第9話 1552年 宝島
蝦夷島松前郡大館 1552年(天文21年)春 蠣崎季広(45歳)
今思えば、勝山館に援軍に行った時からずっと違和感が有った。我が娘を嫁がせた南条広継が、ずっと思い詰めた表情をしていたのだ。最初は初めての大規模な戦で心身をすり減らしているのかと考えた。広継にとっては初陣というわけではないが、松前からの援軍が必要な程の戦は初めての筈だ。最前線の城主の重責だけでも厳しいのに、少し負荷をかけ過ぎたかも知れないな。広継には一門衆として活躍してもらいたいという思いが強過ぎて、人員配置を少し失敗したかも知れない。3年前に我が従弟の基広が謀反を起こして討ち取られてからは、特に重圧をかけ過ぎたようだ。広継はまだ22歳と若く、こんな所で潰れてもらっては困るのだ。大層困るのだが…。
「殿、私は江差と上ノ国の民を守る事が出来ませんでした。民が目の前で奪われ殺されているのに、勝山館を守る事しか出来ませんでした。この失態の責任は全て私に有ります。どうか自害をお認めください。」
私の執務室に突然死に装束で現れてこう告げた広継に、思わず腰を抜かしてしまった。深呼吸をして白湯を一気飲みし、漸く己の対処が甘かった事を痛感した。
「広継、まずは落ち着け。私はお前に腹を切らせるつもりは全く無い。あの状況であれ以上の対処を行うのは私でも無理だ。」
「しかし殿…!」
「まあ、話を聞きなさい。元々江差と上ノ国は海からの奇襲に弱かったのだ。勝山館の配置も松前と上ノ国以北を繋ぐためのもので、北からの大規模攻撃を想定していなかったのだ。もし上ノ国を守るなら、我が曾祖父(武田信広)が築いた洲崎館の方が守り易かっただろう。江差ならば平地の北端の愛宕神社の辺りだろうか。とにかく、そこに広継を含めいずれかの将を置き、館を整備するのは私の仕事だ。私の防衛計画が甘かった結果が今回の領土失陥なのだ。広継は私が与えた任務に十分応えた。勝山館を含む天の川南岸を守り、私の娘も守ってくれた。感謝こそすれ、罰する事は決して無い。」
「殿…。しかし私はこのまま勝山館の城主に戻る資格は有りません。何らかの罰をお与えください。」
広継の頑固さに頭を抱えていると、嫡男の舜広が息を切らして走って来た。私の小姓が気を利かせて呼んでくれたようだ。後で褒美をやらねばな。
「広継、いや、義兄上。腹を切りたいと言っていると聞いたが、本当なのか?」
「若殿のお手まで煩わせてしまい申し訳有りません。私は先の敗戦の責を負わなければ気が済まないのです。殿はお優しいので罰する気は無いと仰るのですが…。若殿、私に罰を与えて下さいませんか。」
おや、広継の相手が舜広に変わったようだ。丁度良い、舜広が年上の一門衆という扱いにくい家臣をどのように扱うかお手並み拝見としよう。問題が有れば助け舟を出せば良かろう。
「義兄上、私も義兄上を罰するつもりは無いぞ。しかし周囲からは罰を受けたように見える任務を与える事は出来る。そしてこの任務は蠣崎家の今後の飛躍のために重要で、信頼出来る者にしか頼めない。どうだ、受けてみるか?」
「勿論です、若殿!是非私にお任せください!」
ほう、「罰を受けたように見える任務」か…。私には想像も付かないが、蠣崎家の役に立つなら止める必要も無いだろう。舜広が小姓に命じて持って来させた地図を広げると、我らは自然とそれを覗き込む。地図には「人」の字に似た半島が描かれており、左下に「松前」、そのやや北側に「上ノ国」と書いてある。ほう、「セタナ」はこれ程遠くに有り、その手前に随分大きな島が有るのだな。そして松前の西に2つの小さな島が書かれているな。息子が私に体を向けて堂々と話し始めた。
「この地図は夢枕で妙見菩薩が教えて下さった内容を書き留めた物です。仮に松前に近い小さな島を松前小島、奥の比較的大きい島を松前大島としましょう。この2つの島を蠣崎家で領有したいのです。どちらも無人島とのお告げだったので、兵を送る事が出来れば少人数でも占領出来るでしょう。」
「成程、菩薩様のお知恵を有り難く使わせて頂くとしよう。食料以外のお知恵も頂けるものなのだな…。」
「菩薩様は数多のお知恵を持っていらっしゃいますが、私の状況に合わせた内容を教えて下さるようです。これまでは食料の増産で飢える民を減らし、椎茸や砂糖等の貴重な食料で蠣崎家を豊かにする事を望まれていたのでしょう。今回は新しい土地について教えて下さったという事は、この島を蠣崎家が領有する事をお望みなのでしょう。」
「そうか、それはとても有り難い事だ。いつもよりも豪華なお供え物をしなければな。さて、これらの島を領有するに際し、幾つか疑問点が有る。私の疑問を解決出来る答えが出せなければ、兵や民を送る事は認めない。広継、これはそなたが就くかも知れない任務だ。疑問が有れば遠慮なく発言しなさい。」
「は、承知致しました。若様の計画がより良い物になるよう、微力ながらお手伝いさせて頂きます。」
「うむ、では1つ目の疑問だ。昨年の敗戦で、蠣崎家は知内と上ノ国を結ぶ線より奥には基本的に立ち入り出来なくなった。これは大殿が仲介した和睦条件なので破る事は出来ない。この島の領有はこの和睦に反する事は無いか?」
「は、お答え致します。この島はその線よりも松前側、方角で言うと南西側に有ります。そのため、和睦に反する事は有りません。」
「ふむ、この地図でもそのように描かれているな。ではその位置関係を信じるとしよう。では2つ目の疑問だ。何故その島を欲しがる?何十里も離れた小島を領有する事で何が得られるのだ?無人島という事は、人が住むには厳しいのではないか?」
「は、この島には貴重な資源が有ります。それは水鳥です。水鳥の羽は温かい着物の材料になります。我らや領民が寒い冬を越える助けになりましょう。特に体力の弱い赤ん坊や幼い子供の死亡率を下げられる筈です。」
「水鳥の羽か…、確かに冬を越えるための温かい着物は魅力的だな。我ら武士は襖を閉め切って火鉢を囲む事で何とかなるが、領民が同じ事を出来るわけでは無いからな…。幼くして亡くなる子供が減るのは、国力の面でもとても良い事だ。羽を得るという事は鳥肉も当然食べるのだろう?食料の足しになるな。」
「はい、更にもう1点。こちらが本命と言っても良いかも知れません。」
「それは一体何でございますか!?」
今まで黙って真剣に会話を聞いていた広継が食いついて来たわ。己が危険な船旅をする最大の理由なのだ、気にもなるだろう。
「それは水鳥の糞です。正確には、糞が長い時間をかけて固まって、岩のようになったものですね。」
隣で広継が呆けた顔をしているのがやけにおかしかった。私も同じ表情かも知れないがな。
「その糞の固まった物は、鳥肉や羽毛よりも価値が有るのか?一体何に使えるのだ?」
「はい、これは遥か東の大国の言葉で「ぐあの」と呼ぶのですが、作物を育てる際にとても優れた肥料になるのです。これが有れば、同じ面積の畑からより多くの作物が収穫出来るようになります。農業に使える平地の少ない我らにとって、とても重要であると考えております。」
「ふむ、優れた肥料は確かに有り難いな。今でも人や牛馬の出した物を肥溜めに入れて肥料を作っているが、如何せんこの土地は寒すぎて良い肥料が作りにくいと農民がぼやいておった。多くの食料を作れれば、人口増加にも繋がるだろう。うむ、島を領有しても良い理由と、領有したい理由は理解出来た。それでは3つ目の疑問だ。その島にはどのように行くのだ?地図上では手前の松前小島でさえ松前から約7里、松前大島はそこから更に11里程有るようだが。領民がそこに行ったという話も聞かないし、恐らく和人として初めての航海になるぞ。我らの船で行けるのか?無謀な航海で広継という貴重な家臣を失う事は出来ないぞ。」
「それについては別のお知恵を頂いております。南蛮船が何ヶ月もの船旅に耐えられる秘密を教えて頂きました。そちらは地図以上に書き出すのが難しいのですが、もうすぐ図面が完成予定です。特に竜骨という船の背骨にあたる部材が重要との事です。図面が出来次第、松前の船大工に試作品を作らせ、松前〜勝山館の間で練習航海後に実戦投入予定です。広継には練習航海から参加してもらおうと考えています。」
ほう、新たな船のお知恵も頂いたのか。予想よりも無謀な話では無いのかも知れないな。広継が体を舜広の方に乗り出した。
「若殿、私に新たな任務をお与えくださり大変有り難く存じます。我が命に賭けても若殿が求める物を持ち帰ります!先程若殿は私に練習航海から参加するよう仰いましたが、どうか船を造る段階から参加させて頂けないでしょうか。松前小島や大島に船大工を連れていけるかは分かりませんが、私や乗組員も船の修理を出来るようになりたいのです。」
「その意気や良し!船大工には私から頼み込んでおこう。きっと弟子が増えたと喜ぶ筈だ。」
「若殿、ありがとうございます!ご期待に沿えるよう全力を尽くさせて頂きます。」
「父上、この処置で宜しいでしょうか。羽毛や「ぐあの」を効果的に使えるよう、今後も研究を進める予定です。」
どうやら我が後継者は、私が思うよりも深く蠣崎家の繁栄を追い求めているようだ。私は案外早めに隠居して楽を出来るかも知れないな。私は嫡男の成長を喜びながら、ゆっくりと深く頷いた。




