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開放/1

 一体どうやって時雨崎の屋敷に帰ってきたのだろうか。私には、そしてきっと雨宮にも分からなかった。

 挨拶もせず与えられた自室に引き篭もる姿は、社会が怖いと嘆き何年も閉じこもり続けているように醜い。

 ぽつり、と。壁に寄りかかった雨宮が呟いた。


「……なんで、こうなっちまうのかな」

「理由は明白だろう」

「ああ、だよなぁ。明白過ぎて明白過ぎて、笑えてきやがる」


 ――雨宮が様々な地を渡り歩いているのは、協会にとって扱いやすいからだけではない。

 深く知れば知るほど、遠ざけられ、疎まれ、嫌われる。一つの地に留まるには、雨宮は歪過ぎた。

 けたけた、けたけた、雨宮は笑う。

 それは不出来なピエロ。嫌われ者で客を笑わせるという役目を果たせない彼は、それでも踊り続ける。

 この芸で客を湧かすのは無理だと知っていても、その芸しか出来ないピエロは踊るのだ。恐らく永遠と。壊れた機械のように。


「だけど、だけどだ。それもこの土地で終わりだ」


 笑う。ピエロは笑う。その笑みは楽しげで、だというのに不気味だった。

 開ききった瞳孔、そして止め処なく溢れる涙。

 喜んでいるのか、悲しんでいるのか、怒りに震えているのか――分からない。全く分からない。


「終わらせりゃいい。何もかも、全て全て。そうすれば――」


 戻れるのだと。

 かつてのように、楽しい日常が戻ってくるのだと。

 窓の外に視線を向ける。太陽が茜色の炎を燃やし、そろそろ夜の時間だと告げている。


「さあ、行こうぜ相棒」

「雨宮。お前はそれでいいのか?」

「はっ! いいに決まってるだろうが!」


 それこそが俺の生きる意味だ、と猛り、吠える。

 その叫びは肉食の獣のようで、されど痛む傷を抑え泣き続ける子供のようで――見ていられない。

 だが、止められない。

 それはブレーキの壊れた列車。徐々に加速し、どこかで停止しなければ街に突っ込んで大きな被害をもたらすモノ。

 私は、それをどうやって止めればいいのか、分からない。思い浮かばないのだ。


 それが――悔しくて堪らない。


 私は物。物体であり、道具である。

 人に使われて初めて意味を持ち、人に役立つ事が存在意義なのだ。

 しかし、私は一度として雨宮の役に立ったことがあっただろうか?

 それらの思考を置き去りにするように雨宮は立ち上がり、廊下に出る。

 きゅい、きゅい、とウグイスが鳴く。その響きが寂しげに聞こえるのは、私の心が深く沈んでいるからだろうか。

 

     ◇

 

 玄関から外に出ると、分厚い胸板が私たちの視界を遮った。


「今からどこかに出かけるのか?」


 見上げるまでもなく、彼が時雨崎蓮児であると理解する。


「……ああ。ま、アンタの娘さんには言ってある。遅くはなるが、現地で合流するって」


 呼吸するように嘘を吐き、己を遮る壁のように直立する時雨崎の横をすり抜けようとする。


「嘘だな」


 肩を掴まれた。ぎしり、と軋む音が聞こえて来そうな程に強く、強く握られる。


「な……」

「なぜ、と言うつもりか? だとしたら心外だな。そんな見え透いた嘘を見抜けないほど愚昧な人間に思われていたとは」


 酷い顔だぞ、と時雨崎は言う。

 事実、雨宮の顔は歪んでいた。怒りに震えているようで、同時に今にも泣き出しそうな子供にも見えた。

 いいや、違う。泣き出しそうな――ではない。頬には確かに一つ、小さな川が流れていた。


「ッ……! 情けねぇ……糞!」


 肩を掴む手を振り払いながら、吐き捨てるように言った。

 何が悲しいのだと、何に悲しんでいるのだと。

 雨宮にとってあの男を――三島と呼ばれた男を殺す事こそが至上の目的なのだ……少なくとも、雨宮自身はそう信じているはずだ。

 故に、怨敵を見つけた事を喜びはすれど、悲しむ理由などない。

 悲しみの根源ごと排除するように頬を拭う。涙の失せた瞳は熱せられた刃のように鋭く、そして熱を帯び時雨崎を睨みつける。


「おっさんにゃ、関係ないだろうがよ」


 雨宮の手が私の柄に触れる。

 それが示すのは敵意。

 退け! と。

 失せろ! と。

 でなければこのまま斬り殺してやろう――と。


「……そうか」


 だが、時雨崎は退くどころか両脚を開き、拳を構えた。

 引く気などないという意思表示に、雨宮は大きく舌打ちをする。


「剣持って負けた相手に、素手で戦うつもりかよ。自殺志願者なのか?」


 言って数歩、後ろに下がった。

 今の距離は近すぎる。下手をすれば私を抜く前に制圧されるだろう。

 故に拳の間合いから刀の間合いへ、自分の戦いやすいように移動する。


「まさか。出来ればもう少し長く生きたいと思っているよ」


 その意図を知ってか知らずか、時雨崎はその動作を止めようとはしなかった。


「じゃあ――」


 なんでだ、と雨宮は問いかけた。

 刀に手を掛け、敵意を放つ相手に対してその余裕はなんなのだ。

 相対している存在が弱者であれば、その自信も分からなくもない。剣の扱い方も知らぬ素人なら、軽い身体能力強化の異法を用いて一気に懐に飛び込むという手もあるだろう。


 だが、雨宮は段などを持っているわけではないものの、実戦で鍛えた技術が体に染み付いている。

 その上――時雨崎は一度、雨宮に敗北している。

 それらを踏まえ、更に私の幻想の力を考慮に入れて考える。

 そこから導きだされるのは、得物を持ってようやく『不利』と呼べる実力差になるというモノ。


 つまりは、そういう事だ。

 時雨崎が無手で、私を持つ雨宮に勝負を挑んで勝利する確率は無い。それは『不利』ではなく、『無理』というのだ。

 故に、なんでだと雨宮は言うのだ。

 しかし時雨崎は答えずに一気に踏み込んで来た!


「ッ!」


 即座に私を抜き放ち、居合の要領で薙ぐ。同時に私も幻想の変換を開始、雨宮の身体能力を向上させる。

 ヒュン、と刃が鳴る。刃が時雨崎に吸い込まれていく。


 ――なぜだ?


 私の疑問と同じモノを抱いたのか、雨宮の瞳が驚愕に見開かれる。

 勝った。いいや、勝ってしまう、というべきだろうか。

 時雨崎が用いるすり足という足さばきは、両の足を地面に置く事で自在な回避を可能とするものだ。

 だが、踏み込む瞬間。剣を振るう時や、殴りつけるために踏み出す瞬間はそうはいかない。どうしてもその瞬間だけは、右足が地面から離れてしまう。

 その瞬間だけはすり足の持つ利点は消える。その刹那の間だけ、回避の幅が狭まるのだ。


 ……だから、解せない。


 そんな事は当然、時雨崎も知っているはずだ。

 それに、時雨崎は今武器を持っていない。拳と剣、どちらの間合いが広いかなど議論するまでもない。

 無策に飛び込めば拳の間合いに入る前に剣で斬られるのは明白なのだ。

 あと刹那を更に分割した程の短い時間で、刃は時雨崎の腹に喰い込み、臓腑を切断し、背骨が断ち切り、胴体を両断するだろう。


「ぎ――ぐうぅぅっ!」


 だが、苦悶の声を上げたのは時雨崎ではなく、雨宮だった。

 時雨崎の拳が私を弾いたワケではない。

 想定外の力で拳の間合いの外から殴られたワケでもない。

 刃は時雨崎を抉る直前で制止していた。

 いいや、その言葉は正しくない。

 雨宮は――時雨崎に刃が食い込む直前に、強化された力を総動員し私を止めたのだ。

 全力で無理やり、骨が軋み、筋肉繊維が断裂するのではないかという程の力を込めて。


「……なんでだ、と言ったな」


 時雨崎の拳は雨宮の顔面に触れるか触れないかの距離で制止していた。

 しかし、そこに無理な力がかかった形跡はない。

 寸止めだ。時雨崎は、最初から攻撃を当てる気などなかったのだ。


「それはな、雨宮。君は自分を殺せないからだ」


 いいや、正確には違う――と。

 時雨崎は拳を引き戻しながら、小さく呟いた。


「君は周りの人間を不幸にして平気でいられる人間ではないからだ。君は――やさしい人間だ」

「なにを――言ってんだか」


 搾り出すように言うと、雨宮は再び私を構えた。


「俺は――俺は、他人なんてどうでもいいんだよ。目的さえ果たせれば、それで満足なんだ」


 そう思っているし、そのように行動してきたのだと。

 しかし、時雨崎は静かに首を横に振った。


「嘘だ――いいや、もしかしたら、自分で信じ込んでいるのかもしれないな」


 必死に虚勢を張る野良犬に手を差し伸べるように、時雨崎はそっと私の刀身に触れた。

 刃が指を薄く切り、小さな血の玉を生み出す。雨宮が少し力を入れれば、指など全て落とされるだろう。


「もしも本当に他者などどうでもいいと言うなら、好きにすればいいさ。指を落としてもいい。このまま突き出せば胸など軽く貫ける。……そうして、目的を達成するために、どこへとでも行くといい」


 全て、君の裁量に委ねられている――そう、時雨崎は言った。

 諭すように、宥めるように。


「お、お、俺、俺は、俺は――」


 手の震えが柄に伝わり、刀身全体が揺れる。その度に私を握る時雨崎の指が小さく抉れ、血がしぶく。それを見て、更に震えは大きくなり、出血も増える。笑えてくるほど完璧な悪循環だ。

 震源は恐怖。ぞわり、ぞわり、と背中を這う冷たい蛇だ。

 しかし、その出処はなんだ?

 自殺志願者じみた時雨崎の行動からか? 

 もしかしたら反撃の手段を用意しているかもしれないという、未知の恐怖か?

 違う。伝わってくる感情は、もっと、もっと別の何かだ。


「……出来ないのだろう? それが、君の本質だ」


 時雨崎の腕が引き戻されると、まるで先程までそれで支えていたかのように、私は雨宮の手からこぼれ落ちた。


「なんだよ……なんだって言うんだよ」


 混乱しきったその言葉は嗚咽で彩られていた。

 怖いのだと。

 分からないのが怖いのだと。

 自分も、他人も、全て全てワケが分からないと癇癪を起こすように瞳から涙をこぼす。

 その姿は、正直に言えば醜い。大の男がボロボロと涙を流し続ける姿など、他人が見れば気持ち悪いの一言だろう。

 だが。

 知り合いならば。

 僅かでもいい、その感情の発露を包みこんでくれる何かがあれば――


「それは、自分が言うべきことではないな」


 それで終わりだと言うように、時雨崎は背を向け土蔵の方へ歩いて行った。


「……どういう事だよ、糞が。ワケ分かんねぇよ……」


 時雨崎はもう居ない。勝手にデパートへ向かっても遮るモノなど存在しない。

 だというのに、雨宮の足は見えぬ鎖で絡め取られたように動かない。

 当然と言えば、当然だ。

 人は誰しも、何かしらの到達点を目指し生きるモノである。それが刹那であるか何十年先かの違いはあるだろうが、それを求めて人は前を向くのだ。

 だが、それを見失った者は一体どうすればいい?

 それに対する無二の回答を私が有していれば――そう思う。

 けれど、私の語彙は貧弱で、経験という面でも雨宮に劣る。連ねるべき言葉が、思い浮かばない。

 

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