第九章 秘術
監獄で魔女と話すアシルだったが・・・。
9 秘術
その五日後、監獄を訪れたアシルを見て、魔女は露骨に顔を歪めた。
「またお前か」
「そんなに嫌そうな顔をしなくても」
「毎日毎日、同じ顔を見せられる私の気にもなってみろ。いい加減飽きてくる」
アシルは五日連続で、監獄を訪れていた。
初日こそ看守にとがめられそうになったが、二日目以降は、自由に出入りするこができた。特別な許可あったわけではないが、看守の騎士達はアシルの面会を黙認していた。実害がない、ということに加えて、彼らは、アシルが秘術を聞き出せるのではないかと期待している。
アシル自身、騎士達の思惑に気付いてはいたが、秘術云々のことについて、魔女に尋ねるつもりはなかった。彼は純粋に彼女との会話を楽しんでいる。
「はいはい、分かったよ。ヒラコニア。それよりも、聞きたいことがあるんだ」
ヒラコニアというのは魔女の名前だった。
魔法書を取り出すアシルを見て、ヒラコニアは言う。
「私ではなく、・・兄様に聞けばいいだろう?」
「兄様は今、忙しいんだ。結婚式の準備があるから」
「結婚? ギルの奴、結婚するのか?」
「ギル?」
「あ、いや、何でもない。忘れろ。それよりも、聞きたいこととは何だ?」
ヒラコニアはわざとらしく魔法書に視線を移した。
(これで何回目だろう)
アシルはこの五日間のヒラコニアとのやりとりを思い出す。
彼女がギルバートのことをギルと呼んだのは、これが初めてのことではなかった。
(一体、兄様とヒラコニアの間に何があったのだろう)
疑問は浮かんだが、アシルはそれを尋ねなかった。何となく、聞きたくないと思ったからだった。
アシルは魔法書をめくり、ヒラコニアに差し出した。
「これ。この『マレフィコスの力を昇華させて、法則を実現させる』っていうところなんだけど、昇華って、具体的にはどうすることなの?」
「それはだな…」
ヒラコニアはそう言ったきりしばらく黙り込んだ。
長い沈黙の後、口を開いたのはアシルだった。
「ひょっとして分からないの?」
「うっ」
アシルの言葉にヒラコニアは小さく呻いた。その額には汗が浮かんでいる。
「これも駄目か…。分からないフリをしているようにも見えないし…」
「う、うるさい。分からないのではなく、答えられないのだ!」
「答えられないって、君、これ神学校で言ったら第一課程で習うことだよ。基礎中の基礎だと思うけど」
アシルは魔法書の目次をヒラコニアに示した。
ヒラコニアが回答出来ないのは今回が初めてではなかった。
「魔女だから魔法に詳しいと思ったのにな…。君、本当に魔女なんだよね?」
「やかましい! 勝手に捕まえておいてよくもそんなことが言える!」
アシルの言葉にヒラコニアが声を荒げた。
「ごめん、ごめん。そうだよね。今のは僕が悪かった。でも、こうも回答を拒否されちゃあ僕としてもさ…」
「拒否ではない。答えられないだけだ。貴様だって、腕を動かすときに、その意思の働きを他人に説明できないだろう?」
「それは…」
アシルは右腕を折り曲げてから、「すごく難しいね」
「そう言うことだ」
「でも、出来ないとは思わないな」
「ほう。では説明してみろ、王子殿」
「そうだなあ。まず、頭の中で、動いている腕をイメージします」
アシルは目を閉じ、言葉通りの想像をした。
「で、ええと、そして腕を動かします。あれ? やっぱり出来ないや」
「ほら見ろ」
「そっかー。うん。でも、そんな感じっていうのは分かったよ」
「魔法実践者も同じかは知らんぞ」
「そうなの? でも、君だって昔は魔法実践者だったんだろ? 祝詞を捧げてマレフィコス様の力を借りる…」
「のりと…? ああ、あのわけのわからん呪文のことか。あんなもの、生まれてから一度も口にしたことなぞないわ」
ヒラコニアはふんっと、鼻から息を吐いた。
「そんなことないだろ? だって祝詞を詠唱しなくちゃ、秘術を実践できないじゃないか。それとも、秘術には祝詞がいらないの?」
「秘術なんてものは知らん。物心ついた時には、もう魔法を使っていた」
「でも秘術を実践しないと…」
「それはお前達の理屈だろう? 私を巻き込むな。私達にとって魔法とは、腕を動かすのと同じくらい自然な行為だ。マレフィコスの力など、借りる必要もなければ、盗む必要もない」
「そんな…」
アシルは息を呑み、ヒラコニアを見つめた。
澄んだ瞳に嘘は見えない。
「ちょっと待ってよ。君、それを兄様達に伝えた?」
「言ったさ。しかし、お前達は私の言葉などまるで信じようともせず、自分達の物差しだけで事実を計り、不都合な事実を闇に葬ってきただろう!」
バン、とヒラコニアを貫いてた槍が数本、消し飛んだ。
「闇に葬るって…」
「サヴァオでは多くの魔女が処刑されたと聞いた」
「…君、だからあの時クリフを攻撃したの?」
「…」
ヒラコニアは答えない。彼女は肯定も否定もしないまま、その場にうずくまった。
声をかけるが返事はない。
仕方なく、アシルは監獄を後にした。
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