変転/1
昼飯を掻き込むように食らう。
その姿は、知り合いである私から見てもだいぶ下品だ。それを見る使用人も、若干呆れを含んだ笑みを浮かべている。
しかし時雨崎はむしろそっちの方が好ましいとばかりに快闊に笑った。
「全く、君は本当に物怖じしないな。ここに若いのを連れ込むと、大抵萎縮してしまうのだが」
こいつは少しばかり萎縮しておいた方がまともな作法をしそうだとは思うがな。
「美味いメシを前に萎縮する暇なンてナッシングさ。しかしラインナップはちょいとばかり予想外だったけどよ」
そうなのである。
食卓に並ぶのはカリカリに焼けたパンであり、暖かなシチューであり、ドレッシングのかかったサラダだ。
この屋敷に似つかわしくない程に洋風であり、私も最初は面を喰らったものだ。
「はっはっはっ! そいつは重畳! そうやって若い奴が『え? あれ?』と驚くのを見るのが最近の楽しみでな」
「趣味悪いぞ、おっさん」
「いや、全く。はっはっは!」
悪戯小僧のように笑う時雨崎はパンを口に放り込む。さく、という音が聞こえてきそうだ。
「まあ、本当のところは娘が洋食の方が好きでな。パン食が出ると目に見えて嬉しそうにするんだ。いやぁ、かわいいな、さすが我が娘かわいい」
力説する時雨崎に、思わず「親馬鹿め」と言ってやりたい衝動に駆られたが、さすがに私は大人なのでそれを飲み込んだ。
「相棒よ、お前無機物の癖して考えてること駄々漏れだぞ。ちなみに、大人はそんなガキっぽいこと、そもそも考えないと俺は思うね」
言葉の太刀が私の心を両断した気がした。畜生め、地味に大人ぶってこの男は……!
「しかし、雨宮よ。お前も中々の兵だな。正直、娘の戦いぶりを見て逃げ出すのではないかと思っていたのだがな」
「そらそうだ。協会連中が異法士でもない俺を送り込むんだ、そこそこ強くねェとおかしいぜ」
雨宮の言うとおり、協会の連中は基本的に異法士に重きを置く。
いや、異法士以外を差別していると言い換えてもいい。
上層部の老人どもが古き異法士であるというのもあるが、異能者というのは多かれ少なかれ内面に問題を抱えている場合が多いのだ。
心の歪みや願望を叶えたいという想いが一定に達した時、稀に特殊な力を開花させる。それが異能である。
誰かを斬り殺したという願いがあれば、刃を生み出す異能に目覚めるだろう。
誰にも見られたくないと願うのであれば、己の姿を消す異能に目覚めるだろう。
だが、彼らは総じて扱い辛い。
異能とは歪みが発露したものであり、超常の力を借りてでも叶えたいという強い願望を成就させる手段であり、異常者の烙印である。
歪みにしろ願望にしろ、一般人が抱く程度のそれらでは異能になど目覚めはしない。無論、目覚めやすい体質、というのはあるが――それもここ日本で暮らす限り誤差の範囲だ。
他者に殺意を抱いて異能に目覚めるのなら、殺人事件で用いられるべきは刃物ではなく異能だ。
目標を達成したいという願いで異能に目覚めるのなら、センター試験会場や競技場などは異能者の宝庫になる。
そういった普通の範疇からズレる、もしくは限界を突破した者が異能者と成り得るのだ。
……もっとも、生まれつき何かしらの異能を持っているというケースもあるが、それは血筋によって受け継いでいるモノかレア中のレアケースだ。今回語る事ではあるまい。
さて。
語ったように異能者は歪みにしろ願望にしろ、ただただ一つだけを願い能力とした者たちだ。
故に強く、故に脆い。
能力それ自体は強くとも、多種多様の能力を行使出来る異法と比べ対策が取られやすい。
また、精神的に問題を抱えている者も多く、精神攻撃に弱い者が大多数だ。
そんな中、雨宮の『己の身体を強化して、妖刀で叩き斬る』という戦闘スタイルは単純ではあるが単純故に対策の取り辛いモノだ。
異能者らしく精神に問題を抱えているという点は――確かにある。
だが、それでもこの男の利便性は協会にとって高いらしく、日本中を飛び回る事になっているのだ。
「朝食の時にな、娘が君の事を話したんだ。やぁ驚いたさ。協会関係で認めた奴は、君が初めてだ。他にも共闘を申し出た異法士、異能者は居たんだが――まあ、あの性格だろう?」
「プライド高そうだしなァ。相手にも厳しいが自分にも厳しいタイプだわに」
「いや全く。まあ、気持ちも分からなくはないんだがね」
少しだけ寂しそうに言った時雨崎は、ゆるりと立ち上がった。
「おお、そうだ」
自室に戻ろうとした彼は、ふと足を止めた。
くるりと振り向き、拳を掲げる。
「どうだ、一度くらいやり合ってみないか」
逞しい筋肉を見せ付けるようにしながら言う。
雨宮は「ははっ」と乾いた笑いで答えた。
「それは普通に? それともこいつを使って?」
「無論、後者だ」
私を指差す雨宮に、時雨崎は大きく頷く。
どうする? と雨宮がこちらを覗きこんでくる。
「答えるまでもない」
道具とは、使われて始めて真価を発揮するものだ。
◇
普段着の下に時雨崎が手渡したプロテクターを装着する。
「んー……腕に防具が引っかかるみてェな事はなさそォだな」
普段と違う感覚に違和感を抱くのか、私をニ、三度素振る。しかし何度か繰り返すと体に馴染んだのか、「おっけ」と小さく頷いた。
「そちらの準備はいいか?」
時雨崎が普段と変わらぬ口調で言う。
剣道着に近代的なプロテクターを着けた姿はややミスマッチだが、しかし分厚い筋肉がそれらを含め一つの兵器だと私に訴えかける。
時雨崎の武器は二刀であった。右手に標準的なサイズの刀を、左手に脇差程度の刀を握っている。
あの筋肉で異法のアシストがあるのだから、昨夜戦った化物顔負けの長大な武器が来るのではないかと若干不安を抱いていたのだが……どうやら杞憂のようだ。
「おう。まあ、お手柔らかにおねげーします」
「ああ、そちらもな――と、言いたいが」
太刀を正眼に、脇差は頭部を守るように掲げる。
構えた時雨崎は、圧力すら感じる視線をこちらに向け、言った。
「全力で来てくれ――迷いを断ち切るように、な」
迷い?
疑問に思ったが、しかし聞けるような雰囲気ではなかった。
ぞくり、とする鋭い気配。間合いは開いているというのに、雨宮の喉元に剣を突きつけられているような圧迫感が全身を貫いていく。
雨宮は一瞬だけ飲まれたようだったが、しかしすぐさま私を上段に構える。理由は皆目検討がつかないが、この試合は時雨崎蓮児にとって必要なことなのだろう。
――なら、手加減など無粋。
雨宮も同じことを考えたのか、表情から軽薄な笑みは消失している。剣を握る掌に、力が込められた。
「怪我、してもしんねぇぞ?」
「そちらこそ!」
時雨崎が動いた。
音は無い。すり足だ。
両足を地面に接した状態で、それでも素早く動くのはさすがと言うべきか。
「おらっ!」
雨宮が吼え、私を振り降ろす。
しかし、時雨崎は僅かに体を滑らせそれを回避する。無駄な動きのない、綺麗な回避運動だった。
すり足の利点はこれだ。いつでも相手に対応し、自在に回避できる。
速く動きたいなら、普通に駆けた方が速いに決まっている。しかし、走れば片足が浮いてしまう。
ジャンプした時に拳を振るわれるのと、立っている状態で拳を振るわれるのと、どちらが回避しやすいか考えれば自明だろう。
「シャ!」
大振りの攻撃を回避されよろめいた雨宮の隙を突き、時雨崎の剣が振るわれる。
無駄の力の入らない綺麗な動きで放たれた斬撃は、軽い音に反比例するような速度でこちらに飛び込んでくる。
「っと!」
ダンッ! と床を蹴り転がるようにそれを回避する。時雨崎に比べれば無様とも言える動きだが、速い。一気に間合いから転がり出る。
時雨崎はそれを追わない。綺麗な構えを維持したまま、ジリジリとこちらに寄ってくる。
どくん、と私の刀身が震えたような気がした。
その感情は歓喜である。このような素晴らしい剣客と戦えるのだ、今喜ばずして刀はいつ喜べというのだ。
「――強ぇ、けど」
震える私の心とは裏腹に、雨宮が訝しむように呟いた。
「どうした?」
「いや、お嬢ちゃんの親父さんだからな。たぶん気のせいだ」
奇妙な事を言うと、完全には立ち上がらずクラウチングスタートの要領で駆け出した。
幻想の力を脚に流し込み一気に疾風と化した雨宮は、勢い良く私を薙いだ。
しかし白刃に阻まれる。金属音と共に伝わる突き抜けるような衝撃が抜けるよりも速く、雨宮は私を振り上げ、時雨崎の頭部に向けて振るった。
けれども、それすらも脇差で防がれる。なんとも綺麗な防御だ。特別速いわけでもなく、けれども的確に私を受け止めてくる。
「やっぱりだ」
確信を得た、とばかりに言うと雨宮は一気に後ろへ跳んだ。
「雨宮、どうした? 一体なにが分かった?」
「俺はお前が分かんねぇのが不思――ああ、そうか。お前は刀だもんな。技術に目を奪われちまうワケか」
「何を――」
要領を得ない言葉に私は苛立った。
けれど、追求の言葉を口にするよりも速く雨宮は加速した。
幻想の力を腕、脚に重点的に注ぎこみ、私を振り上げる。
間合いに踏み込んでから、一気に叩くつもりか?
しかし、それでは駄目だ。それでは無理だ。剣士としての実力は、確実にあちらの方が上なのだ。そんな特攻めいた攻撃が通じるとは思えない。簡単に受け止められるのがオチだ。
「オオオォ!」
咆哮と共に最上段から頭蓋へ。しかしそれは脇差で受け止められる。
瞬間、ぐらり、と時雨崎の体が崩れた。
――なんだ?
すかさず追撃。薙ぎ、突き、斬り。間を置かぬ怒涛のラッシュを叩き込む。
けれど、それらは全て力に任せた乱打に過ぎない。チンピラが鉄パイプを振るう事に比べれば整っているだろうが、剣士を名乗るにはどの一撃も落第点だ。
故に全て受け、回避される。けれども、受ければ受けるほど、避ければ避けるほど、彼の体は崩れていく。
――おかしい。
違和感があった。綺麗に受け止めているのに、そんな筋肉があるのに、なぜ彼はここまで防戦一方になる?
「終いだ!」
咆哮と共に逆袈裟に私を振るい、時雨崎の太刀を跳ね飛ばした。宙を舞った太刀が、しばしの間空転し落下、そのまま道場の床に突き立つ。
「く……っ!」
――どさり、と。己の太刀の後を追うように、時雨崎が床に倒れ伏した。
息が荒い、酷使した腕が痙攣を起こしているのか、びくんびくんと震えている。
「……やっぱ、か」
「そうだ。自分には娘ほどの才がない」
苦笑するように、自嘲するように笑う時雨崎に、私はようやく違和感の理由に思い至った。
全ての動きが綺麗で、洗練されている。しかし、そこには異法の力が欠片も存在していない。身体能力強化はある程度使っていたかもしれないが、それも私のサポートを下回る程度だ。
剣客としては一流でも、異法士としては三流だったのだ。
「自分は時雨崎の家で最も無能な男なんだよ。せいぜい、そこらの一般異法士が丁度良いくらいだ」
ゆらり、と立ち上がる。脚に力が入っておらず、今にも倒れそうだ。
「娘と一緒に戦えないのは、これが理由さ。才もなく、若さもない男が……どれだけ願っても、何も出来ないよ」
それは悲痛でありながら、同時に諦めを含んだ声音だった。
当然ではある。
時雨崎が十代、二十代であれば擁護は出来たかもしれない。しかし白髪が混じる歳まで一つの道に生きて開花しないのなら、それは才能の不足を意味する。
「しかし、娘が僅かながらでも実力を認めた男――それを倒せればもしや、と思ったのだがな。どうやら、砂糖菓子よりも甘い幻想だったみたいだな」
もしかしたら、自分も娘と共に戦えるのではないか――そんな夢想を抱いたのだ。
そう言って、快活に笑った。全てを笑い飛ばそうとするように、悲しみや苛立ち、己の無力さすらも笑い飛ばしてやろうと彼は必死に笑っていた。
「……」
雨宮は、何も言わない。
下手な慰めなど無意味だとは理解しつつも、では他にどんな言葉を与えるべきなのか想像出来ない。
ひとしきり笑った時雨崎は雨宮の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「君はこんな男にならぬよう、自分の選んだ道を一度見直す事も覚えた方がいい。君はまだ若いから、誤ったとしてもまた別の道を走れるだろう」
「そいつは――」
背を向ける時雨崎に雨宮は問いかける。
「おっさんの経験則か?」
ふふっ、と。疲れを感じさせる笑みが時雨崎から漏れた。
「ああ。脇目もふらず走り続け、結果がこれさ。駆け抜けた日々に嘘は無いと思うが、歳を食うともっと別の道があったのでは――とな」
情けない話だ、と。
掠れた笑いと共にそう言うと、時雨崎は道場から去っていった。
……夢破れた男の背中。それは酷くもの哀しい。
だが、なぜだろう。
あれだけ己に対して失望しているのが見て取れるというのに――夢を諦めているようには見えなかった。