第11話 1552年 悪夢と覚悟
蝦夷島松前郡大館 1552年(天文21年)秋 蠣崎舜広(13歳)
一面に黒い夜の海が広がり、一隻の船が大波に翻弄されている。私はその光景を何故か上から見ており、これが夢なのだとぼんやり理解していた。船の揺れは益々酷くなり、何度も波を被ったのか、甲板は既に海水だらけだ。その甲板で全身ずぶ濡れになりながらも、何とか沈没を避けようと必死に指示を出し続ける男の顔に見覚えが有った。
「あれ、広継じゃないか…?今は松前両島の資源探索をしている筈だけど…。」
私の独り言は荒れ狂う海風にかき消され、船員には全く届かない。その時だ、特に大きな波が船を襲い、とうとう船はひっくり返ってしまった。船員は次々と夜の海に飲み込まれ、二度と海上に上がって来なかった。
「広継、嘘だろ…?こんな所で広継を失うなんて、そんな事有って良いわけ無いだろう…?私が資源探索を命じたせいで、こんな事に…!」
絶望に潰される私の視界が激しく揺らぎ、次に見た景色はアイヌの村だった。今度は普段と同じ、地に足が着いた視点だった。話している言葉は分からないが、どうやらアイヌ達が誰かを取り囲んで責め立てているようだ。まただ、私はこの責められている男が誰か知っている。これはチコモタイン殿だ。彼は必死に他のアイヌ達を説得しようとしているが、誰も耳を貸そうとしない。そして…、アイヌ達がとうとう武器を取り出し、チコモタイン殿に殴り掛かった!血を流しながらも必死に説得を試みるチコモタイン殿だが、徐々に声が弱弱しくなり、最後にはピクリとも動かなくなってしまった。私はあまりの恐ろしさに何とか逃げ出そうとしたが、足が震えて全く動けない。そんな私の目の前にまた見覚えの有る少年が引きずり出されてきた。オキクルミだ…。オキクルミはチコモタイン殿の亡骸に縋り付いて大声で泣いていたが、再び振り下ろされた武器によってすぐに父と同じように静かになった。アイヌ達は親子を殺害して満足したのか、各自の家に戻って行く。後に残されたのは、私が最も重要視している2人のアイヌの亡骸だった…。
「チコモタイン殿…、オキクルミ…。何であなた達まで殺されなきゃならないんだ…。チリオチアイヌを飢えから救うために和人と手を組む事は、親子揃って殺される程の重罪なのか…?私が蠣崎家の繁栄のために取引を持ち掛けたせいで、こんな事になるなんて…。」
視界が更に揺らぐ。今度は川の対岸で和人の城を見上げている。これは上ノ国の勝山館か…?去年の停戦交渉で行ったが、天の川の北側からはこう見えるのだな。この場所とこれまでの流れから考えると…やはり…。
「アイヌの大軍が攻めて来たぞ!」
村の男達が武器を手に立ち向かうが、多勢に無勢。しかも奇襲を受けた事で指揮系統がボロボロになっているのだ。和人に勝ち目は無い。案の定、武器を持った男は複数のアイヌに囲まれてすぐさま息絶えた。アイヌ兵は和人の戦える者が粗方いなくなったのを確認すると、残されて泣きながら震えている和人の女を暴行し始めた。大量の和人軍が勝山館の港に到着し戦闘が終わった時には、天の川の北側で生きている和人はもう見当たらなかった。私は震えているばかりで刀も握れず、焼け落ちた廃屋に隠れた事で運良く生き延びたようだ。
「もうやめてくれ!」
自分の大声で目覚めた私の目からは、涙が流れ続けていた。嗚咽と涙で上手く呼吸が出来ない。辺りはまだ暗く夜明け前のようで、きっと誰も助けに来ないまま私は息が出来ずに死ぬのだろう。まるで夢の中の広継のように…。意識が薄れていく中、どたどたと誰かが廊下を走って近付く音が聞こえた。一体誰だろう…。
「舜広、大丈夫か⁉大声が聞こえたが、賊でも現れたのか⁉」
その誰かは父上だった。父上は大泣きしている私にとても驚いたが、念のために周囲を警戒しながら私を強く抱き締めた。父に遅れて近習も到着し、賊が居ないか警戒を始めた。父だけならともかく近習にも泣き顔を見られる事が恥ずかしく、思わず顔を伏せてしまった。父は少し戸惑いながらも、私の背中を軽く叩いて落ち着かせようとしてくれた。
蝦夷島松前郡大館 1552年(天文21年)春 蠣崎季広(45歳)
舜広が泣くのを見たのは一体何年振りだろうか。昔からしっかりした息子だったが、年相応というか、むしろ幼い所も有って何だか安心した。私の息子は妖の類ではなく、少し周りと違うだけの普通の子供だった。悪夢で泣いて飛び起きるなんて可愛い所が有るじゃないかと思ったが、その内容を聞くと私も思わず顔が引きつった。描写が生々しく、そしてとても現実味が有ったり、実際に起こったであろう恐怖に、私ですら少し震えた。舜広はあまり感情を表に出さないので冷酷なのかと少し心配していたが、家臣や理解者、守るべき民を失う事の恐怖を感じる事が出来る、真っ当な感覚の持ち主で良かった。今私がすべき事は、その恐怖を感じつつもそこから逃げず、少しでも辛い未来を回避出来るように努力する事が当主の役目である事を諭し教える事だ。これは当主である私にしか出来ない事なのだ。
暫く落ち着かせていると泣き疲れたのか、舜広は再び寝息を立て始めた。私は一安心し、舜広を横にして念のために舜広の不寝番を増やしてから自室に戻った。翌日朝食を終えると、私は舜広を自室に呼んだ。普段会議を行う広間ではなく、私的な自室に呼ばれた事に首を捻りつつ、舜広は素直にやって来た。昨日の夢について話す事を伝えると舜広の顔が少し強張ったが、それに気付かない振りをして話し始めた。
「舜広がうなされていた3つの夢だが、これは武家の当主として忘れてはならない苦しみだ。武家の当主には家臣がいて、その下に兵が居る。更にその周りには守るべき民が居るのだ。戦となれば当主はその全ての命に責任を負わねばならない。当主が誤った判断をすれば多くの命が失われてしまう。上ノ国の夢がこれだ。ややこしい事に、時には正しいと考える事をするために、彼らの命を危険に晒す事も有るだろう。広継の夢は正にそれだな。」
「父上、私は急に恐ろしくなってしまいました。今までは父上の背中に守られて戦略を練ったり実験をしているだけで、誰かの命を預かる責任を殆ど感じて来ませんでした。しかし今回の夢で背負うものの重さに気付いてしまったのです。私はしっかり背負えるのでしょうか…。」
舜広が珍しく自信を失っている。困難な事でもいつか何とか出来るのだと決して諦めない舜広がだ。他人の命がかかっている問題に対して、根拠も無く何とかなると思考停止するよりは遥かに好ましいが、どうすれば背中を押せるだろうか…。
「舜広、責任を負うのは当主だが、一族や家臣に助けてもらう事は出来る。舜広が望むなら、私はまだ元気な内に家督を譲り、その後は相談役として舜広を死ぬまで支えるつもりだ。蠣崎家は長生きの家系だからな、私は67歳まで生きた父上を越えて、70歳まで生きてみせるぞ!後は舜広には兄弟が多いのだから、彼らに頼っても良いのだ。勿論家臣も全力で助けてくれよう。皆舜広が正しい判断をしないと困る者達ばかりだからな。」
「ふふふ、70歳まで生きたらちょっとした仙術くらい使えそうですね。ありがとうございます、当主になっても周りに頼って良いと教えて頂き、大分安心しました。私の理想は大きく、私だけで出来る事は小さいのですから、沢山頼らせて頂きますね。父上が白髪になって腰が曲がっても楽隠居等させませんので、覚悟しておいてくださいね!」
「漸く笑顔が戻って来たな、本当に良かった。後はチコモタイン殿の夢だが、彼は同盟を結んだ他家の当主のようなものだ。同盟締結の直前に彼と2人きりで話したのだが、彼はとても先見性の有る男だな。今は土地と労働力を貸すだけでも、将来は武力を使う事無く経済的に蠣崎家に飲み込まれる事を理解していた。それを分かった上で、アイヌを飢えから救うという目的のために、断っても現状を維持出来る同盟の締結を選んだのだ。もし彼がそれによって他のアイヌと敵対しても、それは彼が選んだ道だ。私達は彼の責任を奪う事で決断を汚してはならないのだ。」
「そうですか…、チコモタイン殿はもう気付いているのですか…。ならばせめてチリオチアイヌが飢える事の無い社会を早く作らなければなりませんね。」
「うむ、それこそがこの同盟を誠実に履行するという事だろう。」
廊下から早歩きする音が聞こえ、小姓が嬉しそうに広継達の帰還を私に報告した。私は広継を部屋に連れて来るよう命じ、舜広と目を合わせて安堵の息を吐いた。




