第十四話 商談
階段(があるはずの方角)へと進む途中、俺は三度の戦闘を行なうハメになった。
三匹や三体が相手じゃない。三度――三回の戦闘だ。
最初の戦闘は何の問題もなかった。ウッドモンキーが二匹出てきただけで、大した苦労もなく倒す事が出来た。
二回目の戦闘も良い。アーススライムと言うスライムの派生モンスターが三匹出てきたが、スライムに毛が生えた程度の強さでしかない為はっきり言ってザコだった。
問題は三回目の戦闘。現れたのはフォレストウルフの群れ。見た目は灰色をしているが普通の狼だが、この階層では上位に位置する強さだ。とは言え、一匹ならば苦戦を強いられる様な相手ではない。いや、群れが相手と言っても倒すのにそこまで苦労した訳でもない。
「問題は、完全に方角が分からなくなった事だな……」
群れを構成していたのは八匹のフォレストウルフ。その連携攻撃に翻弄され、全滅させるまでの間に方向が分からなくなってしまった。
「仕方ないな。そろそろ自力で戻るのを諦めるか」
そう呟いて、俺はアイテムボックスを開く。
目的のアイテムは帰還アイテムの一つで、帰還のスクロール。名前の通り巻物の形をしており、読みあげる事で塔の1階まで戻る事が出来るアイテムだ。
帰還アイテムは三種類あり、一つがこの帰還のスクロール。高価なアイテムだが、ノーリスクで脱出可能な便利アイテムだ。
もう一つが脱出の抜け穴。エフェクト的に言えば、文字通り塔の内部に穴を造り出し、そこから塔の外に出るアイテム。これを使って外に出た場合、その時に入手したアイテムが5割の確率で消失する。アイテムそれぞれに5割の判定が付く為、全部残る可能性もある。
そして最後が緊急脱出玉。手の平に収まるくらいの水晶で、これは所持者のHPが尽きた時に自動発動する。脱出の抜け穴と違い、その時手に入れたアイテムは確実に全て失い、街のどこかに飛ばされる。確率で資金が減る事もある。
デスペナルティは装備品以外のアイテムの完全消失に加え資金半減である事を考えれば、十分有用なアイテムだ。
HPが尽きたらどうなるか分からない以上、緊急脱出玉は常に持ち歩いていたい。最初にモナカと会って時の反応からするに、多分この効果はきちんと発動しそうだし。
何にせよ、全部持ってるとは言え今はエトルアンの涙を持ち帰らなければならない。帰還のスクロールを使わないと苦労が水の泡だ。
俺はアイテムボックスを閉じ、取り出した帰還のスクロールを開く。
「ん?」
スクロールには確かに文字があった。しかし読めない。これも日本語で書かれてると思ったのに、どうしたものか……
なんて考えていると、スクロールに書かれたミミズの様な文字が急に光を放ち始めた。
急激に強くなった光は瞬く間に俺を包み込み――
眩しさのあまり目を閉じた。しかし直ぐに光は止み、ゆっくりと目を開けた。
「おー」
ちゃんと1階に戻って来てるじゃないか。どうやら読まなくても開けば発動する様だ。多少の時差はあったけど。
突然現れた俺に誰も驚いた様子がないから、帰還のスクロールもきちんと存在しているんだろう。
少しだけ気が楽になった。
まだストックはあるものの、どうやって手に入れるかは知っておいた方が良いだろう。モモが知ってれば明日にでも聞けるが、先に情報を入手しておけるならそれに越した事はない。
俺は近くで商売をしている男の元まで行き、声をかけてみる。
「調子はどうだい?」
「悪くはないよ」
あまり愛想が良いとは言えないが、それでもきちんと返してくる辺りは商売人として最低限の部分は守っているのだろう。その視線から、こちらを値踏みしてる様にも見えるし……上客だと思わせれば愛想も良くなるかもしれない。まあどうでも良いが。
「兄さん見ない顔だね? 何か探してるのかい?」
俺が最初にここに来た時にはいなかったのか、それとも目に付かなかっただけなのか……この広さだし判別は付かないが、まあ新顔な事に変わりはない。
「まあね。品揃えは、ここにあるだけかい?」
ぱっと見た感じ、広げられた敷物の上に帰還アイテムは見当たらない。商品としては上等な物だし陳列してないだけなのか、それとも本当にないのか……
「いいや。高価な物はここには置いてないからね。何をお求めか聞いても良いかい?」
質問に質問の応酬。お互いがお互いを値踏みしている状態だ。
まあ、向こうにしてれば商売相手の前に武器を持った人間だ。高価な物を持っていると分かれば襲われる心配なんかもあるのかもしれない。この場ではないだろうが、塔の外で。
「帰還のスクロールを探してるんだ」
俺のその言葉に、商人は一瞬驚いた表情を浮かべた。俺みたいな新参者が探す様なアイテムじゃないだろうから、その反応も頷ける。
「ない事はないが……今この場にはないな」
「だろうね。こっちも今戻ってきたばかりだから、今すぐ欲しい訳じゃないんだ。ただ、入手先を確保しておきたくてね」
「なるほどね。しかし、こちとら商売だ。買い手がいれば直ぐにでも売っちまうだろうさ」
今度は足元を見ようって腹らしい。なかなか強かな奴だ。
「それは在庫が少ないって事か? だとすれば、あんたに頼るのはよした方が良いかな。継続的に買って行きたいからな」
こっちだって負けてられない。それに嘘は付いてないしな。
「け、継続的に……?」
男のこっちを見る目が少し変わった。ここでのレートがどれくらいかは分からないが、余程高価なのかもしれない。
おそらく今こいつの頭の中では色々な計算をしてる事だろう。仕入れ値や売値は勿論、俺が毎度生き残ってきちんと買いに来るかどうかなど。
ゴクリと、男が唾を飲み込む音が聞こえた。
「それじゃあ、他を当たる事にしよう」
今が勝負時だ。俺はそう言って踵を返す。
「ま、待ってくれ!」
かかった!
「なんだ?」
しめしめと思う内心を何とか隠して、俺はゆっくりと振り返る。
「正直に言おう。今の在庫は確かに少ない。だが仕入れるのは可能だ。しかし、高価の代物だから大量に仕入れても売れなければ意味がない」
「それはそうだろうな」
「だから、あんたが確実に買ってくれるって証が欲しい。そうすればあんたの為に数を用意する」
「そうは言ってもな……どうすれば証になるって言うんだ?」
「前金を払って貰う。手付金代わりと言っても良い。そうすればあんたは買わないと損をする事になる。当然こっちも損ではあるが……まだ買い手が見つかれば取り戻せる可能性があるからな」
「なるほどね」
妥当と言えば妥当だが……
「その前金がいくらなのかによるな」
「そうだな……50%でどうだ?」
「高いな。あんたとの信頼関係が築けた後でならまだ良いが、最初はそっちがきちんと品を用意出来るか分からないんだ」
俺の言葉に、男は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
「……なるほど。じゃあこれならどうだ? 今回は代金の20%を前金として貰う。次回あんたは残りの代金を払えば、こちらは商品を渡す。それからはその都度話し合って決めるんだ」
「そうだな……俺はそれでも構わない。但し、毎回買う訳じゃないけど良いか? 使わないで戻って来れれば買い足す必要がないからな」
「……それは仕方ないな」
「なら商談成立。で良いかな?」
「ああ。よろしく頼む」
俺はそう言って右手を出す。男もここにきてようやく笑顔を浮かべて俺の手を取る。
「俺の名前はクロウ。あんたは?」
「オレはホーンだ」
「OK。それでホーン、そもそもスクロールの値段を聞いてなかったんだが?」
大事な事を聞いてなかった。高価なのは分かってるが、そもそも手持ちの金で足りなかったら話にならない。
「銀貨5枚――」
銀貨5枚だって! 燕尾荘での二ヶ月の宿泊(朝食付き)と同じ値段じゃないか……
「普通なら相場はこんなもんだが、今後もよろしくって事で、今回は銀貨4枚でどうだ?」
それはそれで結構な額だ。とは言え、今払えない額じゃない。しかしなぁ……もっと安く仕入れられるって事だろう。まあ今は仕方ないとしても、余裕が出来たら自分で仕入れ先を探した方が良いかもしれない。
「分かった」
俺は頷いてからアイテムボックスを開く。男は特に驚いた様子はないが、物珍しげにアイテムボックスを見ている。
「ほら、前金の銅貨80枚だ」
なぜかアイテムボックスの中にあった布の袋に銅貨を詰めて、俺は男に手渡した。
「一応確認させて貰うぜ?」
「ああ」
男は袋から銅貨を取り出し、慣れた手つきで数えていく。
それを男の横にある布袋にしまい、俺が渡した袋は返してきた。男の布袋が全く膨らんだ様子がないから、あれはマジックボックスなんだろう。
「そうだ。ついでにその大きさくらいのマジックボックスはないか?」
俺がそう尋ねると、男はニヤリと笑みを浮かべた。どうやら俺のアイテムボックスを見て、わざわざ銅貨を移した様だ。まあ、最初から手に入れるつもりだったからこっちとしては手間が省けただけだ。
「あるぜ。これでどうだ?」
そう言って、男は自身の横にある物と同じくらいの布袋を手に取って見せてきた。
「許容量は?」
「30だ。値段は銅貨50枚」
しまった。相場が全く分からない……
「40でどうだ?」
しかしそうと知られたら足元を見られそうだ。俺は知った顔をしてそう言った。
「……良いだろう」
男の表情からすると、そんなに下手な額は言わなかった様だ。
俺は先程と同様に銅貨を取り出し、今度は10枚ずつ裸で手渡す。その方が数えながら渡せて手間が省けるだろうと思ったからだ。
男は全ての銅貨を自身のマジックボックスにしまうと、俺が買った方を手渡してくる。俺がそれを受け取ると同時に口を開く。
「そうそう。同じ名称のアイテムは一つの枠に入るから覚えておくと良い」
「ん?」
「さっきの空間魔法を見る限り、マジックボックスを持つのは初めてなんだろう? 相場にも疎い様だしな」
そう言って男は意地の悪い笑みを浮かべる。
やられた。
「まあそんなぶっ飛んだ額じゃないから気にするな。30までだったらまけられた、くらいな話だ」
「……そうか」
「ま、これからも宜しく頼むぜ」
「ああ」
最後に握手を交わして、俺は踵を返して塔を出る事にした。
外に出るとすっかり日が暮れている。俺の足はそのまま燕尾荘へと向かい、食堂で夕食を摂って部屋に戻った。
今日は色々な事があった。
明日もまた、色々な事があると思う。
市場の件も進展は見られるだろうし、モモにはエトルアンの涙を渡せる。
塔の事も少しは分かったし……
なんてベッドの上で思考を巡らせている内に、だんだんと意識が遠のいていく。
なんだかんだで疲れたんだろう。身体の疲労と眠気に任せて、俺はそのまま意識を手放した……
二日目がやっと終わりです。既に遅いペースの更新ではありますが、次回の更新までしばらく空いてしまうと思います。来月中には再開したいと思いますので、見捨てずに頂けると幸いです。