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決戦/春香

 ――自分一人で歩く夜道は少しだけ心細いな、とわたし、時雨崎春香は思った。


 デパートの前に立つと、ここが昼間と同じ場所なのだろうかと思う。

 実はわたしは敵の異法か異能をくらって、どこか遠くにある廃墟に導かれたんだ、と誰かに説明されたら思わず納得してしまったかもしれない。

 けど、そんなわたしの空想を辺りの風景が否定する。

 人気が無く、電灯も消えているが建物の形や『春の感謝フェア!』と書かれた旗は普段と同じ。

 ふう、と小さくため息を吐き――ゆっくりと深呼吸。春一番の風を受けて波立つ水面みたいにゆらゆら揺れる心を、ゆっくり、ゆっくりと落ち着けていく。


 ――たぶん、宗平はもう戦えない。


 名無しの妖刀が言っていた言葉を総合すると、自分の望みが無いから宗平は妖刀を扱えていたということ。

 でも、少し前の会話で自分の望みに気づいてしまった現在――妖刀は本来のシステム通りに宗平の魂を喰らおうとするだろう。

 それはきっと、名無しの妖刀の意思とは無関係に。人間が三大欲求から逃れられないのと同じように、アレもまた使用者の魂を喰らうという欲求から逃れられないはずだ。


「……やっちゃった、かなぁ」


 後悔はしてないつもり。

 自分自身を傷つけてることにすら気づかないで本来の望みから逆走し続ける姿は、とっても見ていて痛々しくて、放ってはおけなかった。

 だけど、もう少し後に回しても良かったんじゃない? とは、少しだけ思う。

 一緒に戦って仇だと思ってる相手を倒した後に、そっと教えてあげてもよかったんじゃないだろうか。

 でも、駄目だった。自分が何で傷ついているのかにすら気づかず走り続ける姿をそのままになんて、わたしには出来なかったんだ。


「宗平――」


 学校の皆はわたしを頭がいいだとか、思慮深いだとか言ってるけど、全然そんなことはない。

 わたしは刀を振るうのが得意で、ちょっと記憶力がいいくらい。知識は蓄えられても、それを操る知恵なんてほとんどない。

 けど、他人が「時雨崎春香は凄い人間だ」って思うのなら、その期待に応えるしかない。


 ……でも。


 あの男は、宗平はそんな素振りを欠片も見せずにわたしと接してくれた。

 それはきっと、一つの仕事をこなすだけの仲間だから。自分の復讐に対して意味がある人物じゃなかったから、適当に対話していただけなんだろうとは思う。

 それにイライラしつつも、素の自分を出せたから。期待されずに普通に応対できたから。

 わたしはきっと、宗平のことが気になったんだと思う。


「……ばっかだなぁ」


 頭を撫でられたら惚れた、とかそんな中学生が妄想した恋愛模様みたい。

 ……や、惚れてるわけじゃない、と思う、けど。気になっているのは確か。ああ、もう。どこ恋愛小説なんだ、と自分で自分を指を差して笑ってやりたい。

 けど、実際はこういう感情は後から思い返したら頭が痛くなるくらいバカバカしくて、子供っぽいモノなんじゃないかなぁとわたしは思う。

 こんな感情に本気で身を委ねようとするなら、馬鹿になるしかないじゃない。


「……よっし! 悩むのはあと。今は、戦うことだけ考えるっ」


 刀の柄に手を添えながら自動ドアへ向かう。電気が通ってない開かずの自動ドアをぶった切ってやろうと、刃の創造を――ウィン、という軽快な音――しようとした瞬間、本来の役目を思い出したように自動ドアが開閉した。


「……自動ドア用の設定をオフにしてなかった――なんて、間抜けな話じゃないわよね」


 たぶん、招かれてるんだろうと思う。

 自信がある、のかな。

 宗平が話した内容から察すると、相手の異能は『噂を補強して幻想を生み出し、かつ生み出した何かの能力を間借り出来る』というモノ。

 ……強そうに聞こえるけど、実態は凄い使い勝手が悪そう。上手く噂を誘導していかないと、平均的異法士どころかちょっと鍛えた一般人にさえ負けてしまいそうだ。


 ――だけど、現状の戦闘能力は化物、という他ない。


 噂を利用して鬼をぽこぽこ産み出して、その上本人すら鬼レベルの実力者と化している。

 化物を生み出す物質創造特化の異法士、通称『異形遣い』は本人の実力は一般人とさして変わらない場合が多くて本人さえ見つければ楽、というケースが多いけど……。


「ちょっと、手こずるかな」


 まあ、負ける気は欠片もないけど。

 動かないエスカレーターを階段代わりにして登って行く。

 そして――見つけた。


「待っていたよ、時雨崎春香。もう少し早く来るかと思っていたのだけれどね」


 スーツ姿の男、三島正平。

 鬼縁町のため、利益度外視の事業を推し進め続ける酔狂な人だと父さんが言っていた。若干失礼な説明だと思うが、事実わたしもそう思う。

 皆は感謝したり素晴らしい人だって褒め讃えたりしてるけど、わたしはそういう気にはなれなかった。

 直接対面した今もその意見は変わらず、むしろより凝固になっていくのが分かった。


「僕の名はシュタルク、シュタルク・シュヴァッハ。強き者であり、同時に弱き者でもある」

「……宗平が会った時はそんな名乗りしなかったらしいけど、どういう心境の変化?」


 言いながら間合いを測る。通常の剣士なら、あと六歩くらい前に出ないと剣は届かないだろう。


「変化はないよ。あの男に名乗るだけの価値を見いだせなかっただけさ。五年前からずっと、彼に対して興味を抱いた事なんて一度としてないさ」


 足元に落ちている石について何か語ってくれと言われ、「貶めるにしろ褒めるにしろ、こんなモノをどうやって語ったらいいんだ」とぼやくみたいに。三島――ううん、シュタルクは宗平の話題に対し興味を示さない。


「それより、君は僕と会話したくてここに来たのかい? もしそうだとしたら、こんな夜更けに一人で男の前に出てくるのは止した方がいいとだけ言っておくよ」

「まさか」


 物質創造。鞘の中で白刃を生成し、一息の間に抜き放つ。剣先はぴたり、とシュタルクの心臓に向けておく。


「協会の異法士らしく、全力で打ち倒すから。覚悟しなさい」

「望むところさ」


 そう言うとネクタイを緩めながら、にこり、と笑った。

 風船の中に空気を注ぎこんでいくみたいに、辺りの空気が張り詰めていく。


「その前に、ひとつだけ聞かせて」


 破裂寸前まで膨張したそれの空気を抜くように、わたしはぽつりと呟いた。


「興が削がれるけれども……まあ、いいさ。こんな風に穏やかに対話が出来るのは恐らく今だけだろうからね」

「貴方は、宗平の大切な人をなんで殺したの?」


 その話題か、と露骨に顔を顰めた。


「あれは事故さ、殺すつもりは欠片もなかったさ。考えてもみるといい、協会の人間でも一般社会で発言力がある人間でもない者を、なぜわざわざ殺さなくてはならない?」

「けど、貴方は宗平たちの前に現れた」

「そうさ。知り合いの頼みでね。彼女の異能が欲しかったんだ」


 異能? と首を傾げる。

 一般人なのにどうして、と思うわたしの心を見透かすように、シュタルクは苦笑した。


「そこが協会に所属する人間の傲慢なところさ。異能や異法を扱う者は全て自分たちか敵対組織に居ると思っている節がある。……けど、そんなワケがないじゃないか。自分の力を恐れひた隠しにする者もいるし、そもそも本人ですら特殊な力を認識してない場合もある。彼女は、後者だった」


 それだけ言って、拳を構える。もう、語ることなんてないだろう、とその目が語っていた。

 そう、語ることなんてない。

 さっきの質問だって酷く場違いなモノで、僅かとはいえそれに答えてくれたシュタルクには感謝しているくらいだ。


「ええ――そうねっ!」


 その瞳を肯定し、同時に物質創造を開始。脳内で複数の刀をイメージする。

 一秒を六十個に寸断し、そこに脳内で生み出した刀のイメージを一本ずつ配置していく。

 それは、アニメの登場人物は本来一枚の絵だというのに動いて見えるのとほとんど同じ原理。物質創造を間断なく続けることによって可能になる、伸縮自在の妖刀。世界というシステムに伸縮自在の金属という本来あり得ない物質を認識させる裏技。

 脳内に装填されたイメージをリボルバー拳銃を撃つように創造、すぐさま弾倉を回すように次のイメージを準備――そして創造。弾丸の勢いで伸びる白刃は、正確にシュタルクの心臓へと疾走する。

 けれど、シュタルクは真横に跳躍してそれを回避すると、拳を振り上げながら疾駆する。


 ――先程まで思い浮かべていたイメージを全て破棄し、新たな刀のイメージする。


 湾曲してわたしの元に返って来るイメージをサイズごとに想像し、装填し、想像していく。

 刀はわたしのイメージ通りに動き、シュタルクの背中を刺し貫くべく加速する。


「ふ――!」


 でも、さすがに事件の黒幕というべきだろうか。焦ることなく振り向き様の裏拳を刀の腹に叩き込んだ。ゴギン、という刀と拳が衝突したにしては鈍すぎる音を響かせながら、わたしの刀は一瞬だけ湾曲し――圧力に耐え切れず折れ跳んだ。イメージした姿から大きく変わったことにより世界が違和感を認識し、刀を消滅させていく。


 ――なんて、馬鹿力。


 一本一本手抜きせず全力でイメージしているはずなのに、こうも簡単に叩き折られてしまうなんて。

 武器破壊から間を置かず、シュタルクは消滅していく刀に体をぶつけるような形でこっちに突貫してくる。


 ――防御は……無理。


 もう少し分厚い刀身の刀を創造すれば耐えられそうではあるけど、その後が続かない。わたしの身体能力強化じゃあ、シュタルクの二撃目を凌げそうにない。

 だから――間合いを詰められる前に、一気に逃げる。

 刀身の無い刀を天井に向け、そこから物質創造。サイズは天井にギリギリ刺さらない程度の場所。

 即座に生成したわたしは、それを思いっきり天井に突き立てて――突き立った剣先を変質させる。

 ――イメージは釣り針、アルファベットのジェイの形状!


「鉤爪の刃!」


 地中を掘り進む芋虫みたいに天井の一部をくり貫き、剣先を天井に固定する。そして今の刀より短いモノを想像――そして創造。

 縮んでいく刀に引き寄せられていくわたしの足元で、ガウンと轟音が鳴り響く。見れば、床に蜘蛛の巣みたいなヒビが刻まれていた。前言撤回、多少分厚い刀を作っても、あれは受け止められそうにない。刀が耐えてもわたしが潰れちゃう。

 追撃の来ないうちに刀の創造を解除し、更に遠くの天井を狙いつつ刀を創造。突き刺して、縮め、一気に距離を稼ぐ。

 縮んでいく刀に捕まることにより高速で移動するこの技術は、実を言うとここ数年で覚えたモノだ。

 わたしが自覚した弱点――身体能力に特化した異法士に間合いを詰められると逃げる術も対抗する術もない――を克服するために考えた、室内用高速移動技術。


 ざあっ、と靴底が焼けるような摩擦音を響かせながら着地すると、すぐさま刀のイメージを装填していく。

 イメージはタコとかイカとか、その手の軟体動物。もちろん、形状は刀で、切れ味を維持する。

 装填したイメージを解き放つと、宙を這う蛇の如くうねうねと蠢くそれがシュタルクに殺到する。


「……数を増やせば当たると思っているのかい?」


 それらの刃を走りながら弾き、流し、へし折りながら笑うシュタルクに、わたしは小さく首を横に振った。


「まさか」


 自分に近い実力の相手に刀の数を増やしたところで、時間稼ぎにしかならない。

 だから。


「貴方はもう、籠の鳥」


 剣先が熱で溶けるイメージ。どろり、と溶け出した複数の剣先は、シュタルクの背後で結合する。

 出来上がったのは、刀で形成された鳥かご。


「ッ!?」


 シュタルクがそれに気付き振り向いたけれど――遅い。


 ――縮め。


 短い刀のイメージを脳内に装填し、連射。

 左右も上も全て刀で囲われたシュタルクは、小さく舌打ちをしたけれど、全てが遅すぎる。 

 シュタルクはわたしの刀を叩き壊せる腕力がある――けれど、それはあくまで腹や峰の部分からでなら可能なだけ。

 刃に真っ向から拳を叩きつけて破壊するほどの肌の硬さは無いだろう、とわたしは推測する。

 だって、彼はあくまで噂の力を借りているだけ。その元である鬼の肌がわたしの刀を弾けない以上、彼がわたしの刀を真っ向から砕ける道理はない。

 少し荒っぽい論理だったかな、とも思ったけれど、先程の舌打ちを見る限りそう間違ってもいないはず!

 風の速さで縮んでいく刀の対処を諦めたのか、シュタルクは拳を振り上げ――思いっきり床に叩きつけた。

 轟音。床が砕け、ヒビが走る。舞った破片が刀に直撃し、豆腐みたいにするすると寸断されていく。

 だけど、わたしが本当に切り裂きたかった相手は居ない。二階に逃れたんだろう。


「……上も横もだけなら下、かぁ。バカみたいな力がないと考えられない手段ね」


 そのまま後を追って落下しようかとも思ったけれど――やめた。

 着地の瞬間を狙われたら逃げられない。

 二階に入った瞬間『鉤爪の刃』で天井に刃を縫いつけ、距離を取るということも考えたけれど――一度見せた技だ、発動までのタイムラグとかを見抜かれてると考えた方がいい。楽観してて拳を叩き込まれました、じゃどうしようもない。


 そう決めると、すぐさまエスカレーターに向けて駆け出す。

 もう数秒は経った。シュタルクはもうわたしが穴から落ちて来る気がない事に気づいているだろう。

 そういう意味では危険であることには変りないけど、地に足が着いていればまだ対処の方法はある。

 停止したエスカレーターを駆け下りる最中、鉄筋が突き出した瓦礫が飛来してくる。


「ふっ――!」


 分厚い分厚い――鉄板の如く分厚い刀! 刃は要らない、無茶苦茶重くても問題ない、とにかく防御だけを考える。

 柄から分厚く幅広い鉄板が生み出された。それを地面に叩きつけるようにして構え、その陰に隠れる。

 超重量の金属を叩きつけられ砕けるエスカレーターの足場部分を見て、少しだけ申し訳ない気分になったが、飛び込んできたコンクリート片が手すりとぶら下げられた『頭を出さないでください』という注意書きプレートごとぶち壊したのでどうでもよくなった。まあ、持ち主はあの男なワケだし、申し訳ないと思うことそれ事態損な気がする。


「やはり速いね――想像から創造に至るまでのスピードが他の異法士とは段違いだ」


 カツ、カツ、と革靴が床を叩く音がする。

 シュタルクは悠然とした足取りでこちらに近づいてくる。


「ありがとう。けど、わたしは口で褒めてくれるより両手を上げるとか、白旗振るとかしてくれたほうがずっと嬉しいんだけど」

「残念だけれど、勝ち戦を前にして降伏するほど愚かでも臆病でもないの――さッ!」


 叫ぶと同時にコンクリート片を蹴り飛ばして来た。慌てずに、それを鉄板状の刀で受け止める。


「君は物質創造においては協会外の異法士を合わせても最上位だ。君レベルの物質創造が出来る存在を、僕は二人くらいしか知らない」


 だけれども――そう呟いた刹那、シュタルクは加速した。瞬時に矢の速度になると、その勢いでわたしの鉄板状の刀に拳を叩きつける。

 ぎし、という軋む音が聞こえた。

 刀から、ではない。それを支えるわたしの腕が、このままではへし折れると叫ぶようにミシミシという音を鳴らしている。


「あ――ッ、くっ」


 踏み止まるのは得策ではない。瞬時に判断して刀のサイズを縮め地面から抜き取り――支えを失ったわたしは弾け飛ぶように後ろに移動した。

 追撃が来るかどうかを考える前に『鉤爪の刃』を発動。天井に縫いつけ、更に背後へ。

 しかし、咄嗟に行ったわたしの行動とは裏腹に、シュタルクは最初に拳を叩き込んだ位置から微動たりしていなかった。


「君は脆く、単純な力技に弱すぎる。ほんの少し油断すると、自分より格下の相手にも手傷を負ってしまう」


 自分の優位を教え諭し、こちらの戦意を削ぐ為だろうか。その声は優しげで、自信に満ち溢れていた。


「だから、まだ噂が完全に出まわってなかった頃の鬼を相手に攻撃を食らってしまう。そして、身体能力自体も大して高くないから咄嗟の回避能力も低い。そして、それが露見した場合に上手く立ちまわる事も難しい。刀を天井に刺し、縮めて移動する技なんてのを見せてくれたけれど、本当に速い相手には無意味だ」


 上下の歯と拳に力が入る。ギリ、と鳴る歯と骨。シュタルクの言葉はイライラするくらいに当たっている。

 わたしが二つ名を得たのは、物質創造の練度からだ。それ以外はどれも平均的な実力しかない。

 だから、隠したんだ。

 鞘に収められた刀が己の長さを誤魔化すように、自在に変化する刀を抜刀術に隠した。

 けど、それはどちらかと言えば奇芸に近くて、本当に実力のある異法士なら絶対にやらない行為だ。


「君は薄く切れ味の良いナイフ――いいや、君の場合は刀か。切れるは切れるけれど、すぐに刃こぼれしてしまう」

「……ふんっ。口だけは良く回るみたいね」


 言いつつ、刀を中段に構える。わたしの異法がバレている以上、抜刀術で刃を隠す必要はない。


「もう喋れないように、その喉刺し貫くっ!」


 叫び、刀を瞬時に伸ばす。狙いは喉。

 一直線に伸びる刃を嘲りの眼差しで見つめるシュタルクは、腕の間合いに入った瞬間、へし折るために拳を薙ぐ。


 ――今ッ。


 手の甲が刀の腹を叩く前に、刃の先端が頭上で咲く花火のように『割れ』た。

 刀というより太い糸のようなサイズの白刃は、にゅるにゅると生き物めいた動きでシュタルクに向かう。その光景は、剣先から白色のミミズが吹き出し続けているみたいで我ながら凄く気持ちが悪い。


「へぇ」


 空を切った自分の手を見て、シュタルクが楽しげに笑った。

 けど、その余裕もこの瞬間で終わりっ!

 無数に分かれた細身の刃を制御し、シュタルクに向けて射出する。

 今度は床を砕かれて逃げられないように、足元にも刃を配置。三百六十度全て全て、人間が逃げられる隙間を塞ぎながら伸ばす。


「これは――ちょっとまずいか」


 僅かに焦った声でぼやくと、鬼の力を得た腕を何度か振り回す。けれど、させない。腕の間を縫うように刃を動かし、的確に打撃を回避する。

 うごめく刃のいくつかから、肉を貫く感触が伝わってくる。同時に漏れるシュタルクの苦悶の声に、小さく唇を緩める。

 ――けど、その緩めた唇は、すぐに引き締める事になった。


「いや、複雑な動きが出来るのは理解していたつもりだったけれど、あんな真似が出来るとは思ってなかったよ。侮っていた」


 確かに、いくつかの刃はシュタルクを貫いている。

 けれど、どれも致命傷には程遠い。手足、脇腹などから血がこぼれるが、その量は致命傷には程遠い。


 ――全部、急所をズラされてる!


 これが普通のサイズの刃なら、強引に傷口を広げることもできただろう。けど、今彼に刺さっているのは細すぎる。これ以上下手に力を加えたらへし折れる。

 相手に刃を破壊されずに攻撃する、ということに集中し過ぎて、一撃の重さを軽んじすぎたんだ。


「下手に加減していると僕の方がやられてしまう。だから――」


 咄嗟に足が動き回避行動を取る。

 けど、頭の奥底に居る冷たいわたしが「あ、これは無理だ」と冷静に告げた。


「――予定より早めに終わらせるよ」


 誰かにささやくように呟き、地面を蹴った。轟ッ、と空気が押し砕かれる音と共にシュタルクに刺さった刃が砕け散る。


 ――速い。そしてきっと、重い。


 鉤爪の刃は――無理、間に合わない。

 崩れていく刀身を一瞥もせず更に加速するシュタルクの姿に、背筋が氷水をぶちまけられたみたいに冷たくなる。


「――しっかりしろ、わたし」


 柄を鞘に収め、右足を突き出すように前に出す。

 両手は柄に添えたまま、あと数瞬足らずで間合いに到達するシュタルクを注視する。


 ――攻撃する瞬間。後の先を狙って胴を断つ。


 出来るのか? と冷静なわたしが問いかけてくる。

 それに対する答えは――否だ。

 身体能力が違い過ぎる。上手くタイミングを合わせられる確率なんて、一桁でもあれば御の字だろう。

 でも、背を向けて逃げ出しても、慌てて防御をしても、あの攻撃から逃れる事は不可能。

 だったら、たとえ一桁以下の確率でも勝機がある道を選ぶだけだ。

 シュタルクが拳を突き出す。矢のように速く、鉄塊みたいに重いそれが飛び込んでくる。

 鞘から刀を滑り出させるけど――やっぱり、遅い。刃が鞘から飛び出すよりも、拳がわたしの腹部を抉る方がずっと速い。


 ――駄目、か。


 理解していたとはいえ悔しい。

 せっかく一人で来たのに、こんな風に簡単に負けるなんて笑い話にもならない。


「ごめんね――」


 ――宗平。


「ここで華麗に俺参上ォォォォォオオオオッ!」


 ごしゃあ、という肉に硬いモノがぶち当たる音。それがわたしの耳を震わせた。

 恐らく背後から『誰か』に蹴り飛ばされたらしいシュタルクは、わたしを飛び越えるように吹き飛んだ。

 その勢いのまま時間外のために下ろされていたシャッターに突き刺さる。コミック的描写なら人形のくぼみが出来そうな、そんな見事な衝突っぷりだった。

 数瞬ほど呆然としたけど、すぐにシュタルクを蹴り飛ばした人物に視線を向ける。


「うわ、やっべェ! マジギリギリセーフじゃねェか! 物語の主人公的には正解かもしんねェけど、心臓に悪ィから金輪際勘弁だわ!」

「その癖、叫ぶ余裕はあったようだがな」

「いや、あれは――アレ気なアレだ。叫ぶ事で注意をこっちに引き寄せる、挑発というかプロヴォークっつーか」

「私の記憶が確かなら、それは英訳してるだけだな」


 声は二つ、けれど一人しか居ない。

 けれどわたしは、それが一人芝居ではないことを知っている。よく、知っている。


「っと。んな益体もねェことぐだぐだ喋ってる暇はねェわな」


 普段と変わらない軽口を言い合う一人と一つは、わたしを真っ直ぐに見つめ――


「んじゃ、とっととブッ倒して終わらせようぜ――お嬢ちゃん」


 雨宮宗平は、にいと笑みを浮かべた。

 その笑みは今までに見た軽薄なそれではなく、剣呑な……けれど頼りがいのある笑みに見えた。


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