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急転/2

 人の噂は七十五日。その程度で薄れる希薄なモノだ。

 けれど、希薄であるからこそ人から人へと伝播しやすいのだろう。たとえ噂を流した最初の一人が忘れようとも、ネズミが子を為す速度で伝わって行く。

 この商店街の一角でも、その理論を裏付けるように『鬼』の噂が溢れていた。

 昼の日中、子供や夫を送り出し、家の家事も粗方終えた婦人たちが集まり互いに自分が仕入れた噂を垂れ流している。


「それで、あの神社ぶっ潰したのが鬼だって? 俺がヨソ者だからそう感じんのかもしれないけど、ちっと――っつーか滅茶苦茶飛躍してね?」


 その輪の中、雨宮はおどけた笑いを浮かべながら噂の消火に取り掛かっていた。

 幻想という存在にとって噂の広まり具合とその力はほぼイコールだ。逆に言えば、噂が収まれば弱まるのだ。

 けれども、


「……ま、止まるわきゃねぇわな」


 前後左右から言葉の銃弾を秒速何十発の勢いで叩き込まれながら、深い溜息を漏らした。


「いやね雨宮君、私も最近知ったんだけどこの辺りって鬼で有名だったらしいじゃない!」

「最近まで知らなかったけどね! そうそう鬼と言えば家の息子が私に向かってオニババとか言ってねぇ!」

「鬼って桃太郎くらいでしか知らないんだけどね、あと泣いた赤鬼とか」

「そもそも鬼ってどんな鬼がいたの? 知ってる?」

「鬼っていうんだから筋肉大盛り汗マシマシ背脂多めって感じじゃないかしら?」

「なにそれ」


 こっちのセリフだ。

 もしその噂が反映され、汗だくの鬼が出てきたらどうするつもりだ。直接触るのは私なんだぞ。


(いや、もうそんなレベルの心配をしている場合ではないか)


 神社倒壊という事実は、今まで話半分だった噂に真実味が増し、そして爆発的に広がっていく。もはや、誰の手によっても止められないだろう。

 破壊活動が収まり、その後何も起こらなければ噂は風化し、消え去るだろう。だが、それを行うためにはこの噂で強化された鬼どもの相手をしながら、更に事件の根源を断ち切る以外にないのだから頭が痛くなる。


「……やっぱ、あそこかね」


 私と同じ結論に至ったのか、雨宮は顔を顰めながら首を上げた。視線の先には小さくデパートが見える。

 鬼を封じた神社を押し退けて建築されたそれは、今の私たちには侵略者の牙城にしか見えなかった。


(いや、これも幻想か)


 建物は建物でしかない。コンクリートやアスファルト、駐車された車などにも禍々しい要素など欠片もないではないか。

 宿敵が潜んでいる可能性を考えるから、そこが恐ろしく見えるのだ。


「それじゃあな、また面白い噂あったら聞かせてくれよ」


 婦人たちに手を振りながら商店街の外へと足を向ける雨宮の顔には、普段の軽さはない。今までが緩んだ弓の弦だとすれば、今は千切れんばかりに張り詰めている。


「行くのか?」


 どこへ、とは言わない。言う必要もないだろう。

 ああ、とだけ答える雨宮は静かに歩く。一歩、一歩、呼吸を整えるように。


「早めに対処しておかねぇと死ぬわコレ。昨晩時点での噂ですら、俺は対処しきれてねぇわけだしな」

「どうする気だ?」

「……侵入経路を探す。その後、どうするか考えるか」

「つまりは何も考えていないと?」

「当たって砕けろ……ってワケでもねぇけどな。ま、強行突破とかはしねぇから安心してくれや」

「どうだかな」


 少なくも会話が出来る程度には冷静だが、気持ちが逸っているのは疑うまでもない。

 

     ◇


 自動ドアが開く。軽く暖房がかかっているのか、暖かな風が私たちを撫でた。

 時刻はだいたい三時を少し過ぎた辺りだろうか、学校帰りの学生らが暇を持て余し店を冷やかしている姿がいくつか見受けられる。


「こういう時、車がねぇと不便だわな」


 田畑だらけの道を延々と歩き続けた末に出た言葉である。都市部の感覚で移動するからそうなるのだ。

 もちろん、普段ならばここまで歩く前に何かしらの交通手段を探す程度の頭は雨宮にもある。それが出来なかったのは、やはりここに奴が――雨宮にとっての仇がいるかもしれないからだろう。


「……ってか、女子学生全体的にスカート長い率たけー、健全な男の子の不満大爆発だ」


 しかし、歩き続けたおかげか多少は頭は冷えているらしい。表情も普段の軽さに戻っている。

 もっとも、それは表面上だけだろう。煮立ったマグマの表面が外気で固まった程度の気休めだ、その上に足を載せた瞬間、陥没し超高温で足どころか体まで焼き尽くされるだろう。


「……とりあえず、どこかで軽食でも買いに行け。学生ならまだしも、お前が買い物もせずにさすらっては不審者にしか見えん」

「ひっでぇ。……ま、小腹も空いてる所だし、丁度いいか」


 軽食コーナーに向かうと、やはりここにも普段見かけるようなチェーン店は見当たらなかった。接客する人間もアルバイトなどではなく店長やその家族であり、良く言えば温かみがあり、悪く言えば全体的に素人臭い。

 雨宮はバーガーショップで適当に注文すると、それを持って手近なテーブルに腰掛ける。


「全国チェーンって偉大だね、値段的な意味で」


 見る限りパンもふっくらして挟まれた野菜も瑞々しい。肉も一噛みすれば口内に旨みを多量に含んだ肉汁を染み込ませるのだろう。ただ、値段は大規模チェーン店に比べ割高だ。

 軽くなる財布に苦虫を噛み締めたような顔をし――けれども食した瞬間にそれを緩め――つつも辺りの人間を観察していく。


 ……だが、その努力が実を結ぶ可能性は、低いの一言だ。


 私たちがここに訪れたのは、せいぜい「居るとしたらココだろうか」程度の考えであり、ここに雨宮の仇たる『彼』が居ない可能性も存在する。

 もっとも、本当にこの辺りに潜伏していたとしても見つけられる可能性は低いだろう。


 五年。

 五年も前の出来事なのだ。


 時が記憶を風化させ、細部を曖昧にしていく。

 忘れ難い記憶ではある、忘れたくない記憶でもある。

 しかし、そんな想いをあざ笑うように記憶は崩れ落ち、今ではその男がどんな顔だったのかすら満足に思い出せもしない。

 もっとも、完全に記憶を保持していたとしても、相手が時間の経過で雰囲気を変えればそれでアウトだ。歳月とは、それほどまでに残酷なのだ。

 無論、雨宮もその程度の事は理解しているだろう。

 けれども、それでも、だ。無駄と分かっていてもやらねば、心が軋むのだろう。雨宮宗平という人格が揺らいでしまうのだろう。

 それは弱さだ。けれど、その弱さが人間なのだろう。


「……んっ?」


 不意に雨宮が立ち上がった。


「どうした?」

「法子ちゃんだ」


 小声で問う私に、小さく答える。

 視線を追うと――ふむ、なるほど確かに菅野嬢だ。

 無論、今ここで身につけているのは巫女装束などというTPO絶無な服装ではなく、スカート丈の長いセーラー服だ。しかし丈の長さはデパート内で遊ぶ少女に比べて中途半端で、土地柄のオシャレというよりは無頓着なだけのように見える。

 視線に気づいたのか、菅野嬢が振り向き――とてとて、と小さな足音を鳴らしながらこちらに駆け寄ってきた。


「こんにちは。休憩中ですか?」

「んな所だ。そっちは?」


 まさか我が家が半壊した翌日に遊び歩く程、頭が軽くもあるまい。


「ええ。ちょっとココのオーナーさんに用事があって」


 学生の正装は制服ですから、と小さな胸を張る。

 ……ああ、そういえば。確か聞いた覚えがある。

 姫凪神社移転に必要な諸々の費用をここのオーナーが肩代わりしたと。

 私が小声で確認を取ると、「そうなんですよ」と雨宮から視線を逸らす事なく頷く。周りから不審に見られないための配慮だろう。


「今回も雨宮さんたちが帰った後に電話がかかって来て……修繕の費用を出してくれるって」

「……酔狂通り越して奇人の類じゃねぇのかソレ? いや、あれか。交換条件に法子ちゃんの若い果実を貪ぼぼぼべぇぇ!」


 前動作無しで持ち上げられたつま先が雨宮の股間に突き立った。

 チーンやコーンなどといった擬音よりも、めりぐしゃあ、とかが似合いそうな迷いの無い一撃だ。

 崩れ落ちる雨宮の姿を見て、今まで何気なく観察していたらしい男子学生が「ひぎぃ!?」と股間を抑えた。


「すみません、靴が勝手に。ええ、困った靴さんですよねぇ雨宮さん」

「……なら、その靴さんに言っておいてくれませンかねェ? 些細なシモネタにコレはちょっとどうかと思いますって」

「些細なシモネタ大きなセクハラです。肝に銘じて置いて下さいね」


 はひ……と掠れた声で答えて立ち上がる。凄まじく内股だ。体がぷるぷる小動物のように震えている。


「そンで……あふう……そのオーナーさんとやらは、どこに?」

「うわあ、生まれたての子鹿みたいで気持ち悪い……と、四階にスタッフ専用のフロアがあるんですよ。今はそこで待っててくれてるみたいですけど……一体どうしたんですか?」

「や、昨日の今日だかンな。帰り道ぐらいエスコートせにゃならンだろ」

「それはありがたいですけど……いいんですか?」

「オッケーオッケー、むしろ好都合なくらいだ」

「好都合?」

「かわいい女の子と一緒にいられるのが、好都合以外のなんだってンだ」


 その言葉は本気半分、虚実半分といったところか。

 本来ならスタッフ専用フロアなどは夜に忍び込む必要があったが、彼女と共に行けば付き添いという形で堂々と入れる。

 ならば菅野嬢を利用してそこに入るのは当然だろう。


「まったくもう……そういうことを気軽に言わないでくださいよ」


 ぷい、と顔を逸らした菅野嬢は「こっちです」と歩き出す。

 その背中をにやにやと笑いながら雨宮が追う。

 三階までエスカレーターで昇る。電化製品の森を抜け、奥まった所にある『従業員用通路』と書かれた扉を開いた。

 すぐ近くにあった階段を登り、四階にたどり着く。

 複数の部屋に区切られたそこは、三階までとは違いビル内に作られたオフィスといった感じだ。


「――?」


 微かな違和感が、ちり、と私を撫でた。

 それは危機に対するモノではなく、デジャブめいたモノ。初めて来た場所が、なぜだか懐かしくて仕方がない――そんな感覚だ。

 無論、錯覚のはずだ。私はこのデパートに来たのは二度目だし、四階に足を踏み入れたのは初めてなのだから。

 だが。

 もしこの違和感が現実であり、デジャブではないとしたら。私がよく知っている感覚だとしたら。


「三島さん、菅野です」


 扉の前に立った菅野嬢は、コンコン、というノックの音をする。

 その動作からほとんど間を置かず、扉の中の人物が応えた。


「ああ、入ってくれて構わないよ」


 ――雨宮の瞳が、現在を軽視し過去を求める歪んだそれが、つり上がった。

 ああ――そうか。

 私の記憶からどれだけ薄れても、私の記憶がどれだけ風化しても、雨宮宗平の記憶が消える道理はない。

 当然と言えば当然だ。彼は何度も何度も、何度も何度も何度も、夢という形式で仇の姿を目視しているのだ。


「――――法子ちゃん、ちょいと下まで行っててくれ」


 菅野嬢が扉の中の人物に「分かりました」と応え、ドアノブを回す寸前。雨宮は絞り出すように言った。


「一体どう――ぃ」


 どうしたんですか? という問いは小さな悲鳴に変換される。それを成したのは雨宮の視線だった。

 その眼差しは殺意と敵意といったモノを混ぜ、鍛え、刃と化したようで。拒否すれば視線だけでなます切りにされるのではないか、と思わせる力があった。


「どうし、たんで――」

「下に行け――二度も言わせるな」


 吐き捨てるように言って私を抜刀する。

 雨宮は菅野嬢をすでに見ていない。下に行くならそれでいい、行かずに巻き込まれるなら――まあ、それも仕方ない、と。

 菅野嬢は、言うことを聞いたというより怯えた様子で一歩、二歩と雨宮から遠ざかる。

 それを確認した雨宮の口元が、にい、と歪んだ。

 それは、刃のようであり、三日月のようである。

 触れる事の叶わぬ魔性の切れ味であり、空に浮かぶ狂気の如く。

 そして、


「う――らぁ!」


 身体能力を引き出し、ドアを一撃で蹴り崩した。

 ひしゃげ、砕けたそれは破壊の運動エネルギーを得て矢の如く宙を駆け、室内――その中に居る人物に殺到する。

 もしも、自分の勘違いだったら。

 中に居るのは無関係の善良な人間だったのなら。

 そんな思考は、今の雨宮には欠片とてあるまい。

 過去しか見ぬモノに今は必要なく、また未来に意味はない。他者を殺害してしまう、という最悪の結果すら意味もない。

 もっとも、それは最悪のだ。

 けれども、それは最低のではない。

 そうだ。

 誰かを殺してしまっても、私たちにとってそれは最『悪』なだけである。

 ならば、最『低』とは。もっとも低い場所とは――

 

 轟、という音と共に殺到する破片。しかし、それは逆巻く風に阻まれた。

 それはただただ単純な腕力によって発生した風圧。宙を薙いだ腕が、旋風を巻き起こしたのだ。

 風に押し戻された破片は地面に突き刺さり、その腕で払われた断片は粉と化した。

 

「――さて、誰だったかな君は」


 ――自分たちの実力では勝てない相手に、逃げるという選択肢すら無く戦う事。

 上には上があるように、下には下がある。

 最悪を上回る展開にして、最悪という上辺部分の更に底。


「当たり、だな」


 最低の展開が、そこに立っていた。

 スーツ姿の男が、薙いだ腕を地面と並行に伸ばしたまま、こちらを見つめていたのだ。


 ――かつて、雨宮が私を初めて抜いた時に戦った相手が。


 雨宮の仇が、そこに居た。


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