第二話 これが強化兵計画だ
さて、オレはこの生を受けてから10年を越える程度には歳を重ね、新たな身体とも良い感じに付き合い始めた頃だ。
最初のうちは女性として生きる事、のような堅苦しい考えもあったのだがそもそも必要が無かった。
というのも収容所でも研究所でも生活は白、黒、灰色。
女の子らしさのようなものは欠片も無い劣等種用の服を着て、劣等種用の飾り気の無い収容室で生活する日々。
言葉遣いを気にする必要もなく、基本的に黙っていればエルフに目を付けられない事は理解していた。
風呂、トイレも最初のうちは多少は気にならなくもなかったが、それよりも規則により早く出なければならないという焦りが常にあるのだ。
サラサラの髪なんてものは無縁であり、一応手慰みにボサボサの芦毛に手櫛を掛ける程度はするがその程度。
そんなこんなで自分の肉体への関心などまるでない生活は研究所に移ってからも変わらないと思っていたのだが、ある肉体の変化を端緒に状況を変えた。
胸が膨らみ始めたのだ。
第二次性徴というものである事は前世の記憶から分かる。
もうそんな年齢だったか、という時間の経過の早さも感じる。
だがオレの心の動きを置いていくように、周囲の環境が激変した。
研究所のエルフ達はこれを待っていたのだ。
より正確に言えば子供達の成長期を。
やはり、このような節目にはあの老婆のエルフが現れる。
この研究所にやって来た時よりは背が伸びた子供達を前にして嬉しそうに話した内容は、その後も様々な人物から聞かされ続ける事になった。
「よろしいですか?劣等種である貴方達はその身をエルフの為に捧げる栄誉を得るのですから、これはとても素晴らしい事なんです」
そう言って何人かの子供を連れて別室へ向かった後、隔てた壁を突き抜けて聞こえて来た壮絶な悲鳴を生涯忘れる事はないだろう。
最初は子供らしい高く瑞々しい叫びだったものが、だんだんと喉が枯れていく様子を聞かされ続けた子供達は身を寄せ合って恐怖が過ぎ去るのを待っていた。
オレ自身も、恐ろしかった。
大人らしく毅然と、なんて事を考えていなかった訳ではないけど、オレも身を寄せ合った子供達の中に居る事に気が付いて脱力する。
当然ながら背丈はそう変わらない。
それ以外の点も、そう変わらない。
精神がなんだと言うのか。
オレ達は皆一様に実験動物だ。
そこに違いは無くて、次にあの叫びを上げるのは自分かもしれない事に今更気が付いた。
大人ぶって遠巻きに眺めて他人事のように考えていた事が全て自分に降り掛かるものだと気が付いたら、途端に全てが恐ろしくなってしまう。
前世で学んだ歴史中の非人道的な行いの数々が去来して恐怖だけを残してゆく。
自分自身で恐怖を増幅させる悪循環に陥ったオレを正気に戻したのは、重ねられた手。
そして密やかな鼻歌だった。
「んーん〜」
震える鼻歌に合わせて指の一本ずつに触れて、彼女は身体をぴったりと寄せて来た。
「だいじょぶ?」
そう言って彼女はオレの下腹部を優しく撫でる。
漏らさないかって事か?
余計なお世話だよ!
恥ずかしさを吹き飛ばす為に叫びたかったがそんな事が出来る筈もなく、ずっと彼女にお漏らしの心配をされていた。
◆◆◆
かくして、オレ達への実験が開始した。
毎日違う子供達が連れていかれ、そして酷い叫びが無機質な建物に響き渡る。
数日後に憔悴した状態で戻って来た子供達は何があったのか黙して語らず、順番を待つ側としては恐怖がひたすら募るばかり。
そんな環境での生活は心底恐ろしかったが、良い点を探そうと思えば幾らか見つかりはした。
例えば食事が前の収容所よりは良い。
劣等種を大量に収容する事を前提とした施設の食事と、実験対象の劣等種の経過を細かく観察する為の施設の食事では異なるという事だろう。
成長期に合わせておそらく栄養を摂れる食事を与えられていた。
しかし、そんな栄養を与えるのは当然必要であるからだ。
子供達がすくすくと育つように栄養を与えて体力を付けさせる。
そうして臨むのは過酷な実験。
オレにも順番が回って来た、という事だ。
「来い、448号」
そう言ってエルフの研究員は鎖に繋いだオレを連れ、装飾の一切ない無機質な白や灰色の廊下を渡って、これもまた無機質な部屋へと向かった。
何の為の部屋なのか。
それは部屋の中央に鎮座する大きなベッド──拘束具付きの手術台を見ればすぐに分かる。
「次は──448号だな。これは魔力の許容量が多い。期待出来るぞ」
何に期待しているのかをオレには説明せず、エルフ達は流れ作業のようにオレから服を剥ぎ取り手術台へと寝かされて、手脚に枷を嵌められた。
実際慣れているのだろう、既にそれなりの悲鳴を聞いた。
その数だけこれから行われる施術の被害者がいたのだろうと容易に想像出来たし、もしかするとそれ以前から行われてきたのかもしれない。
このように他人事のように考えている事こそオレが今恐怖を感じている証だろう。
流石にそろそろ覚悟を決めなくては。
とても痛いんだろう、苦しいんだろう。
そんな目に遭う事を。
「霊薬準備」
「こちらに」
「よし、猿轡を噛ませておけ。舌を噛みちぎられてはもったいない」
抵抗しても仕方がないと、大人しく猿轡を付けられて眩いライトで照らされる。
案外科学も進んでいるんだな、と思うと同時にこれからオレに投与されるらしい霊薬とやらの点滴ボトルのおどろおどろしい濁った様を見れば、科学も魔法も一緒くたに鍋に放り込んでかき混ぜたような現状を思わせる。
そんなものを流し込もうと腕や脚に針を刺す僅かな痛みも、この状況ではやけに鮮明に感じた。
強張っていたからだろうか。
子供の柔肌には注射は痛いものだろうか。
だがこれから訪れる痛みはこの比ではないのだろうと猿轡を力強く噛み締めて……。
そこから先に意識らしいものはなかった。
記憶も曖昧だ。
ただ全身の神経を逆撫でして痛みを生じさせ、肉と骨を引き剥がして繊維の一本一本を爪弾くような苦痛が脳を襲い、瞬間的に気絶と覚醒を繰り返していた事は分かる。
だからだろうか。
まるで悪夢を見ていたかのような現実感の無さと時間感覚の曖昧さが、いつの間にかその時間を終わらせてくれた。
次に目覚めたのは清潔なシーツが敷かれたベッドの上。
倦怠感が全身を圧して、寝返りを打つ事すら困難な状態で首を振れば左右に幾つもベッドがある事が分かった。
オレと同じように霊薬の投与を受けた子供達だ。
そしてその枕元には何やらメモを取るエルフ達が。
「霊薬による肉体変化は概ね問題なし。これで第二段階に進めるな」
「所長もお喜びになるでしょう。幾つか優秀な個体も居る事ですし」
「444号と448号か?優秀と言うには基準が低すぎる気がするが……まあ、これからの調整次第か」
「ええ!この実験の結果次第で強化兵計画は大きく前進しますよ!」
「上手くいくといいがな」
「先ほどから随分懐疑的ですね?」
オレの視線に気が付かず……あるいは視線とも思わない取るにたらないものだと思っているのか、エルフはオレ達に見せる事のない砕けた様子で会話を続ける。
「これからの行程を劣等種が耐え切れるとは思えんな……劣等種が劣等種たる所以はその魔力との親和性の無さだ」
「抗魔性と魔力操作能力の欠如ですよね?大学を出てるんですよこれでも」
「何百年前の学位だ?もう一度学ぶ機会をやろう」
エルフの研究員はそう言って、もう一人のエルフを連れて教材を探してベッドを渡り歩く。
そうして辿り着いたそのベッドが他と何が違うのか、横並びになっているオレからは窺う事が出来なかった。
「コイツを見てみろ、たった一度の霊薬の投与で魔石が発生した」
「魔力を排出出来ない劣等種の体内に蓄積した魔力が結晶化したものですよね」
「何かしらの媒体を用いる事で排出は可能だが……それでも澱のように溜まり、やがて死に至る」
「魔石による内臓機能の低下ですね」
「そうだ。これは魔力の影響を強く受ける程に進行が早まる訳だが……そもそも強化兵とはなんだ?」
「ゴーレムを操縦する為のパーツです」
「ゴーレムとはなんだ」
「魔力を用いて鋼鉄の人形へと交感し、操作する兵器の総称です」
「ああ、だが魔力を操作出来ない劣等種はゴーレムと交感出来ない。連中が戦争に負け続きなのは交感無しで操作出来るゴーレムなんぞに乗っているからだ」
「そんなの目隠ししているようなものじゃないですか」
「だから我々エルフの尖兵として使うには劣等種はそのままでは力不足。そこで強化兵計画って事だ」
オレはその計画に参加させられていたのか。
自らの置かれた状況がやや判明してきた訳だが、個人的には少し気になる部分があった。
ゴーレム、という兵器についてだ。
それは話ぶりからするに……搭乗式のロボットなんじゃないか?
その点に関してはワクワクする。
しない、と誤魔化す事が出来ない程度にはやはりワクワクしてしまった。
この世界に来て数少ないワクワクした事が二つある。
一つが魔法の存在。
御伽話のような不可思議な力に胸を躍らせたものだが、オレ達劣等種には使えないと知ってがっかりしたものだ。
そして二つ目が今、ロボットに乗れると聞いた時。
だからこそ分かる。
こんな浮かれた気分は遠からず叩き落とされるだろうと。
「ゴーレムを循環する魔力溶液を、強化兵の体内に通して物理的にゴーレムと接続させる。これが強化兵計画だ」
「劣等種をある程度使える兵力にする為の計画ですね」
「それでもある程度、だ。到底エルフの能力に敵わない上に耐用期間が短すぎる」
エルフ達は澱みなく問答を続けているが、その魔力溶液とやらは本当に体内に入れて大丈夫なものなのか?
身体検査の時に飲んだ薬も、拘束されて打たれた点滴も碌なものではなかった。
「劣等種の寿命は百年も無いんだが──」
「百年!?ウチの遊び呆けてる弟が86ですよ!?百歳なんてまたまだ子供じゃないですか!」
「学び直せて良かったな。まあコイツらはその四分の一も生きられないだろうが」
四分の一。
おおよそ二十代半ばだろうか。
どうやらそれがオレの寿命らしい。
正直現実感が無いが、このエルフだってプロフェッショナルなのだから事実なのだろう。
おそらく、そろそろ折り返しの年齢に差し掛かる頃ではあるが一体何が出来た……何が出来る人生だったのか。
死んだとして、次もまた新たな生を得る事になるのだろうか。
疑問は尽きない。
疑問は不安になって、心をじわじわと蝕んでいくような気がした。
あまり考えないようにしたいが、それでもエルフ達は会話を続けている。
「強化兵にする事で劣等種はゴーレムとの交感能力を得るが、その交感が劣等種には負担なんだとよ。操縦の為に魔力を通わせる事すら命懸け、そして戦闘で損耗する事もある」
「その為の、この新型強化兵計画でしょう?」
「いくら性能を引き上げても土台になっている劣等種の能力に期待が出来ないと思うがな。コイツらの数少ない長所は繁殖力の強さ。個々の性能よりも数を揃える方に注力した方が余程役に立つ」
オレ達は余程期待されていないらしい。
なら何の為に苦しめられているというのか。
「所長の肝入りだからやっているが……いずれ廃れる技術だよ、これは。もっと安価に済ませた方が戦争には使える」
「えぇ……なら私のキャリアはどうなるんですか?」
「近頃の若者は短命種みたいな人生の見方をするな。もっと下を見て安心したらどうだ?」
オレ達は他人のメンツの為に産まれた訳じゃないと思いたい。
思いたいが、それでもエルフが上位者として揺るがない地位がある以上は幾らでも変えが効く道具でしかないのだろう。
実際オレは448号……それ以前の400人強の代わりでしかなく、この先にもオレの代わりが沢山産まれてくる。
オレ達以外の実験体はそれだけ居る筈なのだが、一体どんな生涯を送ったのだろうか。
「強化兵の末路なんて身体の内側から石が生えて死ぬか、コクピットごと押し潰されて死ぬかだろ。それに比べたらどんな人生もマシに思える」
「流石に家畜の生涯を見て安心する程落ちぶれてませんから……!」
声色は本気の怒気が篭っているように思える。
そうか怒りや嫌悪を抱くものなのか。
家畜と呼ばれるオレ達の生涯を自分に重ねる事は。
これから送る人生は、そんなに酷いものなのか。
先行きは暗いな。
変わり映えのしないと退屈な前半に、これからは過酷な後半が待っているとなればため息も吐きたくなる。
しかし倦怠感にどっぷりと浸かった今の状態では胸を上下させる事すら煩わしい。
残った力を使って首を戻し、天井を見つめる。
あとはもう何をする気力も残っていない。
ただ身体に刻まれた最低限の機能で浅く、浅く呼吸を続けて……ゆっくりと眠りに落ちてゆく。
まだ、過酷な後半が残っているんだ。
休む余裕があるうちに眠っておこう……