ザ・アイアンハンド・カンパニー
クロヴィス王国の風景は、わずか半年で一変していた。
かつての荒れた街道は整備され、馬車が颯爽と駆け抜けるようになった。新設された馬車駅には人々が集まり、商品が流通し、経済は徐々に活気づいていた。王国の主要都市を結ぶ交通網が整備され、遠隔地との取引も活発になりつつあった。
そして、その全ての陰に、一人の男がいた。
「街道整備は予定通りだな」
クロヴィス王宮の執務室で、ティムは大きな地図を広げて満足気に眺めていた。
「北部山岳地帯の橋の工事も来月には完了します」若い局員が報告した。
「そして南部沿岸部の埠頭拡張工事も順調です」別の局員が付け加えた。
「完璧だ!」ティムは嬉しそうに言った。「これで交通の大動脈が完成する。次は末端の毛細血管と行こう」
彼は地図上の小さな村々を指さした。
「王国全土のすべての村が幹線道路にアクセスできるようにするんだ。農産物を市場に運べない農村が一つでもあってはならない」
局員たちは必死にメモを取った。ティムの指示は常に急で、実現不可能に思えるものばかりだったが、不思議なことに彼はいつも何らかの方法でそれを実現してきた。
会議室の扉がノックされ、ヒョッテル&タイイス・ファイナンス副頭取のルカが入ってきた。
「失礼します。株式会社アルフォンソの決算報告書が届きました」彼は書類の束を差し出した。
「ふむ」ティムは書類を受け取った。
彼が書類に目を通すうちに、表情が少しずつ明るくなっていく。
「予想通りでしたか?」ルカが冷静に尋ねた。
「ああ」ティムは薄く笑った。「予想通り過ぎて自分が怖い」
ルカは彼をじっと見つめた。「しかしこの決算内容は…株主総会は明日ですが」
「ああ、そうだった」ティムは書類をめくりながら言った。「ベネディクト男爵もリチャード子爵も出席するんだったな。彼らは大株主だから...」
ルカは書類を覗き込んだ。「これは雀の涙どころか、涙も出ないレベルの配当額ですが、文句はでないしょうか」
「問題ない」ティムは突然明るく言った。「私には元々これがプランAだ」
ティムはニヤリと笑った。
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翌日、株式会社アルフォンソの本社会議室、つまりアルフォンソ城の城内は怒号で満ちていた。
「これはいったいどういうことだ!」ベネディクト男爵が真っ赤な顔で書類を振り回していた。「約束した配当の10分の1じゃないか!」
「我々は騙されたのか?」リチャード子爵も立ち上がって叫んだ。「こんなはずではなかったぞ!」
会議室の正面に立つティムは、驚くほど落ち着いていた。
「皆様のお怒りはごもっともです」彼は静かに言った。「初年度の結果は私も予想を下回っています。しかし、ビジネスにはリスクがつきものです」
「リスク?冗談じゃない!」リチャード子爵が叫んだ。「私は年収の大半を投資したんだぞ!」
ティムは静かに咳払いをした。「それでは、財務分析官のルカから詳細な説明をさせていただきます」
スーツ姿のルカが前に進み出た。
「失礼します」ルカは眼鏡を直し、冷静な声で話し始めた。「赤字の主な原因は二つあります。第一に、予想以上に多くの農民が離農したこと。第二に、その結果として生じた耕作放棄地の増加です」
彼はグラフを掲示した。
「こちらをご覧ください。アルフォンソ伯爵領の農地の約40%が現在、誰も耕していません」
会場からはどよめきが起こった。
「さらに、魔物の出現により」ルカは続けた。「一部の地域では作物が荒らされるという事態も発生しています」
「魔物だと?」アルフォンソ伯爵が眉をひそめた。「私の領地に?」
「はい、先月だけで3件の報告がありました」ルカは淡々と答えた。
会場が騒然となる中、ティムが再び前に立った。
「皆様、お静かに」彼は両手を上げた。「確かに状況は厳しいですが、解決策はあります」
「どんな解決策だ?」ベネディクト男爵が疑わしげに尋ねた。
ティムは満面の笑みを浮かべた。「農地管理会社に農地を委託するのです」
「何だって?」
「シンプルな話です」ティムは説明し始めた。「現在、誰も管理していない耕作放棄地を、専門の農地管理会社に委託するのです。彼らは最新の農業技術と効率的な人員配置で、あっという間に土地を再生させるでしょう」
「そんなうまい話があるものか」リチャード子爵が腕を組んだ。
「ございます」ティムはにっこり笑った。「実は、アイアンハンド・カンパニーという会社が既に設立されており、まさにこのような事業を展開しています」
「アイアンハンド...?」アルフォンソ伯爵が首をかしげた。「どこかで聞いたような...」
「さて、選択肢は2つです」ティムは指を立てた。「一つは、現状のまま赤字を続け、配当も少ないままでいること。もう一つは、耕作放棄地の管理をアイアンハンド・カンパニーに委託し、安定した賃料収入を得ることです」
会場は静まり返った。
「具体的な数字を示していただきたい」若い貴族が発言した。カステラーニ子爵だ。彼は最近、経済的に苦しいと噂されていた。
「もちろんです」ティムは書類を配り始めた。「現在の状態では、皆様の来年の配当予想はこちらです」
赤字予想の数字を見て、貴族たちからため息が漏れた。
「一方、アイアンハンド・カンパニーに委託した場合、固定賃料としてこちらの金額が保証されます」
今度は驚きの声が上がった。それは前者の3倍以上の金額だった。
ティムは微笑んだ。「つまり、リスクなしで安定した収入が得られるということです」
「しかし...それは実質的に我々の土地管理権を手放すことになるのでは?」アルフォンソ伯爵が懸念を表明した。
「あくまで管理を委託するだけです。所有権は皆様にあります」ティムは穏やかに答えた。「それに、これは5年契約。5年後に状況が改善していなければ、契約を更新しなければいいだけです」
会場は議論で沸き立った。
「名誉か現金か、選べということか...」年配の貴族が呟いた。
「いいえ」ティムは首を横に振った。「名誉も現金も、両方手に入れる方法です。皆様は土地の所有者として尊敬され続け、さらに安定した収入も得られる。一石二鳥ではありませんか?」
カステラーニ子爵が立ち上がった。「私は賛成します。我が家の土地は既に半分以上が耕作放棄地です。このままでは本当に食べていけなくなる」
若い貴族たちが次々と賛成意見を述べ始めた。彼らは代々続いた領地を守りながらも、現代的な経営方法に適応しようとしていた。
一方、年配の貴族たちは懐疑的な表情を崩さなかった。
「この契約書、細部を確認させてもらいたい」ベネディクト男爵が慎重に言った。
「もちろんです」ティムは厚い契約書を差し出した。
アルフォンソ伯爵はため息をついた。「時代は変わったのだな...」
「そうですね」ティムは優しく微笑んだ。「しかし、変化に適応する者こそが生き残るのです」
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少し前、ハートレイ領の広大な農地で、異様な音が響き渡っていた。カチャン、ゴロゴロ、シュッ——重たい鉄製の車輪が土を踏み固め、前方の刃が地面を耕し、種をまく機構が整然と作動していく。
「すごいじゃないか、これは」
ウィリアム・ハートレイは感心した様子で、ゆっくりと前進する奇妙な農機具を見つめていた。その傍らには、誇らしげな表情のドワーフ、ラグナー・アイアンハンドが立っていた。
「まだ改良の余地はあるが、基本機能は完璧だ」ラグナーは腕を組み、自信たっぷりに答えた。「一日で十人分の仕事をこなせる」
若い農夫が機械をひとりで押し進めるだけで広い農地が次々と耕されていく。周囲には数人の村人たちが集まり、驚嘆の声を上げていた。
「これまでは家族総出で一週間かかっていた作業が…」
「たった数時間で終わるなんて…」
ウィリアムは満足げに頷いた。「これで子供たちを畑仕事から解放できる。学校に通わせる親も増えるだろう」
ラグナーは黙って頷いた。彼の頑丈な手には無数の傷があった。
「実証実験の首尾はどうですか?」
振り返ると、ティムが歩いてくるところだった。その隣にはジュリアン司教の姿があった。
「ティム!」ウィリアムは弟を見て笑顔になった。「見事なものだよ。この三ヶ月で、領内の耕作放棄地の半分以上を再生できた。それも少ない人手でね」
ティムはラグナーに向き直り、軽く頭を下げた。「素晴らしい発明品です、マスター・アイアンハンド」
「褒め言葉は要らん」ラグナーは照れくさそうに言った。「ただ作りたいものを作っただけだ」
ジュリアン司教は畑を見渡し、働く人々の表情に目を細めた。「子どもたちが学校に通えるようになったと聞きました。神の恵みですね」
「ああ」ウィリアムは頷いた。「村の学校はすっかり賑わっている。読み書きができれば、彼らの未来も変わるだろう」
ティムは機械の傍で調整を行っているラグナーに近づいた。
「ラグナー、少しお話があります」
「なんだ?」ラグナーは作業の手を止めずに応じた。
「この素晴らしい発明を、もっと多くの場所で活用したいと思っています」ティムは真剣な表情で言った。「アルフォンソ伯爵領をはじめ、王国中の耕作放棄地を蘇らせるチャンスです」
ラグナーは眉をひそめた。「つまり?」
「量産してほしいんです」ティムは頷いた。「農地管理会社を設立し、あなたの発明品を核にした事業を展開したいのです。名前はアイアンハンド・カンパニー。あなたの名を冠した会社です」
ラグナーは目を見開き、手にしていたレンチを落とした。レンチは彼の足の親指に命中し、彼は痛みで飛び上がった。
「量産だと?」ラグナーは片足で跳ねながら叫んだ。「バカな!絶対に無理だ!」
ティムは困惑した。「しかし、既にここで成功を—」
「この子は特別なんだ!」ラグナーは子犬を抱きしめるような仕草をした。「この子は私の手で一つ一つ調整して、魂を込めて作った唯一無二の存在だ!」
ウィリアムとジュリアン司教は顔を見合わせた。
「しかし、もっと多くの農地で—」ティムが言いかけると、ラグナーは激しく頭を振った。
「わかっていない!」ドワーフは機械の側面をポンポンと叩いた。「ここのバルブは朝は緩めに、昼は固めに、夕方はまた緩めにしないと、正しく動かない!歯車のかみ合わせも毎日確認しないといけない!量産?冗談じゃない!」
ティムは冷静さを保とうと深呼吸した。「ラグナー、我々はただ—」
「それに」ラグナーは続けた。「誰がこの複雑な構造を理解できる?誰が私のように愛情を持って調整できる?」彼は突然、機械に向かって話しかけた。「怖くないよ、坊や。誰も君を大量生産したりしないからね」
周囲の村人たちは困惑した表情で見つめていた。ジュリアン司教は咳払いをした。
「ラグナー、もしかして…この機械に名前を付けていらっしゃるのですか?」
「もちろんだ!」ラグナーは誇らしげに答えた。「彼の名はアイアン・ジュニアだ!私の最高傑作だ!」
ティムはため息をついた。「しかし、クロヴィス王国全土の耕作放棄地を—」
「無理だ、絶対に無理だ!」ラグナーは頭を抱えた。「私の子供たちを量産品にするなんて…考えただけで気が狂いそうだ!」
ウィリアムはクスリと笑い、ティムの肩を叩いた。「弟よ、君は天才かもしれないが、職人の心はまだ理解していないようだ」
ティムは諦めずに言った。「でもこれが大量に出回れば飢える心配はなくなる—」
「それはそうだが…」ラグナーは少し迷いを見せたが、すぐに頑なな表情に戻った。「だが私にとって、この機械たちは子どものようなものだ。大量生産なんて…そんな…」
ジュリアン司教が一歩前に出た。「ラグナー、あなたの気持ちはよくわかります。創造物への愛着は神聖なものです」彼は穏やかに微笑んだ。「しかし、その素晴らしい発明が多くの人々を苦しみから救うと考えたことはありませんか?」
ラグナーはじっと司教を見つめた。
「良き職人であるあなたは、自分の技術を通じて世界をより良くしたいと願っているはずです」司教は続けた。「それが神の意志というものではないでしょうか」
ラグナーは黙って、畑で働く農夫と遠くで学校に向かう子どもたちの姿を見つめた。
「まあ…そういう言い方をされると…」彼は渋々と呟いた。「だが、量産といっても、私の監督の下でなければならん!一台一台、魂を込めて作るんだ!」
ティムは希望を見出し、慎重に言った。「もちろんです。あなたが技術監督として全ての製造工程を監督します。品質に一切の妥協はしません」
「そして、各機械に名前を付けることも許可します」ジュリアン司教が付け加えた。
「本当か?」ラグナーの目が輝いた。
「もちろん」ティムは笑顔で頷いた。「アイアン・ジュニア、アイアン・ザ・サード、アイアン・フォース…」
「違う!」ラグナーは激しく首を振った。「名前は私が決める!アイアン・ジュニア、ロッキー、ブレイド、スチーリー…」
ティムとジュリアン司教は再び顔を見合わせた。
「では…」ティムは慎重に言葉を選んだ。「アイアンハンド・カンパニーの技術部門の責任者として、あなたに全権を委ねます」
「技術部門の責任者?」ラグナーは不思議そうに首をかしげた。「それはつまり、会社の…?」
「ええ」ティムは笑顔で手を差し出した。「あなたの名を冠した会社の重要な一員になっていただきたい」
ラグナーは少し考え込んだ後、ゆっくりとその手を握った。「わかった。だが一つ条件がある」
「なんでしょう?」
「全ての機械に私の承認印が必要だ」ラグナーは厳かに言った。「そして、年に一度、全ての機械を集めて私が点検を受ける日を設ける」
ウィリアムは笑いを堪えるのに苦労していた。ティムは真剣な表情で頷いた。
「承知しました。契約書にその条項を追加しましょう」
ジュリアン司教はやれやれという表情で目を閉じた。「神よ、この奇妙な起業を祝福したまえ」
こうして、クロヴィス王国の農業を変える企業、アイアンハンド・カンパニーの奇妙な船出が始まった。




