Downside Risk
1
ピンポーン。
部屋のチャイムが鳴り、来訪者を告げたのは午後三時を少し過ぎた頃だった。
インターホンの画面を見ると、白髪頭の見慣れぬ男が映っている。年齢の頃は六十前後といったあたりか。
服装も白いワイシャツに黒いスラックスという当たり障りのない出立ち。闇バイトの襲撃とかではなさそうだ。
「はい」
時間を置いて返事をしたせいか、立ち去ろうとした男があわてて画面の中へ戻ってきた。
「お忙しいところすみません。ちょっと道をお尋ねしたくて」
男は確かにそう言った。
スマホが普及してどのくらい経つだろうか。
地図アプリを開けば自分の現在位置から目的地までの最短ルートを示してくれる時代だ。なのに、この男は「道を尋ねたい」と言っている。老人であれば所有していない者もいるだろう。だが、画面に映るこの男は営業マンの体を成しているのだ。
なのに、スマホを持っていない?
おかしい。
なにかある。
しかし、胸に湧き立つ好奇心が「直接会って話を聞け」と叫んでいる。魂からの言葉に耳を塞ぐことはできない。
俺は会う決心をした。
2
「はい」
玄関ドアを開け、男と対峙する。
「お忙しいところ、本当にすみません」
男は申し訳なさそうな表情で軽く会釈を返してきた。
「で、どこに行きたいんですか?」
「えーと、ここなんですが」
男はパソコンから出力したと思しきA4サイズの紙を取り出す。デカデカと地図がプリントされているがカラー画像をモノクロ出力しているせいでたしかに見づらい。目的地へのルートも記されているが、そこは周囲に目印となる建物のない住宅街。これでは何を目印に曲がればいいのか、地元民でもない限り難しいだろう。
「ああ、なるほど。たしかに分かりづらいですね」
そこで気づく。
この地図には通常とは異なる奇妙な点があることに。
わざと分かりづらくなるよう加工されて見える。
まず、コンビニ名が記されていない。左折を指示するマークがあるこの場所には角にコンビニがあったはず。なのにそれが、ただの民家であるように描かれているのだ。これでは迷ってしまうのも無理はない。おそらくだが、見た目温厚そうなこの人は今の会社に中途採用で入ってきた人なのだろう。ルート営業とは名ばかりの飛び込み営業をさせられるも成績は上がらず、おとなしい性格が災いして年下の上司や先輩にナメられ、バカにされ、それでも毎日を懸命に生きているのだ。これは応援せざるを得ない!
持ち前の想像力をヒートアップさせながら、俺はなんとかドンクサい彼でもゴールに辿り着けるような目印を探す。
「ああ、これだ。ここに病院があるじゃないですか。ここを目印にしたらいいと思いますよ。この道がそこの道なので、これを真っ直ぐ進んでいくと病院が見えてきます。道路脇に看板も出てますし、行けばすぐわかるでしょう。その病院を起点にして⋯⋯でも、この地図じゃ目印がないからわかりにくいな。ちょっと自分のスマホ持ってきますね。航空写真であればもっと見やすく」
「いや、もう十分です。ありがとうございます!」
男は慌てた様子で俺の手から地図をひったくる。ポカンと立ち尽くす俺に小刻みな会釈を繰り返すと、アパートの前に置かれたママチャリに跨り、そそくさと立ち去ってしまった。
この日常的でありながらも奇妙な体験が、後に俺を恐怖させることとなるのだ。
3
「なぁ、例のウワサ聞いたか?」
C棟の部室で本と真摯に向き合っている俺にサークル仲間の友人が話しかけてきた。普通、本を読んでる人間に軽々しく話しかけるか? と思いつつ、しぶしぶ顔を上げる。
「なんだよ、ウワサって」
「三年に上下先輩いるじゃん」
「ああ、いるな」
「就活やめても今年の漫才グランプリで優勝すれば人生勝ち組じゃんって言ってる上下先輩」
「先日の飲み会でも宣言してたな。今はもうほとんど学校来ないでネタ書いてるって話なら知ってるぞ」
「ちゃうねん」
「なにがやねん」
友人はガタタッと耳障りな音を立てて据わりが悪い椅子を引き抜くと乱暴に腰掛けた。
「先輩な、家宅捜査されたらしい」
「はぁ!?」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
友人はこのリアクションに満足したらしく、さらに顔を寄せてくる。
「漫才のネタ作りをな、AIに相談しながら作ってたらしいんよ」
「なんか今じゃプロでもその手法使ってるって聞くよな」
「それで、酒呑みながら作ってたんか知らんけど、AIに『腹腹時計』とか『ビー缶爆弾』とか『自爆テロ』とかそんなキーワードを打ち込んでたらしいんだわ」
ふと、脳裏に自身の記憶が蘇ってきた。
俺は趣味を実益と兼ねたくて小説を書いているのだが、以前こんなことがあったのだ。
キャラクターのセリフをAIに命じてチェチェン語へ翻訳させた時、それからしばらくAIが使えなくなるという憂き目に遭遇した。外部から持ち込んだAIではなく、パソコンのOSをアップデートしたら勝手に入ってきたAIである。にもかかわらず、使用不可。仕方がないので翻訳ウェブサービスを活用してなんとか乗り切ったのだが、あれは本当に困⋯⋯おや? これはもしかすると、ひょっとして?
友人の話は続く。
「なんか、最近の警察は組織テロじゃなく個人でテロ行為を行うローンオフェンダーってのを警戒してるらしい。ドローンとか個人でも使い方次第で大きな被害が起こせるようになってきたからなんだろうけど、AIにテロを想像させる言葉を打ち込んだだけで警察が乗り込んでくるなんて、とんだ監視社会だよなぁ。筒井康隆の『無人警察』かよ、っていう」
そう言って友人は笑ったが、俺は笑う気にならなかった。
先日、俺のアパートにやってきた白髪の人物。あれはもしかして公安の人間か。
チェチェン語に謎のこだわりをみせる俺を監視しに来たのか。
そういえば、あの奇妙な地図。地元住民か否かの確認のために作ったと考えれば納得もいく。
「ん、どうした? 顔色が悪いな」
「⋯⋯ちょっと用事を思い出したから帰る」
押収されるかもしれない俺のパソコンには消しておかねばならない画像フォルダがたくさんあるのだ。
4
ピンポーン。
部屋のチャイムが鳴り、来訪者を告げたのは午後六時から四十分ほど過ぎたあたりだ。
インターホンの画面を見ると、白髪頭の男が立っていた。
この男には見覚えがある。
無言でドアを開くと、にこやかな微笑みを湛えた初老の顔。まるで初孫を愛でるかのような目で俺を見ている。だが、油断してはならない。この男はかの悪名高き公安警察かもしれないのだ。
「⋯⋯また道がわからないんスか?」
愛想の欠片もない声と態度で接するも、男は表情を崩さない。
「いえいえ。むしろ先日のお礼とでもいいますか」
「お礼?」
男が有名洋菓子店の手提げ袋を取り出した。
「⋯⋯ケーキ、お好きでしょう?」
「まぁ、人並みには」
気取ってそう答えたが、実は大好物なのだ。好き過ぎるがあまり自分で作るようになってしまい、小説で得た収益でケーキ作りに適したオーブンレンジを買うというのが目下の目標である。
「差し上げたら先日投稿した小説を削除してもらえますか?」
「は?」
「⋯⋯いえね。我々の手口と言いますか、わかりにくい地図を使った手法を広めてほしくないんですよ」
「ああ」
アレか。
スマホが普及した昨今、時代にそぐわない作戦に思えるのだがまだ使う気でいるとは驚きだ。
「小説を書き続けたいなら、受け取った方がよくないですか?」
「⋯⋯脅迫ですか?」
「いえいえ、ただの提案ですよ。でもね」
男は言葉を区切る。
「あまりナメない方がいい。警察って組織は”正義の味方”じゃないのでね」
背筋に寒気が走った。
顔全体は柔和な笑顔でいるのに目だけが、目の奥だけが笑っていないのだ。どんな訓練を受ければ、こんな表情を作れるというのか。
「また近いうちに立ち寄りますよ。その再会がお互い本意でなければいいのですが⋯⋯」
呆然と立ち尽くす俺に背を向け、男は音もなく立ち去ってしまう。視界から男の姿が消えると同時に、たった今まで見えていた服装などの特徴が記憶からすっぽり抜け落ちていることに気づく。恐怖という過剰なストレスで相手の心に負担を掛け、記憶等の機能を封じたのだ。言葉選びと一瞬の顔芸だけで相手を心理的に縛るとは、恐怖を道具として長年愛用してきた者だけに宿る奥義にも等しい。俺は相手の見た目にまんまと騙されたわけだ。
公権力に面と向かって敵対宣言された割に不思議と俺は冷静だった。
リビングへ向かい、愛用してきたパソコンを開くと、画像フォルダの中身たちと最後の別れを惜しんだ。
了




