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――の終幕

「ベッドで好きなだけ寝る、ってのもよ。最初は楽だが段々と苦痛になって来ンだよな」


 シュタルクとの戦闘から一月と数日後、一部で5月病という病と言うべきか迷うモノが流行しだす頃、雨宮はようやく動けるようになった。

 協会の異法士による異法によって治癒を促進させたため、あれだけ折れ、潰れていた骨や臓器も動ける程度には回復しているようだ。

 布団から起き上がり、うん……と大きく伸びをした雨宮の体に不備らしい不備は見受けられない。


「これが一般人なら最低でもあと二月は布団の上だったろうな」

「考えたくねェな。そんなに寝てたら溶けて布団と一体化してる気がすンぞ」


 軽口を言いながら肩をぐるり、と一回転させる。こきこき、と関節を鳴らしながら廊下に出ようとして、


「おっ、と」

「あら、雨宮さん。もう起きても大丈夫なんですか?」


 盆に食事を載せた古川苗と鉢合わせた。白米に味噌汁、そして焼き魚という時雨崎家では珍しく純和な上に質素な食事だ。

 全然オッケーっスよ、と力こぶを作るポーズを取る雨宮に、くすくすと小さく微笑んだ。


「それじゃあ、お食事は居間の方がいいですね。旦那様たちも今食べ始めたところでしょうし」

「おし、それならそっちにお呼ばれしますかね」


 キュイキュイと鳴る床の音を聞きながら、私は小さく安堵の息を吐いた。

 ようやく、様々な事が終わったな――と。

 雨宮の事も、この村の事も――いや、この村の事件に関してはまだ続いているようだ。

 シュタルクの異能は地面にクサビのようなモノを打ち込み、そこを起点に一定範囲で幻想を産まれやすくし、その生まれた幻想の力を当人が得るという代物だった。

 しかし、異能者が死んでも、幻想を産まれやすくするという効果は消えていない。数こそ少なくなったものの、鬼は未だに出現するようなのだ。異能の発動起点であるクサビを取り除かない限り、事件は完全には終わらないのだろう。

 けれどもデパート内に打ち込まれた力は既に打ち消したという話だ。ならば、どこかに似たようなモノがあるはずだ。

 だが、これに関しては大して心配はしていない。

 本来ならこのように悠長に構えてはいられなかっただろう。私の幻想の力もシュタルクとの戦いでほぼ枯渇し、私の意識を維持する程度にしか残っていない。故に、私が幻想を供給する事で身体能力を跳ね上げていた雨宮は戦う事は出来ず、春香嬢のみでその対処に当たる事になる。

 その負担を想えば、私も雨宮も笑ってなどいられない。

 だというのに私が『もう自分たちの役目は終わった』と思えるのは、


「ああ、雨宮か。病み上がりにしては元気そうだな」


 テーブルの上座に座る時雨崎蓮児が、その実力を伸ばし始めたからである。


「宗平、もう起きて大丈夫なの?」


 茶碗を手に持ったままの春香嬢が、雨宮のつま先から脳天までをじっ、と確認していく。

 その視線に困ったように頭を掻きながら、雨宮は手近な椅子に腰を下ろした。


「ああ? 大丈夫だって大丈夫。俺を信じろよ!」

「まだ骨も繋がってない状態で外を出歩こうとした人の言葉じゃなかったら、まあ信じてあげてもよかったんだけどね」

「だってずっと寝てて、その上にメシが病院食みたいに消化に良さそうなのばっかだったべ? 外で健康に悪そうな超ジャンキー的なモノ食いたくなるのも自然な欲求じゃね?」

「だ、か、ら! そんな! アンタだから! わたしは! 信用! して! ない! のっ!」


 つってもよー、と頭を掻く雨宮を時雨崎が楽しそうに眺めている。


「まあいいだろう春香。見る限りでは無理してるようには見えんからな。多少、筋肉は落ちているようだがな」

「そらずっと寝てたらそうなるわい。……しかし、なんか珍しいな。おっさん、お嬢ちゃんの為にいっつも洋風のメシ作らせてたじゃねェか」

「わたしがお願いしたの。父さんのおかげで鬼退治もすごくやりやすくなって……だから、そのお礼に」


 実力もそうだが、何よりも指揮官としての技量が素晴らしいのだと春香嬢は言う。

 鬼がどこに出現するか、どう動くのかを正確に予測し戦術を組み上げて指示を出し、己もまた前線で二刀を振るうのだという。彼の活躍により、戦闘での被害はかなり低くなっているらしい。


「むぐ……その手のお礼は手料理を振舞ってこそだと思うぞ」


 雨宮が魚と白米を口に運びながら言うが、「この事件が終わって、料理の練習に時間取れるようになったらね」と軽く流される。

 そんな二人を、時雨崎は微笑ましいな、と笑った。


「そうだ。雨宮宗平。君はいつまでこっちに居るつもりなのか、聞いてもいいか?」

「んぐう? ――げふっ。まあ、そろそろかなとは思ってるぞ。さすがにこれ以上世話になんのも心苦しいし」


 味噌汁を飲み干した後、何気なく言った言葉に春香嬢が表情を暗くするのを、私は見逃さなかった。

 ……特別、朴念仁というわけではないのだがな。

 床に伏していた雨宮に対し可能な限り看病していたり、何かと理由をつけて部屋に来たり、好意が徐々に露骨になっているというのに気づく様子もない。

 しかし最初の露骨に嫌われていたイメージが大きいせいか、「あー、ようやく険がとれてきたなァ」と態度が柔らかくなった点にしか目が行っていない。ジャパニメーション文化におけるツンデレがデレだした後、なぜさっさとくっつかないのかと思っていたが、つまりはそういう事なのだろう。もげてしまえ。


「あー……別に、もう少し居ても構わない、ぞ?」


 娘の変化を敏感に感じ取ったらしい時雨崎から助け舟が来る。春香嬢は父に向け小さく親指を立て感謝の意を表明しつつ、「そうそう!」と頭を上下に振りまくった。


「はぐ、むぐ……んっく、と。そっちがそう言ってくれンなら、もう少しこっちに居ようかね」


 食事を平らげた雨宮は、時雨崎両名と台所で控えていた使用人に「ごっそさんっス」と頭を下げた。


「ははっ」


 その様子を見てほっと安堵の息を漏らす春香嬢に、私は思わず笑みを漏らした。

 その笑みは微笑ましいという感情であり、友の幸せを願う友の感情が合わさったモノである。

 未だ雨宮の心には、刀傷が刻まれている事だろう。

 しかし、一つの目標を達成する事で雨宮宗平という人間は区切りを付けたのだ。膿んでじくじくと痛みを与えていたそれも、次第に癒えていく事だろう。

 そして――痛々しい傷跡が全て癒えた時。その隣に居るのはきっと彼女なのだろうな、と思うのだ。


「なによ妖刀、気色の悪い」

「なんとでも言うといいさ。ではな、春香嬢。お前と雨宮がより長く一緒に居られる関係になる事を願う」


 その意味を一瞬理解できなかったのか、僅かに首を傾げ――思い至り頬を朱に染めた。

 そんな私たちのやり取りを見ていた雨宮は、訝しげな表情のまま後頭部をガリガリと掻いた。


「ンだお前、この屋敷がンなに気に入ったのか? まあ、お前刀だしな。こういう純和風家屋のが好みだったりするワケか」

「……うむ、まあ――そういう事だな。うむ」


 春香嬢は「え!? 何で今ので察してないの!?」と瞳を見開き、時雨崎はとても――そう、とても困った風に掌で顔を覆った。


     ◇

 

 朝食が終わり、春香嬢が登校してから雨宮は一人ふらりと外出した。

 商店街に顔を出し、古めかしい佇まいの和菓子屋から『春もそろそろ終わるし、今日から夏用の和菓子を作り出した』という話を聞きながら水まんじゅうを購入し、土産袋に入れる。


「本当なら、こっちに無いモンのがいい気がすンだけどな」


 目指す場所は神社だ。石段を一歩一歩登りながら、雨宮はぼやく。


「顔出し辛ェェェ……」

「ならば、そのまま会わずに帰るのも手だったと思うが」

「いいや」


 気の引けた声音とは裏腹に、足取りはしっかりとしていた。行かぬという選択肢など無いのだ、と石段を靴底で叩き、前へ前へ、上へ上へ。


「法子ちゃんが居なけりゃ、俺は前のままだったと思うしな。あちらが嫌っていても礼の品くらいは、ってな」

「殊勝なことを言っているが、菅野嬢が家に居ない時間を見計らって尋ねていては説得力がないな」


 全くもってその通りだがよ、と困ったように頭を掻いた。


「さすがに直接会うのは気まずいわ」

「気不味さ、という点ではあの老婆に会うのも似たようなモノだと思うがな」

「だな。ま……ぶっ殺されないことを祈るさ」


 石段を登り切ると、かつて神社が会った場所が更地になっているのが見える。

 木材が置いてある事から、神社は近々修復――いや、一から作り直す予定があるのだろう。

 木材の脇を通り住居に向かう。こちらは被害が少なかったためか、既に修復は完了しているようだった。

 玄関前にまで行くと、そこでしばらく立ち止まり、大きく深呼吸をし――


「そんな所で何をしてるんだい」

「おうふっ!?」


 むせた。

 ごふ、げほっ、と咳き込む姿を、老婆は呆れた面持ちで眺めている。


「来たならさっさと上がりな。そんな場所でじっとしていると、泥棒か何かと間違えて首を刎ねるよ」

「ひでぇこと言うな、ばあさん」

「可愛い孫娘を泣かした男を相手取るには、だいぶぬるいと思うんだけどねぇ」


 ぐっ、とくぐもった声と僅かな汗を漏らす雨宮にくつくつ、という笑い声を投げかける。

 ――当然だが、怒っているのだろうな。

 一見すると前と変わらないが、それが逆に恐ろしい。

 怒りとは沸騰した液体だ。そして、立ち居振る舞いは温度であり、表情は温度計である。人はそれらを見てなんとか冷ます努力をし、無理だと思ったのならば真っ赤に茹でられる前に退散する。

 だが、その温度計は非常に曖昧な値しか教えてくれず、またモノによっては煮えたぎっているのに水程度の温度に見えたりするのだ。

 だから、恐ろしい。『このくらいで大丈夫だろう』と氷一粒片手に近づいて、水蒸気で大やけどを負う可能性もある。

 ――しかし、だ。

 今回の場合、風呂の湯程度であろうと、液状化した金属だろうと、近づかないワケにはいかないのだ。少なくとも、雨宮はそう思っている。


「それで? 今更何の用だい?」

「侘びと礼の品を、さ。法子ちゃんもばあさんも望んではいないとは思うが、だからっつって顔を出さずに帰るワケにもいかねェだろ」


 助けられたのなら、救われたのなら感謝の気持ちを示さねばならない。

 転んだ時に助け起こしてくれた――その程度の些事なら簡単な言葉だけで事足りる。

 しかし、救われた事柄が大きければ大きいほど、言葉以外の何かを行わねば釣り合いは取れない。


「少なくとも俺は――法子ちゃんが居たから変われた、そして事件を解決できた。……法子ちゃんはもう俺に会うことを望まないだろうから、ばあさんから伝えてくれ」


 商店街で買ってきた土産袋を手渡す。老婆は無言で受け取り、しばしの間を置いてから口を開いた。


「手前勝手だね。あの子が会いたがってないと知りつつ、わざわざ言葉を伝えようなどと――それは、ただの自己満足じゃないかい?」

「その通りだと思う。けど、だからといって無かった事にして帰る事もできねェよ」


 すまなかった、と一度大きく頭を下げた後、老婆に背を向けた。これ以上語るべき言葉もないし、あちらも語って欲しくはないだろう。


「――事件を解決できた、と言ったね」


 しかし、背中にぶつけられた声が雨宮の歩みを止めた。


「ああ。黒幕は死んだ。まだ鬼は出るみたいだが、あとはお嬢ちゃん――と、時雨崎ん家の春香とその親父がなんとかするだろ」

「本当にそう思うかい?」

「……? どういうこった、ばあさん」


 振り向き、問いかける。


「では聞くが、その黒幕とやらの『目的』を知っているのかい?」


 こちらに歩み寄って来た老婆は雨宮の瞳をじっ、と見つめた。


「目的?」

「目的があるから、その過程がある。目的を叶える力が異能だとしたら、鬼は過程の産物に過ぎないはずさ。そこらに積んである木材と同じさ。神社を建てるという目的のために、木材を用意したわけだろう」


 無意味にあそこに木材を置くはずがない。神社を建てるという目的があるため、その過程に必要な木材がそこにあるのだ。

 ならば、今回の騒動で出会った鬼たちは何のために生み出された? その結果、一体何を成そうとしたのか。または成したのか。


「黒幕が死んだ、それはいい。喜ばしい事だろうさ。しかし、黒幕が死んだ事は、事件の解決とイコールにならないかもしれないよ。実際、鬼は少数とはいえ未だに生まれているじゃないかい」


 だから、と。

 瞳の力を緩め、僅かに微笑んだ。


「この事件が終わった、という証明をしてごらんよ。そしたらまあ……仲直りが出来る場くらいは提供してあげるよ」


 ではね、と背を向ける老婆をしばし見つめた雨宮は、「うっし」と気合を入れた。


「やるのか、雨宮」

「まあな。戦いはもう出来ねェけど、そのくらいならまだやれるだろ」


 そうかと小さく答えるものの、同時に『止めろ』と止めたくて仕方がなかった。

 何故かは分からない。

 けれど、今この瞬間こそが人生の分岐点の一つであるような。そしてその結果が大きな喪失を伴うのだと、私の心の奥深くが告げていた。


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