第十五話 モモの事情
朝の6時には目を覚ました俺は、身支度を整え朝食を取って直ぐに塔へと足を運んだ。
モモとの約束まではまだ少し時間がある。塔の1階で情報を集めても良いが、早朝だからかそれ程人はいない。
少し塔を登ってみても良いかもしれないが、そう時間がある訳でもないしどうしたものか……
「あれ?」
なんて考えていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お兄さん、もう来てたんだ」
振り返るまでもなく声の主は分かったが、振り返るとそう言いながら笑顔を浮かべるモモがいた。
「ああ。おはよう、モモ」
「おはよう。それにしても、お兄さんが無事で良かったよ」
「何だ? 俺の事信用してなかったのか?」
「そうじゃないけど、塔では何があるか分からないし」
普通に考えればそうなんだろうな。少なくとも、あのくらいの階層じゃあやられない事は分かったけど。
「それで、どうする? この場で渡しちゃって良いのか?」
「え? 本当にもう手に入れたの!?」
早速本題に入った俺の言葉に、モモは心底驚いた様に声をあげる。
「俺の手にかかれば大した苦労はなかったな」
運が良かった感は否めないが。
「やっぱりボクの目に狂いはなかった。って言いたいところだけど、お兄さん規格外過ぎだよ……」
「もっと褒めても良いぞ」
「いや、褒めた訳でもないから」
「じゃあ貶してるのか?」
少しだけムッとした表情でそう言うと、モモが慌てた様子で言葉を紡ぐ。
「そんな事ないよ! ただ、凄すぎて言葉も出ないと言うか何と言うか……」
「冗談だよ。別に怒ってないからそんなに慌てるな」
「べ、別に慌ててなんて……」
ふむふむ。なかなか可愛い反応をするじゃないか。最初に男だと勘違いした昨日の俺を怒鳴ってやりたいくらいだ。
「冗談はこれくらいにして、どうする? もう少し人目のない所に行くか?」
別に妖しい事をしようって訳じゃない。仮にもエトルアンの涙はレアアイテムだ。それ程人がいないとは言っても人目がない訳じゃない。そんな場所でモモにエトルアンの涙を渡して、帰り際に誰かに襲われでもしたら大変だ。
「うーん……お兄さん、もし良かったらうちまで来ない?」
急な誘いに、思わず困惑してしまう。いや、変な意味じゃないのは分かってるんだ。エトルアンの涙を手渡す場所として、それが都合が良いからだろう。
「俺は構わないぞ」
「もしかしたら、もっとお兄さんを頼る事になるかもしれないけど、それでも……?」
そう尋ねるモモの目は真剣そのものだ。だからこそ、俺はしっかりと頷く。
「ああ。乗りかかった船だしな。任せておけ!」
「お兄さん……ありがとう!」
モモには笑顔が似合う。短い付き合いだけど、それは間違いないと分かる。だからこそ、こうして笑顔を浮かべてくれた事に満足出来た。
「今から行って良いんだよな?」
「うん。案内するよ」
俺は歩き出すモモの後に続いて、塔を後にした……
モモは燕通りを歩き西区へと向かったが、農村街に辿り着く前に北側に続く道に入った。
特に名前のない通りだが、小道と言う訳でもない。ゲーム中にはあまり立ち寄る事はなかったが、確かNPC達の居住区があるはずだ。
一応、ゲーム内で自分の家を持つ事は出来たが、当然NPCが住んでいる場所に住む事は出来ない。但し、どうしてもその場所に住みたい場合は代わりに家を用意する事で移り住んで貰い、それから改めて土地を購入する事も不可能ではなかった。
まあ、そんな事は今となってはどうでも良い事だが。
モモが向かった先は貧民街と言う訳ではないが、そう裕福でもない中堅層の住民が暮らす地域だった。
似た様な煉瓦造りの家が並ぶ中、モモはその内の一軒の前で足を止めた。
「ここがうちだよ」
一階建てで、そう大きな家ではない。それでも一家族が住むくらいには問題なさそうだ。
ここまでずっと無言だったモモだが、家に近付くにつれ表情が堅くなっていっていた。家に帰りたくないって訳じゃないだろうが、エトルアンの涙を必要とする理由が家の中にあるってところか。
「どうぞ」
軽く考え事をしている間に、モモは家の扉を開けていた。俺も扉に近付き、モモが押さえていた扉を代わりに押さえる。
「家の人間より先には入り難いから、先に行ってくれ」
「分かった」
俺の言葉にモモは頷き、家の中に入る。俺も直ぐにその後に続いた。
モモに続いて入った部屋は薄暗かった。この世界にも電気はあるし、この部屋にもちゃんと付いている。しかしその電源が入れられていない。窓はある様だがカーテンが閉ざされている。
そしてそんな中でさえ目立つのが、窓際に置かれたベッドに眠る一人の女性。暗さに慣れてきた目を凝らせば、その女性の顔付きがモモと似ている事が窺えた。
「この人は……?」
何と言って良いのか分からず、思わずそう尋ねた。
「ボクのお母さん。腐陽病にかかってるんだ……」
重々しい口調でそう答えるモモ。
「すまない。腐陽病って何だ?」
「お兄さんの前いた所にはなかったんだね。腐陽病って言うのはこの辺りに昔からある死病の一つで、陽の光を浴びると肌が腐ってしまう様になる病気なんだ。病気が進むと昏睡状態になって、最後には……」
俺の質問に答える途中、モモは泣きそうになるのを堪えた様子だった。普段の元気さが、空元気だったんだと痛感する。
「でも、エトルアンの涙があれば治せる。そんな噂を聞いて、塔に登ろうって思ったんだ」
なるほど。それがモモの事情って訳だ。けど、本当にエトルアンの涙で病気が治るんだろうか? アイテム一つで治る様な病気が、死病として伝わるだろうか。
「モモ、エトルアンの涙は昔から発見されてたのか?」
「……お兄さんの懸念は分かるよ」
どうやら、俺の考えを察したらしい。
「エトルアンの涙が見つかったのはほんの10年くらい前なんだ。最初はその用途も分かってなかったし、今だって稀少なアイテムって以上には認知されてないよ。ボクが聞いた噂が真実だって保障なんて何一つない。でも……それしか手がないんだったら、かけてみるしかないじゃない?」
そう言葉を紡ぐモモの表情は、決して諦めの表情ではない。可能性に希望を見出している目をしている。
俺としては、その希望が挫かれない事を祈るしかない。
「使い方は分かってるのか?」
「うん。肌に振り掛ければ良いんだって」
「分かった。それじゃあ今出すよ」
エトルアンの涙は、昨日買ったマジックボックスにしまってある。
腰に提げたマジックボックスからエトルアンの涙を取り出し、モモに手渡す。
「これが、エトルアンの涙……お兄さん、本当にありがとう!」
「ああ。気にするな」
まだ喜ぶのは早い。けどそれを口に出す程野暮でも阿呆でもないつもりだ。
「それじゃあ、使ってみるね」
モモは母親の前に立って掛け布団をどかす。服を脱がす必要はないのか、その状態で小瓶の蓋を開けると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
ゆっくりと、小瓶を傾ける。中身が重力に沿って小瓶の口へと流れる。
そして小瓶から出てくると同時に霧散する。俺もモモも驚きを隠せなかったが、それを口に出す間もなく二人共涙が消失した訳じゃないと悟った。
キラキラと淡い輝きを放ちながら、エトルアンの涙はゆっくりと広がり、そしてゆっくりと落ちていく。まるで使いたい対象を理解しているかの様に、モモの母親を包み込む様に浸透していく。
「あ」
そして、おそらく母親の変化を感じ取ったであろうモモが声をあげた。
「どうだ?」
だから、俺は期待を込めてそう聞いた。
「うん。ちゃんと効いたよ。腐りかけちゃってた肌が、元に戻ったもん」
完治した訳じゃないだろう。それでも効果があったのは確かだ。
「やったな」
「うん! 本当にありがとう、お兄さん」
「ああ!」
今度こそ素直に、俺はモモの感謝の言葉を受け取った。
この作品を読んで下さっている皆様、お待たせ致しました。
なんとか予定の4月中に更新出来ました。短めですが…
次は5月中には更新したいと思います。