第二十話 あの子を──
最近アリナ隊は忙しいらしい。
以前、春前の任務でオレ達が破壊した輸送艦。
その中には新型のゴーレムが載っており、それが前線に運ばれるのを阻止したわけだが。
それでも夏が間近に迫る頃にはリシルは殆どの戦場に新型を配備していた。
結果としてオレ達が苦労してまでやれたのは僅かな時間稼ぎ。
その猶予で何が変わったわけでもない。
エルヴンランドは攻めあぐね、押し返されている場所もあるとか。
高慢ちきなエルフの鼻を明かされているのは痛快だが、その損失を埋めるのはオレ達の命なので喜べない。
そんな戦況の為、アリナ隊は少し押されている戦場へと向かったのだとか。
アリナ隊もパトラからの一騎当千をしてこい、なんかの無茶振りを受けたのだろう。
そのような理由により、オレは最近444号に会えていない。
会えないとチョコが溜まる。
誰かから貰ったりしたものを全て仕舞い込んでいるので少し嵩張りつつあるのだ。
戦闘糧食だから長持ちはするだろうが……それでも溜まる一方なのは気になる。
会う度に渡して一緒に食べていたから、会えていない期間が可視化されている訳だ。
……これってなんだか貢いでるみたいだな。
そう思うと自分の事が中々気持ち悪く感じる。
いやいや違うのだ。
オレは彼女の成長を見守りたいとか、そういうあれだ。
もし平和な世の中に生まれていたならどんな人生を送っただろうとか考えて、少しでも今を幸せに生きて欲しいと思ったりする。
これキモいか?
たまに我が身を省みると大丈夫かどうか不安になる事がある。
例えば筋肉付いたな、と自分の身体を触っている時とか……
自分の身体ながら不意に女体を触っているんだよな、と思うと途端に恥ずかしくなる時がしばしば。
だからそう、444号と会えないからといって寂しくなるのは少し反省した方が良い事だ。
それに何かの代わりとして彼女を見てはいけない。
他人から見ればオレは444号と同年代の美少女だが、オレの精神には前世分の下駄がある。
ならばオレは大人として彼女に寄り掛かるような事をしてはいけない。
守って導くような、そんな感じが理想だな。
なのでまずは走る。
体力があるに越した事はないだろうし、栄養満点の食事を食べている筈なのだから、あとは運動によって身体が作られると考えた。
背も伸びれば言う事無しだ。
同年代の子供達と比べても背が低めなのがオレの悩みの一つ。
自分の年齢すら定かではないが、おそらく今が成長期。
ならば今こそ健康に気を付けたい。
いや、身体の状態は魔石の事もあり良くはないのだが。
左眼はもうかなり来ている。
それ以外はまだ大丈夫だが、物を持つ際に左手の保持力が低い事には不便を感じるな。
……こう振り返るとオレはボロボロだ。
起き抜けに洗面台の前に立ち、顔を洗う水の掌の上に溜まる量の少なさと、顔を上げたら目が合った鏡の中の少女を見た時そう思った。
大人らしく、だとか考える内面に対して外身は子供だ。
もうあまり見えない左眼は、少し色が変わったか?
魔石の影響だろうか、鮮やかな左眼に対してまだ見える右眼の方が余程濁ったように鏡に写る。
それでもまだ大丈夫。
まだ心が折れていないのだから。
だから大丈夫。
オレに人間らしい心の温かさを生み出させてくれる444号が居る。
生きる事に特段の理由なんて必要無いと思うけれど、それでもこれは些細な理由とするには十分過ぎる。
だから大丈夫。
まだ大丈夫。
オレは今日も頑張れる。
◆◆◆
いつも通りのランニング。
基地内を周るコースでは夏の日差しとそよ風が心地良い。
夏に入ったとはいえ、この辺りは比較的涼しめだ。
かと言って冬用の手袋とコートを身に付ける事は出来ないので、あれらは宿舎に大切に仕舞い込んでいる。
暑過ぎず、快適に走れる環境と服装で日々走るルートでは様々な変化を感じ取る事が出来た。
踏み固められた道の端に花が咲いているだとか、冬には見なかった得体の知れない虫が飛んでいるだとか。
季節の変化は楽しい。
変わり映えのしない雪景色より余程良いと思う。
任務で基地の外に出ても大したものは見れないので冬はあまり好きではなかった。
あの真っ白な中を、思い出すだけで嫌気がさす程散々歩いたからかもしれない。
だから目を楽しませる色とりどりの季節は好きだ。
草の緑の中に花が見える事がある。
空の青さは冬よりも鮮やかだ。
土の茶色にすら温かみを感じる。
万事が上手くいっているわけではないけれど、季節の変化が良いものを運んでくれるんじゃないかと思うような、走りながら景色を眺めているとそんな気分になれた。
でもオレの人生はそんなものじゃない。
いつもそうなのだ、人生が上昇傾向にあるとバランスを取るように落とされる。
暖かな日差しに当てられて陽気にランニングなどしていたから忘れていた。
いつも通りのルートを走り、大きな道に出ようという所で人だかりを見つける。
聞こえてくる騒めきには心を逆撫でするような不安なものが含まれていた。
とても嫌な予感がする、進みたくない。
何故かは分からないがそう思った。
だが確かめずに不安だけを抱えるのも辛いだろうと近寄れば、騒めきの中から言葉が拾える。
「前線が崩れたらしい。一時包囲されて死に体で逃げて来たとか」
兵員輸送のトラックが道を行く。
方角は診療所側、それが何台も。
いつか見た凱旋とはまるで違う負の空気を纏った車列が次々と通ってゆく。
一台通る度に心臓が締め付けられて鼓動が早くなる。
何故かとても嫌な予感がするのだ。
「リシルが新型を投入してから押されていないか?」
「ケルッカはもう二十年近く使っている機体だぞ。細かい改良をしたところで押されるに決まってる」
機体の性能で言えばこちらの……エルフ専用機が優っているのだ。
だが数が少ない。
その為にオレ達ヒウムが数合わせとして戦わされているのだが、その数合わせが敵の新型に押されてしまってはヒウムは質で負けてエルフは数で負ける一方だ。
明確に旗色の悪さを感じる。
その影響から逃れる事は出来ないにしても、せめて生きていたいし生きていて欲しい。
ただひたすらに不安が募ってゆく。
苦しい程激しく心臓が主張して胸を抑える。
この場に居ても確信的な情報は得られず、戦況の悪化を予感させる言葉の数々が聞こえるだけだった。
それが良い事なのかは分からない。
どんな言葉がオレの不安を取り払ってくれるというのか自分ですら分からないのだ。
入れ替わり立ち替わり、様々な人々がやって来ては情報交換に勤しんでいる中に、オレを落ち着かせる情報が──
「包囲を破ったのは騎士アリナらしい。最後まで残って味方の退却までの時間を稼いだんだとか」
「流石ね、氷の乙女」
そこにアリナが居たのなら、444号も居た筈だ。
血の気が引く。
一定間隔の強い鼓動が乱れだす。
周囲の景色も音も遠く感じる。
気が付いた時には走り出していた。
アリナに割り当てられた格納庫は?
アリナなら444号が何処に居るのか分かる筈だ。
「ハァ……ヴァア!」
普段ならなんて事ない距離で息が切れる。
思うように進めない。
まるで悪夢の中に居るみたいだ。
手脚が酷く重たい。
粘性の高い液体の中をもがいているような気分で、やっと辿り着いた格納庫の中は空。
まだ一機も帰って来ていない。
不安だ、怖い、どうしよう。
纏まりの無い思考だけがぐるぐると脳内を巡って、他の何も考えられない。
格納庫の中は暖かな日差しなどとは無縁の薄暗く、無機質ながらんどう。
それがどうしようもなく恐ろしい。
誰も帰ってこないんじゃないか?
そんな考えが浮かんでしまい、格納庫の隅に座り込む。
ここに居れば誰かが帰って来た時にすぐ分かる。
暗く、冷たい床の上は心細い。
ああ、嫌だ。
不安に思うそれ自体も、不安に思うオレの弱さも。
暗がりに一人きりの孤独と、待つしか出来ない無力さに打ちひしがれて、ただじっと膝を抱えて待つ。
格納庫に差し込む日差しが徐々に赤くなり、月明かりの青さに変わり始めた頃、座り込んだ地面が揺れた。
細かく震え、近付く何かの存在を示すそれが何か確かめる事が出来なかった。
慌ただしく受け入れ準備が進む声、金属が稼働する音、大きな何かが格納庫に入ってくる音。
俯いたまま聞いたそれが待っていたものではない事は分かってしまった。
聞き慣れたケルッカではなくラヴィーニの駆動音……アリナだ。
他の人はまだ帰らないのか?
待っていれば次々帰ってくるんじゃないか?
実際、アリナ以外にも三回だけ音は格納庫に入って来た。
でもそれだけ。
帰ってこない人が三人居る。
もう顔を上げて確かめられない。
見渡す機体に444の数字が無かったら、それを確かめるのが堪らなく恐ろしい。
聞こえる声の中に聞き慣れたあの声が無かったらどうしよう。
無い事を確かめないように耳を塞いでしまおうか。
「あ……」
塞ぐよりも先に細い声が聞こえてしまった。
アリナの声だが、いつもよりも弱々しく聞こえる。
やめてくれ。
何故そんなに元気がないんだ?
444号は何処に?
近付いてくる足音が恐ろしい事をこれから伝えると示しているみたいだ。
「こんな所に座っていたら風邪をひいちゃうわ」
縮こまるオレをアリナの抱擁が優しく包み込む。
違う、アリナはもっと力強く抱きしめる。
「……待っているのよね」
そうだ、待っているんだ。
少し遅れているんだろ?
もしかしたら診療所の方に運ばれたのかも。
急いで向こうを確かめよう。
「──ッ」
「ダメ。私の腕の中に居て」
「ヴゥ……」
「探しに行っても、ここで待ってもあの子は居ない」
ならばなんだと言うのか。
オレはどうしたらいい?
ただ座っているしかないのか?
そうやって知らないうちに大切なものを……
「包囲を突破する時、酷い混戦だったの。なんとか味方を逃して、殿の私達も退却しようと思った時には姿が見えなくて、通信も通じなかった」
ならまだ戦場に居るかもしれない、死んだところを見ていないなら可能性はまだ──
「あくまで行方不明、生死不明だけど……分かるでしょ?貴女達は生きる為に魔力を取り込まなくてはいけない。ヒウム国家のリシルが、ヒウムの捕虜に魔力を投与するなんて考えもしない」
エルフはオレが抱いた希望を悉く潰してゆく。
こんな身体でさえなければと、これ程強く思った事はない。
ああ、でも分かるよ。
あの子は優しいから人を助けようとしたんだろうな。
オレもそうやって辛い時や心細い時に助けられたから想像出来る。
でも、それではあの子の事は誰が助けるんだ。
貰った分を返したかった。
ごめん、444号。
「ごめんなさい。あの子を──」
守れなくて。




