神社と巫女/1
外に出た雨宮は、畦道を歩く。
人気はない。ただ、風の音だけが響いていた。どうやら、思った以上に移動したらしい。
「かっこわりぃな」
自嘲する雨宮は淡々と歩き続けている。
「お嬢ちゃんが言ってる事は、正しいさ。先公が生徒に向かって言う正論、そして俺はそれに反発するガキだ。なあ、相棒。やっぱ、あれ見られたのか?」
「……ああ」
「そっか。なら仕方ねぇ、ああいうのを見て救いの手を差し伸べたくなるのも、人のサガだろうぜ」
ははっ、と軽薄な笑いを漏らし、舗装された道へ。
両端を田んぼと山に挟まれたこの場所は、とても静かだ。
無音とも違う穏やかな音色が響き、時に人を穏やかに、時に人を感傷深くさせる。
「――余計、つったら、また怒られるかね?」
「だろうな。だが、お前がそう感じるなら、お前の中ではそれが真実なのだろうさ」
「ひっでえ言い草だねぇ。まるで、世間一般じゃあ俺が全面的に間違ってますって言ってるみてぇだ」
「無論だ。私も、そして自分自身ですらそう思っているだろう」
「まぁ……な」
はあ、と小さく溜息を吐いて空を眺める雨宮を、私は黙って見つめる。
――儚い、な。
幻影のように、亡霊のように、人形のように。
そこにあるようでいて、けれど既に亡い。
「あら、宗平ちゃんじゃない?」
ぼんやりとしていた雨宮の背が、とん、と叩かれる。
「あ? ……ああ、おねーさんか」
その姿は、商店街で出会った主婦の一人である。
あらあら、まあまあ、と偶然の出会いに楽しげに笑う。雨宮も機械的に笑みを返した。
「宗平ちゃんも神社に行くの? 有名じゃないから村人しか行かないんだけど、あの神社もメジャーになったものねぇ」
「神社? ……ああ、移転したっていうあの?」
鬼を封じる神社が壊され、鬼が湧き出た――そのような噂が流れ、鬼が生じた。この地の異変の流れは大体このような感じだろう。
だが、解せない。
代々と封じてきた神社は移転したものの存在しているというのに、なぜ時雨崎も春香嬢も重要視していないのだろう。
「聞いてたら気になってきたな。おねーさん、案内頼めない?」
どうやら雨宮も同じ考えだったらしく、主婦と交渉を始めていた。
「ええ、いいわよ。でも、こんな風に若い子と一緒にいると、夫になにか言われちゃいそう」
「おねーさん美人だもんねぇ、盗られないか心配する夫の気持ちも分かるぜ」
「あら、取ってもいいのよ」
「はっはっはっ、おねーさんの夫に申し訳ないんでやめときますわ」
快く承諾した主婦と談笑しながら、歩道を歩く。
しばし歩くと、山に明らかな人工物――石段が見えた。山を両断するように伸びるそれは真新しく、ここ最近に作られたのが分かる。
こっちよ、と主婦に導かれて登る。
時々擦れ違う村人に会釈しながら上へ上へと行き、鳥居を潜り境内に出た。
『姫凪神社』と呼ばれるそこに入ると、雨宮は辺りを見渡す。
……なるほどな。
建物ごと直接移動したのだろうか、周りの真新しさから隔絶されたような古めかしい神社だった。その左奥には神社関係者の住居が見える。こちらは極々最近の一般的な二階建て住宅だ。
「御参りはこちらでーす! おみくじなんかもやってますよー!」
十代前半くらいの巫女が元気に叫んでいる。こんな辺鄙なところでバイトなど雇えないだろうし、神社の娘なのだろうか。
彼女を囲むように主婦や老人が居り、その少女の頭を撫でたり、賽銭箱に硬貨を投げ込んだりしている。
中々に繁盛しているようだが、同時に時雨崎の家で話題にならなかった理由も得心がいった。
「……華美なだけの箱だな、こりゃ」
雨宮の言葉に、私は「ああ」と小さく肯定した。
確かに、石段や鳥居、神社の住民の居住施設など、多くが新しい。その中で神社だけ古めかしいのは、一見すれば逆に神秘性を高めているようにも見える。
だが、それは見えるだけだ。
積み重ねた想い――そういったモノが見えてこない。
古くから存在する神社や寺、教会などといった場所。そこは神に祈り、そして願う人間が多く訪れる為に幻想の力がたまりやすい。妖怪変化のような存在が顕現することは稀だが、多くの場合訪れた者に『神秘的な雰囲気』を感じさせる程度の力を有している。
だが、移転の際に本来あったであろう幻想の力が霧散しているように思えた。
これから何十、何百と時を刻めばかつての力の片鱗程度は取り戻せるかもしれないが、それでは遅すぎる。
「すんませーん、君、ちょっといい?」
雨宮が巫女に声をかける。はーい、と笑顔を振り撒きこちらに来た巫女の少女は、少しだけ警戒するように両手を胸の辺りで握り締めた。
中学生くらいだろうか、まだ背丈も小さく胸元も貧相である。やや茶色がかった黒髪は肩まで届いており、眉は弄っていないのか年頃の娘にしては若干太めだ。
やぼったいと清楚の中間辺りの雰囲気を出す少女は、小さく唸りながらじりじりと後退している。
まあ、いきなり見知らぬ男、それもあまり真面目には見えないであろう雨宮に声をかけられたのだから、それはそれで正しい対応な気もする。本人は若干傷付いたようだが、そんなモノは知らん。
「いやさ、お父さんでもお母さんでもいいから、この神社に詳しい人に会いてェんだ」
大学の卒業論文さ、と大真面目に大嘘をつくと、少女はそれを信じたのか「あっ、えっと……ごめんなさい」と小さく頭を下げた。
「この神社の事ならおばあちゃんが良く知ってると思いますよ。わたしもお父さんやお母さんも、よく知らないんです」
「知らない?」
「ええ、両親は神社を継いでないんです。こういう古めかしいのは好きじゃないみたいで」
家の縁側に居ますよ、という少女に感謝の意を伝えるべく賽銭箱に硬貨を投げ込む。小さくガッツポーズしているところを見ると、けっこう守銭奴なのかもしれない。
少女に促された方向に向かうと、人気が一気に失せた。ここからは民家だ、参拝客が訪れる道理もあるまい。
布団などが干された生活臭漂う庭に部外者の足跡を刻みながら、縁側がある場所へ向かう。
「ども。ちょっと、いいか?」
そこに、老婆が一人腰掛けていた。
白髪頭に年季の入ったシワだらけの顔、しかし醜くは見えず、上品に歳を取ったのが分かる。
身に纏うのは落ち着いた色彩の着物だ。華美でこそないものの美しいそれの袖から伸びる掌は、湯呑をしっかりと握り締めていた。
「どうした? ここには何もおもしろいもんはないぞ」
私たちに気づいた老婆は、年齢に違わぬしわがれた、けれどもしっかりとした声で問うた。
「確かに、おもしろいモンはねぇけどね。けど、俺は貴女に会いたかったのさ」
「茶に誘うには、少しばかり歳を食いすぎてると思うがね」
「緑茶なら、むしろアンタのがいいと思うぜ」
けらけらと笑いながら、返事を待たずに隣に座る。ふっ、と老婆が小さく笑った。
「おかしな奴だ。それで、何用だ?」
「これ見て、なんか思う事あるかい?」
そう言って雨宮は、バッグから私を引き抜いた。
老婆は目を見張り、「なるほど」と瞳を糸のように細くする。
「珍しい、協会関係か」
「そっ。つっても、この辺りの支部じゃあないけどな」
「分かっておる。ここにはお前さんのような若者はおらんし、おったとしてもこんな場所には来ないだろうよ」
枯れかけた白い百合のように細く、そして脆そうな指で電気ポットを押す。湯呑に入れられていたインスタント茶葉にお湯がぶち当たり、文字通り即席の茶が生まれる。
飲め、と手渡されたそれを雨宮は会釈しながら飲む。
それを見ているのかいないのか、老婆は静かに語りだす。
「もはや、この神社に意味はない。お主もそちら側の人間なら分かるだろう?」
「ま、な。おかしいと思ったぜ。鬼を封じてきた巫女の神社がまだ存在すんのに、全く連絡がねぇなんて」
茶を啜る音。茶の匂いは香って来ないのがまたインスタントらしい。
「移転した事だけが問題ではない。元々、この神社は鬼縁村の協会支部からは軽く見られている」
「あんなに有名なのにか?」
その通りだ。
鬼に縁がある村で、その鬼を封じた巫女の神社――それだけで重宝されると思うのだが。
しかし、老婆は首を横に振る。そして皮肉に、そしてどこか寂しげに微笑んだ。
「私の娘が跡を継いでおれば、今でも重宝されてたろうて」
時代の流れだよ、と老婆は昔懐かしむように語りだした。
――話は至極簡単なモノだ。
こんな辺鄙な場所で暮らすのも、ずっとオカルト漬けの生活も嫌だ、と飛び出してしまったのだ。
強引に連れ帰る事は出来なかった。未成年ならまだしも、自立した成人女性を引き止める事など出来ない。古い時代ならばまだしも、職業選択の自由が保証された現代日本で無理に家を継がせる事などできようはずもない。
継ぐ者が居なくなった神社は寂れ、今回の移転話で完全に協会の立ち居地を失った。
「今、境内にいる孫娘は、私一人で暮しているのは可愛そうだからと来てくれただけだよ。協会に関しては何も知らん」
「異法について、教えないのか? 血は繋がってんだ、巫女になる素質はあんだろ?」
名家と呼ばれる家の生まれの異法士は、他者よりも優れている場合が多い。
代々と異法を扱い続けた事により、世界が「この血統のモノは異法という能力を使える」と認識し、他者よりも遥かに異法の力を上手く操れるようになるのだ。
例えるなら、それは折れ癖のついた色紙。紙飛行機の作り方を知らない人間でも、刻み込まれた線に従い追っていけば紙飛行機を完成させる事ができる。
だがしかし、老婆は「駄目だ」と頭を振る。
「こんな傾き出した業界に、招き入れようとは思わないよ」
「……ちっとビックリだ。アンタくらいの歳なら、声高に異法の有用性を叫ぶと思ってたけど」
「火が欲しければライターがある、湯が欲しければ電機ポッドがある、空を飛びたければ飛行機に乗ればいいし、何かを破壊したかったら近代兵器を使うべきだろう。異法の役割なんて時たま出る化物を狩るくらいだが、それだって異法の力で無くてはならないワケでもない。こんな力の、どこに有用性がある?」
もっとも、そう思うようになったのはあの子が飛び出した後だったけどね――と老婆は自嘲の笑みを漏らした。
それは、多くの異法士が感じ、けれど口にしない言葉である。
もはやオカルトは科学に勝つ事は出来ない。偽薬効果などの研究が進めば、異法という能力の発動プロセスまで丸裸にされるのではないだろうか?
けれど、上層部はもちろん、末端の者ですらそんな事は言わない。異法や異能といった能力――『自身は特別なのだ』と思える力は、人の心を鷲掴みにするのだ。
「しかし、私も意外だったよ。場合によっては怒り狂って斬りかかってくるんじゃないかと思っていたが」
「別に協会に忠誠誓ってるわけでも、こういうオカルトチックな能力を万能と思ってるワケでもねェかんな」
そう言って茶を呷り、おかわりだと湯呑を手渡す。老婆は苦笑しながらそれに応じた。
湯気が立ち上る湯呑を受け取りながら、雨宮は達観したように呟く。
「人間はいつだって無力ってわけだ。使うモノがオカルト能力だろうと科学技術だろうと変わんねェ。一人の夢や努力や決意なんてモンはいつだって裏切る」
「かかっ、若造が知った風な口を聞く」
「でも、事実だろ?」
「お前さんがそう思ってる間はな」
あ? と。
どういう意味だと聞き返そうと口を開いた雨宮よりも早く、老婆は「かかっ」と笑いながら立ち上がった。
「お前さんにちょっと興味が湧いた。どうだ、今日は泊まっていかんか?」
「いや、宿はある――……けど。まあ、女性にアプローチされてんだ、それを断るのは男じゃねェよな。ちっと電話借りていいか?」
やはり、顔を合わせ辛いか。内面の感情を誤魔化すように軽薄な笑みを浮かべる雨宮に、老婆は「構わんよ」と短く答えた。
「あっちの廊下を真っ直ぐ歩け」
んじゃ、お言葉に甘えて――と、靴を脱ぎ縁側から老婆の家に上がる。
私は一荷物として、ここに放置されていた。老婆の瞳が、雨宮から私に向けられる。
「難儀な者に使われておるの、妖刀」
一目見ただけで私に意志が宿っている事を見抜く……か。
ただの老婆ではない。無論、こちらの世界に居る時点で普通の人間であるはずもないのだが。
しかし、それを踏まえてもそこらの凡才とは比べ物にならないだろう。異法士の上位に位置する春香嬢が私を初見で見破れなかったのが、その証明だ。
「……まあ、な」
小さく皮肉気に言った。
そう――本当に難儀だ。
魂喰らいの妖刀が一人の使い手と馴れ合い続けるのも、
「だが、満更ではなさそうだな」
「……伊達に歳は取ってないな」
その使い手を――気に入ってしまった事実も。