第10話 1552年 航海と同盟
??? 1552年(天文21年)夏 南条広継(23歳)
「切腹していた方が楽だったのだろうなぁ…。」
不安でいっぱいの航海に疲れた私の乾いた口から、何度目か分からない愚痴が零れ落ちた。
「?兄上?何か言いましたか?」
私に巻き込まれて松前両島開拓団に強制加入となった弟が真っ直ぐな瞳を向けて来る。それを作り物の笑顔で受け流すと、私は再び松前小島が有る筈の西(と思われる方向)を凝視した。
春に私が開拓団の団長に任命されると、そこからは連日怒涛の忙しさだった。妻と息子は航海が危険という理由で松前大館に残る事が決まったが、それ以外の南条一族は病人や老人を除いて開拓団の団員とされた。殿は「広継の働きが蠣崎家の発展を大きく支えるのだ」とやる気の出る事を言ってくださったが、私の嫡男、即ち初孫を抱いて緩み切った顔をしながらだったので説得力が半減していた。
それに比べると若殿は私と同じかそれ以上に忙しく働いていた。竜骨を含む南蛮船の図面を急ぎ書き上げると、蠣崎家御用達の船大工に製作を依頼していた。船大工は見た事も聞いた事も無い船の図面を渡されて、最初は若殿の奇行と相手にしたくなさそうだった。しかし、若殿がこの船の利点や理論を根気強く伝え、「この難しい船を造れるのは松前一の船大工のお前だけだ」と頭を下げて持ち上げた事で、船大工の情熱に火が着いたようだ。若殿と喧々諤々の議論を交わして図面を修正し、工房を祭り以上の熱気で包みながら新たな船は予想以上の早さで組み上がっていった。完成式典では船大工が感極まって男泣きし、若殿を抱き締めて「俺の後継者になってくれ!」と凄んでいた。流石に周囲の職人から止められていたが、若殿は嫌な顔一つせず、「これからも頼りにしてるよ、親父さん」と抱き締め返していた。あの一言で松前の職人は全て若殿の信奉者になったと言っても良いだろう。噂を聞いた大工や金物職人、皮革職人達も、若殿の依頼ならば徹夜してでも全力でやり遂げてやると熱くなっていた。
若殿は船と並行して六分儀なる奇妙な道具も職人に依頼していた。これは船の上で使う事で、現在地と方角が分かる便利な道具らしい。和人が通常行う海岸を見ながらの航海ではあまり必要無いが、今回は蝦夷島から遠ざかる方向に進まねばならない。使いこなすのに練習が必要だったが、この航海の大きな助けになっている。また、乾ぱんと氷砂糖なる奇妙な保存食の研究も進められていた。乾ぱんは小麦粉から作るらしいが、説明を聞いても理解出来なかった。氷砂糖は今や蠣崎家の名物となっている甜菜糖を保存食用に改良した物らしい。どちらも日持ちがして少量でも満足出来るので有り難いが、喉が乾くのが欠点だ。
そう、私は今喉が乾いている。当然他の乗組員も渇きに苦しんでいる。周りは見渡す限り海で、水は有り余っているようにも見えるが、海水を飲むと酷く喉が乾くので極力飲まないように若殿に教えられている。水は嵩張るので大量には運べず、そのままでは劣化して腹痛をひき起こすという難点が有る。若殿は色々試して水の保存方法を研究していたが、妙見菩薩の知恵をお借りしても満足出来る答えは得られなかったらしい。目の下にくまを作った若殿に、水の保存方法を見つけられず申し訳無いと頭を下げられた時には、恐縮して思わず土下座をしてしまった。若殿は航海に必要な全てを揃えなければならないと、自身を追い込んでいるようだった。「命をかけて航海をする広継達に比べれば、私が睡眠時間を削って研究するくらい大した事ではない」と言われた時には、この方のためなら喜んで死ねると心から思えた。今でも若殿の壮大な計画の一端を担える事に誇りを感じている。
若殿は水を松前からあまり持っていけない代わりに、松前両島で水を得る方法を授けて下さった。島に川が有れば、この蒸留器なる道具で水を清潔にしてから飲めば良い。もし川が無ければ、雨水や海水を蒸留器に通せば良いとの事。海水からは塩が取れるので、鳥肉の保存にも使えそうだ。
こうして十分な準備と練習をして始まった航海だが、やはり本番は厳しかった。冬になる前に両島を探索し、資源を獲得し、松前に戻りたかったので夏に出港する事になったが、この季節には津軽暖流という海流が津軽海峡の西から東に向かって流れているらしい。これは松前と上ノ国の間の練習航海では体験出来なかったので、頭で分かっていても大いに慌てたものだ。海峡より大分北側を航海していても、大いに航路を乱されて予想より遥かに長い時間がかかってしまった。事前に知らされていなければ、遭難して海の藻屑になっていたかも知れない。海は本当に怖い所だと、骨身に叩き込まれた。
「あ、兄上!島が見えて来ましたよ!あれが松前小島でしょうか?」
弟の嬉しそうな声で私は現実に引き戻された。弟の指差す方向を見ると、確かに島が見える。随分急峻な、山をそのまま海に浮かべたような形をしているな。
「よし、あの島に上陸するぞ!島の周りを回って、上陸出来そうな場所を探すぞ!」
船内の落ち込んだ雰囲気は消え去り、皆に笑顔が戻って来た。よし、この顔つきならばすぐにでも探索出来そうだな。今は私が大将だ、皆に希望を与えて望ましい方向に導くのが私の役目だ。殿も若殿もそれを期待しており、私は全力で応えるつもりだ。南条家が蠣崎家の一門衆として輝くために、そして若殿の理想を少しでも多く現実に出来るように、私は全力を尽くすのみだ。松前で私の帰りを首を長くして待っている妻と息子よ、私は大きな功績を挙げるからな!
蝦夷島松前郡大館 1552年(天文21年)秋 蠣崎季広(45歳)
「チコモタイン殿、これであなた方チリオチアイヌと我ら蠣崎家は同盟関係となる。去年戦場で始まったこの話を現実にする事が出来、私はとても誇らしい。」
「季広殿、私もこの同盟が和人とアイヌ双方の繁栄に繋がる事を期待している。共に飢えから解放された土地を作ろう。」
蠣崎家の当主である私と、チリオチアイヌの指導者であるチコモタイン殿ががっちり握手を交わすと、周囲の緊張した空気が緩んだのを感じた。これで東側の脅威はほぼ無くなり、共に繁栄するために協力する関係となった。蠣崎家からは農業技術と道具を提供し、アイヌは農地と労働者を提供する。収穫物は一定量を対価としてアイヌに納め、残りは蠣崎家が受け取る。蠣崎家が提供出来る鉄器はこれまで通り物々交換だが、交換比率は双方が納得出来る水準を維持すべき事を舜広から何度も言われた。アイヌは鉄器が必要であるにも関わらず製鉄技術が無いので、和人が値を吊り上げればそれに従わざるを得ない。しかしその結果起きてしまったのが95年前(1457年)のコシャマインの戦いだ。相手が和人か否かに関わらず、我らと友好関係にある者は誠実に扱わなければならない。逆に敵対するなら、将来土地と資源を奪うべき相手として扱う。チリオチアイヌの勢力圏であるチリオチとその奥のリロナイは、蠣崎家の領土よりも遥かに広い平野が広がる。これを武力で奪えればどれだけ良いかと邪な考えが少し浮かんだが、それをすればチリオチアイヌだけでなくセタナイアイヌや安東家からも和睦破りで叩かれ、蠣崎家は滅ぶだろう。今はチリオチアイヌと協調して、この広い平野から多くの食料を生み出す事を考えるべきだ。彼らの許可を得て舜広と共に下見に行った際には、お世辞にも土地を有効活用出来ているとは言えなかった。アイヌは今の人口を維持出来るだけの食料を得られれば満足で、天候不順等で食糧不足になって餓死者が出ても、それは自然の意思として受け入れているようだった。チコモタイン殿はアイヌには珍しくその考えを嫌っており、十分な食料を用意して餓死者を無くす事が指導者の責務と明言していた。チリオチアイヌの多くは土地を貸しても良いが狩猟に手いっぱいで農業は手伝えないとの事だったので、収穫量を高めるために和人の労働者を受け入れてもらう事にも成功した。檜山の殿(安東舜季)にもこの同盟と労働力不足の旨は伝えてあり、殿の領民で継げる土地が無く渡航を希望する農民を送ってもらう手筈になっている。殿は初めの内は余計な事をして火種を増やすなと後ろ向きだったが、蠣崎家が得た収穫物の一部を納める事を条件に賛同してくださった。チコモタイン殿は薄々感づいているだろうが、これはチリオチとリロナイにまとまった数の和人が居住する事を意味する。気付いた時にはこの地域は少数派のアイヌと多数派の和人の混住地域となるだろう。チコモタイン殿は仲間から「アイヌの土地と魂を売った」と非難されるかも知れないが、飢えを追放するために苦しくとも最適な選択をした彼を私は尊敬する。蠣崎家はチリオチとリロナイで力を溜めて、更に東に進んで広い平野を得るのだ。妻の攻め滅ぼされた実家が有る函館平野を有効に使えれば、蠣崎家は主君である安東家以上の食糧生産量になれるだろう。息子の野望では函館平野はまだ通過点との事で、頼もしさと眩しさを感じる。凡人である私は、せめてその野望の土台を立派に作り上げてやろうではないか。




