第二十九話 鈴蘭市場
夕暮れ前。今日はもう休もうと考えた俺だったが、一度汗を流してから市場へと足を運んでいた。
輪狐通りを通って街の北側へ。桜市場とは逆の位置にあるこの市場の名前は鈴蘭市場。他の市場と比べると敷地的にはやや狭い。しかし市場としての規模――と言うより、人の入りは他よりもむしろ多いかもしれない。
鈴蘭市場で扱っているのは趣味・雑貨品。ジャンルは問わず、だ。
この世界で創られた物に限りはするが、マンガや小説なんかもあるし、フィギュアやらプラモやらも見つかる。単純なホビー品だけでなく、所謂生活雑貨なんかある。
そんな鈴蘭市場へとやって来たのは、暇潰しになる物を探しにきたからだ。時間があるならやるべき事はあるが、休息は必要だ。ここまで急ぎ足過ぎたと思っているだけに余計に。
そんな訳で、今回は小説辺りを探しに来た。
ゲームではこの世界にいる作家が書いた物の他に、プレイヤー自作の物なんかもあった訳だが……
プレイヤーがいるかいないか分からない以上、手に入れられるのは前者と言う事になるだろう。
ま、面白ければ誰が書いた物でも良いさ。
「そこのお兄さん」
目的は本だが、それ以外にも何か目につく物はないかなと市場内をぶらついていると、路商の様に風呂敷に商品を並べた人物に声をかけられ足を止めた。
「俺の事か?」
ちょうど周囲に歩いている人物はいないから間違いはないだろうが、一応そう尋ねておく。
「もちろん」
その人物は薄汚いローブ姿で、頭にはフードを被っている上にやや俯き気味の為に顔は見えない。が、縁の大きな丸いメガネをかけているのは分かった。声と、それに体型を見るに女だろう。いや、間違いなく女だ。と言いきれるくらいに大層なモノをお持ちである。見降ろす形になっている為、余計に……
と、それは置いておくとしてだ。
並べてある商品を見ると、一言で言うなら怪しい物ばかりだ。骨董品と言えば聞こえは良いかもしれない。見るからに古そうな壺だったり、薄汚れたスクロール。それに錆だらけの腕輪。そんな物がいくつも置いてある。
「何か用か?」
「いやいや。お兄さんになら、ウチの商品を買って貰えそうだなと思って」
言われて、もう一度並べられた品を見る。少なくとも、一見して欲しいと思う様な物はない。もしかしたら、レアなアイテムでもあるのかもしれないが……
「悪いけど――」
「スキルオブジェクト」
いらない。そう言いかけた俺の言葉は、女のそんな言葉で遮られた。
スキルオブジェクト。それは、タワーオブバベルでソロプレイをする者ならば誰もが欲しがる逸品。いや、ソロじゃなくたって有用な超が付くレアアイテムだ。ゲームの期間限定イベントの賞品だったそのアイテムは、総数にして100。ゲーム内の最低取引価格は水晶貨100枚と言われていた。
どんなアイテムかと言うと、スキルを保存出来るアイテムと言えば伝わるだろうか。あらかじめスキルをセットする事で、自身の使用制限とは別にセットしたスキルを発動出来るアイテムである。スキルセット自体は持ち主じゃなくても出来る為、誰かに頼めば自分の使えないスキルをセットする事も可能だ。
オブジェクト内にセット出来るスキルは一つだけで、ストック可能スキルであってもオブジェクト内のストック数は1になるのは欠点かもしれない。とは言え、ストック可能スキルなんて普通はセットしない。使用制限の厳しい有用なスキルをセットするのが正しい使い道だろう。
オブジェクトは、セットしたスキルを使用するとセットスキルがリセットされる。更にスキル使用後は12時間スキルのセットは出来ない。但し、取得しているスキルであれば使用不可の状態でもセット出来る為、12時間以上ウェイトタイムのあるスキルでも12時間に一度は使える様になるのだ。
「……あるのか?」
俺は思わず唾を呑み込んだ。並べられた中にはそれらしき物はない。実物は見た事はないが、画像くらいは見た事がある。
「あるわ」
女は、はっきりと答えた。
欲しい。だが、今の俺にはそんな金はない。しかし諦めたくない……
「なあ」
「何かしら?」
「どうして俺に声をかけた?」
ここの住人からすれば、そんなに長いウェイトタイムのスキル持ちはそういないとは思う。それ程重要視されていないのかもしれない。だが、決して無用の長物と言う訳ではないはずだ。十分高価な物だろう。だとしたら、裕福でも強そうにも見えないであろう俺に声をかけるのは不自然な気もする。
「知りたい?」
挑発する様な視線を向けて、そう尋ねてくる。
「そう、だな……」
ただ怪しいと感じるだけなら、俺に声をかけてきた理由なんて気にする必要はない。ただこの場から離れれば良いだけだ。だけど、俺はその理由が気になっている。
「なら教えてあげるわ」
どこかで、感じ取っていたのかもしれない。
「それはね――」
この女が、ある意味俺が求めていた人物であると。
「貴方が、あたしと同じプレイヤーだからよ」
だからなのか、俺はその言葉を聞いても不思議と驚かなかった……