第二十三話 おかえり
エルフだって簡単に死ぬ。
いや、それはエルフに限らず人類──形あるものはいずれ滅びる。
どんなに社会構造に支えられた地位を持とうと圧力を掛ければ簡単に弾け飛び、ゴーレムの操縦が巧かろうと銃で撃たれれば失血死する。
硬い装甲に包まれていようと高エネルギーによって切断力を高めた剣の前にはバター程度の抵抗しか生まない。
だからこそオレ達は無形のものを継承して死の恐怖を紛らわせようとするのだ。
一年前に旧ノゥル公国西部、リシルとの要衝となっていた基地を失ったエルヴンランドだが、エルフはその負けを然程重要視していないようだ。
エルフにとって負けそれ自体に大した意味は無い。
重要なのはそれによって尊厳が傷付けられたのか否か。
「あの負けは劣等種の劣等種たる所以だろう。やはり我々エルフが導かねば」
「そもそも、あのような蕃地に送られたエルフの能力などたかが知れている。輝かしきエルフの面汚しが」
敗走したオレ達を迎えたエルフはこのように言っていた。
エルフの支配とはこの確固たる優越感に支えられたもの。
エルフは特別、それ以外は生物として格下であると考えているのだ。
だからこそ、それを揺るがす存在を認識しない。
例えばエルフがヒウムに殺されたとて、それがエルフ全体への攻撃などとは考えない。
そのようなものは存在しないと考えるのだ。
あのエルフはエルフの中の劣等だった、とかそんな言い訳で。
一年、オレは変わらずエルフに飼われていた。
ノゥル公国時代の領土は半分程を奪われて、押し返す戦力を持たないノゥル地域の軍は時間稼ぎに邁進している。
本国からの増援を期待しているのだとか。
そんなものが来るのかは怪しいところだ。
勝つ気があるのならもっと色々な事が出来るだろう。
まあ、オレ達には関与出来ない遥か天上の話なのだが。
ゆっくりと負ける戦いの中でオレは時を待っている。
一年前のパトラ殺しはバレていない。
あれは飼い慣らされずに時を待ち、相応しいタイミングで喉元に噛み付いた結果だろう。
とはいえパトラの死はエルフにとってなんの痛痒にもなっていない。
ヤツらの名誉は傷付いていない。
だからこそ、次は確実なタイミングと方法を探りたいのだ。
待っていればやがて機が来る。
そう信じて一年、命じられるままに敵を倒し続けてきた。
機はまだ訪れない。
そうやって待つうちにオレが戦死するか、魔石に侵されて死ぬか。
一度やれると分かってしまえばどうしたってその選択肢を選びたくなってしまう。
どうせオレの人生で出来る事なんて限られている。
それで可能な限り多くの……良い選択をするにはエルフへのささやかな反撃を試みたくもなるのだ。
オレは自分の命の使い道を、死に場所をそこに定めた。
みんなはどう思うだろうか。
オレの背中を押すものが願いや希望だったのなら、オレが向かおうとしてる先もそれに沿ったものだろうか。
疑問に答えてくれる人は居ない。
オレは誰かに問い掛ける力を持っていないのだから。
◆◆◆
「敵襲!敵襲!起きろ!防衛配置だ!」
心地良い夢の中から退却する列車の中へ、喧しい金属音の連続で叩き起こされる。
ただでさえ寝心地の悪い狭いベッド──高さも幅も狭いベッドなのにそんな起こされ方をしては寝起きは最悪だ。
鉄兜をスパナで叩いて兵士を起こして回る彼に多少の怒りを覚えつつ、狭いベッドから飛び降りる。
「うぉっ!?気を付けろよ狼の姐さん!」
「アァ……」
三段ベッドの一番下に苦言を呈されてしまった。
だがどうやって気を付けろというのか。
オレが何を言っても伝わらんだろ。
「うぉ……姐さん腹筋すげぇ」
「バカ!女性の下着姿をジロジロ見るな!」
「痛えって姉ちゃん!こういうのは軍では気にしないもんなんだよ!」
下着って言っても支給品だろ……
三段ベッドでオレの下を使う姉弟はあれこれ言い合っている。
オレも気にしてないからこれだし、もっと言えば実利を優先だ。
身体を見下ろせば、胸に腹にと身体のところどころに突き出た石が。
腕を回して肩に手をやれば硬いものが触れる。
石があちこちに生えてきた。
これが服に引っ掛かるのだ。
角が立っている箇所はヤスリがけでもしようかと思ったら慌てて止められた。
これは案外繊細で、下手に刺激して見えない血管に傷を付ける事もあるのだとか。
大変に不便ではあるが、先達曰く見える場所に生えているうちは大丈夫、らしい。
問題は見えない内臓に生えた場合。
内臓機能が落ちてゆき、やがて死に至る。
とはいえそんなものは目の前の危機と比べれば遥か先の事。
今死ぬか明日死ぬかなら目の前の危機を解決する事が先決だ。
就寝中も緩く履いたブーツをそのままに、コートを引っ掴めば準備完了。
後部車両へと向かう。
「よっ!頼んだぜノゥルの狼!」
「姐さんの機体の準備は出来てる……が、脚周りがアテにならないパーツが幾つかある。無茶させないでくれ」
後部車両は簡易ゴーレム格納庫。
ガタガタと揺れる車内で工具が小さく鳴っている。
この車両はオレのラヴィーニ専用のいわばスイートルーム。
堂々と横たわり、今も大急ぎでケーブルを外したりパネルを嵌め直したりと戦闘準備が進んでいる。
「あと弾が無い。撤退時に撃ちまくったんでライフルの弾倉一つ分しかないんだ」
「ヴア」
「頼んだぜ!」
コートを羽織り、ラヴィーニの胸に飛び乗る。
素肌にコートの裏地が触れて気持ち良い。
上半身に着る服を少なくする事のメリットは石が引っかからない、コートが気持ち良いだけではない。
コクピットに滑り込み、交感用のチューブの接続はすんなりと。
どうせ腕は捲ったりで大変なのだからコートを着ていても変わらない。
腹の接続は特に楽だ。
腹膜に魔力溶液を流し込みゴーレムと繋がる。
これは臍の緒みたいだと思うのだ。
オレは胎児、ゴーレムは母体。
ならコクピットは子宮か?
交感していると妙に落ち着くのは胎内回帰に近いからだろうか。
『よぉ姐さん!俺右側やるからさ、姐さんは左側任せていいか?』
無線から聞こえた声は三段ベッドの一番下、オレ達アリナ隊の新人の弟の方。
敵襲でも変わらず軽薄な様子は逆に大物の素質を感じる。
「アー」
『ぃよっし!助かったぜ。左の方が敵の数多いんだよな、俺の狙撃砲の残弾的に倒し切れるかビミョーでさ!』
先に理由を言ってくれれば断ったりしないんだけど。
オレはそんなに厳しそうに見えてるのか?
『ラヴィーニ、出撃準備は?』
「アー」
『なら出すぞ。コンテナ展開、発進準備!』
横たわったラヴィーニが徐々に起き上がる。
同時に天井と壁が開き、夜の闇を視界に捉えた。
まだ夜だったのか。
寝足りない筈なのに戦闘となればハッキリと目が覚めるのだから染み付いた習慣とは恐ろしい。
『アンタの敵は進行方向に向かって左側、合計八機のゴーレムだ』
まあ、なんとかなる数か。
機体は現状で出来る最高の整備がされている。
ライフルもパイルバンカーも機能するなら問題ない。
軽く踏み切り、列車から飛び降りる。
『行ってこいノゥルの狼!』
土が激しく舞い上がり、勢いが乗って機体が多少揺れる。
バランスを取り、ゆっくりと機関出力を上げてゆく。
機体を気遣って少しづつ、弾も無駄には出来ない。
列車と並走して敵を見る。
(敵が来たぞ……一機だけか?)
(あれ、ノゥルの狼じゃない?単独で中隊を相手にするって……)
(だとしても満足に補給も整備も受けられていない手負いの獣だ。ここで仕留めるぞ)
リシルにも名が売れているのか。
有名になるって変な気分だな。
ファンサービスくらいしてやろう。
(──っえ?)
(一機やられた!)
(嘘だろこの距離で!?横風も酷いのに!)
弾丸は上手くコクピットに刺さったらしい。
一発一発を大切に撃たないとあっという間に弾切れしてしまう事をオレは学んだ。
ここ一年程は特に強く。
オレ一人が戦果を挙げても戦場はどうにもならない。
戦場が全体的に押されていって、徐々に厳しい戦いになるのなら負け戦になる後半にも余力を残さなければ。
となれば求めるのは最小の動きで最大の戦果、一発の弾丸で一機のゴーレムを仕留めたい。
(ックソ!まただ!撃て!撃ちまくれ!)
(こんな距離で当たるわけない!)
(ならなんで向こうは当てられるんだよ!)
二機、三機、四機……夜の闇に火花が散る。
弾丸が装甲を抉りカン、カンと小気味良く音が鳴るのは戦場ならばヒーリングミュージックだ。
弾丸が上手く当たると良い音が鳴る。
『448号、敵ゴーレムが前方車両に近付いている。流れ弾が当たらないようにしろ』
「アー」
エルフはようやく起きたのか?
オレ達は狭い三段ベッドに押し込められているというのに、前方のベッドはさぞ寝心地が良いのだろう。
とはいえ列車は守らなければならない。
いざとなればエルフは自分達が助かる為に劣等種用の後部車両を切り離すだろう。
そうなる前に、片付けたい。
流れ弾が行かないように、注意を惹きつけ接近する。
大回りに敵を威嚇するように、そこから一気に喰らい付くように。
(速い!でも性能なら!)
加速して程なく、機体から嫌な音がした。
無理は出来ない。
敵は万全の状態なら、彼我の機体の性能差は明確だ。
だがそれを、技術でなんとかしてみせよう。
(狙いを絞らせるな!)
(動き続けろ!動き続けろ!)
流石に同じ手は何度も通用しないか。
ワンショットワンキルは諦めて、選ぶのは接近戦。
射撃の脅威は十分見せ付けた。
あとは銃口を向けるだけで敵は勝手に動いてくれる。
(クソ……クソぉ!近寄れば!)
そうだ、それで良い。
残る四機の内、一機が機体の性能を全開で活かした機動で突出した。
向こうから近寄ってくれるならこれ程楽な事はない。
彼我の速度から最適な距離を探って……
(これでも喰ら──)
敵の一撃を最小の動きで避けてパイルバンカーの一撃を。
杭は間違いなくゴーレムの胸部、その奥のコクピットを貫いた。
貫いたは良いが……杭の再装填機構が壊れて戻らない。
これでは引き抜くのが少し手間だ。
(動きが止まった!撃ちまくれ!)
(ですがあれはデリックの──)
(もう死んでいる!)
人を盾にしているようで気分が悪いが仕方ない。
そうやって躊躇う隙を見逃すのは慈悲というより侮りだろうからオレは撃つ。
脚を止めたゴーレムに命中。
眼が響かせる声がひとつ減った。
『よぉ姐さん、そっちはどう?俺ってば一発で二機を撃ち抜く奇跡を起こしちゃったもんだから早く終わってさ。手伝うよ』
残る二機の一方が胸から激しく火花を散らせて機体を浮かせて、爆散。
僅かに遅れて右後方から砲声。
確実に一機仕留める綺麗な狙撃だ。
『これで弾切れ、閉店ね。あとは頼むよ』
「アー!」
残る一機は絶え間なく銃撃を続けている。
杭が突き刺さったままの敵機を盾に弾を防いでいるが、次はどうするか。
遠近どちらも警戒されているだろうし、こうして距離をとって逃げ回られると機体への負荷が掛かり続けてこちらが不利だ。
ならいっそ、短期決戦を挑んでみるか。
(──来る!)
ペダルを一気に踏み込む。
操縦桿を握り締め、敵機を盾に一気に加速。
機体はより一層嫌な音を鳴らして止まらないが、すぐに終わらせるから耐えて欲しい。
相応しい距離まで背部ジェットを轟かせる。
そのパワーに機体各部が耐えられる限界を見定めて……今。
(ここで死ね!ノゥルの狼!)
杭を引き抜き敵機に迫る。
盾を放り投げて囮にし、一息に距離を詰めて伸び切った杭で敵機の頭部を打ち抜く。
(速──)
メインカメラを消失した機体では復帰するのに僅かだろうが時間が掛かる。
杭を振り下ろして脚を払い、仰向けに倒れたゴーレムへ銃口を向ける。
六発目。
八機の内七機を、六発の弾丸で仕留めた。
上々だろう。
『見てたぜぇ。流石はノゥルの狼!氷の乙女と並んでノゥルの双璧だ!』
調子の良い事を言って盛り上げてくれるから彼は好きだ。
腕もあるし。
少しばかり調子が良過ぎて姉の方に懲らしめられているのが玉に瑕だが、みんな頼りになる。
今日も、みんなのおかげで勝てた。
敗走の中で生存という勝利を勝ち取った。
今はこれで十分。
取り敢えず、今は。
機体を格納庫に戻し、列車は安全に走り出す。
オレ達はまたしても敗北し、防衛拠点を放棄して東へ向かっている。
人も装備も損耗し、鉄路に沿って目指すは公都。
ノゥルの中枢……かつて中枢だった場所。
今では旧ノゥル公国地域を治めるエルフの総督が君臨する場所だ。
そして公都はアリナ隊の拠点となる場所でもある。
ノゥルは石炭や鉱物資源なんかの採掘、輸送で発展した国。
その為輸送用の鉄路が主要都市を結んでいるのだ。
公都などは各戦場に向かう際に都合が良く、アリナ隊は都度都度公都に戻り、補給や整備を済ませて新たな戦いに赴く。
だからまあ、オレは公都よりも各地の戦場の方が長い。
公都なんて数日滞在して、すぐに戦場で数ヶ月過ごすのだ。
そんなわけで……車窓から見える公都の景色には毎度驚かされる。
鉄路が伸びるその先に、石が積み上げられた壮大な都。
その中心には城。
ノゥルを象徴する存在が厳かに聳え立つ。
「やっぱ凄いっすよねぇ」
「ノゥルを結ぶ鉄路の中心、栄えある公都。市内はトラムが周り、水路は遥か昔から維持され続けた洗練されたシステムなんです」
やんちゃな弟に対して姉は優等生タイプだ。
物を知らないオレは随分助けられている。
「ならあの木は?」
石造りの優雅な都市に不釣り合いな自然。
他の何より大きく建物を遥かに超える高さの大樹が、白亜の塔の如く城を取り囲んでいる。
「あれはエルフの霊樹。周囲の魔力を安定させる力があり、魔力を感じ取る能力の高いエルフにとってあの木の力が及ぶ範囲が真に安らげる場所というわけ」
「あの気持ち悪い木を世界中に植えて、全部俺の縄張りって事かぁ?」
「ちょっと──!」
姉の方も弟も方もやってしまった、といった顔でこちらを見ている。
……ああ、オレにあの気持ち悪い木の枝が埋め込まれているからか。
気持ち悪いのには同意だから気にしてないんだけどな。
「で、でもほらあの木はエルフにとっては繁栄の象徴なんですよぉー!?出生率の低いエルフはあの木の影響下の安定した環境でしか繁殖が出来ないんです!だからあちこちに戦争を仕掛けて霊樹を植える土地を奪っているわけですよ!」
「姐さんの身体もエルフに奪われたってコトね」
「アンタ黙ってなさいよ!」
まあ実際、あの木こそエルフの支配の象徴であり力の源だ。
木がオレを縛り、木がエルフの飽くなき欲を示している。
テラフォーミングのようなものだ。
大地にエルフに適した土地をより多く作り出し、それ以外の土地は奴隷がエルフの為に開墾する。
食糧生産、次なる戦争の為の備えや色々と。
公都の中へと入れば、木はその異物感をより強める。
城が何処からでも見えるように、木も同時に視界に入るのだ。
列車が駅へと入って下車するとより強くなる。
骨が震えるような、妙な落ち着かない感覚があるのだ。
骨に埋め込まれた枝が、同族の存在を感じ取っているのだろう。
気分は良くない。
「やっと帰れたぜぇ!」
兵士達は口々に無事の帰還を喜び、それを出迎える家族と抱擁を交わしている。
過酷な戦いを終えて、一時の安らぎを得る時間だ。
兵士達の帰りを、家族が駅で出迎える。
この人達を家族の元に送り届ける助けが出来たのなら、それはとても嬉しい事だ。
だが、オレを出迎える人は居ない。
人混みを通り抜けて駅を出ようと脚を進める。
ホームを抜けて、構内にはそれ程人が多くない。
出迎えにやって来た人が大半だろう。
エルフは自由な移動を制限しているから、駅は物資の輸送と軍事目的が大半。
ほんの僅かに民間人の移動を含む。
「やっほ、おかえり狼ちゃん」
背後から急に抱き付かれて、声の主が誰かも分かる。
アリナは相変わらず距離が近い。
「アー」
「絶対ホームで誰かを待ったりしないと思ったのよね。一人で抜け出して寂しく宿舎に直行するつもり?」
「アー」
「私がそんな事にはさせないから!行きましょ!」
肩を組み、オレを連れ出すアリナが今のオレの家族……のようなものだろうか。
これが本人に伝わったら……少しうざったい反応をされそうだけど。




