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松前の斗星  作者: 和府


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第4話 1551年 交渉

蝦夷島松前郡折加内北部 1551年(天文20年)夏 チコモタイン(32歳)


 何故私は軍を率いて蠣崎家の本拠地である松前を目指しているのだ…?最近になって、チリオチアイヌの中で急に反和人の空気が高まっていた。確かに和人から利益だけを受けていたわけではないが、だからと言って何故急に戦をする程の憎しみが生まれたのか?セタナイのハシタイン殿の部下がおかしな演説をしてから、急に流れが変わってしまった。我らアイヌが貧しいのは和人のせいだと言っていたが、何ともおかしな話だ。我らは自然の恵みに感謝しながら自給自足していた筈だ。食料は村で分け合い、貧富の差は殆ど無かった筈だ。それをセタナイの連中は、和人がアイヌより良い暮らしをしているのは、奴らがアイヌから富を奪っているから等と言う。確かにアイヌが和人から自前で作れない鉄の道具を買っているのは事実だが、それはこちら側が求めているからだ。和人が押し売りするわけでは無い。昔は大陸からも鉄器を買えたので今より安かったらしいが、それが無くなったのは和人のせいではない。そもそも和人社会は王国だ。貧富の差が有り、庶民の生活は我らとあまり変わらない。そこからどれだけの物を奪えるのだろうか?

 はあ、状況を整理したら余計に憂鬱になって来た…。しかしここで私が和人の肩を持って反戦を訴えれば、恐らく和人の手先呼ばわりされて惨殺されるだろう。私だけならまだ諦めも付くが、大切な息子のオキクルミも殺されるのは耐えられない。オキクルミは和人の村に頻繁に遊びに行き、彼らの王子と友人だからな。疑う理由は山盛りだ。

 オキクルミ…。何故こんな時期に松前に行かせてしまったのだろうか…。無理にでも引き止めるべきだったのに…!和人の王や王子はそれなりに賢明だから誤りを侵さないだろうが、部下や村人となるともう分からないな…。反アイヌ感情で暴発する輩も出るかも知れない。最悪の場合、もう生きて会えない事も考えねばなるまい。もしそうなれば…。私が和人と親しくする理由は無くなり、彼らを積極的に滅ぼすだろうな。

 さあ、この峠を越えれば折加内だ。ここを奪えば次は松前、和人の本拠地だ。戦慣れした和人なら、この辺りで仕掛けて来ると思うのだが…。



蝦夷島松前郡折加内北部 1551年(天文20年)夏 蠣崎季広(44歳)


 峠の下からアイヌの軍勢が登って来る。やはり数が多いな。しかし我らには優れた武器と、少しだが馬も居る。一人頭の戦力ではこちらが有利だ。しかし人数差は如何ともしがたい。まともにぶつかれば勝ち目は半々くらいか?

 まあ良い。今回は戦わずにアイヌを追い返すのが最上だ。そのためには彦太郎、上手くやってくれよ…!まだ11歳の息子に頼る当主というのも情けないが、私の面目等大した問題では無い。彦太郎の言う通り、ここでチコモタイン殿と決裂すれば、我らは近い内に滅ぼされるだろう。


「我らの父祖の土地を取り戻せ!」


 アイヌの叫び声に体が震える。これだけの憎しみを受けていたと思うと寒気がする。アイヌは本気で戦うつもりなのか…。先頭のチコモタイン殿は何とも言えぬ浮かない顔をしているが、彦太郎の言葉と行動は彼に届くのだろうか…?私は枯れる程の大声で呼び掛けた。


「久し振りだな、チコモタイン殿!今すぐ戦をしたいかも知れないが、その前に我が息子の言葉を聞いてくれないか!?」


「蠣崎殿こそ元気そうで何よりだ!蠣崎家当主である貴殿ではなく、嫡男の彦太郎殿の言葉とな!?面白い、是非聞かせてもらおうではないか!」


「かたじけない!彦太郎、後は任せたぞ。」


 私の隣に立つ彦太郎が堂々とアイヌ達に語り掛けた。


「チコモタイン殿とアイヌの皆様方!この若輩者にこのような重要な場で話す機会を与えてくださり心から感謝致す!私は蠣崎家当主である季広の嫡男、彦太郎である!」


 彦太郎の予想以上に大きく響く声に、私や重臣達が思わず目を合わせる。良く通る声は大将の資質の1つだが、我が息子は既にそれを持っているようだな。


「まず初めに、こちらに訪れていたオキクルミ殿をお返し致す!勿論怪我等させていないぞ!」


 オキクルミ殿が彦太郎と私に無言で頭を下げ、そしてチコモタイン殿の方に走って行く。チコモタイン殿もオキクルミ殿に走り寄ろうとしたが、罠を警戒する他のアイヌに引き留められた。オキクルミ殿は和人とアイヌの中間くらいでこちらを向き、「ヒコタロウ、ありがとう!」と叫び、そして父親の腕に飛び込んだ。チコモタイン殿は漸く安心したようで、幾分穏やかな声で呼びかけて来た。


「蠣崎殿、彦太郎殿、我が愚息を無事返して頂き感謝する!それでは次は戦の話をしたいのだが…。オキクルミが背負っているこれは何だ?何かの食べ物か?」


「チコモタイン殿、その通りです!それは私が栽培している玉蜀黍に甜菜糖をかけた甘味です!全員分有るか分かりませんが、是非食べてみてください!」


 うーむ、私の嫡男が時々良く分からない事をするのは知っていたが、それをこんな重大な場面でするのか…。甜菜を使った謎の実験の結果がここで飛び出すとは、緊迫した空気が薄らいで来たぞ。まあ、貴重な食糧では有っても決して毒物では無いわけだし、まだ任せておいて良いか…。


「お父さん、僕もこれを食べさせてもらったけど、すっごく甘くて美味しかったんだよ!僕も作るのを手伝わせてもらった食べ物だから、皆も安心して食べてみてよ!」


 お、オキクルミ殿が素晴らしい手助けをしてくれたな。未知の食べ物?に戸惑い腰が引けていたアイヌの男達も、恐る恐る手を伸ばして口に放り込んでいる。


「何だこれ、異常に甘いぞ!?」「この変な黄色い実も意外と旨いな。こんなの近くに生えてたか?」「旨いけど少し喉が渇くな…。」


 どうやら土産は気に入ってもらえたようだ。先程まで戦直前だったとは思えない程、アイヌ達の空気が緩んでいる。まあ、この時代は甘味が貴重だから仕方無いな。私も以前食べさせてもらったが、甘過ぎて思わずむせてしまい妻に笑われたものだ。和人の男達にはそれ程人気は無かったが、女達が泣く程絶賛していて飛ぶように食べ尽くされていたな。アイヌは男にも甘党が多いのかも知れん。


「彦太郎殿、貴重な甘味をかたじけない!見ての通り男達だけで食べ切ってしまったので、里の女達にはこの事は黙っていてくれ!妻や娘に持ち帰らなかった事を咎められるのは、何よりも恐ろしいのでな!」


 流石チコモタイン殿、緊張感を見事に吹き飛ばしてくれた。和人もアイヌも大いに笑っている。和人と異なり血筋で選ばれない指導者というのは、人を惹きつける魅力が有るものだな。さて、彦太郎はここからどこに着地させるつもりなのだろうか?


「私は口が堅いのでご心配無く!いずれもっと多く収穫出来れば、その時にはチコモタイン殿の村の皆が食べられるだけの量をお送りしましょう!しかし、ここで1つ困った事が有るのです!御相談に乗って頂けませんか?」


 困った事とな?彦太郎がこちらに来てくれと手招きしている。チコモタイン殿とオキクルミ殿も不思議そうな顔でやって来た。我ら4人は和人とアイヌの中間地点で地面に腰を下ろした。


「チコモタイン殿。私はあなたを、自分達の利益の為なら和人とも協力出来る、優れた指導者であると信頼しています。なので率直に言います。我ら和人には玉蜀黍や甜菜を育てる平地が足りません。少量を栽培する土地と、甜菜から糖を作り出す技術は有りますが、このままでは大量には作れません。そうですね…、今回お渡しした量の3倍が、今の私が一年で作れる限界の量です。」


「何と、貴重な物とは思っていたが、それ程だったとは!それを惜しげも無く土産にしたのは何故なのだ?」


「それはチコモタイン殿やアイヌの皆様に価値を知ってもらうためです。私はこれを大量に作り、より多くの人に食べさせたいと考えています。他にも導入したい食料は有りますが、どれも私の周りから飢えを無くすための手段と考えています。」


「それは崇高な考え方だな…。その話を私にしたという事は、我らチリオチアイヌの土地を欲しいという事か?」


 俄かに空気が張り詰めた。彦太郎がアイヌの土地を欲すると答えれば、理想を語っているとしても結局は土地の奪い合いになってしまう。アイヌは武力を以て抵抗するだろう。


「チコモタイン殿、誤解させてしまい申し訳有りません。私はあなた方の土地を欲していません。欲しいのは収穫物と労働力です。」


「それはつまり…。アイヌがアイヌの土地で玉蜀黍や甜菜を育て、その収穫物を寄越せという事か?」


「寄越すというよりも、買い取りや物々交換が出来ればと考えています。あなた方が欲する鉄の道具でも良いですし、銭でも構いません。玉蜀黍は茹でれば食べられるので、私に売るのは収穫の一部になるかも知れませんが、それでも構いません。」


「うーむ、どうもその取引はアイヌに利益が多過ぎるようだが…。彦太郎殿はそれで良いのか?」


「はい、私にも幾らかの利益は有りますから。それに、隣人と良好な関係が築けるなら、それに越した事は無いのです。」


 チコモタイン殿が腕を組んで空を見上げた。青く澄んだ空に背の高い雲が流れていた。チコモタイン殿はこちらに顔を向けると漸く口を開いた。


「良かろう、彦太郎殿。私はその案に乗ろうと思う。我らチリオチアイヌからしても、隣人と平和共存出来るなら素晴らしい事だ。飢えを遠ざけられるなら猶更だ。」


「ありがとうございます、チコモタイン殿!」


 彦太郎が頭を下げるとチコモタイン殿がそれを手で制した。


「但し!蠣崎殿や彦太郎殿が知っての通り、我らアイヌは国ではない。和人の国とは違い、合議制の村のようなものだ。私は王族でも領主でもないから、私の意見を皆が否定するなら取り下げざるを得ない。彦太郎殿の意見を実行出来るのは、あくまで村の会議で合意を得てからだ。私は皆を説得はするが、命を懸けてまでする気は無いぞ。」


「それで充分です、チコモタイン殿。むしろあなたにはこれからも末永くチリオチアイヌを率いてもらいたいので、身に危険が及ぶようなら説得は諦めて頂いて結構です。」


「ふむ…。どうやら我らは共に繁栄出来るようだ。皆を説得して来るから、少し待っていてくれ。」


 どうやら会談は上手く行ったようだ。チコモタイン殿とオキクルミ殿がアイヌの方に帰って行く。チコモタイン殿の言葉に多くのアイヌが聞き入り、そして頷いている。彼らに損は無い話だからな。和人との協力を否定する者でなければ、今回の申し出は良い話だろう。おや、一部のアイヌが騒いでいるな!チコモタイン殿に掴みかかり、他のアイヌに取り押さえられている。何と言っているのか…。セタナイ…、ハシタイン…、シサム…、殆ど聞き取れないな。む、チコモタイン殿が刀を抜いて騒ぐアイヌに突き付けたぞ!男は何か捨て台詞を残し、チリオチの方に走り去った…。


「蠣崎殿、お見苦しい所を失礼した!」


「いえ、お気になさらず。何か問題が?」


「ああ、今走り去ったのはセタナイのハシタイン殿の部下だ。彼が少し前にチリオチに来てから、急に反和人の雰囲気が高まり、そのまま軍を起こす事になったのだ。どうやら優秀な扇動家だったようだな。」


「成程、ハシタイン殿か…。」


私は急に激しい悪寒に襲われた。ハシタイン殿はチリオチアイヌを我らをおびき出す囮にしたのではないか…?もしそうなら本当の目的は…。


「殿、勝山館の南条殿からの伝令です!ハシタイン殿率いるセタナイアイヌ軍が天の川の北側河口に突如上陸!村人を手当たり次第に斬り殺しているそうです!迅速な援軍を願うとの事です!」

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