決戦
「んじゃ、とっととブッ倒して終わらせようぜ――お嬢ちゃん」
呆然とこちらを見つめる春香嬢に、雨宮は獰猛な野獣めいた笑みを浮かべた。
荒々しく、そして生き生きとしたその表情のまま、視線を先程蹴りを入れた男に向ける。
突き刺さったシャッターから、のそりと立ち上がる三島の瞳は、自身の頭頂部に糞を垂らした野鳥に向けるように苛立たしそうに細められていた。
「このタイミングで来たのが、まさか君とはね。彼女に失望されて引き篭っていると思っていたが」
――?
その言い回しに、僅かな違和感を抱いた。鞘と刀身の間に小さなゴミが入り込んでいるような、些細な嫌悪感が刀身を走る。
「ハッ。まァ、自宅警備っつーか他宅警備しそうになったのは確かだが――どんな事があろうと、最終的にお前の所には行ったろうよ」
雨宮が私を構え、意識を現実に引き戻す。
今はそんな事を考えている場合ではない。一度敗れた相手を前に、そんな余裕はないのだ。
「宗平、貴方……使っても大丈夫なの?」
「それは――」
「ああ、全然ッ、問題ねェ。俺とコイツはもう妖刀と使い手とかそんな枠にハマらねェロックな感じな関係なワケだ」
言い淀む私を遮り呵呵と笑う。
心配させぬように、問題ないと胸を張る。どれもこれも、私には出来ない事だ。
だから、惹かれる。
だから、喰いたい。
「……ッ!」
駄目だ。
堪えろ。
今日この瞬間が、私と雨宮の最後の戦いだ。
今まで叶えられなかった渇望に報いるために――私の理性よ、どうか耐えてくれ。
「そこまで僕を殺したいか」
「ああ」
短く、雨宮が答える。
なんで――と小さく呟く春香嬢を手で制しながら、視線を殺意の矢として三島の眼を穿つ。
「もっとも、お嬢ちゃんに諭してもらってな。前みたく全てを犠牲にしてでも殺してやるって風には思えないんだけどな」
いいや、そもそも前だってそんな風に思えなかった、そう思い込んでいただけだった――と。
言う雨宮の姿は、三島に語っているというよりは、自分の心を整理しているように思えた。
「けどよ、見た限りこのまま放っておくとお嬢ちゃんは負けちまうだろ? そしたら新たにお嬢ちゃんの為にお前を殺したくなって、その復讐心に引っ張られて前のもぶり返しそうでよ。お前を殺しておかねェと、俺はまた視野の狭い復讐野郎に戻っちまう」
だから――死ね、と。
とっとと、さっさと、すぐ、今、ここで――命を散らせ、と。
獣の眼が言葉よりも明確に語っていた。
「復讐ねぇ。前も言ったと思うけれど、君のそれは的を射てはいない。いいや、射てはいるが、中心からは随分と離れている」
視線を春香嬢に注ぎ、三島はにい、と笑った。
「だって、君がその刀を取らなければ、あの少女は死なずに済んだじゃないか」
「――――」
雨宮は烈火の怒りを瞳に宿しつつ、しかし反論することはなかった。
納得はできないが、反論しようにも上手く言葉を紡げない。
当然といえば当然だろう。認めがたいが――その言葉は一片の真実を含んでいる。
「僕はその時、彼女を欲していた。生きているその少女に協力してもらうか、もしくは利用しようかと考えていた――だとしたら、なぜ殺す必要がある?」
雨宮は――何も、答えない。
微動だにせず、三島を睨み続けている。
「だけど、そこの男は別だった。その少女を連れ去るには、彼が邪魔だったわけだ。だから、排除してやろうと思ったんだよ。実際、難しい事じゃなかった。出来損ないの妖刀を持った素人なんて、僕にとって塵芥に過ぎないのだからね」
だが、と。
吐き捨てるように
「その少女は、彼を庇った」
ぐっ……、と。柄を握る握力が強まった。
ああ、そうだ。その通りだ。
もし、私が存在しなければ、彼女は連れ去られるだけで済んだ。雨宮にとって不幸ではあるだろうが、それでも「まだどこかで生きているのではないか?」という希望を持つことができた。
しかし、私を握り――雑魚とはいえ『敵』と認識されてしまったが故に、雨宮の幼馴染は死んでしまったのだ。
「意志を持つ妖刀なんてモノを持って思い上がったんだろうね。ティーンエイジャーが好む娯楽ならば彼は僕を華麗に倒し、その後は僕が所属しているような組織を相手取り――最後はラスボスを倒し少女と結ばれハッピーエンドさ」
けれど、と口元を歪めた。
「事実は真逆だ。当然だね。主人公でもなんでもないただの学生が、優れた得物を手にしただけで舞い上がるからさ――いや」
その歪みが表すのは嘲弄だ。粘ついたそれが刀身全体に纏わりついてくる。
「そもそも、その刀は優れてなんていない。それは君が手にする数日前まで、ただの無銘のナマクラだったんだから」
「……なにを、言っている」
冴えた夜気よりなお冷たいモノが、刀身をはいずり回る。凍えるような畏怖が満たされていく。
「おかしいと思わないかな? こんな科学万能の時代に、名前すら伝わってないような刀が意思を持つなんて――さ」
幻想とは人々の意思の集合体だ。救いや恐怖といったあらゆる意思と感情の権化だ。
それが神であり、妖怪である。
――故に。
神に救いを求める者が減ったから、神は死んだ。
自然現象を解明することにより未知の恐怖が失せ、妖怪が産まれる場所を潰した。
――故に。
現代において、幻想とは相応の知名度がなければ成り立たない。
絵本で語られるような伝承や、僅かに歴史を紐解けばその名を目にするモノなど――最低でも百人に一人には知られている程度の知名度が必須だ。
だが、私はどうだ?
誰かに知られているか? 歴史に名を残すような名刀だったか?
否、否、否否否、断じて否だ。
私は知っている。自分がどれだけ脆く、そして弱い存在なのか。自分の魂を捧げてもいいとまで思った少年の渇望を叶えられない程、弱い存在なのだと。
――では、なぜそんな私がこうして産まれたのだろうか。
「君と彼女は帰宅の途中、よく寂れた神社で時間を潰していたね? そこで、君はとある物語を彼女に語り聞かせた」
雨宮の呼吸が停止した。
瞳は見開かれ、体は小刻みに震える。
「曰く、そこで祀られているのはかつて人斬りが愛用した刀であり、多くの血を吸うことにより魂を喰らう妖刀になったのだ――と、ね。こんなモノ、ただの冗談だ。イタズラ好きな少年が、知り合いの女の子をちょっと怖がらせてやろうと思って創作した物語だ」
「あ――」
「だが、彼女はそれを信じた。それが真実なんだと信じたんだ。無論、それだけではそこのナマクラが幻想になりはしない。もしもその程度で幻想が創造されれば、子供の玩具やぬいぐるみの多くは幻想となっているだろうしね」
つまり、それは。
「単純な話しでね――僕が自分の異能の起点としたのがその神社だったんだ。この力は、そこに近ければ近いほど幻想が産まれやすくなるんだ――至近距離なら、たった一人が信じただけで幻想になるくらいに、ね」
私は、この村に跋扈する鬼モドキ程度の存在で、元より願いを叶える程の力など無かったのだと。
私自身が『不格好』だと断じた鬼程度の存在なのだという証明なのだと。
気持ちが、悪い。
もしも口があれば、胃の中身を食道から逆流させ、全て全て吐き捨ててしまいたい。
――いや。私は、いい。
強酸の入った水槽に放り込まれたような恐怖をねじ伏せながら、雨宮に視線を向ける。
「――」
細胞の一つ一つが凝固し、指一つ満足に動かせない――そんな風に、雨宮は硬直していた。体だけではなく、恐らく思考も。
三島が語る真実。それは、つまり――
「君がそんな妄想を口にしたから、彼女は死んだんだよ。君が居なければ、彼女は死なずに済んだんだ」
「止め――」
ああ、駄目だ。
もう、駄目だ。
雨宮の戦意が溶け落ちていくのを感じる。そして、私自身のも。
「俺は――おれ、は――」
「……なによ、それ」
崩れ落ちようとする雨宮の体を、背後の手がそっと支えた。
手の主人が漏らす静かな声は――けれど、海底の火山が活性化している事が水面の上からでは判別がつき難いように……奥底で煮え立つ怒りを抑えた声音だった。
「なにが的を射てないよ。なにが死なずに済んだよ。そもそも、貴方がその子を攫おうなんてしなければ問題はなかったんじゃない」
春香嬢は。
時雨崎春香という少女は、瞳に怒りを映し、それを三島に解き放つ。槍のように、矢のように、剣先のように。
「貴方がその子を攫おうとしなければ、宗平が魂喰らいの妖刀に手を出す事はなかった。貴方が宗平を殺そうとしなければ、その子が宗平を庇う事もなかった。追い詰めるだけ追い詰めて、その追い詰めた相手が想定外の事をして失敗したら、その失敗はその相手のせい?」
責め立てる声に呼応し、刀身が創造される。
紙のように薄いそれを軽く一閃。地面に刺さった剣先が、音もなく床を裂いた。
「貴方が宗平を嫌ってる理由が分かったわ。貴方はただ、かつての失敗を認めたくないだけ。宗平を見たらかつての失敗を思い出すから、苛立つのよ」
「……ふん、分かったようなことを言うね」
「『ような』じゃないわ」
「なんだって?」
嘲るように鼻を鳴らした春香嬢は、小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「口数、減ってるわよ。図星突かれて余裕がなくなってるんじゃない? シュタルク・シュヴァッハさん」
「シュタルク?」
「その人の通り名とか、そんな感じだと思う。けど、名付けた人は正確悪いわね」
雨宮の問いに答えながら、春香嬢は笑う。くすくす、くすくす、ワザとらしいくらいにワザとらしく。
轟々と燃える炎に油を注ぎ適度な酸素を注入し続けるかのように、煽り続ける。
「強くもあり弱くもある――貴方はそれが異能を示しているって言ってたわね。けれど、それは的外れ。ううん、外れてはないけど、中心からズレてる」
「……何が言いたい」
当てつけのような言葉に、三島――いや、シュタルクか――は瞳を刃の如く細める。
だが、そんなナマクラで自分を傷つけられるものかとでも言うように、春香嬢はただただ堂々と。
「簡単な事よ。貴方は自分が強い人間だと思っているのかもしれないけど――その実、失敗を他人のせいにしないと自分を保ってられない、どうしようもないくらいの弱者なのよ。強者の皮を被った弱者なのよ」
返答は無かった。
いいや。大音量で「黙れ」と叫ぶよりもなお明確な拒絶の意思が、疾走からの拳という形で放たれた。
鬼の幻想を得たそれは、正確に春香嬢の脳天を狙い加速する。
「だからね、宗平――」
その言葉が終わるより早く早く早く――
「一緒にこんな劣等をぶっ殺して、貴方が望む人生を送りましょう」
甲高い金属音が鳴り響く。
だが、春香嬢は動いていない。
けれど――一人の青年が刀でその拳を受け止めていた。
「ああ――」
短く、けれど確かな声で応える。
「――任せろ!」
「任してあげる。……全く、貴方って粗雑なくせにナイーブよね、本当に面倒くさい」
「ぐ……」
バツが悪そうに言葉を詰まらせた雨宮は、私を構え春香嬢より一歩前に出た。
「……君は本当に弱いね。女が居なければ何もできないのか? そんな弱者だからこそ、彼女を失ったのだろうね」
「マジでそう思うぜ。正直、自分がこんなに弱いヤツだと思わなかった」
ああ、弱い弱い弱い。脆弱に過ぎる。
塵芥のように値打ちがなく、錆びた刀身の如く役目を果たせない。刃は峰についているのに、本来の位置に刃があると誤認する愚昧さ。
それが雨宮だ。
そして――子が親に似るように。
彼の言葉で産まれた幻想である私も、彼によく似ている。
私もまた、雨宮と同じように弱い。雨宮の弱さを、いびつさを知りつつもそれを正すことが出来なかった。
弱い、弱い、弱い! ああ、なんと脆い弱者なのだろう!
「だがな、シュタルク。私のもう一人の父よ。私が――いや、私たちが思うに」
言い終わる前に雨宮は疾走し、振り上げた私を勢い良くシュタルクに叩きつける。
けれども、すぐさま右腕を掲げられ、防がれる。鋼と鋼がぶつかり合うような重い音が鳴り響いた。
「弱さを知らないヤツよか、ずっとマシだと思うねェ。なあ、弱者」
私の言葉を引き継ぎ、雨宮剣呑な笑みを顔面に貼りつける。
シュタルクは、小さく――けれどどこか余裕の無い笑みを浮かべた。
「ふん。君如きが、僕を弱者扱いできると思っているのか……?」
「できるさ」
そこから、一気に刃を押し込む。ギシギシ、と私自身が軋む音がする。
けれど、折れ、砕ける事に対する恐怖は皆無だった。
私は無機物であり、武器であり、道具であり――刀だ。そして武器とは、優れた使い手に扱われる事を至上の喜びとする存在なのだ。
だから。
「女の一言が言い返せなくて腕力に頼るような雑魚は、誰が見たって最低の雑魚だろォがよ!」
迷いを捨て、誰かのために刃を振る使い手を前にして恐怖など感じている暇などない。
「――ッ!」
黙れ! と叫ぶように振るわれた腕の勢いに逆らわず跳躍。空中で反転し天井に着地し、靴底の跡を刻み――勢いが落ちたところで跳ね飛び、シュタルクの元へと急速落下。
見え見えの動き。嘲弄の笑みを浮かべ迎撃の為に拳を構えるシュタルクだが、しかしすぐさまその表情は引き締められ、背後に跳ぶ。
攻撃を回避された雨宮だったが、苛立った様子もなく床に着地し、私を構え直す。
「ったく、もう少し俺らの方を向いてくれてりゃ良かったのによ」
先ほどまでシュタルクの居た場所には、無数の刃が突き立っていた。標的を逃したのが判ると、それらはにゅるにゅると触手めいた動きで宙に浮かび上がる。
その根元に、彼女は居た。頭上に構えた刀――その剣先から、無数に枝分かれした刃が生えている。
「如き扱いされた人に煽られたくらいでわたしを忘れるんじゃないわよ。本当に、見た目と違って沸点の低い奴」
逆手に持ち替え刀を地面に下ろす。それに合わせて無数の触手めいた刃たちも床に落ちた。
「わたしは筋力とかそういうのでは貴方に劣っているから、真っ向勝負は不利。だから――」
異音、異音異音、異音異音異音異音――と。
床を削りながら、無数の刃は獲物を狙う蛇めいた動きで這い回る。
「――高みの見物と洒落込ませてもらうわ」
「ふん……! そんなモノ、異法士を直接叩けばいいだけだ!」
「ハッ! させると思ってんのか?」
一歩。雨宮が前に出る。足元の蛇たちは、それを避けるように円形の安全地帯を生み出した。
物質創造とは、言わばコラージュ画像のようなモノだ。世界という動画から一枚の画を抜き取り、そこに存在する素手の人間の手に道具を書き加えている――というたとえが近いだろうか?
そう、一枚の静止画だ。故に大きく形が変わるアクションには対応出来ない。剣を創造したとして、鍔の部分が破壊されたら刀身や柄も一緒に消えてしまうわけだ。
ならば、静止画を複数描けば良い――というのが、彼女の伸びる刀の真実だというが。
「無茶苦茶だな……二つ名を授かる連中は一芸に秀でた化物だというが――化物などという言葉すら生ぬるく感じる」
伸ばす刀はまだ理解は出来る。だが、これは別格という言葉すら生温い。
物質創造である以上、生み出した道具の端から端まで全てを把握していなければ成り立たない。
ならば――この床を飲み込む無数の刃たちの動き、その一つ一つを正確に把握し動かしているという事になる。もはや想像すらできない領域だ。
「化物でもそれ以上でもどっちでも構わねェさ。要するに、俺は足元を気にする必要ゼロって事だ――ろッ!」
ダン、と地面を蹴り疾走。そのすぐ横を、地面から飛び出した刃たちが、宙を這い回るような不規則な動きで並走する。
「お――ラァ!」
一気に間合いに飛び込んだ雨宮は、そのまま私を袈裟懸けに振り下ろした。
「……ッ!」
それを真横に跳び回避しようとしたシュタルクだったが、それを塞ぐように飛び込んでくる刃たちを見て踏みと留まる。
すぐさま腕を掲げ防御に徹するが――刃が叩きつけられるより早く、表情に苦悶が満ちた。高速で振り下ろされながら見れば、踏ん張る足に刃が突き立っているのが分かった。
その表情が整えられるよりずっと早く、私が腕に食いつく。鋼の音と共に弾かれるが、シュタルクは二歩、三歩と後ろによろめいた。
「ま、この足場じゃ踏ん張れねェもんな」
足に刺さった刃を引き抜きながら後退するシュタルクを哂う。なんて無様だ、と。それが強者の振る舞いなのか、と。
それに気づいたのか、それとも弱者と侮った相手に弾き飛ばされた事が屈辱なのか――恐らくその両方を内包した怒りを視線に乗せ、一気に加速。床を踏み砕く勢いで雨宮へと疾走した。
「宗平……ッ!」
その動きを察知し、刃の触手たちが僅かに隙間を開ける。あれだけ滑らかに動いていても、本質は物質創造なのだ。踏み潰されでもしたら、それで床を覆う全ての刃が世界からリセットされる。
恐らく、それが一対一の時にこの技を扱わなかった理由なのだろう。鬼の力で一度でも潰されればそれだけで無効化される。砕かれぬよう道を開けば本末転倒だ、真っ直ぐ突っ込まれて殴り殺される。
だが、今は雨宮と私が居る。
モーゼの十戒の如く開いた刃の海。その向こうから鬼がやってくる。
「任された!」
それを迎え撃つ為、こちらも駆ける。
シュタルクの表情に嘲りが浮かんだ。馬鹿め、君の腕力では僕には勝てない――そう言うように。
「死にさら――せ!」
「君がね!」
疾走と共に振り下ろした刃だったが、シュタルクの拳とぶつかった瞬間に停止。そして一秒も立たぬ間に弾き飛ばされた。
雨宮も私も奴に対抗する術はない。腕力では負け、刃は肌を引き裂くことは叶わない。真っ向からぶつかり合って敵うわけがないのだ。
――だが、それでいい。
空中で姿勢を制御し、床に靴跡を刻みながら着地する雨宮の表情に焦りはない。
「止まったな」
にい、と雨宮が笑い、シュタルクが己の失態に気づいたその瞬間――モーゼの奇跡は終わりを告げた。
津波の如く押し寄せる刃。金属同士が擦れ合う耳障りな音を響かせながら飛びかかるそれは、鉋削りの如く。触れたら最後、皮膚、肉、骨、臓器全て全て全て――一緒くたにオロされる。
「ちい……ッ! 面倒な!」
悪態を吐き跳ね飛んだシュタルクはその勢いで天井に拳を叩きつけた。拳から伝わる衝撃で天井は爆ぜ、上に置いてあったレジカウンターごと破砕した。
上に逃げる気か? ――いいや、違う。
見る限り掴まれる場所はないし、跳躍した時に生まれた運動エネルギーは先程の破壊に使っている。
ならば、狙いは――!
「春香嬢!」
「分かってるわよ!」
ざあ、と波が引いて行き――先ほどまで刃が存在していた場所に瓦礫が突き刺さる。
今生み出している刃では瓦礫を絶つ事は出来ても受け止める事は出来ない。もしそんな事をすれば、簡単に折れるか曲がるかして世界から排除される。
もっとも、シュタルクは本気でそれを狙っていたワケではあるまい。上手く行けば御の字、程度の思考だっただろう。
失敗したとしても、刃の破壊を回避するためには瓦礫の落下範囲から刃を引かねばならない。最低限の安全地帯は確保出来るわけだ。
冷静だな、と思う。
苛立ってはいる。雨宮をぶっ殺す、という考えが頭を覆い尽くしてはいる。
だが、無意味な特攻はしない。無防備な攻撃はしてこない。可能な限り自分が戦いやすいよう、考えて動いている。
怒りを制御している――それが厄介だ。
怒りに身を任せてくれるのなら、一体どれほど楽だろう。イノシシと化した人間が、どれほど狩りやすいだろうか。
「相手を逆上させて行動を単純化する、というのは今は亡き知人の十八番だったからね。そうそう乗せられやしないさ」
彼に感謝だ。そう微笑み――突貫。床に靴跡を刻みながら雨宮へと疾駆する。
鬼の身体能力を用いただけの、技術も何もない体当たりだ。けれども、それが恐ろしい。
「……ッ! ああ、クソッ、止めるっきゃねェわな!」
悲鳴じみた叫び声を上げ、右足を床に突き立てた。床と体を結合する即席の釘のつもりなのだろう。
あの破壊の力を受け止めるためとはいえ、無茶苦茶な行為だ。最低でも骨は折れ、最悪脚そのものが千切れかねない。
無論、こんな無謀な事をせずとも、回避は可能だ。横に跳べばそれで終わる。
しかし回避したら最後、シュタルクはそのまま一直線に春香嬢に向かうだろう。刃の物質創造にかかりきりの彼女は、避けることも受けることも出来ず直撃を受け、良くて昏倒悪ければ死ぬ。
その後は私たちをゆっくり追い詰めればいい――つまり、ここで受け止めねば私たちは『積む』。
ならば、これは無茶苦茶でも無謀でもなく、勝利への投資。今は損でも、後で回収できると信じる他ない。
「さあ――吹き飛べ!」
だからシュタルクも分かりやすい程に分かりやすく叫んだ後――体重を私にぶつけて来た。
「ぐ――」
曲がる曲曲が曲が曲がるがががるるる――折れる!
刀身全体が悲鳴を上げる。痛覚こそ通っていないものの、己の体が嫌な音を響かせているのは精神的にクるものがある。いや、むしろ痛覚という危険信号がない分、己の限界点が読めず恐怖が沸騰した湯から出る気泡の如くボコボコと産まれる。
「あが、が、ぎ――ぐ、が!」
対し、めきめきと鳴る右脚の激痛に恐怖など感じている余裕がないのか、雨宮は血走った目のまま左足に力を込め、必死に押し返そうとしている。
だが、駄目だ。力が違いすぎる。右足を床に突っ込んでいなければ、耐えることも許されず弾き飛ばされていたはずだ。
「そこッ!」
無理矢理に作り出した僅かな拮抗の時間を縫って、刃たちがジグザグの軌跡を描きながらシュタルクに殺到する。
「……何とかの一つ覚え、と言うべきなんだろうね」
僕も、君たちも。
すぐさま背後へ跳ね飛び、飛来する刃を叩き落し――着地。床で待ち伏せしていた刃が僅かにシュタルクの足を裂くが、それだけだ。刃の海は追撃を厭ってざわざわと円形の隙間を生み出す。
――このままでは、駄目だ。
ダメージはある。刃を弾く時、私が体当たりを受け止めた時、着地の瞬間を狙った時も――一応、ダメージは与えている。
だが、軽微過ぎる。動きが鈍くなる様子も無く、裂いたと言ってもせいぜい皮と僅かな肉と毛細血管くらいだ。チリも積もればと言うものの、チリを積む前に私たちが『積む』。
「お嬢ちゃん、どうするよ。同じことやってても削り殺されるのは俺らだぞ」
雨宮もそれを理解しているのだろう。シュタルクを睨みつけたまま小さく呟く。
「宗平」
「どった? 逃げる算段なら速攻キメて速攻で逃げようぜ。ってかもう一本くらいこの触手刀作ればいいんじゃねェか? 一本破壊されても二本目で蜂の巣にすれば」
「無理。こんな複雑な連続物質創造、二個も作ったら気が狂うわ」
「じゃあどうすんだよ」
「――数分くらい」
ジャリジャリと擦れ合う刃の音にかき消されそうな小さな声。それと共に刃の海が大きく開く。遮るモノもなく、シュタルクへ至るまでの一直線の道だ。
「時間を稼いで。その間、援護は一切できないけど……いい?」
「む――ちゃ言うなァ、オイ」
脚を床から引っこ抜く。
床材の破片で切り裂かれ多量の出血をしているようで、ズボンはダメージ加工と言い張れぬ程にズタズタに引き裂かれ、布も黒地だから目立たないものの赤く変色している。
奇跡的に骨は折れていない。が、恐らく『まだ』、『ぎりぎり』折れていないという有様だろう。
だが――
「――オーケーだ。どうせ俺じゃ勝てねェし、最後だろうと最期だろうと付き合うさ」
地面を踏みしめ、私を頭上に構える。軽口で逃げる算段がどうとは言っていたが――雨宮自身、逃げ切れるとは思っていまい。
ならば、全力でぶつかるだけ――そう考えているはずだ。
「雨宮、脚の具合はどうだ」
「最高。なんつったって、痛みがゼロなんだぜゼロ。これ絶対完治してるだろ!」
それは脳内麻薬のおかげだろう――とは言わない。
「ああ、なら負ける要素は無いな」
自分すら騙せないような大嘘だろうと、声高に叫んでいればその内信じる。
己の望みを間違え、その間違いをそのまま信じた愚者には――そのぐらいの愚かさで丁度いい。
「――何をするかは知らないけど、その『何か』を成立させるには、彼が僕を抑える事が大前提だよね」
蔑む笑い。それと共にシュタルクは床を蹴り矢と化した。
それを迎え撃つべく、雨宮が続く。刀身に残ったありったけの幻想を注ぎ込み、身体能力を跳ね上げてやる。
「ぐ――」
ぐらり、と視界が歪んだ。雨宮の構え方が悪いのではない。私の視覚が異常を来し始めているのだ。
極限まで腹が減れば目が回るように、私に貯蓄された幻想の力が底を尽きかけ危険信号を送っている。
――喰いたい。
己の願望に気づき、前に走りだした雨宮宗平という男の全て全て全て! 飲み干し喰らい尽くし私の一部として刀身全体に満たしたい。
「ォ」
だが、
「オオオオォォォォ!」
それを咆哮と共に打ち払う。
「お、気合入ってるなオイ」
「無論だ。こんな大物を狩る役目を、最上の使い手と共に負えたのだ。嬉しくないわけがない!」
「なら」
「ああ、ならば」
笑う。
雨宮が、私が。
こんなに楽しいことが他にあるか、と宣言するように。
「行くぜ相棒。これがきっと、俺とお前の最後の戦いだ――!」
「応とも――全力で行け、我が使い手」
突っ込んできたシュタルクを真上から叩き潰すべく私は振り下ろされた。
脳天に直撃。しかし、奴は止まらない。私から響く金属の悲鳴が掻き消える前に、膝が雨宮の腹に叩き込まれる。
「ご――げ、えェェェらァッ!」
逆流してきた血液混じりの胃液をシュタルクの顔面に吐き出しながら、頭を引き――シュタルクの顔面に打ち据える!
「う、ぐ……!」
大きなダメージはないだろう。だが、吐瀉物が目を塞ぎ、頭突きが頭を揺らした。ほんの僅かだが動きを止めた!
「いくぞォオオオラァアアア!」
口に残った胃液をまき散らしながら雨宮は私を遮二無二に振るう。
脳天、喉、腕、脚、腹、股間に。
斬撃、突き、斬撃、斬撃、突き、斬撃を!
相手が復帰する前に可能な限り攻撃し続け、時間を稼ぐ。倒せればいいのだが、十中八九無理だ。これだけの乱打――そう斬ではなく打にしかならない――だというのに、奴の肌に刻まれるのはかすり傷程度の小さな傷跡のみだ。
「こンの、硬ェんだよ地味夫君がァあああ!」
刃を通す事を諦め、バットのように振りかぶり――一気にフルスイング!
「汚らしい――」
だが、それも掌で受け止められる。
どろり、と胃液を顔から滴らせたシュタルクは、その掌で私を握り――
「――雑魚がっ!」
ぎちぎち、とシュタルクの腕が鳴った。筋肉が膨張し、肥大する音だ。
まずい、と思うが――遅い。私ごと雨宮を投擲し、壁に叩きつける。
「あ、が、痛――ご」
ごぽ、と口から血液を吐き出し、瞳が閉じられる。力を失った体はずるり、と床に滑り落ちた。
シュタルクはその姿を鼻で笑い、春香嬢の元に視線を――
「なんつってなァァアア!」
向けた瞬間、即時に目を見開いた雨宮は前傾姿勢で駆け出し、走りだそうとしていたシュタルクの後頭部に私をフルスイングで叩きつけた。
「なっ……!?」
走りだす直前を狙ったそれによりシュタルクはバランスを崩し、前方に激しく転倒した。不意の出来事ゆえの、顔面からの大転倒である。
「あの程度で気絶してやるかバーカバーカそのまま死ねクソがァ!」
立ち上がる暇を与えず、延髄目掛け私を叩きつける。何度も、何度も、振り上げ、下ろし、振り上げ、下ろす!
五回程叩き込んだ瞬間、悪鬼羅刹の表情となったシュタルクは倒れたまま思い切り腕を薙いで来た。
それを背後へと跳躍し回避する。その僅かの間に、奴はゆっくりと起き上がった。
「……決めた」
底冷えするような声音。怒りと殺意が混ざり合い、溶け合った声だ。
「役者不足のくせに出しゃばる愚か者は、今、即座に、僕が、この異能の力で、その力で強化された体で、殴り、砕き、潰し、引きちぎり――殺す!」
「ならテメェは漫画原作ドラマの主演ってトコか? あれって漫画人気分視聴率は出るけど、大概役者も脚本もどーにもなんねェよな」
シュタルクは反応せず、一気に雨宮の懐に飛び込んだ。
「な……!?」
驚愕の声を漏らす事しか、私も、雨宮にも出来なかった。
その勢いで振るわれた拳は雨宮の胸を打った。衝撃――それと共にいくつかの骨がへし折れる音が響く。
床を二度、三度バウンドした雨宮の勢いが落ちるより速く、飛び上がったシュタルクは天井を蹴り――急速落下の勢いと共に腹部を殴打。
「――! ……――、――!」
いずれかの内蔵が破裂する音と声にならぬ絶叫の二重奏。その演奏が終わるのを待たず、シュタルクの腕が振り上げられ――雨宮の顔面に振り下ろされた。
殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る、殴る!
幻想の力で体を補強されていなければ、一撃でひき肉になるであろう一撃が何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も雨宮の頭を、肩を、腕を、胸を、腹を、股間を、脚を、叩き、殴り、殴打していく。
しかし、雨宮の瞳は死んでいない。
むしろ「これでいい」とばかりに笑みすら浮かべている。
「――はは、どうしたんだい春香さん。このままでは彼を殺してしまうよ?」
「ええ、そのままだときっとそうなると思うわ」
「それで君はどうするんだい? 打開策があるんじゃなかったのかな? ああ、もしかして彼を好きに殺させてあげるから私には手を出さないで、って事だったのか? だとしたら、それは却下かな。そういうのは、最初に条件を提示してくれないとね」
ふ――と嘲るように笑う。
しかし、それはシュタルクではない。
「まさか。策なんて上等なモノではないけど、もう出来上がってるわ」
金属が這う音が響く。
「まさか、まだこの沢山の刃でどうにかしようと思っているのかな? 一箇所へし折られたら無防備になるこんなモノで?」
「ええ。もっとも、ほんの少しだけ細工はしていたけど――ね!」
瞬間、空を切る音が鳴り響いた。
今までと同じ、刃の触手の軌道。なぜだ、なぜこんな無意味な真似を――
「いや……」
音が、微妙に違う?
「本当に、馬鹿の一つ覚えだ!」
私が違和感の正体を見極めるよりも早く攻防が始まった。飛来してきた刃を、シュタルクが手で払おうとし――刃は打ち払われた。
当然の行動と、当然の結果。
「え?」
しかし、その疑問はシュタルクのモノ。
「砕け、ない?」
「三本の矢の話くらい知ってるでしょ?」
話しながら二射目を放つ。
それに応えず拳を放つシュタルク。今度は『弾く』ためではなく、『砕く』ための一撃だ。拳を思い切り引いてからの一撃が刃にぶち当たり、悲鳴じみた金属音を鳴らす。
「重、い……?」
だが、砕けない。
流されたワケではない。避けられたワケでもない。
真っ向からぶつかり、衝撃を刃全体で受けつつ、持ちこたえた。
シュタルクは、ハッ――と息を飲み己を狙う無数……いいや、せいぜい十数本に減少した刃を見た。
「編み物ってけっこう得意なのよ。それの応用」
「そうか――無数の刃を編むように束ね、頑強な槍にしたのか!」
浮かぶのは刃ではなく、網目模様のついた槍だった。
丸太めいた太さのそれから、キリ、キリ、と金属が擦れ合う音が聞こえてくる。
二射目が放たれ、それを弾くシュタルク。槍は弾かれつつも、しなって衝撃を逃し破壊から免れる。
「刀じゃ折られる、けどわたしは刀以外のモノで刀以上のモノを創造できる気がしないから」
無数の刃で倒れればそれで良し。出来ないのなら、刃を編み別の武装を構築する――それが、時雨崎春香の戦い方か。
幾重にも偽装し、偽装が破られたら新たな偽装で迎え撃つ。使用する能力は物質創造のみだが、一つ一つ扱い方を変えて相手を混乱させる。
「無数の刃もこの編み物も、一人で使うには隙が大きいの。まだまだ改良が必要だけど――」
十数の太い槍と共に獲物を捉える猫の瞳をシュタルクに向け、
「――それでも貴方を貫くには十分。これはわたしを負かした女を叩き潰す為に作成中の、対身体能力特化の異法士相手の技よ。鬼の力だろうがなんだろうが、力技で砕けると思うんじゃないわよ!」
放った。
風を穿ちながら飛び込んでくる槍を、シュタルクは跳躍。槍を回避しつつ天井を殴り飛ばした。降り注ぐ瓦礫の雨が槍を叩くが――
「やはり無駄か!」
瓦礫を突き破りながら、シュタルクに殺到する。それを力の限りで叩き落すが、すぐさま復帰し飛びかかって行く。
「ち――い!」
苛立ったその声には焦りの色があった。
春香嬢が槍を扱い出してから、シュタルクにダメージはない。
無数の刃で襲われていた時は防ぎきれず微かに斬られる事はあった。しかし刃を重ねたが故に一度に攻撃出来る数は減少しているため、取りこぼすという事はなくなっている。
だが――それがいつまで続くというのか。
無数の刃が襲って来ていた時は、『一本でも破壊すれば全て消滅する』という希望と、多少斬られても命に別状はないという自信があったはずだ。
しかし現状は違う。どれだけ力を込めても相手の武器を破壊する事は出来ず、一度でも貫かれたら磔刑された聖人の如く無防備になり――残りの槍が致命傷を与える。
「――、は、ぁ」
「雨宮……? どうした」
疑問する私に応えず、雨宮は壁に体重を預けながらゆっくりと立ち上がった。
「寝ていろ。もうじき戦いは終わる」
「まだ、だ。お嬢ちゃんも、アレだけで終わるとは……思ってねェだろ、さ」
その言葉を訝しみ、シュタルクに視線を向ける。
激しい攻防は竜巻を連想させる。シュタルクを中心に三百六十度、槍たちは旋回して位置を変えつつシュタルクに襲いかかる。
悲鳴じみた金属音と刃が風を裂く音。それらが絶え間なく響き、その度に大気が震える。
「……あと一押し、足りてねェ。台風みてェな攻防だけどよ、そりゃ『目』の部分があるってワケだ。となると後は持久戦だが……その場合、お嬢ちゃんのが分が悪い」
……そうか。
春香嬢の攻撃は、常に多大な集中力を要する。
編み上げた刃の槍の動きを常にイメージし、更に攻撃のために相手のどの部分に隙があるかを考え、そこに攻撃しなくてはならない。
対し、シュタルクはこの村に蔓延っている噂を纏っているだけであり、能力の維持に関しては気を使う必要がない。春香嬢の攻撃を弾く――ただそれだけに意識を集中させればいいのだ。
一撃食らえば終わるのは確かだ。だが――その一撃さえ貰わぬように動いていれば、いずれ春香嬢の集中力が尽きる。その隙を突いて撲殺し、その後ゆっくり雨宮を殺せばいい。
「だから、よ。あいつの隙をひねり出してやんねェとな。つーか、それくらいやんねェと目立てねェだろ」
みしみしと鳴る体を強引に動かし、逆流してきた血液を口から垂れ流しながら、雨宮は歩く。
「俺とお前のコンビ、その最後の舞台だぜ? ショボイ終わりにゃしたくねェだろ。今までずっと、ショボイ人生送って来たんだからよ」
構える。ただでさえ自重で軋む体が、私を上段に持ち上げる事でさらにギシギシと音を立てた。
「雨宮」
無茶するな、そう言おうとした私を雨宮は鼻で笑った。
「今無茶しなくていつ無茶すんだよ。せっかく前を向いたんだ、んな後ろ向きな言葉やら感情は捨てちまおうぜ」
そう言って、雨宮は微笑んだ。清々しい、少年のような笑顔だ。
「そうだな――よし、雨宮。お前の体と一緒に相手の体も叩き壊そうか」
「俺の体壊すの前提なのは、ちびっとばかりどうかと思うんだが」
「後ろ向きな感情は捨てるんじゃなかったのか?」
「そういう場合、『相手ぶっ殺した後、一緒に笑おうぜ』とかそんな言葉のがいいと思うぜ」
「そうか。まあ、次回があったら気をつけよう」
「最終戦だって誓い合ったばっかじゃねェか!」
その軽口と共に、雨宮は疾走した。
「え!?」
「チィ――!」
驚愕と苛立ちを体に受けながら、雨宮はシュタルクに突貫した。
「オオオオラァ!」
最上段に構えた刃を、転ぶような前傾姿勢で振り下ろす。
苛立たしげにそれを見るシュタルクだが、槍の対処で手一杯であるため回避も防御も叶わない。
顔面にぶち当たる。表面の皮膚を軽く裂く感覚、だがそれで終わりだ。頭蓋骨に阻まれ、刃は一切通らない。
だが――それでいい。
ただ、ほんの少しだけ意識を雨宮に、そして槍に対する集中を途切れさせればいい。
「そんな体で突っ込めなんて鬼畜なお願いしてないわよ。けど――」
槍が、加速する。
ほんの僅かな間隙を縫い、シュタルクの体に殺到。僅かに遅れシュタルクがそれに気づくが、もう遅い。
二、三程弾いたものの、撃ち漏らした一本が脚を貫通。肉を裂き、筋肉を破り、骨を砕き――先端が地面に突き刺さり、縫い付ける。
「――ありがとう、助かったわ」
「この――」
最後に、シュタルクは雨宮を睨んだ。
こんなつまらない男に、こんな奴如きに、と。
その一瞥を受けた雨宮はニタリ、と笑い――
「つまんねェ男のせいで負ける気分はどうだ?」
――その言葉に対する応答はなかった。
十数の槍が、シュタルクの体を穿ち尽くしたのだから。
◇
――終わった、か。
槍が消滅し、シュタルクの体が崩れ落ちる。それに合わせ、雨宮も地面に倒れ伏した。
「――あー……」
「宗平! ちょっと、大丈夫なの1?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。なんか最後の一撃前後から体の痛みが消滅しててな。むしろ心地良いくらい」
「それぜんっぜん大丈夫じゃなさそうだけど!? ああもう、病院連れてったげるから寝たりするんじゃないわよ!」
「えぇェェ……今寝たらきっと深いトコまで行ける自信があンのに」
「絶対帰ってこれない深い場所に行っちゃうから我慢して! まったく!」
軽い身体能力強化で筋力を増強し、雨宮を抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこの体勢だ。
「雨宮、これは普通役目が逆だぞ。みっともない」
「だよなぁ。全く、結局俺って最後まで締まらねェのな」
くつくつと笑う雨宮を見て、私も笑みをこぼした。自分の腕の中で笑う一人と一本に、「まったく……」と春香嬢が苦笑を漏らす。
――――だから、僅かに遅れた。
じゃり――と。
床の破片を踏みしめ、砕く音。それが私の思考を一気に冷やした。
「――雨宮、春香嬢!」
叫ぶ。
しかし、遅い。絶望的な程、遅すぎる。
全身を苛む疲労と強敵を倒したが故の安堵。そして、これで終わりだと思考が結論付けて閉まったが故に。
いつの間にか立ち上がり、こちらに向けて疾走するシュタルクの存在に気づけなかった。
「あ――」
両の腕で雨宮を抱き上げたまま、春香嬢は気の抜けた声を漏らした。
油断さえなければ、対処できない速度ではない。既に致命傷を負っているのだ、その速度は遅く、見る者が見れば醜い悪あがきだと失笑すら浮かべるだろう。
だが、対応するには遅すぎる。雨宮を投げ捨てて刃を展開するどころか、慌てて真横に跳ぶ間もない。
シュタルクの視線の先には抱きあげられた雨宮が居る。そして、拳の向かう先は――春香嬢の顔面だ。
そしてニイ、と。シュタルクは笑った。嘲りを含んだその笑みは、言葉よりも雄弁に彼の言いたいことを表現していた。
そう――お前はまた失うぞ、と。
「や――」
めろ、と。そう言おうとした雨宮だが、それは途中で強引に中断された。
春香嬢の頭蓋が砕け、絶望したからか――否。
最後の力振り絞り雨宮が春香嬢を庇ったからか――それも否だ。
声を止めた存在は上から来た。
シュタルクが無数の刃から身を守るため撃ちぬいた天井――その穴から男が一人、飛び込んで来たのだ。
男の手には二振りの刀。一つは標準的な長さであり、もう一つは脇差程度の長さである。
男は着地するよりも速く、両の刃を十字に薙いだ。狙いは、春香嬢の頭蓋を砕かんとしていた腕である。
肉を断つ音と共に腕が落ち、間を置かず男も着地した。
その男は壮年だった。分厚い筋肉で体を鎧って、その上に茶色の着流しを纏っている。
私はその姿をよく知っている。
雨宮も、そして誰よりも春香嬢がよく知っている人物だ。
「父――さん」
時雨崎蓮児――己の無力故に娘と共に戦えぬと嘆いた男が、そこに居た。
「叶うならもう少し速く馳せ参じたかったのだがな――なにぶん、自分はあまり強くなくてな。始末に手間取った」
言う時雨崎の着流しから、僅かに血液が滴っている。シュタルクの腕を切断した時の返り血、ではない。
――そうだ。
最初にシュタルクと相対した時、結界を張っている者が――協力者が居ると気づいたではないか。
「……なるほどねぇ。どこぞに潜んでたもう一人を、ぶっ殺してたワケか」
「その通りだ、雨宮。さて――協力者は死んだ、お前も満身創痍。このまま投降してくれるなら、自分としては楽なんだがな」
その瞬間――シュタルクは笑った。
心底楽しそうで、心底嬉しそうな笑みのシュタルクは残った左腕を握り、構えた。
「馬鹿が――そこの男より更に劣等な貴方が、僕を倒せるとでも思っているのか」
「勝てる、勝てぬ、ではない。娘が危険だというなら、強引にでも勝ちを拾うのが父という存在だ」
言って、時雨崎もまた両の刃を構えた。
「父さん!」
春香嬢が叫ぶ。
それは無茶だ、とか。
危ない、だとか。
勝てるわけがないよ、などと。
それ以外のなんであれ、その後に続く言葉は明確だ。
――だから、逃げて。
と。
しかし、時雨崎は私たちに背を向けたまま、ふふ、と笑った。
「安心しろ、春香」
その声音は自信に満ち満ちていて、しかし春香嬢の不安を拭うには足りない。
当然だ。
彼は弱い。春香嬢どころか、雨宮よりもだ。
自分以上の二人が手を組んでようやく致命傷を与えた相手を、それより弱い男がなぜ倒せるというのか。
しかし、それを追求するには圧倒的に時間が足りなかった。
シュタルクが疾駆し、拳を突き出した。だいぶ衰えているとはいえ、速度は風のようだ。狙っているのは恐らく胸部、時雨崎程度の身体能力強化なら、一撃で胸板が砕けるだろう。
対し、時雨崎は左の刃を合わせるように突き出し――そのまま放り投げた。
「な……!?」
手からすっぽ抜けたのか? と思ったが、それは否だ。
直進した刃は、シュタルクの肩付近を貫き――刃がひしゃげる音と共に、直進する拳は停止した。
――強引に止めた!?
殴る、という動作は肩を用いた円運動だ。故に、相手が拳を引いた状態であれば、肩を抑えつける事で殴るという動作を止める事は出来る。
今のそれも、原理としては似たようなモノのはずだ。脇差で肩を貫く事で、腕が伸びきる前に止めたのだ。
シュタルクは苛立って逆の手で刃を抜き取ろうとして――既に、そちらの腕が失われている事を思い出し、表情が引きつらせる。
時雨崎は残った刀を両手で握り、上段に構えた。
「さらばだ。お前の目的は――これで終わる」
その時、シュタルクが浮かべた表情は――なぜだか笑みだった。
――それが、違和感の蟲と化し私の体を這いまわる。
けれど、それを追求する間もなく、刃は振り下ろされた。袈裟懸けの一撃は肩から胸板、胴までを一息に断ち、上半身下半身を分断する。鮮血と共に2つの体が地面に転がり、中身をどろりとこぼした。
「とりあえずは協会に連絡――いや、それよりも雨宮の治療の方が先だな。春香、行くぞ」
「えっと――はい、父さん」
微笑み、父の後を追う春香嬢と共に、私たちはこの場を後にした。