表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/65

勇者ローランドと魔族


異世界へと召喚された勇者ローランド。彼が目を覚ますと、豪華な宮殿の中心で、国王から厳粛な使命を言い渡された。


「汝、異世界より来たりし勇者よ。我が国を脅かす魔王を討ち、平和をもたらせ」


王国は美しく、人々は親切で、ローランドは自らの使命を疑うことなく受け入れた。最初の数ヶ月は順調だった。魔法を習得し、剣技を磨き、仲間を集めた。彼の任務は「危険な魔族の討伐」と言われ、常に「戦闘員のみを対象とする」と教えられていた。


魔族とはすなわち悪魔であり、人類に仇なす永遠の仇敵であると。


第七回目の討伐。ローランドは初めて魔族の村を目にした。指揮官は「戦闘員のみを狙え」と命じたが、実際は混乱の中で老人や女性も標的にされていく。ローランドは懸命に子供や非戦闘員を避け、戦闘員だけを無力化しようとした。


炎に包まれた小屋から逃げ出せずにいた幼い魔族の子を見つけたとき、彼の心に初めての疑念が生じた。恐怖に震える緑色の瞳。それは怪物の目ではなく、ただの子供の目だった。咄嗟に彼は周囲に気づかれぬよう、その子を森へ逃がした。


「これが邪悪な魔族なのか?」


「考えすぎるなよ、ローランド」声の主は、ローランドの右腕となっていたグレイソン。顔中に刻まれた無数の傷跡が、その長い戦いの歴史を物語っていた。「毎回、相手さんのこと考えてちゃ心がもたねえ。俺みたいになりたくなけりゃな」


十二回目の討伐では、川辺で歌う魔族の乙女たちを見つけた。彼女たちの歌声は人間のそれより美しく、歌詞は故郷を想う哀しみに満ちていた。仲間たちが「魔族の儀式だ!」と襲撃しようとするのを、ローランドは必死に止めた。


「彼女たちは武器を持っていない。我々の任務は戦闘員の排除だ」


しかし、別の部隊が接近しているのを感じ、彼は警告の矢を放ち、彼女たちを逃がした。


「人間は面白い生き物だね」小柄な体に不釣り合いな知恵を宿すエルフの魔法使い、テオドラが木の上から降りてきた。彼女の瞳は常に世界を俯瞰しているかのように冷静だった。「同情するなら最初から剣を取るべきではなかったのに」


十四回目の討伐。怪我を負った魔族の長老に、ローランドは水を差し出した。長老は息絶える前、ローランドの目をじっと見つめ、人間の言葉でつぶやいた。


「なぜ私たちを追いやるのか。この地はかつて共に暮らした場所なのに」


疑念は大きくなり、ローランドは情報を集め始めた。王国の図書館には魔族に関する書物が驚くほど少なく、あるものはすべて「邪悪」「危険」と記されている。一方で、古い廃墟からは人間と魔族が並んで描かれた壁画が見つかった。


十六回目の討伐の途中、彼は部隊から離れ、魔族の村を密かに観察した。そこで見たのは、人間と変わらぬ日常—家族の団欒、子どもたちの笑い声、老人の知恵を伝える場面だった。


そして、ログリム包囲作戦が始まった。


王国軍は魔族の拠点「ログリム要塞」を完全包囲した。デモリダス枢機卿が自ら作戦の総指揮を執り、ローランドも主力として参加するよう命じられた。第一王子の絶大な信頼を得ていたデモリダス枢機卿は、効率性と冷酷な決断力で知られる軍事戦略家であり、騎士団の実質的な支配者でもあった。


「ログリム要塞は魔族の牙城。これを落とさずして真の平和なし」デモリダス枢機卿の演説は軍を鼓舞した。「外部からの援軍は一切許さず、完全な降伏まで包囲を解かぬ」


「敵を直接倒すのではなく、飢えさせるのか」ローランドは戦略会議で呟いた。


「勇者殿よ、これこそ最も効率的な方法だ。正面から攻撃すれば、我々の兵に犠牲が出る。彼らが降伏すれば、貴重な人命を失わずに済むではないか」デモリダス枢機卿は冷酷な笑みを浮かべた。


包囲開始から三ヶ月。デモリダス枢機卿は驚異的な速さで要塞周囲に堅固な防壁を築き上げた。陸路はもちろん、海路からの物資流入も厳重に遮断。巨大な堤防と見張り塔のネットワークにより、ネズミ一匹さえ通さない鉄壁の包囲網が完成した。


五ヶ月目、要塞からの使者が降伏の条件を探るために訪れた。ローランドはその顔色の悪さに驚いた。


「我々には戦う意思も能力もある。ただ、子どもたちと老人たちが…」


「条件は一つ。無条件降伏のみだ」デモリダス枢機卿は冷淡に告げた。「魔族との交渉など、時間の無駄だ」


使者は虚しく要塞へ戻っていった。ローランドは枢機卿の言葉に違和感を覚えた。


七ヶ月目、ローランドは密かに要塞の状況を探るため、夜間に城壁に近づいた。彼が目にしたのは、飢餓で痩せ衰えた魔族たちの姿だった。かつて美しいと思った緑の肌は灰色に変わり、子どもたちの泣き声は弱々しかった。


要塞の中では疫病が蔓延していた。治療薬も食料も尽き、毎日何十もの遺体が運び出されていた。魔法の力で野草や樹皮を食べ物に変えようとしていたが、それも限界を迎えていた。


「これは戦いではない」ローランドは拳を握りしめた。


「だからあたしは言ったでしょう」ローランドの背後からテオドラの声が聞こえた。「人間が清い存在だと思っていると、剣が振るえなくなるよ」


「これじゃあ、どちらが悪魔なんだ…」ローランドは呟いた。


テオドラは冷たく笑った。「悪魔はこんなことしない。同族でも異種族でも徹底的に残酷になれるのは人間だけよ。魔族に聞いてごらんなさい、人間より残酷と言われるなんて心外だって言うはずよ」


九ヶ月目、遂にログリム要塞の防壁に白い旗が掲げられた。降伏の日、要塞から出てきた魔族たちの姿は、もはや「敵」としての威厳すら失っていた。骨と皮だけになった体、疫病で顔が変色した子どもたち、歩くことさえできず運ばれる老人たち。


「お父さん!お父さん!」ある魔族の少女が叫んだ。人間の兵士たちに引き離される家族。「ルシア!生きるんだ!必ず迎えに行く!」ルシアと呼ばれた娘は、膝をついて泣き崩れた。


商人は父親を乱暴に引っ張り、馬車に押し込んだ。「大人しくしろ。鉱山で働けば、いずれ家族に会えるかもしれんよ」冷酷な笑みを浮かべる。


デモリダス枢機卿は満足げに微笑んだ。「これで王国の脅威は排除された。勇者よ、あなたの功績は永遠に讃えられるだろう」


しかしローランドの目には、勝利の喜びなど欠片もなかった。彼の眼前には、飢えと疫病で弱り果て、引き裂かれる家族の姿しか見えなかった。


グレイソンが彼の肩に手を置いた。「見るな、ローランド。戦争ってのはこういうもんだ。慣れりゃ何とも思わなくなる」


「俺は慣れたくない」ローランドは静かに答えた。


瞬間、ローランドの心に何かが決定的に変化した。「私は何のために剣を振るってきたのか」


魔王討伐—その使命の背後にある真実が、徐々に見えてきていた。この残酷な包囲戦とその結末こそ、彼が目を背けてきた現実だった。


「祝宴に参加されますか、勇者様」側近が声をかけた。


「いや、少し考えることがある」ローランドは静かに答えた。


「考えるのは後でいい。今夜はお祝いだ」グレイソンが力強く言った。「アイリス王女様も出席されるらしい。第一王子派閥のデモリダス枢機卿の祝宴に王女が来るのは珍しいことだ」


—-


勝利の祝宴が開かれる宮殿の窓から、彼は鎖に繋がれた魔族たちが鉱山へと連行される様子を見つめていた。


そのとき、テオドラの静かな声が聞こえた。「あなたは剣を振るうのか、それとも剣を収めるのか。もし誰かの助言が欲しいなら、デモリダスとは違った考えをお持ちのアイリス王女と話してみるといい」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ