偽りの終幕/1
――ひとまず、変化を理解すべきだ。
シュタルクの思惑がなんであるかは私たちは知らない。直接問いただそうにも、死人から情報を引き出せるはずもない。
故に、シュタルクの行動が、シュタルクが起こした怪異が今の鬼縁町に対しどういう変化を与えているのかを理解すべきなのだ。
「それで、どうする気だ?」
何かアテはあるのかと問うと、雨宮は頭を掻きながら、
「ま、お嬢ちゃんと話して情報貰ってからだな。今ンとこ俺に近しい奴で事件の現状を詳しく知ってんのは、おっさんかお嬢ちゃんしか居ねェしよ」
とりあえず闇雲に走り回っても分からねェべ、と肩をすくめた。
そうだな、と私は小さく肯定の言葉を吐く。
時雨崎に――とも考えたが、止めておく。彼は今現在は活躍しているものの、シュタルク生存時の知識は少ない。変化を問いかける相手としては不適切だろう。
故に、春香嬢なのだ。彼女は私たちと共に鬼と戦い、シュタルクと争い、私たちが怪我で寝ている間も父親と共に町を見まわっていた。そんな彼女だからこそ分かる変化もあるだろう。
「つっても、まだ学校終わってねェしな。予めおっさんに気になる事ないか、程度は聞いておくのも悪くはねェかな」
玄関を開け中に入る。本来ならこの瞬間、古川苗辺りが床をキュイキュイと鳴らしながらこちらに来るのだが――
「……珍しいな」
今日に限っては、そういった気配が全くなかった。
「まだ学校も終わってねェ時間だしな」
帰ってくるとは思ってなかったんだろうよ、と靴を脱ぎながら呟く。
足元のウグイスをキュイキュイと鳴らしながら歩いていると、屋敷の中が若干慌ただしい事に気づく。
「なんだ?」
怪訝に思った雨宮が廊下の奥を覗く。
見れば、使用人の女性たちが荷物を持って行ったり来たりとしていた。古めかしい道具を両手で抱え、屋敷と土蔵の間を行ったり来たりとしている。
……そういえば、少し前に土蔵の中身を出していたな。土蔵と掃除と骨董品の修繕などを済ませたのだろうか。
しかし、重そうな壺などを抱えて移動するのは、女手だけでは少しばかり辛そうだな。
「……うっし」
雨宮も同じ思考に至ったのだろう。掌に拳を当て、パンッと乾いた音を鳴らした。
「ここしばらくタダ飯にタダ寝だかンな。ちいっとばかし手伝うか」
靴を履き直し中庭に出る。すると、「あれ?」と怪訝そうな声が聞こえてきた。
「あら、雨宮さん? すみません、お帰りに気づけなくて」
使用人たちが集まっている部屋に行くと、その中心に古川苗が居た。腰に手を当てて指示を飛ばす姿は、普段私や雨宮が見ている姿よりもずっと男前だ。
「別に構わねェっすよ、変な時間に帰って来ちまったんで」
んで……と辺りをぐるりと見渡した。
何人かの使用人たちが雨宮に軽く頭を下げた後に骨董品などを持ち上げて廊下を進んでいく。
「んで、まあついでだから手伝わせてもらおうかな、とな。こんまいモンならいいけど、大きめの壺とかなんかの像とかは女だけじゃキツイべ」
「うーん。けどお客様にそんな事をさせるのも、と思うんですよー」
「んじゃ、こっちからお願いするさ。病み上がりでようやく体動かせるようになったかンな、リハビリ的なモンとしてやらせて頂けりゃァ幸いだなと思うわけですよ」
でも、扱いが繊細そうなのは勘弁なと付け加える雨宮に、古川苗は僅かに逡巡し、
「……それじゃあ、お願いしちゃいましょうか。あ、でも旦那様には内緒ですよー?」
「あん? 俺から申し出たのに苗さんらの首切るような器がちいせェ奴じゃないだろ、あのおっさん」
「やー、でもですね。雨宮さんが出かけた後、雨宮さんの帰宅前までにやっておいて欲しいって言われてたんですよねー」
だからちょっと気まずいかなー、と思うワケなんです。
そう言ってバレないように悪戯をする子供のような笑みを浮かべた。
「すまんね変な時間に帰ってきて。オーケーだ、あのおっさんに見つかる前にさっさと終わらせる。で、そのおっさんは今どこに?」
「協会に顔を出してるみたいですね。お昼ちょっと過ぎた辺りに帰るつもりみたいです」
へえ、と机に載る時計を覗いた。針は十一時半を少し過ぎたと主張している。
「んじゃ、とっとと始めるか! 置く場所とかは土蔵で作業してる奴に聞けばいいんかね?」
「オッケーですよー。それじゃ、働くと決めたんなら馬車馬の如く働いてくださいねー」
あいよー、と手近かつ装飾などが少ない壺を二つ脇に挟み、軽い足取りで土蔵へと向かった。
すれ違う使用人たちに挨拶をしつつ、土蔵の中へ。
「思ったより、埃っぽくねェんだな」
「ええ、もちろん。前に中の物全部出した後、総出で掃除しましたから」
雨宮の独り言に答えるのは、棚の上に骨董品を載せる作業をしている若い使用人だった。
「最初はもっとのんびりやるつもりだったんですけど、旦那様が掃除してないのに何度も入るんですよ。肩とか頭に埃たっぷりつけて出てくるんですよ? 本人は気にしてなかったんですけど、苗さんが凄く気にしてて」
結果とってもハイペースになったんですよね、と忙しい日々を思い返しているのか乾いた笑い声を持たした。
「大変だなァオイ。俺ならとっくにストってるぞ」
軽口を言いながら、彼女の傍に行こうと土蔵の奥に踏み込み――
「――あ?」
危うく両手の壺を落とす所だった。
「あれ、雨宮さんどうかしましたかー?」
追いついたのか、仏像らしきモノを乳飲み子のように抱えた苗が問う。
だが、とっさに返事が出来なかった。雨宮も、そして私も。
「なあ――苗さん」
ようやく搾り出した雨宮の声は酷く乾いていた。
己の心を落ち着けるべく、ゆっくりと二つの壺を下ろし、大きく、そして感覚の長い呼吸を行った。
そうでもしなければ、まともに会話など出来そうにないのだろう。
雨宮の視線の先、そこには床がある。
そこに、非常に見覚えのある力があった。
私たちは、つい一月程前に――いいや、それ以上前に見たモノと同じモノが。
「そういやさ。あのおっさんは――なんで土蔵の整理なんてしだしたんだ?」
勘違いなら、それでいい。
土蔵が空っぽな時に侵入された、でも構わない。間抜けが罪であるかどうかは個人の判断に任せるが、少なくとも実行犯ではないのだから。
古川苗は雨宮の硬い表情から『何か』があるのだと顔を引き締めた。異法こそ扱えぬものの、異法士の屋敷の大部分を管理する使用人だ。一般人などよりは、ずっとオカルトに対する理解は良い。
「雨宮さんがお嬢様とお風呂でばったり会った日があったじゃないですか。その時に来たお客様との話し合いの結果、らしいです」
「それで、そいつは――どんな奴だった?」
「ええ、っと。名前は聞いてないのですが――」
記憶をたぐる僅かな時間がもどかしい。
雨宮の鼓動が漏れ、私の刀身に響く。
どくん、どくん、と。
十三階段をゆっくりと登り、あと半分ほど進めば己の命は終わるのだと思考する罪人の心臓のように。
早鐘よりは遅く普段よりは速く、そして鼓動だけは嫌に大きいそれを三秒ほど聞いた後、古川苗は申し訳なさそうに口を開いた。
「スーツが凄く似合ってた以外は、特別特徴らしい特徴は思い浮かばないですね。なんというか、東京のビジネス街辺りでその人探そうとしたら、一体何日彷徨えばいいのかなー、って感じな」
「オッケー、よく分かった」
知っている。
その特徴を知っている。
知らぬはずがない。
「悪い、自分から手伝うなんて言ったけどよ――ちょっと考え事ができた。部屋に戻るわ」
「……あの、何があったかは知りませんけど――無理しちゃダメですよ? わたしはそういう世界に詳しくないですけど、旦那様やお嬢様なら相談相手になれると思いますので」
「ああ、そうだな」
――出来るはずがねェよ。
雨宮がその言葉を飲み込み、部屋へと戻るべく土蔵に背を向けた。
あそこにあったモノ。
それはこの村を混乱に陥れた異変の元凶、
――シュタルクの異能の力が。
いくつも、いくつもいくつも。
デパート内で見たモノよりも、かつて私を生み出した時のモノよりも尚多く存在していた。
◇
部屋に戻った雨宮は座布団に腰を下ろし、手近なちゃぶ台に私を置いた。視線と視線が正対する。
「さて、どうするよ相棒? なァ」
苦渋に満ちた表情で呟く。
「何があったかは知らねェけど――おっさんはシュタルクと通じていた」
「だろうな」
土蔵の事、だけではない。
雨宮がデパートでシュタルクに強襲をかけた時に結界を貼っていた異法士が居たが、あれは十中八九時雨崎だ。
神社での戦闘後、雨宮が疲れて寝ている時に顔を出した彼は確かにこういった――
『少し用事があってな、少しばかり屋敷を離れるんだよ』
――と。
無論、それだけでは通じていたと断言するには弱い。
しかし、
「時雨崎蓮児という男はシュタルクに勝てるほど強くは無い。たとえ雨宮と春香嬢が彼に瀕死の重傷を与えたとしても、だ」
雨宮は強い。
私の力で強化した腕力で刃を叩きつければ、刃が通らなくても叩き切ってしまう程に。
春香嬢は強い。
創造する物が刀であり、かつ『切れ味』を重視した物であれば断てぬ物など絶無と言っても過言ではないだろう。
しかし――時雨崎蓮児は弱い。
鍛えた体と磨いた技術も、雨宮の力と春香嬢の切れ味には敵わない。
ならば、扱っていた刀が名品だったのだろうか? 鬼すらなます切りにする名刀なのだろうか?
「可能性はゼロじゃねェが――まあ、その線はねェよな」
「だろうな。もしもそのようなモノがあるならば、私たちなど呼ばずとも親子二人で対応できた」
神社で現れた上位の鬼ならば難しいかもしれないが、私たちが春香嬢と共闘し出した頃に出会った程度の鬼ならばその刀で戦えたはずだ。
だとすれば、
「シュタルクはわざと殺された、という訳か。だが、なぜ?」
「分からねェ。けどよ、そう考えるとしっくり来る部分がねぇか?」
思い返す。シュタルクとの戦いを、その時、彼が言った言葉を。
――このタイミングで来たのが、まさか君とはね。彼女に失望されて引き篭っていると思っていたが。
雨宮がシュタルクを蹴り飛ばした後、奴が言った言葉だ。その時にも僅かな違和感を抱いただけだったが、今は違う。
――『このタイミングで来たのが』、『まさか君』という言葉。それは、まるで『このタイミングで乱入するはずのない人間が来て』驚いているようにも思えるのだ。
「刀についてた血は血糊とかじゃねェのかね。シュタルクを殺しても協力者がまだ居るンじゃ、協会の目が緩まない。だから、既に排除したと宣言してシュタルクを殺すことで事件の幕を強引に引いた――結果、おっさんにとって都合のいい日々が続くわけだ」
今まで戦おうとしなかった鬼と急に戦い始め、いくつも勝利を収めているということ。
娘と共に戦い、協会の異法士たちに鬼との戦い方を教示していること。
春香嬢は喜び、異法士たちは評価を改めている。
そして、こういう噂をしているはずだ。
「時雨崎蓮児は強かった、覚醒した、大器晩成だった――とにかくなんでもいい。『彼が弱いというのは間違いだ』、と皆が噂を流す」
「鬼が少なくなるのも当然だ。段々と噂が鬼からおっさんにシフトしてンだよ。力が弱っていってるんじゃねェ、鬼に注がれてた力がそっくりそのままおっさんに向けられてるだけなんだよ」
鬼の出現位置などを読めるのは――暫定的に力の所有者が時雨崎になっている、と見るべきか。鬼を自由に出現させ、それを狩ることで己の噂は肥大化させようとしているのだろう。
そして土蔵はまた多数の骨董品で埋まり、床に注意が行かなくなる。オカルトの力の流れは残るだろうが、今後新しく異法士が長く使った武具やオカルトの力を帯びた骨董などをぶち込んでしまえばいい。力と力が混ざり合い、判別が出来なくなるだろう。
それで終わり。時雨崎蓮児は噂を糧に素晴らしい異法士となる筈だ。
しかし、それはなぜ? なぜこのようなことをする?
「おっさんは、どうもお嬢ちゃんと一緒に戦えないことを悩んでたフシがある。なら――」
春香嬢と一緒に戦えるようになるため、シュタルクから力を借りしている――?
「シュタルクの奴がそこまでする理由は思い浮かばねェけど、これが正解――……なん、だろうよ」
口の中で留まろうとする言葉を強引に吐き出し、雨宮は俯いた。
「それで、どうする? もう力を使い果たした魂喰らいの妖刀と、魂喰らわれねェっていう取り柄を失った俺は、一体全体どうすりゃいいんだろうな」
正解を知った。時雨崎蓮児はシュタルクの力を利用し、鬼を自由に産み自身の力を増大させるために使っている。マッチポンプだ。
だが、知ってどうするというのだ。
協会の異法士たちに告げ抹殺すればいいのか?
もしくは捕まえて尋問でもするべきか。情報を吐かせるだけ吐かせ、殺害すべきなのか。
――――父と共に歩めることを、心から喜ぶ春香嬢の笑顔を翳らせてでも。
「――私は」
ああ、そうだ。私は、
「このまま黙っているのも手だと、思う」
雨宮は答えない。
じっ、と私を注視し続ける。注視しながらも、その脳内でいくつもの仮定とそれによって起こるであろう結果をシミュレートしている事だろう。
「仮に、強くなりたかったからシュタルクの異能に目をつけたとしよう。だが……それで、誰かが傷つくのか? 誰かが損をするのか? 誰かが死ぬのか?」
時雨崎が強くなる。それのどこで誰が被害を被る?
無論、褒められることではないのは分かる。私が時雨崎と関係が無ければ、即座に協会に知らせるだろう。
だが、私も雨宮も時雨崎を知っている。知ってしまっている。
ならば、
「言う必要はない。老婆との約束は反故する事になるが、仕方がない事だ」
「だよ――な、それが最善だよな」
だってよ、と雨宮はいつものように後頭部をガリガリと掻いた。
「すげェ嬉しそうなんだぜ――お嬢ちゃん。一緒に頑張れて嬉しいって笑うんだぜ。なら、それでいいさ」
それが、雨宮宗平と私が下した結論だった。
――そうだ、話は簡単。
ごてごてと理屈で塗り固めはしたものの、私も雨宮も時雨崎春香という少女を悲しませたくはないだけなのだ。
正しいワケがない。
己の正義感を自覚した雨宮には苦しい選択ではある。
しかし、それでも天秤は口を噤む方へと傾いた。
雨宮にとって、己の正義感よりも彼女が笑って日常を過ごすことが重要なのだ。
自分を救ってくれた少女に幸せな日々が訪れることこそが重要なのだ。
故に、私たちは黙る。
正しくないと知りながら真実から目を背けよう。