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松前の斗星  作者: 和府


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第2話 1545年 2つの別れ

蝦夷島松前郡大館 1545年(天文14年) 蠣崎季広(38歳)


 父の義広が67歳で亡くなった。この世での役目を全て果たしたかのように、満足そうな顔で永遠の眠りについていた。普段は家中の誰よりも早起きして、散歩や読経をしてから朝食に現れる父が、いつまで経っても現れなかった。様子を見に行った私は、寝床で冷たくなった父と対面する事になった。人生50年と言われるこの時代に在って、父は十分に長生きした部類になるだろう。最期まで蠣崎家当主としての威厳を崩さない、強い父だった。

 1479年(文明11年)に始まった父の人生は、アイヌとの戦いの歴史だった。1512年(永正9年)のショヤコウジの戦いを父(私の祖父)の光広(みつひろ)と共に戦い、騙し討ちとは言えアイヌの軍を撃退して私達の土地を守った。1514年(永正11年)にはアイヌが陥落させた松前大館、つまりこの館を取り戻して入城した。1521年(大永元年)に42歳の高齢で家督を継いだ後も、何度もアイヌと戦い、時には騙し討ちをしてでも私達の土地を守り続けた。幼い頃の私は正々堂々と言えない戦いをする父や祖父が嫌だった。ある日激しく叱られる事を覚悟して、もっと真っ当に戦いたいと勇気を振り絞って父に言った事が有る。その時の父の表情は…。何かを諦めたような、それでも私に期待するような、感情の入り混じった苦笑いだった。怒鳴りつけてくれた方が、何倍も私は気が楽だっただろう。元服して政治や軍事に携わるにつれて、負ければ全てを失う覚悟で全力を尽くして戦う父は、立派な当主なのだと思うようになった。蠣崎家はどこまで続くか分からない程広大な蝦夷島のごく一部、爪の先程の小さい土地に何とかしがみつく事しか出来ない弱小勢力に過ぎない。曾祖父の武田信広の頃から、よくぞアイヌに滅ぼされずにここに居続けられたものだと感じ入る程だ。薄氷を渡りに渡って、間一髪や騙し討ちを繰り返し、信義も信頼もかなぐり捨てて、泥臭く何とかここまで続いて来た。

 そんな蠣崎家の家督を、私は継ぐのだ。何としてもここで生き延びねばならない。彦太郎が元服して家督を譲り渡すまで、私がその舵取りをしなければならないのだ。この松前周辺の狭い土地さえ守れるなら、私はアイヌと和睦し、彼らの土地に立ち入らない事を誓っても良い。仮に狭い土地しか無くとも、私達はアイヌとの交易だけで生活していけるのだから。

 嫡男の彦太郎は6歳になった。彦太郎が産まれた翌年には、次男の万五郎も生まれた。2年続けての慶事に、松前は祭りのような雰囲気だった。

 彦太郎はとても優秀だ。勿論5歳になる万五郎も素直で明るく、将来がとても楽しみだ。しかし彦太郎は何というか…。異なる方向にも優秀なのだ。勉学や武術に熱心に取り組み、知識や思慮深さで言えば私が同じ年齢だった頃よりもずっと大人びている。衝撃を受けたのは、山で見つけた椎茸を食べるのではなく、増やす方法を探し始めた事だ。椎茸は山に生えている物しか存在しないというのが常識なのに、彦太郎は「条件が揃えば人工的に増やせる筈」と言って、物置小屋で良く分からない実験に熱中していた。子供の遊びと思って好きにさせていたら、ある日珍しく興奮した様子で、私の手をぐいぐい引っ張って物置小屋に連れて行ったのだ。何かと思ったら、何と椎茸が増えているではないか!楽しそうに説明していた内容は半分も理解出来なかったが、私は彦太郎が並の秀才ではないと直感した。生まれた時に北斗七星が刻まれたふくろうの置物を握っていたが、もしや妙見菩薩の知恵を頂いているのだろうか。彦太郎が産まれた時にあまりの嬉しさに「蝦夷島の隅々まで領土を広げよ」と言ってしまったが、本当に実現してしまうのではないか!

 私は頭を振ってその極めて楽観的な考えを振り払った。まずは生き延びる事が最優先だ。凡人に過ぎない私が出来る事は、少しでも良い状態で蠣崎家を彦太郎に継がせる事だ。椎茸は幸運にも山で大量に取れた事にして、栽培出来る事は秘密にするよう彦太郎に命じた。椎茸は主君である安東舜季(あんどうとしすえ)様(31歳)に全て献上した所、大層お喜びになっていた。後から聞いた話では、一部は安東家で楽しんだものの、大部分は京の帝と将軍(足利義晴様)に献上したらしい。蠣崎家への感謝の気持ちなのか、更に椎茸を求めているかは分からないが、献上の際に私の名前も出してくれたらしい。北の果ての弱小領主の名前が帝や将軍に届くというだけで、私はとても誇らしかった。

 彦太郎はその後も椎茸栽培方法を改良し、収穫量も徐々に増えていった。毎回帝に献上しても飽きられるので、適宜換金して舜季様と利益を分配した。彦太郎はそれだけでは飽き足らないのか、今度はスルメイカと昆布、塩といった松前ではありふれた食材を使って実に旨い漬物を作り出した。「これを松前漬けと名付け、蠣崎家の名物にしましょう!」と楽しそうに話す彦太郎は、年相応の可愛らしい子供だった。他にも小麦粉からうどんを作ったり、山奥に僅かに自生していた蕎麦を栽培したり…。彦太郎のお陰で、蠣崎家の食卓は随分と豊かで楽しいものになった。蕎麦をそばがきではなく麺として食べ出した時は、流石に何事かと思ったが…。

 椎茸と松前漬けが魅力的だったのか、以前よりも松前の港に多くの船が商売に来るようになった。津軽海峡を越えるのは大変だろうに、それでも利益を求めてここまで来るのだから、商人というのは凄まじいものだ。

 彦太郎のお陰で蠣崎家は段々豊かになっていった。冬を越せずに亡くなる領民が減り、うどんや蕎麦といった麺類が庶民の間でも食べられるようになった。蝦夷島では米が取れないので、代わりの主食が有るのは大変有難い事だ。蠣崎家の知名度は商人を通して陸奥や出羽、北陸で少しずつ上がっていった。私は主君から目を付けられて「出る杭は打たれ」ないか心配していたが、利益を適切に舜季様にも流した事でそれは杞憂に終わった。

 蠣崎家は彦太郎の代で更に大きくなる。私はいつしかそんな確信を持って日々を過ごすようになっていた。今は亡き父上も、孫の豊かな発想と行動力を隣で見るのが楽しくて仕方無かったのだろう。



蝦夷島松前郡大館城 1548年(天文17年) 蠣崎季広(41歳)


 従弟の蠣崎基広が謀反を起こした。基広は私から見ると従弟で、父義広の弟の高広の嫡男に当たる。3年前に私が家督を継いだ事にずっと不満を抱いていたようで、とうとう暴発したというわけだ。蠣崎家を守るために、謀反は絶対に許してはならない。私は頼りになる家臣の一人、長門弘益を大将として基広を鎮圧した。鎮圧と言えば聞こえは良いが、要は基広を討ち取って首を持って来るように弘益に命じた。弘益が期待通りの働きをしてくれたお陰で、今の私は憤怒の表情のまま首から上だけになった従弟と対面している。基広には一門衆として私を支えて欲しかったのだが…。人生とは中々上手く行かないものだ。良い働きをしてくれた弘益には褒美として蠣崎家が代々受け継ぐ「広」の字を与え、広益に改名させた。

今回の謀反を受けて、私は一門衆の脆い面を痛感した。従弟ともなると、権力を奪うために主君を討ち取る事を躊躇わない愚か者も出て来るのだ。いや、このような愚か者を出す仕組みそのものも、また何かが足りないのだ。一族意識が有る分、自分が当主に成り代われると考えてしまう事も有るのだろう。これが家臣ならばそうはいかないのだが…。やはり当主と嫡男は他の一族より絶対的に上の存在なのだと示す仕組みが必要だ。能力に関係無く嫡男が家督を継いでいく事が当然と思える仕組みを作らなければ、いつまでも今回のような悲しい出来事は続くだろう。もし嫡男が能力不足でも、一門衆や家臣で盛り立てていけば何とでもなる。

 幸い嫡男の彦太郎はとても優秀だ。今年で9歳になるが、文武両道に加えて独創的な発想には毎回驚かされる。以前発明した松前漬けのお陰で蠣崎家の知名度は大いに上がった。たまに商人と間違われるのは…、まあご愛敬と笑って流せば良い。椎茸や松前漬けが儲かると聞きつけた倭寇も時々松前に来航するようになった。彦太郎は彼らと身振り手振りや絵を使って何とか意思疎通しようと藻掻いており、次に彼らが来た際に不思議な作物を嬉しそうに買い取っていた。一つは膨らんだ棒に黄色い粒が何百とくっついている奇妙な形で、彦太郎は「玉蜀黍」等と言っていた。遥か東の「墨西国」なる地方の米のような食料らしく、これでまた食生活が豊かになると楽しそうだった。もう一つは「甜菜」という、大根によく似た野菜だった。何故大根もどきを倭寇に高い金を払って買うのか、いつものように私には理解出来なかった。倭寇も彦太郎が何故これを買い求めているのか理解出来ていないようだった。彦太郎の遊び場だった物置小屋は椎茸等の稼ぎで拡張され、今や小屋と言えない程の規模になっていた。彦太郎は甜菜を棒状に刻んだり煮込んだり、また良く分からない実験に没頭するようになった。椎茸の成功例も有るので、時間はかかってもきっと何か価値の有る物に繋がるのだろうと、私はぼんやり考えていた。

 10月になると正室の蔦姫が3人目の男子を産んでくれた。彦太郎のような天才に育つよう願いを込めて、「天才丸」と名付けた。彦太郎も万五郎も歳の離れた弟に興味津々で、天才丸の頬をつついては楽しそうに笑っていた。彦太郎を支える仲の良い弟達になってくれる事を心から祈った。

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