、幻想として固定されたのが私という妖刀なのだ。
無機物に意識と力を与えることが出来て、人間に力を与えられない道理はあるまい。
「それによって後天的に強者を創るのがシュタルクの目的らしくてな」
言って、ゆっくりと振り向いた。
「さて。ここまで聞いて――君はどうするつもりなんだ?」
……しばしの沈黙。
「最初は、見逃そうと思った。何か妙なことをやってるのは分かったが、おっさんならそれで誰かを傷つけるような真似はしねェって……」
立ち上がる。右の掌が私の柄に触れた。
冷や冷やとした汗で濡れた感触を知覚しながら、私は雨宮の言葉を待つ。
「けど、アンタは誰かを傷つけちまった。もう、見なかったフリなんざ出来ねェ。ここで見なかったフリなんてやらかしたら、お嬢ちゃんが取り戻してくれた俺の本当の気持ちに嘘を吐くことになっちまう」
そう。
雨宮は――雨宮宗平は、手段を選ばぬ復讐者ではなく、己に嘘をつく詐欺師でもなく、
「だから、止める。これ以上、馬鹿な真似はさせねェ」
「……そうか」
残念だ。
その一言と共に疾風が駆け抜けた。
「ッ――!」
速い。かつて試合した時の数倍以上だろうか。
走りながら抜き放たれた二つの刃が、交差させるようにして振るわれる。
雨宮は私を抜き放ち、それを強引に受け止めようとして――
「――!」
悲鳴すらかき消される衝撃と共に弾き飛ばされた。
力任せに蹴り飛ばされたボールのように宙を跳んだ雨宮は、一度二度三度とバウンドし、畑に突っ込んだ。土に人間大の溝を刻んでようやく止まった雨宮は――土に塗れたまま動かなかった。
「――娘から聞いたよ。望みを理解してしまったが故に、魂喰らいの妖刀を操ることは出来ない、と」
足音が響く。ゆっくり、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる二刀の戦鬼。
「故に、解せないんだ。なぜ、ここに一人で来たんだ? 自分が君に攻撃すれば、対抗する手段がないことは理解しているだろう」
「……ンなこたァ、百どころか千も承知だ」
だけどな、と。
糸の足りていない操り人形のように不恰好な動きで立ち上がると、雨宮は言った。
「確かに、お嬢ちゃんでも姫凪のばあさんでも呼べばまだどうにかなったかもしれねェけど――呼んじまったら、もう戻れねェだろ」
どうせ私たちは異邦人だ。どれだけ秘密を知ろうとも、それを抱えてこの地から離れれば事足りる。
だが、二人は――二人でなくとも、この地の協会支部に所属する人間は違う。
老婆は孫娘を危機に追いやった事件の黒幕を許すとは考えにくいし、他の協会の異法士も同様だ。私たちが知らないだけで、今回の事件で何かしらの被害を被っているはずだ。時雨崎蓮児を普通に戻して終わり、では済むはずがない。
そして春香嬢。
彼女が蓮児を許すにしろ許さぬにしろ――彼の行動に深く傷つくはずだ。
信頼が大きければ大きいほど、心を抉る刃は分厚く、そして鋭くなるのだから。
だから、
「だからよ、ここで、俺一人で止めるっきゃねェだろうが! おっさんとお嬢ちゃんがこれからも一緒に暮らすためによォ!」
時雨崎蓮児を止めて、春香嬢に事件の真相を伝えずに事件に幕を降ろすのだと叫ぶのだ。
他者を傷つけた彼を罪に問わないのは正義ではない。しかし、それでも願ってしまうのだ。
時雨崎春香という少女が、私の使い手を救ってくれた少女が、真実を知らぬまま幸せな日常を過ごして欲しいと。
「俺一人、ではなくそこは一人と一振りでお願いしたい所だな」
「うっせうっせ、せっかく啖呵切ってンのに水差すな!」
蓮児は私たちの場にそぐわぬ寸劇を見て、小さく笑った。
嬉しそうでありながら、けれどとても寂しそうな笑みだ。
「ありがとう、娘のことをそこまで想ってくれていることは、素直に嬉しい」
言って、雨宮の眼前に刃を突きつけた。冷たい刀刃が、冷たい夜の大気を更に冷やし極寒に変質させる。
「だからこそ、残念だ。自分はもう後戻りは出来ないし、するつもりもないのだから」
「……そうかい。なら、仕方がねェわな」
私を鞘に収め、雨宮は笑った。
「元々、こうなるんじゃねェかなとは思ってたぜ。そもそも、だ。俺が言ったくらいで改心するようなら、こんなことやっちゃいねェよな」
「そうだな――娘に良くしてくれた礼だ、痛みは感じさせぬよう逝かせることを約束する」
そりゃありがたいと微笑み、雨宮はその場に腰を下ろした。もはや、抵抗など出来ぬし、する気もないのだろう。
「その前に二つほど頼みがあるんだが、いいか?」
「ああ。悪いが命乞い以外で頼むぞ」
「命乞い……になるンかね、これは」
小さく答えると雨宮は腰に差した私を鞘ごと外し、蓮児の足元に放り投げた。時雨崎蓮児は一瞬だけ攻撃を警戒し二刀に力を込めたが、すぐさまその意思が無いことを確認し緩める。
「雨宮?」
疑問する私に、雨宮は普段通りの軽い軽い、どこまでも軽薄な口調で言う。
「そいつは生かしておいてくれねェかね。ま、見ての通り無機物だ。ちゃんと管理しときゃ、突然足生やしておっさんの秘密を吹聴しまくる、なんてこともねェから」
――なんだ、それは。
「おい、どういうことだ、雨宮!」
体全体が振るえる音量で叫ぶ私に、雨宮は困ったとばかりに頭をガリガリと掻く。
「俺の空想で産まれて、俺の都合で振り回して来たんだ。……そろそろ、お前の都合で生きてもいいだろ」
「……もう一つの願いは、なんだ」
「ああ、こっちは地味に難易度高そうだからよく聞いて頑張って叶えて欲しいんだが――」
そう前置きし、
「――おっさんがやった事、絶対にお嬢ちゃんに悟られるなよ。俺が死ぬのは怖くな――いいや、やっぱ怖ぇな。けど、お嬢ちゃんが全てを知って絶望する方が怖ぇ」
「言われるまでもない」
「ンなら安心だ」
これで未練はない、とばかりにニイ、と笑う。
その笑顔が無性に腹立たしい。せっかく自分を取り戻し、自由に生きられるというのに何をしているのだ、と怒鳴りつけてやりたい。
だが、その言葉は音として発する事はできなかった。
自分を取り戻し、自由に生きた結果がこの顛末なのだと、長い付き合いが故に理解してしまったから。
「ああ……言っとくが、そいつけっこう金かかンぞ。アニメのDVDBOXとか普通に所望しやがるからな。買ってるとこお嬢ちゃんに見られないように注意しとけ、秘密バレる云々じゃなく二人の関係がギクシャクしそうだ」
もはや私には何も出来ない。
産まれたばかりの私に色々なモノを与えてくれた雨宮の死を、傍観する事しか出来ない。
なんて無様なのだろうか。魂喰らいの妖刀などという呼び名が酷く薄っぺらく思えてくる。
いいや、元々薄っぺらいモノなのだ。雨宮の嘘言が偶然形を得たのが私なのだ。ただそれだけの存在が、何かを成せると思い上がってしまったのが間違いの始まりだったのだろう。
「雨宮! 雨宮!」
だが、それは私の咎であり、雨宮宗平という人間のモノではない。
彼は幼馴染を怖がらせるために他愛もない嘘を吐き、幼馴染を救うために私などという妖刀崩れを手に取り、復讐心と正義感に揺れ幼子の足取りのようにふらふらとここまで来た――ただそれだけだ。
殺されるなら私であるべきだし、彼はこれから平穏に生きていくべきなのだ。
「じゃあな、相棒」
だが、どれだけ願えど私は刀であり無機物だ。駆け寄る脚も無ければ、たぐり寄せる腕もない。
故に袈裟懸けに振るわれる刃を見ていることしか出来ず――
澄んだ金属音が、鳴った。
――だからこそ、時雨崎蓮児の刃を遮る白い光を誰より早く確認した。
「あ――」
光のように見えたそれは、実際には全くの別物だ。月光を反射する透き通った色の金属が、超高速で『伸び』たが故に数瞬それを光と誤認した。
それは刃だ。
それは刀だ。
それは物質創造により生み出された武器だ。
名匠が鍛え上げた刃の如く煌めくそれは、しかし元来そういう生き物だとでも言うようにぐにゃりと歪曲し、時雨崎蓮児の刀に纏わり付いた。
無論、今の時雨崎蓮児の腕力ならそれらを引きちぎることも容易いだろう。
だが、それでも一瞬で破壊するなど不可能であり――そして、その一瞬さえあれば十分だった。
乱入者が駆ける。
ポニーテイルが風を切りながら揺れ、黒地に赤色の桜を彩った着物の裾が大きく靡く。
「宗平!」
それはここしばらくで随分と慣れ親しんだ声音だった。
声の主は駆け抜けた勢いを一切殺さずに跳躍し、時雨崎蓮司の腹部を思い切り蹴飛ばした。鈍、と和太鼓か何かを叩いたような重低音が辺りに響き渡る。
「ぐ……っ」
予想外の乱入に、予想外の攻撃だったのだろう。上体を丸めるその隙を突き、『彼女』は足元の私と雨宮を掴み背後に跳んだ。
「いで、いで、いででででっ!? 擦れた! マジでケツが擦れて熱!? ズボン破れてねェよな!?」
いや、待て
「この状況で最初に言うことがそれ!? 痛かろうと熱かろうとまず最初に言うべきかとがあるでしょ!?」
時雨崎蓮児は動かない。攻撃を受けたものの、ロクなダメージは受けていないであろうに、地面に縫い付けられたように動かない。
見開かれた眼は、ただただ乱入者を注視し続けている。
「いや、マジで襟首掴んで身体能力強化したバックステップとか洒落になんねェから! そっちに特化した奴ならミンチよりヒデェことになってた可能性もあるような無いような、ああどうせ死ぬなら一瞬で死ぬのが楽だよなァと心の底から思ったッつーかね!」
待て待て、少し待て。少しどころか盛大に待て。
「雨宮落ち着け今話しているのは誰かしっかりと確認しろ――!?」
「あ? 相棒テメェこそ落ち着けって。ぶっちゃけ物質創造連続使用で刀伸ばすとか、リアルタイムで絵描いてアニメ放映するレベルの頭オカシイ事ができンのは――のは」
「――まったく。いつも通りで変に気負わなくて済むのはありがたいけどね」
触手めいた刀身が消滅し、刃のない刀を鞘に収める。
そこに至り、雨宮もようやく気がついた。
時雨崎春香。
時雨崎蓮児の娘であり、雨宮が可能な限りこの場に居合わせぬようにしていた少女である。
「けどまあ、これでシュタルクでの借りは無しだからね。後で変な要求とかしてこないでよ」
「ちょ、待……! ンなことよか、なんで――!」
「寝てるかどうか確認するんなら、もっとしっかりすべきね。さすがに完全武装で寝るワケにはいかなかったから、着替えに時間食っちゃったけど」
「いや、そっちの意味じゃなくてだな――!」
「自分で思っている以上に分かりやすいのよ、貴方。それよりも――どういうことなの、お父さん」
視線を槍のように鋭く、そして真っ直ぐに父へと向けた。
それに僅かにたじろいた時雨崎蓮児だったが、すぐさまそれを振り払い、視線を真っ向から受け止める。
「どういうこと、とは? 春香、お前はどう答えて欲しいんだ?」
「何を――」
「想像はついているのだろう? だというのに、わざわざ問いかけるとは……否定の言葉でも聞きたかったか? だとしたら愚かだな、そのように育てた覚えはないぞ」
「……ッ!」
突き放すような声音に、一瞬だけ泣きそうな顔になった春香嬢だったが、すぐさま緩んだ表情を引き締めた。
柄を握り、右足を前に出し、今すぐにでも踏み込みつつ抜刀出来る体勢で父を睨む。その一閃が直撃すれば、いくら鬼の力を得ているとしても両断される未来しか存在しない。
けれど、両手が小さく震えていて、普段通りの一閃を放たれるかは甚だ疑問だった。
振るえる娘の両手を見ながら、時雨崎蓮児は二刀を構えた。震えなど、欠片も見えない。
「……ンでだよ」
その揺るがぬ姿に、雨宮は胸の内の怒りをそのまま載せ問いかける。
「おっさん。アンタはお嬢ちゃんを愛してたはずだろうが! そのくらい、短い付き合いの俺だって理解出来る。だってのに……なんで、そんな風に突き放すンだ!?」
「……ああ、愛している」
ぽつり、と時雨崎蓮児は呟いた。
「愛している。愛しているとも。だからこそ、この愛を妬みや憎しみに変えたくない」
「憎しみ、って……どういう、こと?」
「春香……自分は、お前が思っているよりずっと弱い人間なんだ。娘として愛おしく思っている。けれど、それと同じくらい妬ましいんだ。……黒百合との試合のことを覚えているか?」
「うん、よく覚えてる。お父さんの期待を裏切ったのに、笑って励ましてくれたこと……今でも、覚えてる」
「違うんだ」
君が嬉しそうに眺めている宝石箱の中身は全て紛い物なんだ――そう切り出すように。
時雨崎蓮児は泣き出しそうな声音で言う。
「あれはな、笑っていたんだ。笑っていた、嘲笑っていたんだよ春香。指摘されるまで、自分が笑っていたことすら気づかなかったが――自分は、娘が挫折する姿を、自分より才気に満ち溢れた少女がへたり込んでいる姿に『ざまあみろ』と嘲笑っていたんだ」
あの試合を見なければ、自分は父親としてお前の成長を見守ってやれたのかもしれない――そこまで言って蓮児は頭を振った。
「その時、気づいたんだ。自分がまだ力を得て活躍する空想を捨てきれていない事を、自分は娘に嫉妬し嘲笑う惨めな小物なんだと。……絶望したよ。無才の癖に、愛する娘を心から応援してやれない自分自身に」
だから、と。
言って柄を強く握りしめた。
「自分は力を求めるんだ。愛を嫉妬で塗りつぶされる前に。最悪の場合、嫉妬で狂う前に、娘の死に涙出来る間に殺してしまえば――自分の愛は汚されず、永遠に残り続ける」
そこまで言って時雨崎蓮児は口をつぐんだ。もはや語るべきことは語った、見逃すならそれでよし――というところだろう。
「……そういう、ことかよ」
私が蓮児の思惑に感づくのと時同じくして、雨宮が呟いた。
気付かれなければ力を全て自分のモノとし、娘の隣に立つことを選び。
己の企みが露見した時、そして娘にそれを否定された場合――
「自分の心が嫉妬心で埋め尽くされる前に、心が父親の間に娘を殺しちまおうってか――ふざけてる通り越して呆れンな、オイ」
「好きなだけ呆れ、見下し、蔑んで構わない。けれど自分は、それ以上に憎しみで娘に刃を向けること――それだけは避けたいのだよ」
チッ、と雨宮が舌打ちをする。
嫉妬などしなければ、いいや、せめて嫉妬に狂えればこんな事態にはならなかったろう。
しかし、蓮児は娘を嫉妬し遠ざけるようなことは出来ず、しかし己の心を抑えることもまた出来なかった。
弱い、弱い、心が弱い。
けれど、それを否定など出来ない。雨宮も、私も、彼を否定出来るほど強い心を持っていない。
「――本当に。雨宮の言うとおり、ふざけてる通り越して――呆れるわっ!」
だが、この中で一人、それに否を突きつける者が居た。
時雨崎春香。彼女は疾風の如く鋭い踏み込みと共に抜刀し、己の異法を解き放った。
刃。刃。刃刃刃。生物か何かの如く蠢く数十に枝分かれした刀身は、不規則な軌道を描きながら蓮児の元に殺到した。
正面からの複数のフェイントを挟み、鞭がしなるような形で動きで背後から蓮児を絡め取ろうとするそれだったが、しかし父として春香嬢の動きを何度も見ていたのだろう、背後から迫る刃を一見すらせず弾いて距離を取る。
それを追随する無数の刃を、蓮児は二刀を力任せに振るい叩き砕く。
瞬間、蓮児を突き刺そうとしていた無数の刃たちが構造を維持できなくなり消滅する。柄だけとなった刀を握った春香嬢は、視線を己の刃の如く鋭くして蓮児を睨み据える。
「いいじゃない、妬んでも。いいじゃない、羨んでも。それを隠されて、砂糖菓子の甘さで誤魔化すより、ずっとずっといい」
一振りの刃を生み出しながら、凛とした声音で宣言する。
否と。それは断じて優しさや愛などではないと。
「本気で娘として愛してくれてるなら――優しさも、厳しさも、一緒に叩きつけて来なさいよッ!」
感情任せの咆哮と共に、春香嬢は駆け抜けた。その勢いのまま刃を自身の父に向け振るう。
闇を裂く銀光は、しかし交差する二刀によって受け止められた。
「……そんなことをしてしまえば、自分は――お前の父で居られなくなる。憎悪に、身を委ね――」
「いいから」
心が軋む音が聞こえてきそうな声に、春香嬢はただただ優しく言った。
「当たり散らして、理屈になってない暴言吐いたっていい。そのあと、また一緒に暮らせれば、それで」
それが。
時雨崎蓮児の限界だったようだ。
「春香。本当に――本当にお前はいい娘に育ったな。正しく、強く、美しく。ああ、本当に――羨ましくて、妬ましくてしょうがない!」
鍔迫り合いを春香嬢を弾き飛ばすという力技で強引に解除すると、蓮児は獣の如く吠え、吹き飛ばされたまま着地もしていない春香嬢に向かって疾駆した。
「……ッ!」
土を巻き上げながら接近してくる蓮児に、春香嬢はすぐさま分厚い刃の盾を構築した。刃というより金属の塊にも見えるそれに、蓮児の刃が食らいつき――半ばで受け止める。
刃の勢いが止まった瞬間に刃を解除。すぐさま右手を背後に回し、糸めいた細さの刃を生み出し後方の地面に突き刺す。それを伸縮し、高速で後退し始めるのと蓮児の二刀が振るわれるのは同時だった。
「……ッ、やっぱり、お父さんの剣は鋭いなぁ。わたしは、子供の頃からずっとそんな風になりたいと思ってた」
「つまらない同情は――要らん!」
土が爆ぜる。踏み込む瞬間の力が土を砕き、めくり上げたのだ。時雨崎は土煙を纏いながら疾駆し、右の長刀を上段から振り下ろす。
春香嬢はそれに応じるように分厚い刃を創造し、受け止める。鋼が厭な声で鳴いた。折れる寸前の濁った音に、私は思わず顔を顰める。
「お嬢ちゃん、まだだ!」
雨宮が叫んだ瞬間、左の小太刀が春香嬢の腹部目掛けて突き出された。
「く……こ、のぉ」
体を強引に捻ってそれ回避するものの、バランスが大きく崩れる。
まずい。次の攻撃は、躱せない――!
「……やらせ、ない!」
春香嬢の刃が変質を始める。分厚い刀身から蛇が抜け出してくるように、一つ、二つ、三つ――と複数の刃が産まれ、受け止めた長刀と今しがた回避した小太刀を絡めとる。
これで反撃する、と笑みを浮かべ――すぐさまそれは苦悶に変わった。
腹部には拳が突き刺さっている。太刀を捨てたのだ。
「こ――の」
二撃目が来る前に刃を消去。絡めとっていた二振りの刀が地面に落ちるよりも疾く新たな刃を創造。地面に突き立て――一気に伸ばす。
「だった、らぁ!」
宙でバランスを整えながら刃を一旦解除。そしてすぐさま創造。生み出されるのは――無数の刃!
雨水の如く降り注ぐ刃たち。しかし蓮児は焦る様子も無く地面に落ちた太刀を拾い、自分に向けて落ちてくる刃を一つ、斬り砕いた。刃が夜に溶けるように消滅する。
「大元が一つであるが故に、一つでも砕かれたら全ての構造が維持できなくなる。……自分がそれを知らぬとでも思ったのか?」
「……ッ!」
ならば、というように数十本の小太刀を創造した春香嬢は、それを投擲する。
だが、蓮児は呆れを滲ませたため息と共に一歩、二歩、と歩き――それだけで回避を成功させた。
「だからといって、練習も何もしていない思いつきの創造で勝てるわけがない――!」
叫び声と共に跳躍し、二刀を振るう。小太刀を創造し刃を生み出していなかった春香嬢は、今は無防備だ。
マズイ。そう思った瞬間には、両の刃は春香嬢の肉を抉っていた。羽織った着物の上から、両肩に刃が沈む。
「う――こ、の、おおおッ!」
痛みを和らげるためか、攻勢に移れない自分の不甲斐なさのためか、春香嬢は絶叫した。喉から声を絞り出しながら、蓮児の胸に足を載せ、地面に向けて跳躍する。ごり、という骨が削れる音に、春香嬢の声は更に大きく、高くなる。
着地をする余裕がなかったのか、跳躍の勢いのまま地面に衝突。それでも勢いは殺されず、三、四回ほど転がってようやく停止した。
「お嬢ちゃん!」
「春香嬢!」
雨宮が駆け寄り、春香嬢を抱き上げる。幸いに、血はそう多くは流れていない。身体能力強化の応用で、傷口を強引に塞いでいるのだろう。
そう、強引にだ。応急処置以下の処置で、意識を失えば傷口が開き血が止めどなく流れるのは想像に難くない。
「……ごめん」
不意に、春香嬢が呟いた。
「ごめんね。助けになりたいって思ってるのに、結局全然上手くいかない。何をやっても、宗平たちに助けられてる」
わたしって、こんなにも弱かったのかしら――と悔しそうに涙をこぼす。
「なに言ってんだ。助けられてるのは俺らの方だ!」
そうだ。そうだとも。
捻くれた私や雨宮に対し、真っ向から正論を叩きつけ、それを納得させることの出来る真っ直ぐな精神。灼熱めいた激情と、大地を照らす恵みの光が同居したそれに照らされ、私たちはようやく前を向くことが出来た。
真の闇の中「出口はどこだ」と見当違いの場所を這いまわる私たちを、厳しくもやさしく照らしてくれた彼女の在り方は、言うなれば太陽だ。
「――これで終わりだな。春香は動けないだろうし、君は戦う力がない」
その太陽をかげらせるべく、蓮児が歩み寄ってくる。
「ハッ――寝言は永眠してから言え」
私を握る掌に、力が込められた。
そこから熱が伝わる錯覚。熱い熱い熱い熱い、溶け崩れるような赤い衝動が柄から鍔、刀身を伝わり剣先まで満たしていく。
久方ぶりの感覚。
眠っていた部分が次々と覚醒し、本来の私に戻るイメージ。
「次の相手は俺だ馬鹿親が。テメェを叩き潰して、力を奪い去って、普通に戻した後――全力でお嬢ちゃんとケンカさせてやっから、覚悟しろ」
「お断りだ。そんな事にならぬように自分は力を――」
「それが、全ての間違いなンだろうが低能!」
吠える。空気が震え、木々がざわめく。
「お嬢ちゃんの言った通りだ。憎悪のまま当たり散らそうが、怒鳴ろうが、殴り合いのケンカになろうがそれでいいンだよ。血が繋がっていようが他人は他人だ、大なり小なり認められない部分は必ず出てくる」
それは当然の理であり、人間である以上仕方のないことだと言う。
「だが、そいつを隠して目指すのが理想の父親ァ……? アホ抜かせ、ンなモン身内じゃなくて他人だ。互いの良い部分も悪い部分も認め合うことが友人であり身内であり家族だろうが! おっさん――アンタは自分が憎悪に染まるのが怖いんじゃねェ。自分の汚い部分を見られ、失望されるのが怖いだけだ!」
「知ったような口を――」
「知らねェ口だよ。俺はおっさんのことを完璧に理解してるワケじゃねェからな」
けどよ、
「それでも自分の醜い部分が晒されて苦しい気持ちは分かるぜ! 失望されるのは怖ェよなァ! 仲の良かった誰かに『二度と会いたくない』みてェなこと言われたら、死にたくなるわなァ!」
軽薄な外装で包まれた復讐心と正義感の歪なマダラに嫌悪し、雨宮に背を向けた少女――菅野法子。
ああ、親しい人の失望は怖い、見限られるのは怖い、己の醜さを直視されるの苦しい。
「だから――その醜い部分を克服しようとしていたと思った!」
「克服? 冗談キツイなァオイ。お嬢ちゃんとのやり取り聞いてると、『力で弱さを克服する』ンじゃなく『圧倒的な力で臭いモノを覆い隠したい』だけにしか思えねェなァ!」
圧倒的な力を貰って、自分の弱さを全部全部無かったことにする。
その願いは共感も出来る。私も、雨宮も、もっと力があればこんなに燻ることはなかっただろう。
しかし、それは今までの自分を塗りつぶし、別人に変質させることと同様だ。今まで歩んできた道程や、それを見守ってくれた誰かを無価値にする願いだ。
ああ――なんて歪で、醜悪。
だから。
だから雨宮は私を構え、宣言する。
数々の失敗を重ね、惨めに這いまわってきた男は叫ぶ。
「――その在り方は絶対どっかで破綻する! 今日、ここでお嬢ちゃんと合わず俺を殺す事ができたとしてもだ!」
「くだらない妄言を――!」
激昂した蓮児が間合いを詰めてくる。
それを睨みながら、雨宮は告げた。
「力を貸してくれ」
それは、雨宮が初めて私に対して語りかけた言葉。
「代償を払う覚悟はあるか?」
私もそれに習った。偶然が重なり産まれた幻想が、初めての使い手となる相手に告げた言葉だ。
それが懐かしく、そして悲しかった。
「あるさ」
以前と同じ。
迷いの無い答えに、私は「嗚呼」と呟いた。
それが馳走を前にして漏らした感嘆なのか、友との別れに嘆いているのか――判別がつかない。
「いいだろう――お前の望み、それを叶えるまで私はお前に力を貸す。それが、私とお前の契約だ」
鋼が砕け散る音が夜半の空に響き渡った。
半ばから折れた太刀が、空中を旋回し、地面に突き刺さる。
「な――」
蓮児が困惑した声音と共に背後に跳ぶ。想定外の事態に、ひとまず距離を取り体勢を立て直そうとしているのだろう。
――逃さん。
俺/私は地面を蹴り飛ばし、追撃に移る。
地面に着地する前に追いついた俺/私は、蓮児に対し私/俺を袈裟懸けに振るった。
蓮児は私/俺を小太刀でそれを受け止めようとしたが、それは失策だ。燐光を放つ刀身が名刀であろうそれを溶かすように断ち切る。
「ッ――!」
そのまま右腕を両断するより疾く、蓮児は俺/私の腹を蹴り飛ばしさらに背後へと跳躍する。斬撃は三日月の軌跡を描くに終わった。
「……馬鹿な」
蓮児は信じられぬと掠れた声を漏らした。
「魂喰らいの妖刀にストックされた力は枯渇していたはずだ。だから、君は自分に抗えなかった。だというのに、なぜ――」
「簡単な話だ、蓮児よ」
私が言う。
俺が言う。
咀嚼し、溶かしながら、二人の声が重なる。
「雨宮は魂喰らいの妖刀、その本来の使い方をしているに過ぎない。むしろ、今までが歪であり、無茶苦茶な活用だったのだからな」
「――そういう、こと、か」
半ばで断ち切られた刃を投げ捨て、拳を構えた蓮児は、理解はしても信じられぬと呟く。
「契約。妖刀に魂を食らわせているのか」
「然りだ。お前を倒し、春香嬢を守るため、己が魂を燃料とし、私の力を引き出している」
な――と、背後から春香嬢の驚愕の声が聞こえてきた。
「『お嬢ちゃんの幸せのために、おっさんを張り倒す』それが、俺の願いだ。私が交わした契約だ」
違和感がある。
私が私であるだけではなく、雨宮でもあるような奇妙な感覚。
私の意思を維持する程度の幻想しか残っていない所で新たに取り込んだ魂を力に変換し、雨宮に再分配する。その過程で意識が混濁しているのだろうか。だとしたら、なんて劣悪な道具だ。魂喰らいの妖刀と名乗るには劣等過ぎる。
「相棒」
不意に、雨宮が微笑んだ。
「頼りにしてっから、無駄なことグダグダ考えてンなよ」
融け合う中で私の思考に触れたのか、珍しくこちらを気遣うような事を言う。
いいや、違う。私にも分かる、判る、解る。これは慰めるための言葉ではなく、本心からの言葉であると。
――勘違いばかりして、その上考えなしで。だってのに、そんな俺を今まで支えてくれて――ホンットに、感謝してもしきれねェな。
思考、感情が直に伝わる。信用が、信頼が、親愛が、言葉にならない数々の雨宮の想いが伝わってくる。
ああ――なんて有難い事か。
ここまで使い手に求められて、嬉しく思わない刀剣がどこに存在するのか。
「ああ、そうだな――全力で往け。雨宮、お前にとっての最上の得物が、願いを叶える事をここに宣言する」
「宗平!」
俺/私を呼ぶ声。お嬢ちゃんの、春香嬢の声だ。
「なァに、心配すンなって」
俺/私は軽薄な笑みを浮かべながら、頭部をガリガリと掻いた。
「これが終われば全部元通りだから――よ!」
言って、駆け出した。
それは私/俺に魂を差し出した時点で不可能だろうなと、そう思いながら。
疾走しながら刃を真横に薙ぐ。逆巻く風と共に剣先が蓮児に向かうが、それを背後に体勢を崩す事により回避。こちらが追撃に移るよりも疾く、両手を地面に突き跳躍。背後へと大きく跳びながら体勢を整える。
「――驚いたな」
着地しながら、蓮児は驚嘆の言葉を口にした。
「シュタルクの時もこの力を出せれば、君一人でも圧勝出来ただろう。――ああ、眩しいなその力は」
「そんないいもンじゃねェさ。本来なら人間に与えられた力、それで満足しとくべきなンだ。それを無理に超えようとすっから、俺みたいに魂削ったり、おっさんみたいに外法に頼ったりしなくちゃいけなくなンだ!」
追撃。突貫しながら上段から振り下ろすが背後に跳び回避される。だが、まだだと更に前のめりになりながら手首を返し私/俺を跳ね上げる。
「ッ――」
剣先が肉を裂く感触。だが、浅い。
まずい、と思考するより僅かに疾く、突き上げる軌道の拳が胸に突き刺さる。衝撃と激痛と浮遊感。フルスイングで投げ飛ばされた人形の如く宙を舞う俺/私は、痛みに耐えつつ姿勢を制御し着地――
「遅い」
――するよりも疾く追撃が来た。
地を蹴り、弾丸と化した体躯から拳を解き放たれ――突き刺さる。
「げ――ぁ」
先ほどの宙を舞う衝撃ではなく、地に叩きつけられる殴打。落下の速度と拳の威力が掛け合わされ、背中から地面に衝突。勢いを殺せず数回跳ねてようやく停止する。
――マズイな、身体能力なら大した差はないが。
問題は技量だった。俺/私は身体能力の底上げに頼った素人剣術だったし、私/俺はそもそも無機物だ。どのような剣術が素晴らしいかは理解出来るが、それを肉体を動かす術に出力することが出来ない。
身体能力に圧倒的な差があれば技量など関係無しに叩き潰せるが、それが拮抗し始めた時に勝敗を分かつのは技量や相性だ。そして、私/俺も俺/私も後者が不足している。
「なら、補えばいい! ……補う?」
俺/私の言葉と私/俺の言葉が一息に口から流れる。
違和感が、強い。他人と会話しているようでありながら、けれど一人芝居をしているようにも思える奇妙な感覚。喩えるならコーヒーとミルクの入ったグラス。ぐるぐる、ぐるぐる、どんどん混ざり合っていく。
「そろそろ限界、か。粗悪な品で無茶な戦い方をするからだ」
蓮児が憐れむように言う。
「最期は苦しまないように逝かせてやるとも。これでも、自分は君たちのことは嫌いではなかったからね」
語りながら歩み寄ってくる蓮児。
正面に立ち、拳を構え――突き出した。狙いは頭。そこを破砕すれば痛みも何も感じられまい、ということだろう。
――早く、速く、疾い。
雨宮の大振りな動作では回避する事など不可能だ。初動の段階で頭部が破裂する。
「――な」
驚愕の声と共に、耳が引きちぎれる音を聞いた。
「ぐ――んの、さすがに完コピは無茶だな」
右足を地面に縫いつけたまま、左足で体を蹴り飛ばす動き。跳ぶよりは移動距離は小さく、けれど初動の少ない動き。
摺り足。剣術や武術などで用いられる独特な足運びである。
「そのような、付け焼刃では!」
驚愕を打ち消し、蓮児が追撃する。
打ち込む、打ち込む、打ち込む。怒涛の乱打であるが、しかし雨宮に直撃しない。拳が掠り、肉が抉れ、血が吹き出す。だが、致命傷には程遠い。
――回避が絶望的な場面とは、一体どの瞬間か?
それは足が接地していない時だ。どのような場合でも、最悪両足さえ地面と触れ合っていれば何かしらの対応が出来るかもしれない。
が、跳躍など足が地面についていない時は最悪だ。翼や飛翔出来る異能でも持っていない限り、人間は単身で空を自由に駆け回れない。
故に、『地に足の着いた』状態であるべきなのだ。
地から足を離すのは必要最小限に、相手の攻撃は最小限の動きで避ける。
「解せないな」
拳が風を切る音と共に声が届く。
「拙い所はあるが、とても付け焼刃とは思えない――何をした?」
「何もしてねェぜおっさん――あえて言うなら、『なってしまった』が正しいだろう」
一人と一振りの思考が混ざった言葉の意味を、蓮児は理解し、顔を歪めた。
俺/私は剣術を知らない。
私/俺は体の動かし方を知らない。
だが――二つを掛けあわせればどうだ?
「意識の融合! それによって君の意識に剣が求める剣術の知識が流れ込んだのか!」
「正解」
私/俺を袈裟懸けに振り下ろしながら絶叫する。
無駄な力の抜けた剣閃は冬の夜のように冴え渡り、蓮児の右腕へと吸い込まれていった。
蓮児が回避行動に移るが――遅い!
「私の俺の――勝ちだ!」
刃が肉に食い込み、血液を潜り、骨を削り、骨髄を断ち切り――斬、と腕を両断した。
「まだ――だ!」
ぎち、ぎち、と筋肉が脈動し血管を強引に締めて失血を防いだ蓮児は、左の腕を振り上げる。
だが、
「いいや、終わりだ!」
瞬間、私/俺に流れこむ幻想の力。鬼を殺して奪っていたそれと同じように、蓮児の体内から幻想の力を抜いていく。
身体能力を、体の頑強さも、全てが幻想の力によってもたらされたモノだ。故に、
「ぁ――あ、あああああ!」
その力を失いただの異法士にまで戻った蓮児には、腕から吹き出す血を留める事など出来ない。
ばあ、と右手から真紅の華が咲き誇った。
「あ……と、父さん――!」
成り行きを見守っていた春香嬢が、傷口から血液を垂れ流す父親に悲鳴を上げるも、すぐさま表情を引き締めて物質創造を開始する。
刀の柄から生み出されたのは、穴の無いCDめいた薄い鉄板だった。それを握りしめ、傷ついた体を引きずりながら蓮児の元に歩み寄る。
それを切断面に強引に触れさせると、そこから無数の触手めいた刃が産まれた。それらは腹の部分で蓮児の腕に巻き付き、円盤を強引に固定する。なんとも強引な止血だと思ったが、腕が切断された時の正しい止血法など私/俺も俺/私も知らない。
「……いいのかお嬢ちゃん。このまま失血死待つってのも、選択肢の一つだと思うぜ」
たとえ生かしたとしても、蓮児の事をどこまで誤魔化せるか分からないし、たとえ誤魔化せたとしても元の鞘には戻らない。
今後の苦労を考えれば、このまま死なせて事件の黒幕の一人だったと協会に報告する方がずっと楽だ。
「うん……」
そうした方がいいのかもしれない、と小さく呟く。
「けど、父さんはわたしの家族で――死んで欲しくないから」
「今夜ここで殺されていたかもしれないのに――か?」
「何があってもわたしにとって家族だから。どんな風に思われてても生きていて欲しいし、出来るなら一緒に居たいの」
たとえそれが、どんな相手であろうと。
「そう――か」
言って、俺/私は小さく微笑み、二人に背を向けた。
「宗平?」
「元凶、潰してくるわ。その間にお嬢ちゃんは協会の息かかってる病院に連絡入れとけ」
「待って!」
じゃあな、と手を振って歩き出す俺/私を、春香嬢が呼び止めた。
その声は悲痛で、今生の別れに涙する年端の行かない少女のようだった。
「大丈夫だ、ンな顔すんな。後でまた会おうぜ」
ガリガリ、といつものように頭部を掻きながら言って、そのまま一気に駆け出した。
「――嘘吐き」
そんな、掠れた声を聞きながら。
◇
闇に沈んだ時雨崎邸に侵入する。
長い間世話になったこの家は、他人の家とは言えども、もはや勝手知ったるなんとやらだ。迷わず最短距離で土蔵へと向かう。
「相棒――なんだ、雨宮」
一息に会話しながら、一歩、一歩と確実に土蔵へと近づいていく。
「もう、契約は完了したんじゃねェのか――いいや、『お嬢ちゃんの幸せのために、おっさんを張り倒す』だからな。土蔵の力を消さぬ限り、春香嬢の幸せという部分が不確実になるだろう」
屁理屈だ。
くだらない、子供の駄々みたいなものだ。
既に体は意識が混線した現状を厭い、俺/私の――いいや、雨宮宗平という男の魂を喰らい尽くしたいと叫び続けている。
だというのに、このような時間稼ぎをしている理由は――
「俺を食いたくねェから、か――……ああ、そうだ」
沈黙の帳が降り、しばし足音だけが夜中の時雨崎邸に響いた。
このまま、この音を聞きながら自身の相棒と語らえたら、どんなにいいだろうと思う。
ああ――私/俺は俺/私と共に在り過ぎた。心から、雨宮宗平という人間を手放したくないと思っている。
「なあ」
不意に、俺/私が呟いた。
「どうした――二つ、願いの追加サービスしてくんね?」
……突然、何を言い出すと思えば。
「二重契約は不可能だし、契約完了後は再び契約する事は出来ないぞ――だろうなァ。ま、願いつってもよ、それは契約ってほどガチガチしたもんじゃねェんだ」
言ってみりゃァ友人に対する頼み、って感じだわな。
それだけ口に出して言うと、土蔵の前に到着した。当然の如く施錠されている扉を、こちらも当然の如く斬り壊し中に侵入する。
「――――」
木々や土が放つ古めかしい香りを鼻孔に満たしながら、「ああ」と小さく呟く。
「そうか。それがお前の願いか」
言葉に出さずとも理解できる。相棒/相棒の言いたいことがよく分かる。
こんな事を頼んで申し訳ないという思考と、今までの失態を考えればこのくらいはサービスしてやるという思考が混ざり合い、触れ合い、融け合っていく。
ああ、相棒/相棒。相棒/相棒、相棒/相棒、相棒/相棒よ。
「色々と無様だったけどなァ――」
私/俺を逆手に持ち、地面に振り下ろす。
土を貫き、刃が地面に刻まれた力を吸引する。刀身に活力が漲り、私/俺の機能が活性化していく。
「――お前に出会えて楽しかったぜ、相棒」
満足気な声。それと共に、ガラスが砕けるような音が響いた気がした。
「ああ――そうだな」
私も同じ気持だ、と。
もはや聞く相手のいない言葉を呟いた。
次回終章となります。