第三章 監獄へ
3 監獄へ
翌朝、監獄に向かう馬車には先客がいた。妹のマリーベルだ。アシルはぎょっとして、
「マリー、勝手に外に出たら駄目だって母様に言われているだろう?」
アシルはマリーベルの世話役の召使いを捜したが、その姿は見当たらなかった。
マリーベルは座席にもたれて小さな足をぶらぶらさせながら、
「マリーもまじょ、見に行く」
「どうしてそれを……」
「お馬のおじさんが言ってた。ギル兄様とアシル兄様をかんごくに連れて行くって」
お馬のおじさんというのは御者のことだった。
アシルは内心で、余計なことを、と御者を呪う。
「駄目だよ、マリー。魔女は危険なんだ。母様に叱られるぞ」
「それは兄様も同じでしょ。危ないことはさせないって言われてたもの」
「僕はいいんだよ。騎士だから」
「きょかは?」
「え?」
「お母様はきょかだしたの? いいって言ったの? まじょ、見に行ってもいいって」
「それは……」
アシルが返答に困っているとギルバートが現れた。
ギルバートはマリーベルの姿を認めると、
「ありゃ、見つかったか」
「ギル兄様、マリーも行く」
「……そうだなあ」
ギルバートはアシルの顔をちらりと眺めてから、「まあ、何事も経験だよ」と言って、馬車に乗り込んだ。
「よろしいのですか? 母に見つかったら何と言われるか……」
「俺にしてみれば一人も二人も同じなの。それよりも早く出発しよう。どうせ叱られるなら帰ってからの方が良い。ほれ、早く乗れ」
「あ、はい、すみません」
アシルは急いで馬車に乗り込むと、扉を閉めた。
馬車が走り出し、地面の凹凸を受けてガタゴトと揺れる。
城の外が珍しいマリーベルは、車外の風景を楽しんでいる。
眠気を感じて、アシルはあくびをかみ殺した。
「眠そうだな」
「申し訳ありません。昨晩、夜更かしをして……」
「本は読めたか?」
「ほんの少しだけですが。特殊な用語が多くてなかなか進みませんでした」
「ゆっくりやればいいさ」
ギルバートは頭の後ろで手を組む。
「ねえ、ギル兄様」
風景に飽きたのか、マリーベルがギルバートの方を振り返った。「どうして、まじょ、捕まえたの?」
「それはだな……」
ギルバートはそこまで言うと、マリーベルからアシルに視線を移して、
「アシルに聞いてみようぜー」
「僕ですか?」
「そんなにびっくりしなくても。いいだろ? 体系の勉強にもなるぞ」
「無理です。昨日の本だって、まだほとんど読めてなくて」
「いいから、いいから。ほらマリー。アシルが説明してくれるって」
「はーい」
マリーベルがアシルと向かい合わせの席に移動する。
突然の講師役に困惑しながらも、アシルは口を開いた。
「えっと、どうして魔女を捕まえたか、だったね」
「うん。まじょ、何したの? わるいことをしたの?」
「そうだなあ…。神様の力を盗んだから、悪いことをしたと言えばそうなんだけど…、ええと、神様…、マレフィコス様のことは分かるね?」
「分かんなーい」
マリーベルは元気よく答えた。
予想外の答えにアシルは拍子抜けする。
「わ、分からないの?それじゃあ、毎日のお祈りは誰に向かってしてるのさ」
「この間まではラティオにお祈りしてた。元気で産まれてくるんだよって」
「そうか…。ちゃんとお姉さんになってるんだね」
アシルはマリーベルの頭を撫でながら、説明を始める。
「マレフィコスというのは神様の名前でね。僕達はその神様から産まれたんだ」
「違うよ。マリーはお母様から生まれたんだよ。なんざんで大変だったんだって」
「直接はそうだね。じゃあ、お母様は誰から産まれたか知ってるかい?」
「おばあさま」
マリーベルが即答する。その答えを受けて、アシルはさらに質問した。
「そう。じゃあ、おばあさまは誰から産まれたか知ってる?」
「それは…」
マリーベルはしばらく考えた後、先ほどのアシルの言葉を思い出したのか、
「分かった! おばあさまが神様から産まれたのね?」
「うーん。さすがにまだ神様は出てこないけど…。おばあさまのお母様、そのまたお母様って遡っていくと一番古いお母様にたどり着くんだ。その一番古いお母様を産んだのが、マレフィコス様なんだよ」
「そうなの? ギル兄様」
アシルの言葉が信じられないのか、マリーベルがギルバートに尋ねる。
ギルバートは頷いて、
「そうだよ。生き物は皆、神様から産まれたんだ」
「生き物全て…。じゃあ、小鳥や兎も?」
「動物だけじゃないよ。木や岩だってそうなんだ」
アシルがマリーベルの問いに答える。
「うそ。だって岩なんて生きてないじゃない。マリー、岩が動いてるの見たことないよ」
「生きてるんだよ。僕達にはそう見えないだけで…。そうですよね、兄様」
不安になりアシルはギルバートの表情を窺った。
「岩や砂の命は人間の数百倍だからな…。そういう寿命が長い生き物は、今あるものでも神様から直接命を与えられたものが多いんだ」
ギルバートの言葉にマリーベルは「ふうん」と相づちを打った。
「分かったの?」
「うん。岩の場合は、すぐのお母様が神様ってことでしょう?」
「まあ、そういうことだ」
マリーベルの答えにギルバートは満足げに口の端を持ち上げた。
マリーベルは一瞬得意顔になったが、すぐに首を傾げて、
「でも、神様ってどこにいるの? マリー、お会いしたことないけど」
「会うも何も、僕達が暮らすこの第二大陸自体、マレフィコス様の身体の一部なんだよ」
「え、そうなの?」
マリーは自分の足元に視線を落とした。地面を見ようとした彼女だったが、視界に映るのは自分の小さな靴だった。
アシルは続ける。
「マレフィコス様は僕達にはない力を持っていらっしゃるんだ。雷を出したり、大風を起こしたりね」
「そうだったの…。まるでギル兄様みたいね」
マリーはそう言って、ギルバートを指さした。
「みたいというか、俺がその力を借りてるんだよ」
「そうなの? じゃあ、マレフィコス様の方がギル兄様より強いの?」
「それは当然」
「じゃあ、まじょは? まじょはマレフィコス様より強い?」
「それは…」
マリーベルの質問に、アシルは即答できなかった。答えが分からなかったというわけではなく、答えを上手に説明する方法が思いつかなかったのだ。
しばらく考えた後、アシルはマリーに尋ねた。
「ねえ、マリー。マリーは魔女のことをどれくらい知ってる?」
「えっとね、まじょは、お空をとんだり、火事をおこしたりするよ」
「それじゃあ、どうやって空を飛んだり、火を操ったりするか知ってる?」
「それは…」
アシルの質問にマリーベルはしばらく考え込んだ後、
「あ、分かった。神様の力を借りるのね?」
マリーベルは正解でしょう、と得意顔になったが、アシルは首を横に振った。
「違うんだ、マリー。そうじゃないから、魔女は捕まったんだよ」
「違うの? それじゃあ、まじょはどうやって空をとんでるの?」
「自分の力で、だよ。彼女らは、マレフィコス様の力を盗んで、自分達のものにしたんだ」
「ぬすんだの…。それはいけないことね」
「そうだよ。だから、ギル兄様は魔女を捕まえたんだ」
アシルはマリーベルの頭を撫でた。得意顔のマリーベルだったが、その表情には、すぐに疑問符が浮かんだ。
「どうやって?」
「え?」
「まじょは、どうやって盗んだの?」
「それは…」
マリーベルの質問にアシルは言葉を詰まらせた。アシルはその問の答えを知らなかった。
助け船を求めてギルバートを見ると、ギルバートは、「それをこれから確かめに行くんだ」と言った。
「兄様もご存じないのですか?」
「魔女の秘術を知ってる人間はいないよ。知りたいと思っている人間は山ほどいるがな。俺も含めて」
「兄様もですか? 体系の全課程を修めていらっしゃる兄様が?」
体系というのは、神マレフィコスの力を召喚するための魔法学のことだった。ギルバートはその体系を十四歳の時に修了している。
「知りたいね。何せ自分の力に出来たら、祝詞がいらなくなるからな。思うがままに魔法法則が操れるようになれば、実戦で有利になる」
ギルバートはそう言って、頭の後ろで手を組んだ。
「のりとって何?」
マリーベルがギルバートに尋ねる。
「…祝詞っていうのは、神様に「力を貸してください」ってお願いする言葉のことだよ」
「お願い、大変なの?」
「大変だよ。特に大きな力を借りるときは、沢山お願いしないといけないし」
「じゃあ、まじょはお願いせずに空をとんでるのね?」
「そうだよ。羨ましいだろう?」
「実戦で有利…。ひょっとして、各国が血眼になって魔女を探しているのはそのせいなのですか?」
アシルがギルバートに尋ねる。
「そうだよ。何だと思ってたんだ?」
「僕はてっきり、神罰代行のためだと思っていました」
「そんなことして、誰が得するんだ?」
「それはそうですが…」
ギルバートの言葉にアシルはうつむく。
肩を落としたアシルに、ギルバートは言う。
「まあ、そう気を落とすなよ。昔は、そういう理由で行われていたし、それに、マレフィコス教の会派には、今でもそう信じているものもあるから」
マレフィコス教というのは、世界マレフィコスを唯一の神と信じる宗教のことで、オルセン国がある第二大陸では、最大の信者を擁する。
「いいなあ、まじょ」
うっとりとした表情でマリーベルが言う。「マリーもまじょになろっかな」
「第一王女っていう立場もあるから、魔法実践者にしとこうな。せめて」
「でも、それじゃあ、お願いしないといけないんでしょう? マリー、お空をとぶたびにお願いするのめんどうくさいな」
「魔女がみんな、空を飛べるわけじゃないけどな」
「とべないまじょがいるの?」
「いるの、というか、そっちの方が多いんじゃないかなー。魔法実践者なら空も飛べるけど」
「どうして?」
「うーん」
ギルバートはアシルを眺めた。
アシルは、僕にも分かりません、と顔を横に振った。
「まあ容量の問題なんだ。空を飛ぶために必要な力があるかないか…。分からないかな?」
「申し訳ありません」
アシルが肩を落とす。
「いや、謝らなくても。ええと、ここに、風を起こそー、と思った魔女がいるとする」
ギルバートはそう言って、左手の人差し指を立てた。
「で、魔女は、風を起こす。こんな風に」
ギルバートは立てた人差し指を上下に動かした。ほんのわずかな風が生まれる。
「一方、こっちに同じく風を起こそー、と思った魔法実践者がいるとする。こっちも同じ用に風を起こす」
ギルバートは右手の人差し指を立てると、左手と同じように上下に動かした。
「何がちがうの?」
マリーベルが首を傾げる。
「まあ、そう急がない。で、次に、魔女も魔法実践者も大風を起こそー、と思ったとする。魔女は自分の力で大風を起こす。こんな風に」
ギルバートは動かしていた左手の指を二本に増やした。
「で、次に魔法実践者も大風を起こす。こっちは神様の力を借りて」
ギルバートは右の手の平でマリーベルを扇ぐ。
「何が違うか分かるか?」
「まほうじっせんしゃの方が、風が強い」
「分かりました。魔女は自分一人の力しか扱えないから、強い風が起こせないのですね?」
アシルが膝を打つ。
「そういうこと」
ギルバートは両手を動かすのを止めると、頭の後ろで手を組んだ。
「魔法実践者は、借り物とは言え世界の力を扱えるから、暴風を起こすことだってできるんだ。だから、どんなに太ってても空は飛べる。体系さえ理解できていれば」
「でも、力の弱い魔女は、自分を浮かせることもできない…」
「もちろん、世界の力を借りれば可能だがな。でも、それは魔女としてじゃなくて、魔法実践者として空を飛んでることになる」
「では、力の大きさだけを考えたら、魔法実践者の方が有利なのですね?」
「普通はな」
「例外があるのですか?」
「その例外にこれから会いに行くの」
「だから、超越と呼ばれているのですか? ふつうの魔女を超えた存在という意味で」
「さすがに神様と同じ容量じゃないだろうけど。まあ、桁違いだよ」
ギルバートは身を屈めて車窓から外を見た。
「そろそろだな」
ギルバートの視線を追って、アシルも外を見た。監獄の屋根が見える。
「大きいね」
同じく外を眺めてマリーベルが言う。
「何人ぐらい収容されているのでしょう?」
「今は超越の魔女だけだよ。その他の罪人は、ノヴェロの監獄に収容されてる。そっちはお前もよく知ってるだろ?」
「はい。それは知っていますが…」
ノヴェロの監獄には、城下で逮捕された罪人も収容されている。
「あれは魔法監獄だから、魔女や魔法実践者を捕まえたときだけ使うんだ。うちは魔法実践者が少ない国だから、あんまり出番がない。魔女もそうそう捕まらないし」
車窓から監獄を眺めてギルバートが言った。
馬車がごとりと揺れる。三人が監獄に到着したのは、それからすぐのことだった。
読んでくださり、どうもありがとうございました。
お気に入りに登録してくださった方、ポイントをつけてくださった方、本当にありがとうございます。
はげみになります。がんばります!
第三章は設定の説明等で、分かりにくい部分があったかもしれません。
お気づきの点があれば、お知らせください。