マラティア独立宣言
マラティアの中央広場は、かつてない人々で埋め尽くされていた。帝国統治時代から続く古い石畳の上に、数千の民衆が集まっていた。
農夫、鉱夫、商人、職人、そして解放されたばかりの元奴隷たち。老人から子供まで、あらゆる階層の人々が静寂の中で待っていた。
広場の中央には、簡素な木製の演壇が設けられていた。その上に、純白の衣を纏ったソフィアが静かに立っていた。彼女の表情は穏やかだったが、その瞳には強い決意の光が宿っていた。
「皆さん」ソフィアは、澄んだ声で語り始めた。その声は不思議な力を持ち、広場の隅々まで響き渡った。
「今日、私たちは歴史の分岐点に立っています。この瞬間から、私たちの運命は私たち自身の手に委ねられます」
群衆は息を殺して聞き入っていた。
「私は、皆さんに憎しみを語りに来たのではありません。復讐を煽りに来たのでもありません」ソフィアは両手を静かに広げた。「私は、希望を語りに来ました。そして、愛について語りに来ました」
彼女は手に持った紙を高く掲げた。
「ここに、『マラティア自治共和国独立宣言』があります。しかし、この宣言は単なる政治的文書ではありません。これは、私たちの魂の叫びです。自由への願いです。そして、平和への祈りです」
ソフィアは宣言文を読み上げ始めた。
「我ら、マラティアの民は、長年にわたり帝国の庇護のもとに繁栄を享受してきました」
彼女の声は温かく、感謝の念がこもっていた。
「私たちは、帝国から多くのものを学びました。技術を、文化を、そして法を。これらは私たちの貴重な財産です。そして、私たちはこれらに感謝することを決して忘れません」
広場の一角で、帝国系の住民たちが不安そうに身を寄せ合っていた。ソフィアは彼らを見つめ、特に優しい表情を向けた。
「帝国の皆さん、どうか恐れないでください。私たちの独立は、憎しみから生まれるものではありません。理解から、そして愛から生まれるものです」
彼女は続けた。
「我らは帝国の文化、技術、法を尊び、争いを望まず、誇りある友好関係の継続を願うものであります」
ソフィアの声に力がこもった。
「然れど、帝都の意志と現地の生活とがかけ離れた結果として、流血を招かぬ未来のために、我らはやむを得ず次の宣言を行います」
彼女は一息ついて、最も重要な部分に入った。
「一、我らマラティアの民は、本日をもって『マラティア自治共和国』として独立いたします」
群衆の間からどよめきが起こった。歓声、涙、そして抱き合う人々の姿があった。
「一、我らは帝国との平和的共存を望み、同盟条約の締結を提案いたします」
ソフィアの声は、より一層穏やかになった。
「一、帝国の臣民が本国へ帰還することを妨げません。財産・生命の安全を保障いたします」
帝国系住民たちの表情に安堵の色が浮かんだ。
「一、帝国よりもたらされた法・制度・技術の多くは継承し、感謝を忘れません」
ソフィアは宣言文を胸に抱き、群衆を見回した。
「皆さん、聞いてください」彼女の声は、まるで母親が子供たちに語りかけるように優しかった。「私たちの独立は、争いによってではなく、協調と共存によって築かれねばなりません」
彼女は遠くを見つめた。そこには、帝国軍が接近しているであろう地平線があった。
「武力による鎮圧は、時代の後退であり、帝国の威信を損なうでしょう。そして何より、私たちの子供たちから平和な未来を奪うことになります」
ソフィアの瞳に涙が光った。
「私たちには、帝国系の友人がいます。アルザラーン連邦の魔族の友人もいます。クロヴィス王国の友人も、ドラクロワ公国の友人もいます。私たちは皆、同じ空の下で生きています。同じ太陽の光を浴び、同じ雨に打たれています」
彼女の声は次第に力強くなった。
「種族が違っても、国が違っても、私たちの心は同じです。愛を求め、平和を願い、子供たちの未来を案じています」
群衆の中で、多くの人々が涙を流していた。
「それゆえ、ここに国際社会の承認と、帝国の賢明なる選択を願うものであります」
ソフィアは宣言文を再び高く掲げた。
「しかし、皆さん」彼女の声は突然、鋼のように強くなった。「もし、私たちの平和への願いが踏みにじられるなら、もし、武力によって私たちの自由が奪われようとするなら、私たちは戦います」
群衆がざわめいた。
「戦います。ただし、憎しみのためではなく、愛する人々を守るために。復讐のためではなく、未来を守るために」
ソフィアの瞳に、決意が宿った。
「私たちには、バル・バニオン将軍がいます。アルザラーン連邦の勇敢な戦士たちが共に戦ってくれます。ドラクロワ公国が支援してくれます。クロヴィス王国が共に立ち上がってくれます」
彼女の声は、広場を超えて、マラティア全土に響き渡るかのようだった。
「そして何より、私たちには正義があります。自由への願いがあります。平和への祈りがあります」
ソフィアは両手を天に向けて掲げた。
「主よ、私たちの祈りを聞き届けください。この小さな土地に、平和と繁栄をお与えください。私たちの子供たちが、憎しみではなく愛を学べるように。争いではなく協調を知ることができるように」
彼女の祈りの言葉に、群衆全体が静かに頭を垂れた。
「マラティアの皆さん」ソフィアは最後に、満面の笑みを浮かべた。「今日から、私たちは自由です。そして、自由であることの責任を負います。互いを尊重し、助け合い、この美しい土地を共に築いていきましょう」
彼女は宣言文を空高く掲げた。
「マラティア自治共和国の独立を、ここに宣言いたします!」
その瞬間、広場全体が爆発的な歓声に包まれた。帽子が空に舞い上がり、涙と笑顔があふれ、人々は抱き合って喜びを分かち合った。
教会の鐘が鳴り響き、その音はマラティアの空に響き渡った。それは新しい時代の始まりを告げる、希望の調べだった。
演壇の上で、ソフィアは静かに微笑んでいた。彼女の周りには、アルフィーナ財団の同志たちが集まっていたが、その中にはアルトゥールもオーランド・スワロウの姿もあった。
「美しい演説でした、ソフィア様」アルトゥールは心からの敬意を込めて言った。
「ありがとう」ソフィアは答えた。「しかし、これは始まりに過ぎません。本当の試練は、これからです」
ダリューン将軍の軍が来るのは時間の問題だった。
ソフィアは空を見上げた。雲の切れ間から、夕日の光が差し込んでいた。
「平和への道は険しいものです」彼女は静かに言った。「しかし、私たちは歩み続けます」
広場では、人々がまだ歓声を上げ続けていた。彼らは今後、たとえ嵐が来ようとも、この日の感動と決意は、マラティアの人々の心に永遠に刻まれることになるのだった。