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神社と巫女/2


 巫女の家。

 そう言うと神秘的な、歴史の感じる建造物を連想するが、しかしそれは間違いだ。

 ここは元々神社が存在していた場所ではなく、移されただけだ。神社こそ古めかしいものの、居住区は非常に近代的である。

 インターフォンには玄関を確認できるカメラがあり、風呂は一般的なサイズではあるものの自動で湯を入れる機能があった。

 もっとも、後者に関しては私には一切関係ないな――と脱衣所に乱雑に放置されている現状に不満を抱きながら考える。


「雨宮さん、タオルここに置いておきますね」


 脱衣所に少女が入ってくる。境内で出会った巫女だが、当然今は巫女服などを着ていない。名を菅野法子かんのほうこというらしい。

 ショートパンツに重ね着したシャツというラフな格好の菅野嬢は、籠の中にタオルを放る。


「サンキュー。置いてくついでに法子ちゃんも一緒に入ってもいいのよ?」

「あはは、セクハラ以前にわたしに手ぇ出したら犯罪ですよ」


 ぐっ、と立てられる中指を扉越しに見て、雨宮は「ははっ」と手をひらひらとさせながら笑った。


「安心しろ、セクハラだって立派な犯罪だと俺は思う」

「どういう切り替えしですかっ」


 ふかーっ、と威嚇する猫のように言うと、肩を怒らせながら去っていく。

 それをからかうように笑うと、雨宮の声が途絶え、ぶくぶくと水泡が生まれては破裂する音が聞こえる。湯船に頭まで浸かっているのだろう。子供か、お前は。


「……それで、仕事はどうなっている? さすがに二日もサボると周りの目も協会の目も厳しくなるぞ」

「とりあえず仕事はやんよ。途中で合流して、明日の昼にでも屋敷に戻ろうかね」


 ざあ、と湯が風呂から雪崩れる。

 脱衣所に入った雨宮の肢体は、戦士というには細すぎ、一般人というには鍛えられていた。

 半端な位置で止まった体を、黒い衣服が包み、銀の鎖が縛る。私の入ったバッグを掴み、リビングへ。


「おや、もう上がったのかい」


 味噌の香りが漂う台所から、しわがれた声が聞こえた。まあな、と片手を上げて応える。


「男ってのは、そうそう長風呂しねぇもんさ。それじゃ、法子ちゃん行っておいで」


 テーブルの上で顎を載せながらニュースを気だるげに見る菅野嬢は、うんー、と返事なのか唸ったの良く分からない声を漏らしながら立ち上がった。


「それじゃ、行ってきますね。ちなみに、覗いたら全殺しの二乗の一撃を下半身に叩っ込むので」

「覗かんってばよ。ついでに、後で入ったとしても残り湯飲む趣味はねぇし」


 それが一番風呂の理由らしい。「俺は一体どんな目で見られてンだ……?」と真剣に落ち込む雨宮だが、変態かどうかは別として素行の良いタイプには見えないので致し方あるまい。

 そう言って笑う雨宮を警戒するように睨みながら、菅野嬢は腕を組む。


「どうかなー。おばあちゃん、男は狼だって言ってるもの」

「安心しろ、日本に狼はもういない。つまり俺が狼であるはずもなし!」

「全く弁護にならない自己弁護ありがとうございますっ」


 ピシャアン! と扉が閉められる。それをくつくつと笑っていた雨宮だったが、すぐに表情を引き締めて老婆の前に座る。


「元気なお嬢ちゃんだね」

「そりゃあもう。こんな耄碌の家よりも、母親の家に行けばいいだろうにねぇ」


 そう言って老婆は――姫凪東子ひめなぎとうこは微笑んだ。

 孫が可愛くて仕方が無いのだろう、その表情は幸せそうに緩んでいる。それに引っ張られるように、雨宮も笑う。そうだ、笑顔とは、本来そうあるべきものだ。


「んで、話はなんだ? 法子ちゃん紹介してくれるってんなら、気持ちは嬉しいけどパスだぜ? 俺、ロリコンじゃねぇもん」


 姫凪に手渡された茶を啜りつつ、おどけたように言う。

 その姿を見て、老婆の眼は鋭くなる。

 それは、刃というよりは槍、槍というよりは矢、矢というよりは針。

 無駄な部分を一切傷つけない、鋭くも優しい視線が、雨宮に突き刺さる。


「……? あれ、もしかして自分をプレゼントとか言いたいのですか? いや、気持ちは嬉しいけど、たぶん今は亡いであろう夫に申し訳なくて俺は……!」

「何に縛られておるんだ、お前さんみたいな若者が」


 雨宮の動きが止まる。

 それは見透かされた焦りのためか、それとも己の心に土足で踏み入られた故の怒りか。

 いや、恐らく両方。


「図星か」

「……それが、どうしたってんだ」

「何があったかは知らんが――お前を縛っている誰かは、今現在のお前を望んでいると思うか」


 数瞬の躊躇いもなかった。

 バッグの私を掴むと、一息で抜刀。老婆の首に刃を走らせる。流れるような動作であり、同時に必殺の意志を込めた一撃だった。


 ――そう、だった、だ。


 姫凪の着物の裾から、紙が飛び出す。

 A4程度のサイズのそれは、生き物のように蠢き、折れ曲がり形を変える。

 雨宮の一撃が数瞬ならば、それは一瞬。

 紙は盾と化し、私の刃を受け止めた。ちりちり、と刀身が痺れるような感触はただの紙では有り得ない。


「物質強化――か。だけどA4のコピー紙じゃ、威厳がねぇぞ」

「昔は格好をつけて護符を使っていたんだがねぇ。だが、こういうのは実用性だよ。どうせ強化すれば同じなら、安くて多量に手に入る方が楽さ」


 異法とはイメージの力である。

 その中でもっとも特異であり、もっとも運用が難しいとされるのが、この物質強化である。

 本来世界にある物体を、異法士のイメージによって上書きし、性質を変動させる。術者のイメージによって、鋼を粘土のように柔らかくすることも、ただの紙に刀を受け止めさせる頑丈さと柔軟さを与える事も出来るのだ。

 けれど強化に扱う物品が必要であるために、現象創造によって炎を生み出したり、身体能力強化で殴ったり、物質創造で武器を生み出す事に比べて使用する場面が限られてくる。


 雨宮は舌打ちをしながら私を鞘に収めた。


「威厳がねェから、んな月並みなセリフ言いやがったんじゃねェのか? 何が、望んでいると思うか、だ! 今時、漫画でだってンなセリフ使わねぇぞ」

「分かっておらんな」


 電気ポットを押す。お湯が吐き出され、湯呑の中の粉末が溶けインスタント緑茶が完成する。

 それを雨宮に手渡しながら、姫凪東子は射抜くような目でこちらを見据える。


「真理だからこそ、誰もが言うのさ。真理だから、使い古され陳腐化する。少し好意的に言えば王道になるのさ」


 冴えた空気の中、老婆は動じない。


「そして――己でも理解している。だからこそ、怒るのだろう?」

「知った風な口、聞くじゃねェか。何もしらねェ他人の癖によ」


 冴え冴えとした冷たい物言いは殺人鬼が振るうチェーンソーのよう。近づいた瞬間、骨ごとバラバラに引き裂かれてしまいそうな凶悪さだ。

 それを前にして動じないのは、年季の差か、実力の差だろうか。


「知らない口だよ。お前さんの心を理解していたら、お前さんの感情に引っ張られて何も言えなくなる。そこの妖刀のようにな」


 知らないから勝手を言える――確かに、とは思う。

 近しければ近しいほど、相手を想うほど、言えなくなる言葉というのも存在する。


「私は他人さ。お前さんの事を何一つ知らん、ただの老婆だよ。けれど、よく覚えておきな」


 瞳が、爛と輝く。

 針より太く、矢よりも大きく、槍よりも鋭い、全てを断つ太刀のような鮮烈さのそれで雨宮を見据えながら――老婆は言う。


「何かに縛られて動けなくなった時。その鎖を引き千切れるのもまた、他人なんだよ。気遣っても、慰めても、根本的には解決しない。本人を動かす何かがない限り、それは麻酔で誤魔化しながら傷口を開くようなものだ」

「……」


 雨宮は、答えない。

 怒りも、しない。

 俯き黙り込むその姿は、久しく見ていない。


 ――私は、接し方を間違えていたのだろうか?


 常に隣に居る私こそが、こうやって強引にでも変化を促すべきだったのではないだろうか?


「……机上の空論じゃねぇか」


 しかし、たとえそうだったとしても、胸に残る罪悪感がその言葉を縛り、発音させないだろう。

 ああ、そうか。

 ここに至って、私はようやく気づいた。

 逃げ続ける雨宮を気遣っていると思い込んでいたが、私も結局は逃げ続けてるだけなのだ――と。

 私も、雨宮も、ずっとあの日に縛られ続けているのだと。


「おばーちゃん、上がっ――どうしたの二人とも、そんな真剣な顔して」


 がらり、とドアが開く。

 パジャマなどではなく、色気もへったくれもないジャージを着た菅野嬢は二人の様子を訝しそうに見ていた。


「ん、いや、なんでもないさ。私も入らせてもらうよ――お前さん、覗くんじゃないよ?」

「うっせ。アンタの風呂覗くぐらいなら法子ちゃんの風呂覗くわい」

「ちょ……、いきなり何を言い出すんですか雨宮さんっ」


 明らかな冗談だというのにムキになって言い返すのは、やはり若さ故だろうか。

 顔を赤くしてガーガーと獣のように叫ぶ菅野嬢を、雨宮はいい笑顔で応対する。


「大丈夫。絶対評価じゃなく相対評価での結論だから、俺の心はそこまで法子ちゃんの裸体を求めていません」

「その言い草もその言い草でなんかムカつくんですけど……っ」


 肩を震わせる少女を見ようともせず、不遜な態度でお茶を啜る。こいつは、ここが他人の家だという事を忘れているのではないだろうか。

 老婆は二人の様子を呆れた風に見つめながら、小さく息を吐いて風呂場に向かった。

 それを確認した後、窓の外を眺める。外は徐々に黒ずみ、闇に落ちようとしていた。あと数時間、村の者たちが寝静まる頃には外に出なければならない。


「……ありがとうございます」


 不意の言葉に、私の意識は菅野嬢の元に集中する。

 風呂上りのジャージ娘は、ちょうど雨宮の正面になるようにテーブルに座り、茶を淹れようとしていた。


「ばあさんよりも、法子ちゃんの裸の方が見たいって事について? 積極的に覗くつもりはないけど、見せてくれるんならいくらでも見るぞ」

「そうじゃなくってですねぇ!」


 だむ! だむ! と机が殴打され、空っぽになった雨宮の湯のみが転倒する。

 子供だねぇ、と笑う雨宮だが、彼女も絶対にお前には言われたくはないだろう。

 ふう、と呼吸を落ち着け、茶を一啜りした菅野嬢は、少しだけ寂しそうな表情で笑った。


「おばあちゃん、あんまり喋る人とかいませんから。わたしが小さい頃には色んな人に頼りにされてたのを覚えてるんですけど――今は、ずっと一人みたいで」


 あのデパートが建つ前――神社が正常に機能していた頃の話か。

 継ぐ者が居ないとはいえ、それでもこの辺りでは異法における名家だったのだ。先程見た実力も上位クラスなのだから、むしろその方が自然だろう。

 しかし、移転に伴い神社が幻想に対する力を失い、ただの古い建造物と化してしまった。名家として利用する価値がなくなってしまったのだ。協会は姫凪という老婆に関心を無くしたのだろう。

 利用価値がなくなれば捨てる――それは、一般人の世界でも、異法の世界でも変わりはしない。


「雨宮さんと話てる時も楽しそう……とは、違うのかな? けど、生き生きとしてました」

「そら生き生きとすんだろうさ。老人ってのは、いつだって若い奴に説教タレたがる」


 皮肉めいた言葉を言うのは、先程の会話が原因だろうか。全く、やはりこいつは子供だ。

 しかし、それを意にも介さず、少女は笑う。強がる子供を見てつい笑ってしまったような、そんな笑み。


「そっか。やっぱ雨宮さんはいい人なんだ」

「ちょいと待ちたまえ法子ガールちゃん様。今の言葉からどうやってそういう結論を導き出したのか、お兄さんちょいと分からない!」


 勢い良く立ち上がり大仰な動作で平手で空を薙ぐ。俗に言うツッコミ、言葉を添えるならナンデヤネン。

 ……全く、これではどちらが年上か分からない。

 ここに菅野嬢が居なければ、「落ち着け馬鹿者」と言っていただろう。


「生き方を迷う人間は良い人間――おばあちゃんが良く言ってたから」


 菅野嬢は子を抱く母のように微笑んだ。途端、雨宮は黙り込んでしまう。


「はっ……まさか。俺が良い人間なら、よっぽどの極悪人じゃねぇと悪い人間にカテゴリされねえぞ」


 力無い笑顔で言い、胸に支えた感情を押し流すように茶を呷る。


「悪い人は、良い人間だと言われたら否定はしないと思いますよ。そっちの方が色々と都合がいいですし」


 中々に正論だ。私は小さく笑いながら、「おい」と小さな声で雨宮を呼ぶ。

 もう遅い。そろそろ、出かけた方が良さそうだ。


「……んじゃ、俺はちっと出かけてくるよ」

「こんな時間にですか?」

「おうとも。大人の男は夜に密会するもんだ」

「……ねえ」


 適当な事を言いながら背を向ける雨宮に、ふと、菅野嬢が呼び止めた。

 振り向くと、心配そうな顔でこちらを見つめる少女は、言うべきか言わぬべきか迷うように口をぱくぱくと動かす。

 しかし、意を決したように一度だけ瞳を閉じ――ゆっくりと開き、意志の強い目をこちらに向けた。


「前に進むために迷うのはいいけど、迷うために迷うような生き方はしちゃ駄目ですよ」

「そいつは、一体どういう意味だ?」

「よく分かりません。けど、おばあちゃんが時々わたしに言ってくれる言葉で――雨宮さんを見てると、言わないといけない、って思って」


 ごめんなさい、ワケが分かりませんよね、と笑う菅野嬢に雨宮は「いや」と首を横に振った。


「よく分からんけども、ためにはなった気がする。ありがとな」


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