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狂宴

「よう」


 月明かりの下で佇む、黒地に赤い桜の着物を羽織った少女に声をかける。

 昼に会ったばかりだというのに、なぜだか随分と長い間会っていないような気がした。

 姫凪の老婆、菅野嬢――二人と交わした会話は、思った以上に濃密な時間だったのだろう。


「……、遅かったわね。一体なにしてたの?」


 数瞬だけ迷うような仕草をした春香嬢だったが、すぐさま普段の強気な態度で接して来た。


 ……謝ろうとしたのだろうか。


 他人をあそこまで怒らせる逆鱗に触れてしまった事で、一言「ごめん」と言いたかったのかもしれない。

 しかし、その言葉を言ってしまえば、道場での言葉が全て誤りとなってしまう。

 謝罪とは、己の過ちを認め、相手に許しを請う事。ならば、間違っていないと考えているのであれば、謝罪など出来るはずもない。


「女の子と密会を、な。まだ乳臭いお嬢ちゃんには分からない世界かね?」


 そして、それは雨宮も同じだった。

 ああ、そうか。

 ベクトルが違うだけで、この二人は似たもの同士だ。どうしようもなく意地っ張りな子供なのだ。

 もちろん、言葉にした瞬間、二人に否定されるだろうが。


「んじゃあ、さっさと索敵してくれよ、相棒」

「言われずともやっているさ」


 ――刀身に意識を集中する。

 シン、とした大気の中、微かな力の波だけが私を叩く。

 ――しかし、


「おかしいな」

「どうした、見つかったか?」

「気配はまだ掴めないが――なんだろうな、何もないはずなのに刀身が痺れるような感覚がある」


 私以外の幻想を見つけた時の痺れとは違う。集中しなければ見逃してしまいそうな、そんな些細な違い。けれども明確な違い。

 まるではるか昔――妖怪という幻想が跋扈し、退魔師や陰陽師が都に存在した時代のように。

 枯れたススキの穂を見て『幽霊だ』と思った瞬間、幽霊と呼ばれる幻想が生まれ落ちそうだ。


「幻想が生まれやすくなっているように思える」

「それだけ噂が広がっているって事かしら?」

「だろうな。だが、それが不自然で――な」


 現代日本において鬼などという幻想は、よっぽどの事がない限り広まらない。

 暗い夜道で鬼が闊歩する姿を見たとして、多くの人間がそれを『鬼』と認識しないだろう。大柄な人間を見間違えたのだろう、などと自分の常識に合致するように誤魔化し、納得する。現代社会の常識が幻想を阻害しているのだ。

 神社の封印もまた、その理論で行われている。手順は関係なく、『封印した』という事実が広まり、もう鬼は産まれないという噂が人々の間を駆け抜け、それが事実となる。

 だが、現実としてここまで噂が広がっている。

 今は大部分が冗談の類としての噂ではあるが、これがもう少ししたら――噂が現実味を帯び、鬼縁町の名の通り鬼と縁がある町に戻る事だろう。


「誰かが意図的に流してるのか?」


 だろうな、と肯定しながら感覚を研ぎ澄ます。

 こんな状態だ、いつどこで鬼が生まれ落ちてもおかしくはない。

 そう、思った矢先の事だ。


「――居た」


 痺れる。刀身が、感覚が。

 感触の新鮮さが失われぬ間、辺りを注意深く探り――はっ、と息を呑んだ。


「どうした? どこに居たんだ?」

「――雨宮、春香嬢、今すぐ神社へ走れ」


 探るまでもなかった。

 それは、春香嬢の驚愕の表情を見れば分かる。


 ――神社に複数の反応在り。


 鋭敏な感覚など必要のないほど、多量の気配がそこにあった。


「――!? 相棒ッ!」


 言葉の意味に気づいたのか、焦った声音で叫ぶ。叫び声が夜の静寂に消えるよりも早く、私は雨宮の両脚に幻想を注ぎ込んだ。

 体に満ちる幻想を確認する事なく駆け出し、加速、加速、加速。人ならざる速度で疾駆する雨宮の背後で、春香嬢の姿が小さくなっていく。


 ……こればかりは仕方があるまい。彼女は身体能力強化に特化しているワケではないのだ。


 雨宮の腰で揺られながら、怒鳴るように叫ぶ。


「春香嬢、神社は分かるな!?」

「分かってるからさっさと行きなさい!」


 怒鳴り返す春香嬢に返事する事すら惜しいとばかりに、雨宮は一気に疾風と化した。

 風を切り、田畑を強引に横断し、神社へとひた走る。

 石階段に辿り着くと、日常生活では決して聞こえぬはずの異音が聞こえてきた。

 地面を削るような音、巨大な何かが大気を砕く音、それを受け止める高音の衝撃。

 雨宮が階段を蹴るたび、それらが私の刀身を振るわせる。あまりの爆音のためか、それともこの先の情景を思い浮べたのか、雨宮が顔を顰めた。

 力の限り階段を蹴り飛ばし、石造りのそれを砕きながら跳躍。一気に境内に飛び込む。


「……ンだ、ありゃァ」


 不気味だと言うように、ありえぬと言うように、雨宮が呟いた。

 神社は既に亡く、存在していた場所には廃材の山だけがある。

 その周りに居たのは、到底鬼とは呼べぬ代物たちだ。

 巨体であり、筋肉質であるという事のみが共通しているが、その他はまるでデタラメだ。

 それは、例えるならばモザイク。

 皮膚は奇妙に波打ち、赤、青、黒、と色合いを変えていく。

 金棒を振るう指は、ついさっきまで五つだったと思えば、六つになったり四つになったりと全く一定しない。瞬きをする間に体の構造が変質してしまう。


 ――これは、なんだ?


 鬼――ではない。

 いや、一般的なイメージの鬼に必要な点は大規模な変質をしていない。金棒のトゲが増えたり減ったり消滅したりはするが、金棒という武器は消滅しない。背丈は多少上下するものの、大柄というカテゴリーから抜け出す事はない。

 ならば、あれはきっと鬼。

 皆が考えた鬼という名の幻想だ。

 だが、


「薄い……」


 幻想という存在として生まれ落ちるには、イメージが弱すぎる。

 あれはまるで、素人の書いた物語――その登場人物のよう。書けば書くほど人格が変わり、執筆者本人すらもその登場人物がどんな人物なのかを理解できなくなってしまったような――そんな渾沌。

 そんな物語が完結しないように、こんな状態では幻想は生まれるはずがないのだ。


「ばあさんと法子ちゃんは……あっちか!」


 私が考察する中、雨宮は一切足を止めずに境内を駆ける。

 その姿を認めた鬼のような何かは、金棒を真横に薙いだ。風圧の塊が雨宮を叩き、その金棒に秘められた破壊を容易に想像させた。

 すぐさま抜刀。抜き放った私を金棒に振るい、巨大でありつつも粗悪な鉄を両断する。切断された金棒は慣性に従いどこかに吹き飛んで行くが、それを確かめる事無く空いた隙間を縫うように加速する。


 ……やはり、妙だ。


 鬼。

 妖怪と呼ばれる存在では、最上位の存在。

 だが、ここにいる連中はどれも劣悪過ぎる。ここ数日春香嬢と共に戦った者共に比べ、なんと脆弱なことか!

 何か、ひっかかる。昔、これに近い事が起こったような――そんな気がするのだ。

 しかし、考えるのは後だ。

 鬼の脚を縫うように駆け、家屋へ向かう。


「――居た!」


 雨宮の視線を追い、人影を二つ確認する。

 鬼に囲まれた老婆と菅野嬢。リビングは金棒で薙ぎ払われたのか、ほぼ全ての調度品が壁に叩きつけられ砕かれている。

 老婆は顔を顰めながら、無数の槍を生成。硬質化した紙によって作られたそれを束ねることで、即興の槍衾を生み出す。

 無闇に突貫した鬼がそれに突き刺さり、怨、とこの世の全てを呪うような悲鳴を上げる。その声に菅野嬢は、びくんっ、と小さな体を震わせた。


「ばあさん、法子ちゃん!」


 私を袈裟懸けに振るいながら疾走。斬、という音と共に粘ついた赤い液体を吐き散らす遺骸をすり抜け二人の元へ。

 槍衾に飛び込むと、紙は自然に折れ曲がり雨宮を迎え入れた。すぐさま後に続こうとする鬼が飛び込んでくるが、すぐさま硬質化。顔面に無数の穴が穿たれ、脳を損傷。瞬時に絶命する。

 老婆はふう、と小さく息を吐き、しかしすぐさま表情を引き締めた。


「遅いよ、若造」

「うっせ、マッハで来てやったんだ、ありがたく思え」


 二人の姿を確認する。外傷は、特にないようだ。

 雨宮は安堵したように溜息を吐き、しかしすぐさま軽薄に笑った。


「雨宮さん……?」


 呆然と呟く少女に、雨宮は困ったように頭を掻き、


「ばあさん。後でちゃんと説明しとけよ」


 丸投げして、跳躍。一気に鬼たちの間合いに跳び込んだ。菅野嬢の悲鳴と共に、鬼たちが一斉に金棒を振り上げる。

 地に足が付いていない状態で回避は不可能。だから、ここで叩き潰そうとするのは正しい。


「考えが足りないな」


 呆れたように言う。

 無論、雨宮に対して――ではない。

 轟、と風が逆巻く。

 雨宮の背後から白色の軌跡が生まれ、弓なりの軌道を描きながら鬼たちの心の臓を穿つ。


「援護射撃に感謝感激雨あられっ!」

「喋る暇があれば手を動かさないか」

「さーせんっ!」


 謝る気など更々ないであろう謝罪の言葉を吐き出しながら、手近な鬼に私を叩き込む。

 胴を薙ぎ払い、内臓ごと血液を吐き出させる。むせ返るような血の臭いに辟易するが、「それがどうした」とばかりに雨宮は駆け、私を振るう。袈裟懸け、薙ぎ、切り上げ。がむしゃら、と言うよりも滅多やたらという言葉の似合う剣舞で、鬼共を霧散させて行く。

 後ろなど顧みない。背後の敵はあの老婆が撃ち貫いてくれるだろう。

 始めは老婆を重要視していた鬼たちだが、同胞を斬り砕く男の存在に危機感を抱いたのか、ぐるりと雨宮を囲いだした。

 だが、老婆に背を向けるように立った鬼が、無数の紙槍で貫かれた。巨体が崩れ落ちるよりも速く、雨宮はそちらに向けて駆け出し、空いた穴から包囲網を脱出する。


「……なんっつーか」


 居眠りをしていたら教師に難問の回答を求められた生徒のような顔で、


「ちっとばかし、弱すぎるだろ。お嬢ちゃんと一緒に戦った奴と比べりゃゴミだ」


 けれど、その問題があまりにも簡単過ぎて逆に戸惑うように、雨宮は顔を顰めた。


「そもそも、だ。この辺りの鬼って一体どんな鬼なんだ?」


 私を振るいながら疑問を漏らす。

 確かに、単純に鬼と言うが――人間にも白人、黒人などが居るように、鬼にも種類があるのだ。

 赤鬼や青鬼といった、一般的な日本人が連想するであろう鬼。

 地獄の獄卒である牛頭鬼や馬頭鬼。

 日本最強とも呼ばれる酒呑童子。

 元々は悪鬼だったと伝えられる神、鬼子母神などもある。

 だが、目の前で鉄棒を振るう鬼たちがそれに類するかと言われたら、否としか答えられない。

 どちらかと言えば、西洋の鬼であるオークやゴブリンに近い気がする。それも、ライトなファンタジーの世界に属するやられ役めいた粗雑さだ。


「……ここの鬼に、文献で分類されるようなモノは無いよ。日焼けした白人を鬼だと誤認し、その噂が広がり、鬼が創造された。ただそれだけだが、一般人は空想し、恐れ、鬼を産んだ」


 春香嬢と同じ事を言いながら、老婆は宙に紙をばら撒く。

 無数のA4用紙が連なり、一枚の板になる。それを軽い動作で薙ぐと、そよ風のような軽やかさと名刀の切れ味を伴った攻撃が完成した。インク一つ付着していない用紙に、赤と黒が混ざったような液体がぶちまけられ――振りぬいた頃には切断した鬼が消滅し、血液も蒸発するように消えた。

 普段でも油断すれば肉を切る紙だ。それを硬化し振り回せば鋭利な刃物になるのも道理である。


「そんでも、系列みてぇなのはあんだろ。赤い鬼の噂がありゃ出てくるのは赤鬼ばっかだろうし、青けりゃ青鬼になる。けどよ、今日までで出会った連中は皆バラバラだぜ?」


 幻想とは数多くの人間の噂から構築されるもの。もちろん、異法のように個人の力で生み出されるモノならば、ある程度のバリエーションはつけられるだろうが。


「おばあちゃんも、雨宮さんも……一体なんの話をしてるんですか?」


 干上がり切ってヒビだらけとなった大地のように、ひどく乾いた声だった。

 恐れや驚きがない交ぜとなったその声音に、雨宮は頭をガリガリと掻きながら「あー……」と、宿題をやっていない事を教師に問い詰められた子供のような軽さで呻いた。

 協会は一般人に対して異法や異能といったオカルト能力を教える事を禁止している。見せる事も、聞かせる事もだ。


「世の中にはまだ、ああいう化物がいるわけよ。俺と法子ちゃんのおばーちゃんは、それをぶっ殺す正義の味方的ポジション。おーけー?」


 だが、隠し通す事は不可能と考えたのか、それとも何も考えていないのか、今どんなアルバイトをしているのかを答えるくらいの気楽さで言う。

 まあ、恐らくは後者だろう。こいつが、協会に対して忠誠心を抱いているとは、全く持って思えない。

 はうぁ……? と瞳を点にしながら気の抜けた声を漏らす菅野嬢をそのままに、雨宮は私を力の限り薙いだ。

 ガギン、という金属音と共に私の刃から火花が散った。

 舌打ちと共に後ろに跳ねた雨宮は、顔を上げ私を叩きつけた鬼を見やる。


 ――それは、鬼、というよりも金属で出来たデッサン人形と言うべきか。


 継ぎ目の見えない肌は生物的だというのに、その肌が放つのは生き物にはあり得ぬ金属光沢だ。

 ツルツルとした外見には頭髪のようなモノは見受けられない。

 頭部はあるが生物として必要な目、鼻、口、耳といった器官も省略されているため、むしろ無機質さが際立っている。唯一、僅かに盛り上がった額が鬼の名残を窺わせているが、それもこれが鬼だと思って見ない限り見落としてしまいそうだ。


「オオォォ……ン」


 声、なのだろうか。

 唸り声にも聞こえ、金属が震えているだけのようにも聞こえる。生物とは思えない咆哮。

 感情の読み取れないそれだが、不意に突き出した腕が言葉以上に明白な敵意をこちらに伝えてくる。


「うおっ……!?」


 石畳が砕ける。土と石が霧のように辺りに立ち込める。


 ――動きが、鋭い!


 先ほどの連中の動きは緩慢だった。少なくとも、数体に囲まれようとも逃げ出せる程度には。

 だが、これにはそういった緩慢さが欠片も見受けられない。

 幻想――というよりも、これは異形だ。異法士の中でも生物を創造する事に特化した者が生み出す、特化した化け物。人の噂から産まれた妖怪などとは根本から違う生物。

 だが、辺りの鬼がこの化け物を排除しようとする気配がない。

 力量差から攻撃を躊躇っているのか、はたまた――これを同種族と認識しているのか。


「全く、油断が過ぎるぞ、若造!」


 老婆の怒号と共に、紙が鷹のように飛翔し金属鬼に飛びかかり、異法により強化された紙のクチバシで肌をついばむ。

 しかし、それだけだ。金属の肌は欠けもせず、逆に紙の鷹のくちばしは無残にも折れ曲がった。鬱陶しげに振るわれた腕によりそれらが破れ、白い桜吹雪となる。


「冗談じゃねぇくらいに硬ぇなオイ。昔の炭酸飲料のCMに出そうな外見の癖によ」


 砕けた物言いだというのに、声音は酷く乾いていた。

 これでも私たちはそれなりの修羅場を潜って来た。楽に倒せた奴も居れば、ひどく苦戦した相手もいる。

 それらと戦ってきた経験から、私は――そして雨宮もきっと同じ事を考えた。


 ――勝てない。


 強い、弱いなどといった事ではない。たとえ相手が異常なほど強かったとしても、どこかに勝機はあるものだ。

 だが、これは違う。こちらの攻撃が、一切通らないのだ。どんな事をしても有効打が出せないハンデを背負って武道の試合を行うようなものだ、このような状況で勝利を収めるのは不可能だ。


「試合だったのなら、引き分けがあるのだがな」

「いや――」


 駆け出した雨宮が私を奴の脚に叩き込む。鳴り響いた金属音の大きさとは裏腹に、刻まれるのは小さな溝だ。

 けれども、そんな小さな傷でも与えられるのは不快なのか、ぐるりと無機質な顔をこちらに向けてくる。


「お嬢ちゃんがそろそろ来るはずだ。使ってる刀の切れ味はお前も見たろ?」

「……ふむ」


 咆哮。纏わり付く羽虫を払うように、金属質の手のひらを私たちに向けて振るう。

 しかし、無数の紙鳥が鬼の掌に突っ込み、紙くずになりながらも強引に軌道を変える。ぶおん、と雨宮の背骨が削れるのではないかというスレスレの位置を通り抜ける掌。


「時間稼ぎできる相手か?」

「できるじゃなくて、するんだよ――手垢のついたセリフだが、切羽詰まったらやるしかねェもんな。ばあさん、隙見て援護プリーズ!」


 ダンッ、と地を蹴り飛ばし疾駆。柄から幻想の力が雨宮に流れ込んでいくのを感じる。対し、刀身の力は必要最小限。どうせ当ててもダメージは期待できないのだ。ならば、相手が嫌がる事を徹底的に行うだけだ。

 故に――加速、加速、加速! 羽音を鳴らし飛び回る蚊のように動きまわり、回避し、時折刺す。

 オオォン、という金属が震えるような叫びと共に巨腕が振るわれる。だが、先ほどよりも加速した雨宮の体を捉える事はできない。地面を蹴り跳躍し回避する。


「ッ……!」


 身体を打つ風圧とそこから連想できる威力に顔をしかめながらも、勢いに任せて私を振り下ろす。

 火花。同時に、全身を突き抜ける衝撃。

 たやすく弾かれた雨宮は、完全に勢いを殺され地面に落ちる。土と背がぶつかるドン、という音が響くよりも早く、鬼の足が持ち上げられた。


「やっ……べ!」


 慌てて転がる。勢い良く下ろされた足が、つい先ほどまで雨宮が居た地面に足型を刻む。重い一撃だ。回避したというのに、地面から伝わる衝撃に冷汗が出る錯覚を抱く。

 しかし、


「もうそろそろだろうな」

「ああ。ま、キバって行きますか」


 鬼たちと戦いだして、そろそろ十分程度だろうか。

 それを『とうとう』と評すべきか『ようやく』と評すべきかは分からないが、しかし確実に時は刻まれている。

 どちらにせよ、そろそろ春香嬢が訪れる頃だろう。

 彼女が来れば戦闘はだいぶ楽になる。春香嬢の刀がどれほどの名刀かは知らないが、しかしその切れ味は先日の戦いで確認している。


「もっとも、彼女で傷つけられなければ、私たちはどうしようもないがな」

「そこはアレ、友情パワーによって異法の威力をブーストするのさ。ああ、素晴らしきかな少年漫画的王道展開!」

「……いや、まあ。思い込みの強さで能力の上下はあると言うがな」


 くだらない話をしつつも、視線は鋼の巨体につなぎ止められている。ホラー映画のゾンビの如く緩慢な動きでこちらに向き直った奴は、数瞬ほどの間を置いて肉食獣と化した。

 その足音は地震、即ち天災。人間が抗う術を持たぬ破壊の権化を連想される。事実、この場にいる誰もがその破壊をまともに受ければ二本の足で立つことが出来なくなるだろう。

 拳が薙がれる。雨宮を狙ったソレは土を削り草を潰し石畳を粉塵に帰す。

 単純明快。腕を横に振るっただけのそれだが、しかし――腕が長すぎる。

 背後に跳んで避ける事など出来ず、しかし受け止めるなど論外。


「……ッ!」


 当然、回避するためには上下運動しかない。しかし、地面を削りながら迫るそれを屈んで回避するなど地面に潜らない限り不可能。ゆえに、上――跳躍する事でしか回避は出来ない。

 地面を蹴り飛ばし、跳躍。雨宮一人をひき肉にするには十分すぎる力が込められた腕は、地面に三日月を刻むに終わった。


 ――まずい。


 人間とは地に足をつけているからこそ自由に動き回れるのだ。今のように、慣性に任せて跳んでいる状態など、的以外の何物でもない。

 無機質な顔が、にい、と嫌な笑みに歪んだような気がした。

 振り抜いた腕とは別のそれが、轟、と突き出される。避けようがなく、けれど避けねばならない一撃が飛び込んでくる。


「注意力が足りないよ、若造」


 瞬間、必殺の拳の軌道が歪んだ。奴の腕が起こした真横を通過し、代わりに風圧が雨宮の体に直撃し、砕ける。

 冷や汗を流しながら着地した雨宮は、すぐさま鬼の腕を見る。

 幾重にも重ねられた紙で構成された縄。それが、鬼の腕を縛り上げていた。


「い、今のはマジヤバかったわ。もう少しアンタが若けりゃ、ここでボーイ・ミーツ・ガール的な物語が発展してたかもね!」


 心底からの安堵と共に軽口を吐き出した。

 ぎりぎり、ぎしぎし、軋む音。しかし、今までのように紙が破れる気配はない。

 見れば、紙を重ねて形成された縄以外に、老婆の武装はない。あの鬼を緊縛するためのみに、手元にある全ての紙を使っているのだろう。

 また、縄たちは複数の木々に巻きつき、鬼の剛力を分散している。木々が揺れ、根元から異音がするものの折れる気配も引っこ抜かれる気配もない。

 それを確認したのか、老婆もまた歳に似合わぬ軽い笑みを浮かべた。


「若造とてボーイという歳ではあるまい」

「男の子はいくつになっても少年の心を持ち続けているという伝説を知らないのかよ」

「知らんよ。それより、他に残ってるだろう。雑魚の掃除くらいは満足にして欲しいものだね」

「へいへい。しがないばあさんの引き立て役だった俺は、裏方作業に徹しますよーだ」


 唯一、この現状についていけない菅野嬢の表情だけが固かったが……驚異がないと知ると、僅かに表情を緩め、


「ォォオオォォ……ン」


 二人の軽口を引き裂くように、鋼の巨躯が猛り狂い、吠える。

 鋼と鋼をこすり合わせるような大音声。それと共に、ギリ、ビキ、と何か砕ける音。

 それが何であるのかを推測するよりも先に、起こった出来事が回答を示す。

 砕ける。何が? 

 それは腕だ。緊縛された丸太のようなそれが、氷の彫像が割れ砕けるように溶け落ちる。

 縄の圧力に耐え切れなくなった――という事はない。雨宮の剣戟や鳥のついばみでダメージらしいダメージのなかったのだ、この程度で壊れるのならとっくの昔に壊れているだろう。

 ならば。

 その崩壊は意図的だとすれば。

 縄から逃れるために、自ら行ったものだとすれば。


 ――つい先程まで緊縛されていた鬼は、次に何をする?

 

 即ち、優先順位である。


「……ふざけっ!」


 鬼が駆け出すのと、雨宮が疾走するのは同時。

 ああ、そうだ。雨宮はこの鉄鬼に傷をつける事はできない。放っておいても、いつでも殺せる雑魚だ。

 しかし、あの老婆は違う。傷こそつけられないものの、動きを封じ込める術を持っている。

 ならば、先に殺すのは老婆。それさえ殺せば、あとはどうにでもなる。


「させっか……よっ!」


 鉄鬼の前に飛び出した雨宮が、めったに、やたらに、私を振るいまくる。

 太刀筋など考えない粗雑の一撃だが、どうせ的中してもダメージはほぼゼロ。なら、力の限り叩き込む。

 鋼と鋼がぶつかり合う。火花が幾重にも散り、桜の散華を見ているようだ。

 だが、それだけである。傷はない。止まらない。意味はない。

 鉄鬼が顔のない顔で私たちを見やる。表情など理解できるはずもないというのに、そこには就寝前に羽虫にたかられるような苛立ちが見て取れた。

 そう、たったそれだけ。本気を出せば潰すことはたやすい。が、布団から這いずり本気になるのが非常に面倒だとでもいうように。

 つまり、奴にとって私と雨宮はその程度の存在だということ。

 鬼の脚が跳ね上がった。攻撃というより、足を前に踏み出すことの延長。当たっても当たらなくても構わない、そんなぞんざいな動作だ。


「ぐ――げっ」


 だが、攻撃に専念し過ぎた雨宮はそれを受けた。肋骨が砕ける嫌な音と共に、血混じりのカエルめいた声が響く。

 弾丸のように跳ばされた雨宮は、菅野家の外壁にぶつかる。ずるり、と壁に血色の跡を残しながら雨宮は地面にへたり込む。


 ……ああ、なんて無様だ。


 それは、決して雨宮に対しての感想ではない。

 他ならぬ、己自身のこと。


 ……変わらない。変わっていない。何も、何一つ。


 前も、こんな光景を見た。

 前も、こんな無力を味わった。

 だから次こそは、と思った。

 だというのに、結果はこの様だ。


 ――当然と言えば当然だろう。


 冷静な部分の私が、冷笑しながらそう言った。


 ――なにせ、私は不完全だから。


 鬼の行軍は止まらず、縄となった紙を武装に変換する時間もない。

 ああ――終わった。

 また、私は雨宮に失わせてしまった。

 そう思った、矢先のことだ。


「思ったよりも根性ないのね、宗平」

 

 澄んだ金属の音が鳴り響いた。

 それは抜刀の音。背後から一足で踏み込み、勢いに任せた振るわれた刃の音色。

 ひらり、と赤色の桜模様が舞い踊る。


「……遅いぞ、お嬢ちゃん」


 それが着物の裾をなびかせた春香嬢だと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 血を吐きながら笑う雨宮に、春香嬢はほんの少し驚いた表情をし――すぐに刃のように鋭く引き締めた。


「貴方が速すぎたの。そして弱すぎたのよ。あの程度を相手にしてまともな傷を与えられないなんて」

「うっせ。お嬢ちゃんの攻撃だって効いてるようには見えねぇぞ」

「それは早計過ぎ。ほら」


 乱入者である春香嬢を見つめていた鉄鬼は、不愉快そうに金属質の声を上げ、足を踏み出そうとし――


「オ――」


 ぶしゃあ、と。

 水銀めいた色の液体を背中から吹き出した。


「動かなければ痛みも何もなかったでしょうにね」


 淡々と、道理を知らぬ子供に教え諭すように言う時雨崎嬢であったが、しかし行った行為はそこらの異法士などには真似できぬ異技だ。

 名刀。

 切れ味が鋭い。

 そんな言葉を遥か彼方に置いた圧倒的な切断という現象だった。

 妖刀である私ですら、その切れ味に寒気すら覚える。

 故にそれは、もはや刀ではなく別の何かに違いない。工業で用いられるダイアモンドカッターか、水圧で轢断するウォーターカッターか。ともかく、人一人が出しうる『斬る』という現象を大きく逸脱しているのは確かだった。


「これが、わたしの――赤色桜花の由来。どんな相手であろうと、この刃が触れれば赤い桜を咲かせる」


 まあ、今は銀色桜花かしら? と春香嬢は笑う。

 その姿に構えどころか警戒すらない。刃はすでに鞘に収められ、非武装のまま彼女の体は鉄鬼の前に晒されている。

 それはつまり、先程と同様。

 布団の中で羽虫に襲われようと、全力を出して撃退しようとしないように。

 彼女もまた、あの鉄の鬼に全力を出す必要がないと。そう言っているのだ。


「頑強さでわたしに勝負するなんて、自殺行為もいいところよ。わたしの刃はね、悪魔みたいに強いゴスロリ女だって受け止めようとはしないんだから」


 ゆっくりと鬼たちの元へと歩む春香嬢は、未だ刀を鞘に収めたまま、抜く気配すら見せない。

 それを好機と見たか、鉄鬼の背後に群がっていた鬼たちが暴れ馬の荒々しさで突貫してくる。


「ば――おまっ」


 雨宮が焦りを滲ませた声で叫ぶ。

 当然だ。確かに彼女の刀の切れ味は二つ名を拝命するに相応しい。相応しいが、それは彼女の身体能力が高いというわけではない。

 私と雨宮の全力疾走にかなりの距離を離された彼女だ、身体能力強化に特化しているとは到底思えない。一対一ならばまだしも、この数では。


「邪魔よ」


 吐き捨てるように言って、抜刀。

 瞬間、刹那の間だけ現れた三日月と共に血色の桜が咲き乱れ、重力に従い散華した。


 ――一回の抜刀で、まとめて切り伏せた?


 剣圧か何かか? いや、違う。

 生まれでた銀色の月は、時雨崎嬢の刀の残像に他ならない。

 つまり、斬り伏せたのは剣圧や摩訶不思議な衝撃波ではなく、刀身。彼女の扱う刃に他ならない。


「桜の下には死体が埋まってるってのはセオリーよね。わたしの場合、ちょっと順序が逆だけれど」


 軽く言う彼女の刃は、既に鞘に収められ、その長さを推し量る事はできない。

 読めない。

 彼女の間合いが、彼女の必殺の距離が全く読み取れない。

 少女の体なのだ。間合いは狭いような気がするのだが、しかしどこまで逃げても間合いから脱せられないと本能が告げている。

 だから。

 鉄鬼が予想外の聡明さで距離を取り、木を引き抜いて投擲しようとしたのも無意味。どうあっても、彼女の間合いから脱することはできない。


「逃さない」


 凛とした声音で、彼女は抜刀し、中段に構える。

 間合いは十数メートルは離され、剣の間合いでは断じてない。

 けれども――なぜだろうか。

 この距離でも。いいや、この距離こそが彼女の必殺の間合いだと感じるのは。


「残念ね」


 ああ――理解した。

 彼女が接近戦特化などと、誰が言った。

 かつて彼女が腕を怪我した時、誰が危機だと言ったのだ。

 全てが全て、雨宮や私が勝手に思ったことであり、彼女は一度としてそんなことを言ってはいない。

 そう――それらは擬態であり偽装だ。

 古来から言うではないか。敵を騙すには、まず味方からだ――と。


「むしろわたし――その距離の方が得意なの」


 瞬間――刀が『伸び』た。

 喉元に喰らいつこうとする蛇のような不規則なジグザグを描きながら、夜の大気を引き裂きながら疾走する。

 そう、彼女が得意とする異法は物質強化ではない。


『刀の長さ形を自在に変化させ、切れ味を維持する物質創造』


 ――喰らいつく刃の蛇が、鉄鬼の肌を引き裂く。ぐにゃぐにゃと軟体のように動くというのに、あの切れ味を維持しているというのだからゾッとする。

 しかし、考えてみればあれは刀の理想型に他ならない。日本刀は曲がろうと刃こぼれしようと、軽く整備すれば切れ味を復活させる刀剣の最上位だ。

 そして、あれは『切れ味を維持する』ことに特化した技なのだろう。いついかなる時、どんな状態であろうと魔性の切れ味を誇る魔剣なのだ。

 蛇の動きにも似た刃は、鉄鬼の右胸に吸い込まれる。音は無い。溶けかけたバターにナイフを通すような手軽さで、あの分厚い鎧めいた外殻を貫く。

 貫通したそれは、すぐさまUターンし背中に突き刺さり、左胸から飛び出す。

 後は、それの繰り返しだ。

 貫通、貫通、貫通。思いの外に血が出ないのは、未だ全ての穴に刀身が収まっているからだろう。蓋が閉まっていれば、中身がこぼれる心配はない。

 そう、閉まっている限り。


「それじゃあ、さようなら」


 瞬間、刀身が消えた。

 物質創造の解除。体中を貫いていた刃が、血をせき止めていた蓋が消滅する。

 爆ぜた。

 正確には、爆ぜているように見えるだろうか。体中に穿たれた穴から一斉に血が吹き出す様は、さながら血の爆発だった。

 それを見つめる春香嬢の手には、柄のみとなった刀が一振り。しかし、すぐさま刃が顕現させ、構える。


「残った雑魚は片付けといてあげる。貴方たちは――事情説明でもしておいて」


 ――ああ、そうか。

 雨宮が振り向く。

 視線の先には老婆の後ろに隠れた菅野嬢が存在し、彼女は状況の変化に追いつけていないのか間の抜けた表情を浮かべていた。


「手刀で気絶させて後は知らんぷり、必殺『全部君の夢でした』テクとかどうだ?」


 王道中の王道だべ? と親指を立てる雨宮。


「ああ、良い手段だな雨宮よ……境内の倒壊っぷりを誤魔化せるならな」

「だよなー……ああ、もう」


ここから毎週火曜20時更新になります。

勘違いしないでよ、エタってなんかないんだからね! 

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