第3話 1551年 和人とアイヌ
蝦夷島松前郡大館 1551年(天文20年)夏 蠣崎季広(44歳)
「今度こそ憎き和人達を、我らアイヌの島から一人残らず叩き出してやる!」「我らの父祖の土地を取り戻せ!」
アイヌ地域との境界の見張り小屋の兵士は、耳をつんざく程の怒声に叩き起こされたらしい。1536年(天文5年)のタリコナの蜂起以来の激しさで、アイヌが和人地に侵攻して来たのだ。伝令からの急報を聞きながら、私は絶望的な気分で戦支度を急いだ。かつて父や祖父がしていたように、今度は私が和人を率いてアイヌの侵攻を止めねばならないのだ。勝てばまたここで暮らす事が出来るが、もし負ければ…。アイヌの毒矢で殺されるのか?大館に自ら火を付けて一族で自害するのか?凍える北の海の底に都を探すのか?安徳天皇の真似事をするにしても、せめて温かい海にして欲しかった…。
いやいや、戦う前から負けた後を想像して絶望する指揮官が何処にいる!皆の命を預かる私には悲観や逃走の権利は最初から無いのだ…!伝令曰く、チリオチからはチコモタイン殿が、セタナイからはハシタイン殿が大軍を鼓舞しながら迫っているようだ。私は本拠地の大館の近くまで迫るチコモタイン軍を止めるために、折加内の北の峠に陣を敷くとしよう。ここでチコモタイン軍を撃退すれば、折加内とその奥の本拠地松前を防衛出来る。いかにアイヌが弓達者と雖も、坂の上を取ればこちらが有利だ!アイヌ軍と言っても、彼らは国家ではなく部族の連合体に過ぎない。複雑な作戦行動は出来ない筈だ。軍事技術もこちらの方が進んでいる。何せアイヌは自前で小刀も作れないくらいだ。有利な場所から矢の雨を降らして運良く指導者を戦闘不能に出来れば、散り散りに逃げて行くだろう。今回は防衛戦なので、深追いする必要は無い。戦後は国境に砦を増やすのも良いな。念のために檜山の殿(安東舜季)にも後詰を依頼しよう。殿の軍が加われば、負ける事は無いだろう。
蝦夷島松前郡松前村 1551年(天文20年)夏 オキクルミ(12歳)
僕はオキクルミ、チコモタインの長男さ!お父さんはチリオチ周辺のアイヌの長で、アイヌで最も強くて偉大な男なんだ!僕達チリオチアイヌは西隣の和人地域と交流が多いから、小刀や金属製農具とか進んだ道具を手に入れ易いんだ。勿論和人の隣に住むのは良い事ばかりじゃない。交流が多い分喧嘩は起きるし、他のアイヌから妬まれる事も有る。それでも僕はチリオチを気に入ってるんだ。
お父さんはよく口癖のように、和人との共存こそ繁栄の礎と言ってるんだ。中には嫌な和人も居るけど、多くの和人は良い奴らだし、彼らから学ぶ事も多いんだ。僕はよくマツマエに行って、同年代の和人の子供達と遊ぶんだ。あ、勿論お父さんの許可ももらってるよ!それで、その中でもヒコタロウっていう奴が一番面白いんだ!和人の王がカキザキスエヒロって言うんだけど、その長男で次の王らしい。でも全然偉ぶらなくて、和人にもアイヌにも平等に接してるんだ。お父さんも、ヒコタロウが王になれば今以上に和人と仲良く出来そうだって言ってた。ヒコタロウは料理や食材に興味が有るみたいで、この前はマツマエ漬けっていう変な漬物?を試食させてくれたんだ。正直あまり美味しくなかったけど、海の向こうの和人の島では大人気らしい。やっぱり味覚が違うのかな?
今日もいつものようにヒコタロウの所に出掛けようとしたら、珍しくお父さんに反対されたんだ。でもトウモロコシ料理の新作が僕を呼んでるから行かなくちゃ!お父さんにはお土産を渡せば大丈夫でしょ。
今日の新作はマツマエ漬けよりずっと美味しかった!お父さんだけじゃなくて、チリオチの皆にも食べさせたいなぁ。そんな事を考えてたら、急に辺りが騒がしくなってきた。早口の和人の言葉だから半分くらいしか分からないけど…。何だって?アイヌが攻めて来た?チコモタインが軍を率いている?そんなまさか!お父さんがそんな事する筈ないじゃないか!ヒコタロウを見ると彼もとても驚いているみたいだ。彼のお父さんが率いる軍と、僕のお父さんが率いる軍で殺し合いをするかも知れないのか…。
「おい、ここにアイヌのガキが居るぞ!」
突然僕は大きな和人の男に取り囲まれ、地面に押さえ付けられた。
「戦相手の城下をうろつくなんて、子供でも素破に違いない!牢屋に放り込め!抵抗するなら斬り捨てて構わん!」
男達の頭だろうか、比較的高級そうな服を着た武士が僕を睨み付ける。僕はどうしようも無く恐ろしくなり、とうとう泣き出してしまった。
「止めよ広益。その子供は私の友人だ。」
大声でも無いのに、不思議と良く通る声にヒロマスと呼ばれた武士の背筋が伸びる。振り向くとヒコタロウが今まで見た事が無いような、威厳の有る雰囲気を醸し出していた。
「ここにいらっしゃったのですか、若殿。今から戦が始まるのでここは危険になるかも知れません。館にお戻りくださいませ。」
ヒロマスは丁寧だが有無を言わさぬ威圧感を込めてヒコタロウに迫った。
「広益、それはならぬ。私はこれからオキクルミをチコモタイン殿に無事お返しせねばならぬ。チコモタイン殿は元々和人に融和的な立場の方だ。今回は何らかの理由で回りのアイヌ達が激昂し、それを止められず仕方無く軍を率いているのだろう。そんなアイヌ達には、上げた拳を下ろす機会をこちらから与えねばならぬ。」
「確かにチコモタイン殿はそのような方ですが…。あ、殿!殿から若殿に安全な館で待つよう言い含めてくれませぬか?」
蝦夷島松前郡松前 1550年(天文19年)春 蠣崎季広(43歳)
戦支度を整えた私達が、小高い丘の上に有る大館から松前を通って海岸沿いの道に向かう時だった。昨年の基広討伐で活躍した長門広益から呼び止められたのは。何やら広益の部下がアイヌの子供を取り押さえているようだな。どこかで見た事の有る顔だが、誰だったかな…。
「殿、アイヌの子供が戦中であるにも関わらず村をうろついていたので取り押さえました。若殿は彼の事をチコモタイン殿の長男のオキクルミ殿と呼んでおりますが、どう致しましょうか。」
何と!敵将の長男を偶然にも捕らえていたのか!これは広益に更に褒美を与えねばならんな。そろそろ他の家臣に嫉妬されてしまうかも知れぬ。
「でかしたぞ、広益。オキクルミ殿には我らと共に戦場に来てもらい、チコモタイン殿を撤退させるための人質としようではないか。」
これで折加内方面の戦は目途が立って来たな。一兵も損なわずに追い払えるのが最上なのだが…。私がこれからの手順を考えていると、黙って聞いていた彦太郎が突然口を開いた。
「父上、それはなりません!我らが比較的上手く付き合えているチコモタイン殿を、本格的に敵に回す事になりますぞ!」
私は驚いてしまった。彦太郎が私に向かって初めて大声を出した事と、正面から私の方針に反対した事にだ。大人の戦の話に割り込んで来た事には少し苛ついたが、平時には優れた発想をする彦太郎の考えに興味が湧き、続きを促した。
「父上、私はオキクルミを戦場に連れていくのは賛成です。しかし、人質ではなくチコモタイン殿の元に無事送り返すためにです。今回アイヌが攻めて来た理由はまだ分かりませんが、チコモタイン殿は訳も無く攻めて来るような愚かな指導者では有りません。オキクルミを無事に返し、冷静に対話する事で落とし所を見つけるのです。丁度オキクルミに渡す予定だった食料の土産も沢山有ります。私達はチコモタイン殿やアイヌと良き隣人で在りたいと伝えるべきです。」
「彦太郎、それは戦が始まる前なら良き案だっただろう。しかしもうアイヌは攻めて来ているのだ。松前と折加内の将兵は続々と折加内の北の峠で迎撃の準備をしているのだ。」
「父上、それでも和人とアイヌは良き隣人で無ければならないのです。これはアイヌにも利益は有りますが、むしろ私達のためなのです。この蝦夷島がどれだけ広いかご存じですか?その島にアイヌが何万人住んでいるかご存じですか?」
彦太郎の難解な問いに、私は言葉に詰まってしまった。私が知る蝦夷島は、東は妻のかつての実家の宇須岸、北は従弟の基広が城主を務めていた勝山館までだけだ。
「この島の中で我ら和人は、極狭い土地しか持たない少数派に過ぎません。チコモタイン殿を敵に回せば、我らの周りは全て敵となります。今回何とか撃退出来たとしても、近い内に今回以上の大軍で攻め寄せられ、全て踏み潰されて皆殺しにされるでしょう。我らにとって唯一と言って良い友好的なアイヌの権力者がチコモタイン殿です。彼を敵に回せば、我らは数年以内に滅亡するでしょう。」
滅亡。武士にとって最も避けたい結末だ。自分一人が討ち死にしても嫡男が居れば家は存続出来るが、滅亡すれば全てが無に帰す。
「ふーむ…。分かった、彦太郎。其方の考えを採用しよう。後は私や広益が取り計らうので、其方は安全な大館で待っていてくれ。」
元服前の嫡男を戦場に連れて行くのは危険だから避けたいが…。
「父上、私の心配をして下さるのは有難いのですが、私が言い出した事です。私にチコモタイン殿と話をさせてくれませんか?」
鬼気迫る嫡男の眼差しに、私は頷く事しか出来なかった。こうなれば、何としてでも彦太郎だけは守らなくては…。




