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廃鉱山に眠っていた宝は、銀でも宝石でもありませんでした。

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/17

「今年は、南の村で畑を四分の一ほど休ませるそうです」


 家令の報告に、私は思わず顔を上げた。


「去年は五分の一だったわよね?」


「はい。春の雨が、さらに減りましたので」


 机の上には、領地の地図が広がっていた。私は伯爵家の娘で、父から領地の管理を任されている。


 ここ数年、領地では春から初夏にかけて雨の少ない年が続いていた。昔は十分だった小川の水が、今では畑を潤すのに足りない。


 領民たちは、何もしていないわけではない。水を節約し、作付け時期をずらし、井戸を掘り、貯水池も整備した。けれど、雨そのものが減っているのだ。できることには限界があった。


「川から新しい水路を引く計画は?」


「以前の調査結果と変わりません。途中に硬い岩盤があり、工事費が高すぎます」


「そう……」


 私はため息をついた。水さえあれば、畑を休ませずに済むのに。


 地図を眺めていると、北の山に描かれた小さな印が目に入った。廃鉱山。二十年前に閉鎖された、古い銀鉱山だ。


「……あの鉱山、確か水が出すぎて困っていたのよね?」


 家令が首をかしげた。


「閉山の理由は銀の産出量が減ったことですが、湧水も大きな問題だったと聞いております」


「今も水は出ているの?」


「排水路から流れております。ただ、鉱山の水は農業には使えませんぞ」


「ええ。鉱石に触れた水には、金属成分が含まれていることがあるものね」


 それは知っている。だから、これまで誰も利用しなかったのだ。


 けれど。


「……水は、どこから湧いているのかしら?」


「は?」


「全部が鉱石に触れた水とは限らないでしょう?」


 家令は少し考えた。


「確かに、そうかもしれませんが……」


「調べてみる価値はあるわね」


 私は地図の廃鉱山に、小さな丸をつけた。


◇


「結論から申し上げます。現在の排水は農業用水に適しません」


 技師は、調査結果を机に置いた。廃鉱山を訪れて三日目。私は予想していた答えに、うなずいた。


「やっぱり、金属成分が多いのね」


「はい。長期間使えば、土壌に悪影響が出るおそれがあります」


「浄化する方法は?」


「ありますが、費用がかかりすぎます。農業用水としては採算が合いません」


 私は排水路を見つめた。目の前には、かなりの量の水が流れている。こんなにあるのに。使えない。


「……ほかに方法はないかしら」


「古い図面を調べてみましょう。鉱山の排水設備は、何度も改修されていますから」


 その言葉に、私は顔を上げた。


「お願いできる?」


「もちろんです。ただし、期待はしないでください」


「わかっているわ」


 私はうなずいた。使えないなら、それで仕方がない。でも、まだ調べられることがあるのなら。諦めるのは、その後でもいい。


◇


 一週間後。技師が古い図面を持ってきた。


「お嬢様。ひとつ、可能性が見つかりました」


「本当!?」


「ただし、まだ確定ではありません」


 彼は図面の上に二本の線を引いた。


「鉱山には、深い坑道から湧く水と、山の上部から流れ込む水があります。現在は途中で混ざっていますが、上部の水は鉱石に触れていない可能性があります」


「では、その水だけを取り出せば……!」


「農業用水として使えるかもしれません」


 私は思わず立ち上がった。


「調べましょう!」


「問題があります」


 技師が指したのは、古い排水路だった。


「この区間が崩落しています。上部の水路へ近づくには、補強工事が必要です」


「費用は?」


 見積書を受け取った私は、思わず息をのんだ。


「……高いわね」


「安全を確保するためです。無理に掘り進めれば、人命に関わります」


 私は黙った。領地の予算には限りがある。水不足への対策は、ほかにも必要だった。貯水池の補修。井戸の整備。既存の水路の維持管理。


 使えるかどうかもわからない水のために、多額の予算を投じてよいのだろうか。


「……少し、考えさせて」


「承知しました」


◇


 翌日、私は領地の役人たちを集めた。廃鉱山の調査を続けるべきか。意見は分かれた。


「可能性があるなら、調べる価値はあります」


「しかし、失敗すれば予算を失いますぞ」


「その金があれば、南の村の井戸を三本修理できます」


「井戸を修理しても、地下水そのものが減っているのでは意味が薄いでしょう」


 誰も、間違ったことは言っていなかった。私は全員の意見を聞いた。そして、技師に尋ねた。


「補強工事を途中で止めることはできる?」


「できます。ただし、途中までの費用は戻りません」


「どこまで進めば、水の状態を調べられる?」


「最初の崩落区間を越えれば、上部の水路に近づけます」


 私は見積書を見つめた。全額を投じるのは危険だ。けれど、最初の区間だけなら。


「……第一段階の調査工事だけ、認めます」


 役人たちが顔を上げた。


「予算はここまで。水が使えないとわかったら、その時点で中止します。追加工事が必要になった場合も、いったん止めて判断します」


「それなら、ほかの対策への影響も抑えられますな」


「はい。井戸の修理費は削りません」


 私は技師を見た。


「お願いできる?」


「承知しました」


 彼は深くうなずいた。


「安全を最優先に進めます」


◇


 工事が始まった。古い排水路の入口を補強し、崩落した石を取り除く。作業は慎重に進められた。


 しかし、五日目。


「……想定より崩落がひどいですね」


 技師が難しい顔をした。予定していた区間の奥で、さらに大きな崩落が見つかったのだ。


「補強を追加すると、予算を超えます」


 私は図面を見つめた。


「別の入口は?」


「現行の図面にはありません」


「……そう」


 私は唇をかんだ。ここまで来たのに。あと少しで、上部の水路に届くかもしれないのに。


「お嬢様」


 技師が静かに言った。


「中止すべきです」


「……もう少しだけ、何とかならない?」


「なりません」


 即答だった。


「安全を削って進むことはできません」


 私は黙った。わかっている。彼が正しい。ここで無理をすれば、作業員を危険にさらす。それだけは、絶対にしてはいけない。それに、追加予算を使えば、ほかの村の井戸修理にも影響が出る。


 私は深く息を吸った。


「……わかったわ。工事を中止して」


 技師は深く頭を下げた。


「承知しました」


 作業員たちが撤収の準備を始める。私は崩れた排水路を見つめていた。


 水は、すぐそこにあるかもしれない。あと少し進めば、領地を救う水が見つかるかもしれない。でも、これ以上は進めない。


 作業員の命を危険にさらすわけにはいかない。ほかの村の井戸修理に必要な予算を奪うわけにもいかない。


 中止するしかない。それが正しい判断だと、わかっている。


 わかっているのに。


「……悔しい」


 私は拳を握りしめた。目の前の暗い坑道を、もう一度見つめる。


「悔しいっ……!」


 誰に向けたわけでもない声が、冷たい岩壁に吸い込まれていった。


◇


 工事を中止した翌日。私は、廃鉱山の古い管理小屋を訪ねた。調査に使った図面や記録を、返却するためだった。


 埃をかぶった帳簿を整理していると、一冊の古い修理記録が目に入った。


『北側の旧排水口、土砂流入により閉鎖』


「……北側?」


 私は思わず手を止めた。現在の図面には、北側の排水口など描かれていない。


 私は棚から古い図面を引っ張り出した。一枚。二枚。三枚。年代を遡るうちに、ようやく見つけた。


 山の北側へ延びる、細い水路。


「……あった」


 私は息をのんだ。古い排水口だ。しかも、その水路は、今回調べようとしていた上部の水路につながっていた。


 私は急いで技師を呼んだ。


「これを見て!」


 彼は図面を受け取り、目を見開いた。


「……旧排水口?」


「土砂で埋まっただけなら、外側から調べられるかもしれないわ」


 技師は図面を見つめた。


「この記録は、現行図面よりも古いものですね」


「ええ。後の改修で使われなくなったみたい」


「なるほど……閉鎖済みの設備として、図面から省かれたのか」


 彼は顔を上げた。


「現地を確認しましょう」


◇


 私たちは山の北側へ向かった。古い記録を頼りに斜面を歩き、草木に覆われた石組みを見つけた。


「……これだ」


 技師がつぶやいた。石組みの隙間から、わずかに水が染み出していた。


「内部が完全に塞がっているわけではなさそうです」


「調べられる?」


「はい。こちらは外側から作業できます。坑道の内部へ入る必要はありません」


「費用は?」


「最初の調査より、ずっと少なく済みます」


 私は胸の前で手を組んだ。


「……お願い」


 技師はうなずいた。


「今度こそ、確かめましょう」


 旧排水口の調査は、予想より早く進んだ。土砂を取り除くと、石組みの奥から水が流れ出した。技師は水を採取し、検査に回した。


 数日後。


「お嬢様」


 彼が報告書を持ってきた。


「使えます」


「……本当?」


「はい。農業用水として問題のない水質です」


 私は報告書を受け取った。何度も数字を確かめた。


「……やった」


 小さな声が漏れた。


「やった……!」


 私は思わず技師の手を握った。


「見つかったのね!」


「はい。見つかりました」


 彼も笑っていた。


「水量も確認しました。南の村の不足分を補うには、十分な量があります」


 私は息をのんだ。


「……本当に?」


「はい。ただし、乾季にも同じ量が出るか、しばらく測定を続ける必要があります」


「もちろんよ!」


 私は報告書を抱きしめた。あのとき。工事を中止したときは、もう駄目だと思った。でも、まだ方法は残っていた。


◇


 その後、乾季を通して水量を測定した。結果は良好だった。水質も安定しており、農業用水として利用できる見通しが立った。


 私は領地の役人たちを集めた。


「廃鉱山の上部から、農業に使える水を取り出せることが確認できました」


 役人たちがざわめいた。


「本当ですか!?」


「はい。水量も、南の村の不足分を補うには十分です」


「それなら、水路を造れるのですな!」


「ええ」


 私は地図を広げた。


「工事費の見積もりも出ています。以前の川から水を引く計画より、ずっと安く済みます」


 役人たちは顔を見合わせた。やがて、家令が笑った。


「……まさか、あの廃鉱山が役に立つとは」


「私も、最初は半信半疑だったわ」


 私は笑った。


「でも、調べてよかった」


◇


 水路の建設が始まった。廃鉱山の旧排水口から、麓の農地へ。地形を調べ、必要な場所には石組みを造り、水門を設けた。工事には、村の人々も協力してくれた。


 もちろん、簡単ではなかった。途中で岩盤にぶつかり、予定していた経路を変更したこともある。雨で斜面が崩れ、作業が止まったこともあった。


 それでも、少しずつ水路は延びていった。


 そして、翌年の春。ついに、水路が完成した。


◇


「水門を開けます!」


 技師の声が響いた。


 水路の両側には、村人たちが集まっている。私は大きくうなずいた。


「開けてください!」


 作業員たちが水門を動かす。重い扉が持ち上がり、澄んだ水が勢いよく流れ出した。


 村人たちが息をのむ。


 やがて。


「……水だ」


 誰かが、つぶやいた。


「水だ……!」


 その声が、震えた。


「水が来たぞ!」


 次の瞬間。歓声が、爆発した。


「水だ!」


「本当に来た!」


「畑に水が来たぞ!」


 村人たちが笑い、泣き、抱き合っていた。


 年配の女性が、水路の前にしゃがみ込んだ。両手で水をすくい、顔を洗う。


「……冷たいねえ」


 女性は笑っていた。涙を流しながら。


「本当に……水が来たんだねえ」


 私は、その光景を見つめていた。胸がいっぱいで、何も言えなかった。


 技師が隣に立った。


「お嬢様」


「……はい」


「できましたね」


 私はうなずいた。


「……うん」


 声が震えた。


「できた……!」


 気がつけば、私も泣いていた。


 春の日差しの中、澄んだ水が、乾いた大地へと流れていく。


 その光景が、涙で滲んでいた。

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