第二十一話 存在を示した証よ
444号が居ない冬が来た。
戦況は悪化の一途を辿っている。
配備されたリシルの新型は戦線全体を押し込む力を持っていて、オレやアリナが勝利を重ねたところで焼け石に水。
前哨基地は次々と陥されて、その尻拭いにヒウムの血が使われるのだ。
この冬が終わった頃に大きな戦闘が起きるだろう事、それに耐え切れなければリシルの侵攻──いや反撃を止められないと不安の言葉をあちこちで耳にする。
現在も未来も暗いまま。
それでもオレは生きている。
何故かと問われれば返す言葉に困るだろう。
明確に強い理由があるわけでもないのだ。
生きてと託されたから?
今も生きている同胞の為?
敵が憎いから?
どれもしっくりこない。
確かにあの子達の分まで生きなくてはと思う。
徐々に数を減らす首輪の強化兵と共に戦わなくてはとも思う。
敵が憎い……オレはそれより恐怖が勝る。
おそらく、これらは火種なのだ。
オレが前へと進む為に投じられたもの。
そこに燃料を焚べるのはオレ自身であり、それが無い今進む力は弱まっている。
以前は辛い時でも楽しみや現状の良い点を見つけられた。
今はもう分からない。
食事の時間が楽しかったのが遥か昔のような感じがする。
冬が深まるにつれて徐々に増える空席に、味がしない食事。
周囲から賑やかさが無くなって味気なくなった食事から、いつの間にか本当に味が感じられなくなった。
こんな複雑な事を医者に伝える能力を持たないし、心因性なのか魔石によるものなのか分からないから解決のしようもない。
毎日三回、油脂の染み出す粘土のような食事を摂るのは辛いが、食べなくてはならないという何かの名残りのような使命感だけで腹を満たす。
それ以外にする事はゴーレムに乗るか、走るかだ。
過酷な任務で疲弊して、泥のように眠る。
限界まで身体を動かして、倒れ込むように眠る。
そうでもしないと激しい後悔で眠れなくなってしまう。
結果として食事、運動、睡眠と質の良い生活を送れたおかげで背は伸びた。
今なら444号と同じか少し上くらい。
身体を鍛えたからなんだというのか。
これで何が出来るわけでもなく、今も続けているのは頭を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、夜眠るツールとして運動しているだけ。
444号に渡そうと思っていたチョコレート──今となっては味が分からなくなってしまった──は子供達にあげてしまった。
近頃暗い顔をしていた子達が目を丸くして驚いていたから444号も喜ぶだろう。
とはいえその子達もどんどん数を減らしているのだが。
気が付いた時には食事の席からごっそりと数が減り、基地内を走っていると聞こえてきた前線での大敗の報せで消えた子達が死んだと知った。
それ以外にも魔石が運動能力や思考能力を奪い、病床でただ死を待つだけになった子も。
残った数はもう片手で数えられる程まで減っている。
食堂の席の間隔は恐ろしくなる程空いてしまった。
今日も無心で食べて、走る。
明日も無心で食べて、任務へ。
そして三日目で一人減った事に気が付く。
基地内を走っていると特に話した事があるわけでもない、名前すら知らない兵士がいつもの場所に居ないと気が付く。
オレの狭い世界の外でも人は死んでいる。
だから生きている知り合いに出会えると心からホッとするのだ。
良かったまだ生きていた、と。
「うおぉ……また背ぇ伸びたか?」
基地の中央に近い道を走っていると整備兵のお姉さんとよく遭遇する。
工具箱を抱えて、また砦の方のエルフ宿舎の設備を修理してきたんだろう。
お姉さんとは歩きながら他愛のない話をする。
オレは相槌を打つくらいしか出来ないが、それでもお姉さんは楽しげに機械の話をして笑う。
途中で道が分かれるのでオレはランニングコースへ、お姉さんは仕事場へ。
そうして走るのを再開して診療所の近くを通りがかると団長の姿を見掛ける。
「これでもオジサンは筋肉が凄いのさ」
そう言ってオレの左隣を走り、気遣ってくれる。
オレのもう見えない側に危険がないようにと常に喋りながら。
「昔は俺もとにかく走らされた。走り込みは兵士の基本、体力を付ければ何にでも活かせるからな」
そうは言いつつも団長の吐き出す白い息の量が増え、間隔が狭まるのをオレは見逃さない。
少し苦しげに口の端を引き攣らせ、それでも笑いながら走る姿をたまに右眼で覗き見ると、視線に気付いて前を指差す。
「ちゃんと前を見て走りなさい」
冗談めかしてそう言って、オレを気遣い楽しませようと色々な話をする。
444号が居なくなってからというもの、団長はオレによく話し掛けてくるようになった。
このランニング中の会話以外も色々と。
オレを独りにしないように気を配っているんだとすぐに分かった。
独りで考え込まないように、考え過ぎて極端な選択をしないようにと。
オレは消極的に生きる事を選んでいるから多分大丈夫なんだけど。
ただそれを伝える手段は無いから、流れのままに話を聞いたり相槌を打ったりしている。
そうやって会話を続けていると、だんだん団長の声が後ろに下がっていって、背中をトンと押されるのだ。
「俺はもう限界だ……」
ぜえぜえと荒く呼吸して、膝に手をつく団長に手を振り先へ行く。
体力の限界まで付き合ってくれる優しさには感謝だ。
でもこうやって心の温かさに触れれば触れる程、失う恐怖に苛まれる。
背中に残る大きな手の感触が徐々に失われてゆく事が、何かの予行練習のような気がしてしまう。
そうしてまた独りで走る。
人の温かさが無くとも手袋とコートが暖かい。
オーバーサイズだったコートは成長した今では丁度良いくらいか。
これ以上大きくなったら着れなくなりそうだから、ここで打ち止めにして欲しいものだが。
「やっほー。私も独りなの、隣いい?」
ランニングコースの後半ではアリナと合流する事がある。
時間や場所は様々だが、アリナの方が足が速いので何処かで追い付かれる。
そうして二人並んで走って、会話はあまり無い。
アリナの内心はなんとなく想像出来る。
オレと何か接点を維持していたいが、話すのは躊躇いがち。
最近のアリナはオレと話す時は申し訳ない、と顔に書いているようなものだ。
断じてアリナのせいではないのに、444号に対する責任を負ってオレと接している。
息苦しさを感じないでもないが、こうして走る速度を合わせてくれているだけでオレは嬉しく思うのだ。
「日に日に走るのが速くなる貴女を見守れるのが嬉しいの」
ポツリとそう溢し、アリナは先へ行く。
オレのランニングはここで終了。
アリナの背を見送り少し乱れた呼吸を整える。
後ろ髪を軽く掻き上げれば、冷たい冬の風が汗ばんだ首筋を撫でて心地良い。
太腿が軽く縮むような余韻をゆっくりと歩いてほぐしつつ、次の場所を目指す。
最初はただ帰る為のルートだった。
何の気なしに通った道の片隅に積み上げられたコンテナの上に人影を見つけたのだ。
首輪の強化兵……当然顔に見覚えがある。
常に近寄るな、といったオーラを放つ寡黙な彼は本を読んでいたのだ。
オレ達は文字を教えられていない。
教えられていないという事は知るべきではないと、エルフがそう決めた事。
だから本を読んでいる彼を見た時はとても驚いた。
驚き過ぎて視線を離せず、怪訝な顔をされながら道を通り抜けたのだ。
その後ランニング後にはその道を通るようにしたのだが殆ど毎回、そこに彼は居た。
いつも同じ本を読んでいて、ひとり。
冬が深まってゆくのも構わず、ずっと外で読んでいる。
話した事はない。
そもそも会話らしい会話なんて出来ないからどうしようもないけど、不思議と彼の姿はオレの日常の一部になっていた。
食事、任務、眠る。
食事、走る、眠る。
その間にオレの狭い世界に存在する人々との関わりも。
食事、任務、眠る。
食堂で見掛ける子供の数が減っている。
食事、走る、眠る。
オレの指のように数が欠けてゆく。
食事、任務、眠る。
オレを含めて残り四人。
食事、任務、眠る。
食事、任務、眠る。
食事、任務、眠る。
食事、任務、眠る……
そんな日常を繰り返して、いつの間にか首輪の強化兵はオレと本の彼二人のみ。
冬が明けた頃に来るであろう大攻勢を前にみんな死んでしまった。
それでも食堂での定位置は変わらず、空席が目立つ部屋の端。
詰めるでも移るでも、どう使っても良いはずなのに頑なに定位置に座り続けるのだ。
朝食前、ランニング後には彼の顔を確認し、まだ生きているなと安心する。
会話は無い。
だがそろそろ距離を縮めてみても良いかもしれない。
そう思ったのはパトラに呼び出された、春が迫ったある日の事がきっかけだった。
「貴女、文字は分かる?」
「ヴー」
「なら覚えて。貴女が報告書だとか色々と読めない書けないせいで滞りが出てるの」
これは現場判断なのだろう。
オレ達首輪の強化兵を作ったエルフが持たせなかった機能をパトラが追加する。
言うなれば現地改修か。
パトラは適当に本を一冊投げて寄越して、オレは慌ててそれを受け止める。
文字が分からないからタイトルは不明。
ただ柔らかなタッチの絵が大きく描かれたそれは子供用の絵本なのだとすぐに分かった。
「書類仕事の出来る犬が欲しいの。それ、早く読んでちょうだい」
「アー」
執務室を出たその脚で、絵本を抱えてあの場所に向かった。
もしかしたらこの本がきっかけになるかもしれない。
そう思って少し歩く速度を速くする。
いつも走る道を歩くと余計にもどかしく感じてしまう。
だがしっかりと時間を掛けて辿り着き……そこに彼は居ない。
そんな日もある。
任務で外に出ていれば基地に居ない事も、ある。
その日はそこで絵本の中身を見た。
次の日も彼は居ない。
その時点で予感はあった。
更に次の日も、次の次の日も……居ない。
コンテナの上でオレが絵本に書かれた絵と文字を結び付けて覚えていると、不意に声を掛けられた。
「君、首輪の強化兵よね?うちの部隊に居た子と同じ……」
そのヒウムの女性は丸い耳を赤くして、目元も少し赤かった。
寒さだけではない赤さだ……だから分かる。
彼は死んだ、そしてその死を悲しむ人が居るのだと。
「彼の事、覚えていてくれてありがとう。いつもそこで本を読んでいたでしょう?それを知っている人が居て、ホッとした」
ああ、これだ。
オレが辛いのはこれなんだ。
死んだみんなが確かにそこに居た証が少ないから、辛い。
他人の中に居るみんなを確かめられない、確かめる為の言葉が無い。
だからこの手袋とコート、オレの中にある思い出や言葉や動きを追い掛けている。
生きてと言われたから生きている。
賑やかだった食事を覚えているから、独りでは味がしない。
キランが居れば勝てたのに、そう思うからあの動きをなぞろうとする。
「君の仲間の事、忘れないであげて。こっちも仲間の事を忘れないから」
忘れない。
そうだ忘れるものか。
オレが生きてさえいれば、死んだみんなの事は消えて無くなったりしない。
オレ自身がみんなが確かに生きていた証になれる。
そしてオレが生きていた証を他人に残すんだ。
みんなと繋がったオレを誰かの中に残せば、それはみんなが生きていた証と同じだろ?
そう思う……そう思いたい。
◆◆◆
曇天の嫌な空をした日の事だった。
パトラに呼び出され、砦まで向かう。
呼び出されると決まって悪い事が起こるので憂鬱にもなる。
もう慣れた道のりに、いつまで経っても慣れないエルフからの視線。
案内のエルフに着いて行った先は、もはや懐かしい場所。
この基地に配属されたオレ達、首輪の強化兵が最初に向かわされた場所。
キランと出会った砦内のホールだ。
そこへの大きな扉を前に待たされて、嫌な予感を高まらせるオレを尻目に、浮かれた笑みを浮かべたパトラが扉を少しだけ開けて現れた。
「ちょっとしたサプライズよ。目を閉じて──」
そう言ってパトラはオレの両眼を手で覆う。
まさか誕生日パーティーなんかじゃないだろう。
そもそもオレは自分の誕生日すら知らないんだから。
「そういえば右だけで良かったわね。まあいいわ、着いて来て」
片手で視界を塞ぎ、片手でオレの手を引き、パトラはホールの中へとオレを招き入れる。
室内は広いから音で何かが分かるような感じではない。
ただ、人が一箇所に集まっている気配はする。
「ここ、違う。もう少し左を向いて……そこよ」
パトラは念入りにオレの位置を調整し、それをオレの視界に収めようとしているのだろう。
一体何を見せられるのか。
もう大抵のものでは驚かない気がする。
「さぁ……目を開けなさい」
無駄に目を閉じて抵抗したところで意味は無い。
大人しく従ってしまうのが一番の対処法だ。
目を開ければ──オレの視界には子供達が写っている。
見知らぬ子供達……だがオレと同じ首輪が嵌められた子供達だ。
「これはいわば貴女の弟妹よ448号。リシルの大攻勢を前に、古老が新型強化兵の追加生産分を送ってくれたわ」
言葉を発さず、無表情でオレを見つめる子供達。
血の気が失せるのを感じる。
呼吸が浅く、心臓が早鐘を打つ。
肩に手を置き、耳元でパトラが囁く。
「これも……貴女が特別な戦果を上げるものだから。貴女のお陰ね448号」
オレが、オレがこの子達の人生を苦痛に満ちたものにしてしまったのか?
オレが生きる為に足掻いた結果、他人の人生すら巻き込んで同じ地獄に落ちているのか?
「自らの──首輪の強化兵の価値を、存在を示した証よ」




