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偽りの終幕/3

 朝。少し前はまだ肌寒さが残ったこの時間だが、ここしばらくは暖かく感じる日も多くなった。もう少しすればうだる暑さに辟易するのだろう、主に雨宮が。

 そんな太陽が僅かに昇った頃に、玄関先で私たちと時雨崎は対面していた。


「それでは、娘を任せたぞ」

「オッケー、任された」


 時雨崎に手渡された車の鍵を掌に収めながら親指を立てる。

 今回の招集は、未だ解決しない鬼の出現について本部から来た異法士と共に話し合うためのモノらしい。

 ……時雨崎のことがバレなければいいが。

 もし本部の異法士が時雨崎を怪しみ証拠を見つけ告発すれば、彼とその娘の未来は暗いモノになるだろう。

 援軍が無能であればいい、と切に思う。 


「けどいいのかよ? 用事あンなら車返すぞ」

「大丈夫だ。世の中にはタクシーという便利な交通機関がある」


 便利だが私たちには縁遠い物だな、主に懐具合のせいで。

 雨宮も同じ事を考えたのが若干顔をひきつらせていた。


「……ま、いいけどな。んじゃ、俺は俺で準備してくるから、おっさんはおっさんも頑張れよ。上手くやりゃ、ここの支部の管理区域が広がるかもしんねェし」


 協会支部は複数あるものの、その支部が管理する土地は決して均一ではない。

 異法士の人数、個々の実力――それらを鑑みて、有事が起こった際に対処出来る範囲として管理区域が与えられるわけだ。

 似通った役割で守護者という存在もあるが、あちらは実力に関係なく代々守ってきた土地を管理している。基本的には協会と協力関係にあるが、笑顔で握手するような仲とは言い難く、支部の者を露骨に邪険に扱う守護者も存在するらしい。

 が、それも時雨崎ならば大丈夫だろう。

 要は実力がないから舐められるのだ。堂々と鬼の首を取ったような態度で接すればいい、なにせ言葉通りなのだからことわざの意味など覆る。


「いいや」


 されど否と、時雨崎は首を振った。


「自分はここ、鬼縁町で十分だよ。それ以上望んでは取りこぼすだけだ」


 ではな、と背を向け門の前で待っていたタクシーに乗り込んだ。


「さて、っと……」


 それを見送った後、雨宮は車庫へと向かう。

 木々でわらぶき屋根で構築されたそこは、車庫というより納屋だ。恐らく、使わないそれを車庫として代用しているのだろう。

 その中に、白い車両が鎮座していた。運転席と助手席、後部座席は三人程乗れそうなスペースがある。一般家庭においては標準的な車だろう。

 それを見るやいなや、雨宮は車の衛星の真似をするようにぐるりと回りながら細部を注視していく。

 一周。ぴたり、と立ち止まり――ふう、とため息と共に額の汗を拭った。


「よっしゃ、たぶん普通の車だ。高級車でもなんでもねェよ。マジ良かった、壊していいとは言われてるけど、高そうなヤツだったら心臓も一緒に潰しちまいそうで……ッ!」

「この小心者め」

「うっせ、うっせ! やー、しかしマジラッキー。ベンツとかと対面したらどうしようかと思ってたわ」


 ビビらせやがって、と運転席を覗き込み――雨宮は凍った。


「……雨宮?」

「やっべー……マジどうすンべ、コレ……」

「なんだ、やはり高級車だったのか?」

「いや、普通の車なんだよ。普通の車ではあんだけど……」


 頭痛に苦しむように頭を抱えながら、雨宮はぽつり、と言った。


「マニュアル車なんて、教習所でしか乗った事ねェ……!」

「……そうか、気合入れて頑張れ」

「気合で車が運転出来るかァ!」


 雨宮の魂の叫びが辺りにこだました。

 

     ◇


 私が知る限り――といっても、深夜暇な時に見ていたアニメの知識だが――男女二人の買い物、いわゆるデートというモノは砂糖菓子のような甘さを持っていたはずである。

 結婚式のケーキ入刀が初めての共同作業なら、デートは共同になるための下準備なのだ。甘くないはずがない。


「ああもうっ、宗平本当に免許持ってるの!?」


 ――だというのに、さっきから空気が唐辛子めいている気がするのは誰の責任だ? ……雨宮だろうな。

 春香嬢が叫びを上げるのは一体何度目だろうか。五を超えた辺りから無駄だと悟り数えてはいないが、そろそろ十に至っているかもしれない。

 キシャー、という肉食獣めいた声が車内に響き渡る。しかし雨宮は動じない――否、動じている暇が欠片も存在しないのだ。


「そないな事言われても、ここ数年俺オートマしか運転してねェんだもンよォ! 畜生、畜生、マニュアル車なんて消えてなくなりゃいいンだよド畜生!」


 クラッチ操作が非常に不安定なのか、断続的にガリガリという音が響く。

 おまけに何度かエンストを起こして、路肩まで押して再発進という事を繰り返している。本来その場で動かせばいいのだが、雨宮の腕のせいか再発進が非常に遅いため、安全のためそのようにしているわけだ。

 桜色のワンピースを着た春香嬢は、何度目か知れぬため息を漏らした。


「これ、もしかしたらわたしが運転した方がいいんじゃない? 免許は持ってないけど」

「うっせー! だったらお前とっとと教習所行って来い、オートマ免許なんざ許さねェぞマニュアルでだぞ! それでもう一回同じセリフ吐けるモンなら吐いてみやがれェェェェ!」

「血を吐くような叫びを上げているが、尋常ではない程に情けないぞ、雨宮」


 幸いなのはここが田舎であり、背後から煽られないという事だろう。対向車とほとんどすれ違わないため、稀に背後から来る車も軽々と追い抜きして去っていく。

 それに、最低限の交通マナーと運転技術――クラッチ云々も最低限の運転技術だとは思うが――は持ちあわせているようで、警察のお世話になるような自体にはなっていない。


「なによ、もう……エスコートの約束、到着前に破綻してるじゃない」


 ぶつぶつとぼやく春香嬢には謝っても謝りきれない気がする。そして本人は、車の操作に四苦八苦していて小さな呟きになど気づく様子もない。


「……いや、なんというか、本当にすまんな」

「貴方が謝る事じゃないでしょ、ああ全く……ま、気分転換にはなるけど」


 ふう、と今日何度目かも分からないため息を吐いた。

 

     ◇


「駐車場が広いって素晴らしいよな」


 そうボヤきながら雨宮はようやく駐車し、運転から開放された。


「駅前――といっても特別賑わっているわけではないのだな」


 憔悴しきった雨宮とその背中を半眼で見つめる時雨崎嬢と共に車から降り、辺りを見渡すとそんな感想が漏れ出た。

 駅とは人が集中する場所だと勝手に想像していたが、考えてもみればこの辺りで重要な足は車だ。電車を使う事など、よっぽど遠出する用事で無い限り無いのだろう。


「うっし。情けない姿見せまくっちまったからな、名誉挽回と行くか」

「挽回しても帰りに返上する事になるがな。帰路も車なのだから」

「人のモチベーションをSAN値みてェにガリガリ削ンな! 発狂するぞ!」

「元とはいえ、化物退治の専門家の正気度がそう簡単に削れるものか」

「貴方たちの会話って、時々意味が理解できないのよね……」


 サン……太陽? と呟く春香嬢の汚れない姿が眩しい。ああ、私はいつの間にここまで染まってしまったのか……ッ!


「俺もサブカルにゃーここまで詳しくなかったンだがなァ。夜中に暇してた相棒にテレビ見せてやったら、深夜アニメにハマっちまって。俺も引きずられまくってるッつーわけで」

「深夜に放送している変身魔法少女モノがキッカケだったな、懐かしい」


 リリカルでマジカルで妙に熱血だったな、と二人で頷き合う。運命の名を持つ少女がとても――そう、とてもだ――可愛くて可愛くて。

 春香嬢が「うわ、なにコイツら」と言いたげな表情で後退りしているが、それはきっと私の気のせいだろう。

 くだらぬ会話で春香嬢との間に溝を深めつつ、携帯ショップの中に入った。

 店員からカタログを借り、「あー、決まったら呼びますんで、裏で楽にしといていいッスよー」とひらひら手を振った雨宮は、手近なソファーに春香嬢と共に座る。


「んで、お嬢ちゃんはどんなのが欲しいんだ?」

「どんなの……って言われても。なんか全部同じに見えるんだけど」


 ロボットは全てガンダムに見えるに近いその発言は、年頃の娘として如何なものか。母親や祖母のセリフのようだ。


「……ジイさんバアさん用の楽なヤツにしとくべか? 同級生からドン引きされるかもしんねェけど」


 それはちょっと……と想像しているのか顔をしかめてぼやいていたが、ふと何かに気づいたように表情を緩め、頬を僅かに赤くしながらおずおずと問うた。


「ねえ、宗平のと同じのって無いの? それなら使い方教えてもらえ――」

「あ、キャリア違うから無理だわ」


 フラグブレイクならぬフラグスライス! まさに一刀両断! ああ我が相棒よ少しばかり切れ味が鋭すぎやしないか――!?


「あ、ああ、うん、そうなの。まあ、いいけどね、うん」

「まあ、ジイさん向けなのは除外するにしても、ある程度シンプルな操作なヤツにしねェとお嬢ちゃん扱えそうにねェな……ちょっと店員に聞いてくるわ」


 立ち上がった雨宮は、カバンを時雨崎嬢の隣に置き、携帯を手渡した。

 慌てて受け取った春香嬢は、下手に扱えば破裂するとでもいった風に恐る恐るそれを握る。


「時間かかるかもしンねェし、相棒とダベっててくれや。携帯耳に当てときゃ、独り言してるイタイ子にゃァ見えねェだろうし」


 じゃな、と短く言うとカウンターに向かい店員に声をかけた。恐らく、ある程度使いやすい端末を見繕ってもらうつもりなのだろう。

 しばらく戻ってこないであろう雨宮の背中を不満そうに眺めていた春香嬢だったが、ふうと息を吐き携帯を耳に当てる。


「……まあ、特別期待してたわけじゃないけどね」

「本棚に合った少女漫画のようにか? その中でもレディースコミックと言うよりは少女趣味が過ぎる類の――」

「……帰りは車のバンパー辺りを椅子にしてみる?」


 鞄の上から握り潰す勢いで掴まれる。もっとも、鞘が圧力を受け止めてくれるおかげでダメージはないのだが。


「車と壁に挟まれる趣味はないな」

「相棒とか言ってる癖に、全く信用してないのね……」

「道中の運転を見て信用出来る者が居るならば、連れてきて貰いたいな。詐欺師に紹介して仲介料でも頂くとしよう」

「ホント、デート――とは言いがたいけど、ともかく――の初っ端から情けない姿晒してねぇ。ま、気分転換になったからいいけど」


 小さく笑うと背もたれに体重を預けた。


「気分転換? なんだ、悩み事か何かでもあるのか?」

「うーん、悩み、って程じゃないけど」


 漠然とした思考を纏めるためだろうか、唇を指先でノックし、


「ちょっと、父さんの様子がおかしいの」


 ――……僅かに、沈黙。


「どうしたのよ?」

「いや、すまんな。少し思い返してみたが私には思い至らない」


 思考の空白を誤魔化すため、自嘲めいた笑い声を漏らす。


「それはいつ頃からだ?」

「ここ最近ね。シュタルクが暗躍してた頃も悩んでいたように見えたけど、事件が解決してからの父さんは――なんか、少し変」

「……続けてくれ」

「正直、父さんは弱っていたとはいえ私が勝てなかった相手に勝てる程の実力はないの。あまり言いたくないけど、父さんは弱いの。弱かったの」

「だというのに、ここ数カ月の時雨崎は異常だと?」


 それもあるけどね。

 表情を僅かに曇らせながら春香嬢は唇を動かす。


「活躍してくれるのは別にいいの。父さん、昔からそういうのが夢だったみたいだから。諦めてた節はあったけど、誰かに評価されたいって願望はあったみたいだし」


 でも、と己の違和感を紡いでいく。


「それだと、父さんの行動はおかしいの。ここしばらく、協会から『本部に顔を出して欲しい』って連絡が何度か来てるみたいなんだけど、全部何かしらの理由をつけて断ってるの。シュタルクにトドメを刺したのは父さん、事件解決後の鬼退治は父さんの手腕で成功してる。さすがにいきなり二つ名を貰えるとは思わないけど――何かしらの評価をしてくれる為に呼んでるのは確実なはずなのに」


 それが、


「評価されたい、という願望と矛盾すると?」


 それは少々強引な理論ではないのか、と言外に問う。

 しかし、春香嬢は表情を曇らせたままに不安を漏らす。


「父さんね――この町から離れた位置で小さな事件があっても、絶対に行かないの。実力もついて、誰かに頼られているのに」


 そう、


「ううん、協会とか異法とか関係なく、日常でもそう。父さんは――鬼縁町から離れたがらない。車で隣町まで向かう、って事も無くなった」


 それはまるで、


「籠の鳥になったみたいで、少し嫌な感じがするの」


 ――事実、そうなのだろう。

 シュタルクの残した力がどこまで及ぶかは分からない。が、少なくとも鬼縁町から遠く離れる事は出来ないだろう。

 故に籠だ。籠の中に居る限り鳥は巨大な外敵に襲われる事はなく、飢える事もなく暮らせる。愛でてももらえるだろう。


 それは人の生き方ではない、と否定する事は簡単だ。


 だが、私は時雨崎蓮司という男がそんな事を考えもしない愚者だとは思えない。

 迷ったのだろう。悩んだのだろう。その結果、彼は籠の中に入る決意をした。

 ならば、私からは何も言えない。そも、己の相棒の思い違いすら気づかなかった私が、他人の選んだ道を間違いだと言える程の頭があるとも思えない。


「弱かったからこそ、失敗する恐れを知っているのだろう。新たな力を得て調子に乗った者に待っているモノは破滅だからな」

「そういうモノ……なのかしら」

「そうでなかったとしても、だ。春香嬢は自身の父が後ろ暗いことをしていると思うか?」

「それは――」

「私は思わん。何か秘密があるのかもしれないが――他者を仇なす類のモノではないだろうさ」


 少なくとも私はそう思うし、そう信じたい。

 それでも納得行かないのか、俯いて考えこむ。そんな春香嬢の肩に、とん、と雨宮の掌が載せられた。


「あのおっさんが変な事してる素振りもねェしな。ま、もし妙な真似してるンなら、一緒に止めてやんよ」


 ま、そんな事はねェと思うが。

 言って笑う雨宮の右手が持ち上がり、己の後頭部をガリガリと掻く。

 だが、その動作が何か怪訝なモノであるかのように、春香嬢は頭部を掻く雨宮の動きを注視していた。


「……そっか」


 不意に何かに気づいたのか、春香嬢は少しだけ寂しそうに笑った。


「どうした? あ、簡単な携帯だとデザイン選べねェとか悩んでる系か? そんなら大丈夫だ、色も形もそこそこ選べそうだぜ」

「……別になんでもない。とりあえず、さっさと選んじゃいましょ」


 オッケオッケ、と手招きしながらカウンターへ向かう雨宮を見送り、春香嬢は小さくため息を吐くと、


「ま、追求しても意味無さそうだし、ね」


 ちらり、と私が収まったバッグを睨みつけた。


「どうした? 何か聞きたい事でもあるのか?」

「別に、なんでもないわ」


 言って春香嬢は雨宮の背中を追う。ちらりと見えた横顔は――少なくとも私には普段と変わらぬように見えた。


     ◇


 時雨崎に対し、「娘さんを携帯契約させてやったぜフハハ」という非常に頭の悪い文面と共に電話番号、メールアドレスを添えてメール送信する。

 送信完了を告げる液晶の右上には11:30という表示。本部の異法士に対する説明がどのようなペースで行われているかは知らないが、どれだけスムーズに進んでいたとしてもまだ終わってはいまい。


「ま、終わる頃にはそっちの携帯にメールなり電話なりくれンだろ」


 パチン、と携帯を乱雑に閉めポケットに入れる。


「適当にどっかでメシ食いつつ帰ろうぜ。苗さんも隣町まで行ったってのに、わざわざ戻ってメシ食うとは思うめェ。どっか希望あっか?」

「別にどこだっていいわよ。ちゃんと運転してちゃんとエスコートしてくれれば」

「……よーし、それじゃあ車に乗り込めー」


 都合の悪い言葉を全力で聞かなかった事にして車に乗り込む。その背中をジト目で見つめながら春香嬢が続いた。

 ガソリンを燃やし鳴動するエンジンと重なるように、クラッチの操作を誤った事の証明であるガリガリという音が響く。「うわあ宗平何一つ成長してない!」という視線を気合で黙殺しているらしく、空調が効いているというのに多量の汗を流す雨宮は、そのままゆっくりと車を発進させた。

 ゆるゆると加速していく様は、若干不恰好ではあるが何度も発進失敗した当初に比べれば成長しているのだろう。


「っと、っと、っと……おおっ、なんか俺凄くねェ!?」

「普通だからね? それってけっこう普通の事だからね?」

「うっせうっせ、当たり前を当たり前に出来る人間が何人居ると思ってやがる」


 微かに空調の効いた車内に喧騒が満ちる。速度制限より五キロほど下回る速度でゆるゆると、時たまに背後まで来た車に追いぬかれつつ進む。

 順調とは言い難いものの、二人ともそれなりに楽しそうなので、これはこれで良いモノなのだろうと思う。


「……ねえ」


 そんな軽々とした空気の中、不意に重い決意を宿した言葉が漏れた。


「んー? どったよお嬢ちゃん」


 それに気づいているだろうに、その深刻さを和らげるように変わらぬ軽さで雨宮は問う。


「こっちも、男手とかさ、足りてない所とかあるの。他の人はそういうの嫌で、すぐ別の街に出ちゃうらしいけど。宗平が、そういうの嫌じゃなければ――」


 その言葉がどれだけの勇気を振り絞って出したモノなのかは、私には分からない。

 雨宮から離れたくない。

 その言葉をそのまま口に出来ず、なんとかしてこの地に繋ぎとめようとして産まれた言葉だということは理解できた。


「――おっさんにも言ったがよ」


 ハンドルを握っていた右手を、頭部に持って行きそのまま掻く。困ったなぁ、とでも言うように。


「魅力的な相談なんだがなァ。相棒を扱えなくなった俺は速攻無職化するだろうし、すぐに代わりの職を手に入れられるのはマジで魅力的なんだが――」

「だったら、それでいいじゃない」


 お嬢ちゃんたちに頼り切るのもなぁ、という言葉を寸断する声に、雨宮は口を閉じた。


「多少の迷惑、かけてくれたっていいから。……そんな小さな迷惑以上に、わたしは嬉しくて楽しくて――その、宗平が居てくれた方が、いいから」

「……おいおい、お嬢ちゃんよ。そういう言葉は好きな奴に言ってやれよ。そんな言い方じゃあ誤解――」

「してないっ!」


 絹を裂くような声音に、車内から言葉が消えた。エンジンの音だけが空気を読まず絶えず音を発し続けている。


「わたしは――雨宮宗平が好き。好きなの。離れたくないし、ずっと一緒に居たいの。だから――」


 その言葉の先を言わせぬ、とばかりに携帯が鳴った。私のすぐそばで、絶えず着信メロディが響く。


「このっ……!」


 怒りに任せ春香嬢は雨宮のカバンに手を突っ込み、携帯を引きぬいた。

 黙れ、と。

 よくも遮ってくれたなと罵るようにディスプレイを睨みつけ――そして『上司で腹黒眼鏡な人材収集マニア』という珍妙な文字を見た。


「……なにこれ」


 気勢を削がれたのか、どこか間の抜けた声を漏らす。


「ああ、それか。雨宮の上司だが――こいつ名前を覚えていなくてな」


 だからそんな適当な名前で登録してるのだ、と呆れを含んだ声音で答える。

 もっとも、言った私も同様にその上司の名を覚えていないのだが、それは言う必要はあるまい。

 枯れ草色のコートを羽織った、細身の眼鏡男だったと記憶しているが――どうも彼は私や雨宮と会う事を避けているらしい。


『まいったな、お前と俺の異能は絶望的な程に相性が悪すぎる』


 ただ一度、顔を合わせた時にそんな言葉を告げられて以来、彼との意思疎通の手段はメールか電話に限られている。

 そんなに相性悪いなら部下にするな、とは思うのだが――どうも彼は人材フェチな気質があるようで。最近では悪名高い刀我家とうがけの生き残りを部下にして、協会幹部の度肝を抜いたのだとか。

 雨宮はゆるゆると路肩に車を寄せると、春香嬢から携帯を受け取った。


「久しぶりだな雨宮。相方も元気か?」


 漏れ聞こえる声に雨宮は「ああ」と頷く。


「それなりにゃァな。で? 世間話なら忙しいんで切ンぞ?」


 話が早くて涙が出るほど嬉しいな、と苦笑する声は、


「そっちに本部の奴が来たはずだな?」


 と分かりきった事を問うてきた。

 耳を澄ます春香嬢も怪訝そうに顔をしかめる。


「来てる来てる、バッチリ来てるはずだぜ。世話になってる時雨崎家の当主もお出迎えに行ってたしな」

「……そいつが今どうなってるか分かるか?」

「さァな。この時間だ、まだ支部で話を聞いたりなんなりしてるとは思うが」


 んで、どうしてそんなことを聞くンだ? と。

 雨宮がそう続けるよりも先に電話越しの声はその言葉を口にした。


「意識不明の重体だ」

「……は?」


 短く、けれどそこに刻み込まれた意味は多いその言葉に、雨宮と聞き耳を立てていた春香嬢の表情が険しくなる。


「……どういうこった?」

「こっちもあまり情報は来てないんだが、支部でそちらの異法士たちと話している途中――壁越しに出現した鬼に殴られ、そのまま――な。本部の奴も手練ではあったみたいだが、強化も何もしていない状態では鬼の質量と腕力には耐えられなかった、とのことだ」


 確か、まだそっちには少数だが鬼が出現しているんだったな――そう問いかけてくる声を聞き流しながら、雨宮は苦しげに顔をしかめた。

 

 ――春香嬢は言った。時雨崎は何かと理由をつけて協会本部に行くことを拒んでいた。


 そして、調査しに来た本部の異法士だけが、たまたま出現した鬼に殴られて意識不明。

 偶然だ、と。

 本部の奴も運が悪かったな、と。

 そんな風に自分自身を騙せたら、一体どれだけ楽だろう。


「……さすがに、コレを見なかったことにすンのは無理――か」


 雨宮も私と同じ気持ちなのか、硬い声音で呟いた。

 見逃し、無かったことにして日常を送ること自体は、まだ可能だ。不審に思う者も出るかもしれないが、すぐに時雨崎を疑えるほど情報を得ていないだろう。それに時雨崎も馬鹿ではない、何かしらの手を打つだろう。

 故に、雨宮と私は黙っていればいいのだ。そうすれば時雨崎と春香嬢の日常は守られる。

 だが――それを雨宮は許せない。


『時雨崎蓮児ならばその力を正しく扱うだろう』


 その前提があるからこそ、雨宮は今日まで時雨崎を見逃していたのだ。

 ……その力で他者を害さぬ限りは。

 雨宮の歯と歯が重なり、ギリリと鳴る。

 ああ、全く。春香嬢が言った通りだ。私の相棒は――誰かを傷つける悪を嫌悪する者なのだから。


「――オーケー、オーケー、オーケーだ。俺は俺なりに調べてみるわ」

「……そうか。まあ、お前はお前で好きにやればいいさ。上手くいくならそれでいい」


 数秒の間を置いて電話越しの声は答え、通信を遮断した。

 ――しかし、お前はお前で好きにやれ、か。

 雨宮が目星をつけているのは、恐らく気づかれているだろう。追求しなかったのは信用しての事か――否。

 あの男は知り合いに甘い。だがそれはバニラエッセンスの甘さだ。香りに騙され原液を口に含んだ時のように、己の出世を害する場合は苦味を持って無慈悲に排除する。

 上手く事態を纏められるのなら、彼は全力でサポートしてくれるだろうが、そうでない場合に待っているのは死だ。


「宗平?」


 雨宮の思いつめた表情になにか不穏なモノを感じたのか、春香嬢は小さくその名を呼ぶ。

 それに対し心配するなと言うように。右手で頭をガリガリと力任せに掻きながら、笑う。


「引退前に仕事入れられちまってなァ。まあ退職届も出してねェし――ってかアレ? 協会脱退すンのって退職届とか必要なのかね?」

「そもそも、だ。異法士や異能者は全て協会に入るべき――という考えだからな。退職の書類など受け付けまい。もっとも、お前が私を扱えなくなったと知られれば、即座に首を切られるだろうがな。利用価値が無くなれば捨てられるのは、いつの時代も同じだ」

「辞めるつもりだったが、そういう風に言われると意地でも辞めたくなくなるから不思議だわな」


 ハハハ、と私と雨宮は笑う。笑う。笑う。

 友と軽口を言い合うように、ジョークがツボにハマったように。

 その姿を、春香嬢はじっと見つめる。

 その眼は、私たちの寸劇を「胡散臭くてたまらない」と言っているように見えた。


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