第十三話 あら子犬ちゃん
朝、食堂で食事を摂っていると空席に気がつく事がある。
おおよそ部隊で分けた席を定位置にしているから、空席はかなり分かりやすい。
部隊一つ分の席が空いていると任務に行ってるんだな、となるし一つ空いていると怪我でもしたのだろうか、となる。
数日後には戻っているので、その時に心からホッとするのだ。
だが最近、それ以外の理由で席が空いている事がある。
あの子の席空いているな、まだ来てないのかな、と周囲を見渡せば幾つかの肩の向こうに顔を見つける。
一緒に食わないかと、誘われてそっちに行ったらしい。
ああ良かった、一人一人にちゃんと人間関係があるのだ。
そう心が温かくなるのを感じる。
近頃、子供達はかなり人間らしさを取り戻しているようだ。
他人に誘われて一緒に食事を摂り、余暇はただ何もせず座っているのではなく自ら動いてやりたい事を探している。
素晴らしい事だと思う。
それに我等がチームメイトも最近は中々調子が良い。
研究所でなんらかの処置をされた子供達は命令がない間は虚脱状態で、戦闘になると急にスイッチが入りオンオフの制御が難しい状態だったのだが。
最近は食事時になるとかなり楽しそうだ。
勢い良くがっついて口の周りを汚している。
オレや436号はそれを見て三人の仲間の口を拭いてやるのだが、これがなんとも家族みたいで楽しいのだ。
となればオレはお兄──いや、お姉ちゃんなのか。
436号がその下の弟で、あとの三人は殆ど横並びだ。
そんな感じで今日も可愛い弟妹達の口を拭いて些細な幸せを享受している。
「ウガ」
「アー?」
そうするとお礼にご飯を分けてくれたりするのだ。
これはとても嬉しい。
嬉しくて胸が……ムカムカする。
お姉ちゃんお腹いっぱいだよ……
最近、朝の胸焼け以外はとにかく良好だ。
目の痛みは……まあ何度かあった。
決まってゴーレムと交感している最中に。
あれから比較的簡単な任務を何度かこなしたのだが、痛みで動けなくなる事が最初のうちはあったものの次第に良くなった。
痛みは徐々に和らいで、今では我慢の範囲に収まっている。
だからこれは良好。
更には最近体調が良好だ。
キランのアドバイスをそのまま実行して散歩を始めたのだが、これが楽しい。
楽しいので少し強度を上げてみた。
ウォーキングからランニングまで。
基地内は割と走る場所がある。
なんなら日常的に走っている兵士達が居るので、自主的に彼らの後ろに着いて一緒に走ったりしてみたりして。
思い返してみれば研究所ではよく走っていた。
走っていると無心になれて、不安が吹き飛ぶ。
汗を流すと気持ち良い。
真冬でどこも寒いので、運動をして体温を上げるのはボーッとしているよりも余程良いと思う。
今度誰かを誘ってみるか。
そんな最近の悩みと言えば。
風呂が悩みだ。
この基地で風呂といえば基本はシャワーだ。
湯船は文化的に無いらしい。
これでも汗を流すには十分なのだが、この基地にはもう一つ風呂がある。
それはサウナのようなものらしい。
らしいと言うのもオレは入った事がない。
何故なら……恥ずかしさと申し訳なさで入れないから。
既に十数年もこの身体で生きてきて、今更何を言っているんだとは我ながら思うのだが、今のシャワーですら隅の方を顔を伏せてササっと向かいササっと浴びてササっと出ていくこれすら後ろめたい事をしている感覚になる。
なのでササっと入って身体を温める、が出来ないサウナはかなりハードルが高い。
周囲に裸の女性が居るのに長居出来る気がしないのだ。
だがそれでは汗が流せない。
オレがサウナに望むのは汗を流す効果なのだ。
キランは言っていた、老廃物と共に体内の魔力が微量排出されると。
サウナが義務化されていない時点で効果は気休め程度なのだろうが、それにしたって前世の日本人の心が風呂を求めている。
なら行くしかない!
でも人が居ない方が良い。
ので。
オレはシャワーとサウナの利用時間の調査を行った。
人の居ない時間を選び、その時間を目一杯楽しめば良いだろうと。
出入り口への張り込みはそれはそれで楽しいのでスクワットなどをしながら。
「何あれ……」
「お風呂入らせて貰えないのかな?」
すまないキラン、勘違いされてお前に風評被害が行っている気がするが我慢してくれ。
なにせスクワットをしながらの張り込みは汗をかいてすぐに流せるから中々良い。
人の少ないタイミングを見計らえるし今後も続けたいくらいだ。
ともあれ本来の目的はサウナに貸し切り状態で入れる時間を探す事。
ここ最近の自由時間はスクワットに費やして……夜の深い時間こそが少ないと分かった。
まあ当然の話だ。
みんな疲れてさっさと寝たいし、そもそもある程度の時間でサウナは火が落とされる。
だがオレはその人が少ない、かつサウナがまだ温かい僅かな時間に賭ける事にした。
良い感じに夜が更けて基地内も人の往来が少なくなった時間にそそくさとサウナへ向かう。
「アァ……!」
一応夜間に宿舎以外を出歩くことは禁止されていない。
とはいえ夜の散歩はドキドキする。
極めて良くない事をやっている感覚がある。
向かう先が女湯なのも多分に含まれるとは思うが。
「アヴ」
人は居ない。
シャワーの水音はまるで聞こえず少し不気味なくらいだ。
だが間違いなく追い風。
オレが存分に風呂を楽しむ状況は整えられている。
こうなっては僅かな時間も無駄にはしたくない!
急いで服を脱ぎ捨てロッカーに放り込みシャワーを浴びる。
貸し切りシャワーは快適だ。
他の利用者の使用状況に影響されて温度や水量が変化しない。
ああ……常に温かくパワフルなシャワーを浴びれる幸せよ。
思わず鼻歌まで出てきてしまう。
「ン〜ンン〜」
だがのんびりお湯を浴びる為に来た訳ではない。
頭のてっぺんから爪先まで丁寧に、かつ素早く洗う。
身体のあちこちに触れていると、指を跳ね返す硬さを感じた。
これは筋肉か。
脂肪が少ないのか肋骨は浮いているものの、脚には筋肉が付き初めている。
ランニングとスクワットの効果が出ているという事か。
うむ、これは中々……良いな。
娯楽が少ないからか自分の肉体改造はかなり楽しく思える。
ふくらはぎもこれは中々……二の腕は筋肉が足りないか。
背ももっと伸びて欲しいところだが……うん、求め出すとキリがないな。
現状ではガリのチビだ。
だがこれからもっと成長を……するよな?
そういえば444号はもっと早くにあちこち大きくなっていた。
年齢が近いのならば、ガリのチビのオレに来た成長期は……?
せっかくなら巨乳というのも悪くないと思うのだが、その萌芽で数年止まっていないか?
ええいオレは健康的な筋肉路線で行くぞ!
シャワーは終わり、いよいよメインのサウナへ……!
木の扉を開け放ち、流れ出す熱気を浴びながら内部へ立ち入れば──
「あら子犬ちゃん」
先客が居た!
「扉は早く閉めて。熱が逃げるから」
不味い……不味いぞ。
ここで出ていくのは不自然か?
取り敢えず扉は閉じるが……閉じずに出ていけば良かったんじゃないか?
「そんな所で立ってないで、こっち来なさいよ」
アリナはニコニコ笑って手招きしているが……揺れるものが目に毒だ!
「なになに〜?恥ずかしがっちゃってるのかしら?」
恥ずかしいに決まってるが!?
それに──わぁ凄いナイスバディ。
「知ってる?南の方じゃ一緒に温泉に入って仲を深めるのよ!」
うわぁ!こっちに来るな!
すげぇ!手脚長い!
「大丈夫、大丈夫!小さいとか変だとか気にする人も居るけど、そんなの人それぞれなんだから!」
あれ、そう言われるとオレ変だったりするのか気になって来たぞ……
うわぁ!手を掴まれた!
「隠してないで!ほら一緒に──ッ!」
両手をぐいと広げられ、捕えられた宇宙人の如き様態にされてしまった。
見られるのはまあ、問題ないが動けないなら顔を背けるしかないのである。
「あっ……その、ごめんなさい。傷跡……」
不意に拘束が解かれる。
傷跡……挿し木の時の切開で付いた跡か。
胸に手脚にと霊樹の枝を埋め込んだ際の跡に、色々なものを投与する為に針を刺した跡に、ゴーレムと交感する為に埋め込んだポートにと、考えてみればオレの身体は中々変ではある。
今まで人を見ないようにとばかり考えていたが、オレの身体こそ人に見せるものではなかったな。
「私、出ていくから。ゆっくり楽しんで」
いや、それは申し訳ない。
先に楽しんでいたのはアリナなのに、変に気を遣ってオレを優先されてもどう楽しめばよいのか分からないし。
出て行こうとするアリナの手を、今度はこちらが慌てて掴む。
掴んで……どうする?
そんな複雑な意図を伝える能力を持っていないぞ。
「ヴァ……」
「ええっと……いいの?」
「アー!」
「ふふっ、ありがとう。貴方もよければ一緒に」
ふむ、うーむ。
恥ずかしさ後ろめたさはあるが、せっかく伝わったのだから、ここで断ると台無しだ。
それに彼女を傷付けるかもしれないからな、ここは頷くが吉。
「ほらおいで。温まるのは良い事だからね!」
アリナに手を引かれ、隣に座らされる。
俯いていればよいかと思ったが、視界の端にアリナ太腿が──うおっオレの脚と太さ全然違う!
「この時間は私くらいしか居ないから、貴女が嫌じゃなければ今後もこの時間に来たら良いわ。私なんて大体の事が気にならないから」
おや、それはありがたい情報だ。
それはそれで二人きりという緊張感は漂う事になるが。
「いつも隠れてシャワーを浴びてるとは聞いてたけど……はぁ、しかし二十六にもなって子供に気を遣われて……」
隣からはブツブツとひとりごちている声が聞こえるが、オレはすっかりサウナに夢中になりつつある。
身体の芯まで浸透するような暖かさは、運動とはまた違った汗の流し方が出来て……出来て?
なんか暑いな、息が苦しいような。
「ちょっと貴女顔が真っ赤──!」
おやおやおや?
これはよくない。
なんかもう色々顔が熱くなる状況が重なってこれは──
◆◆◆
もうのぼせないと誓った。
アリナの前で醜態を晒したあの日からも定期的にサウナには行くようになったので、自分の調子をしっかりと把握するようにしたのだ。
アリナはやはり遅い時間にサウナに居るが、任務などで居ない日もあるのでそうなればオレの全裸死体が発見される事になってしまう。
それはなんとしてでも避けたい。
という訳で最近は健康を意識しているのだ。
まあ、食事は出されたものを食べるだけなのだが。
それ以外の体力作りはランニングにスクワットにと続けている。
せっかくならと思ってチームメイトでも誘ってみようかと思ったのだが、四人とも食事の後はそそくさと何処かへ消えてしまう。
お姉ちゃん寂しいぜ。
なので暇そうにしていた444号を見つけて連れ出してみた。
「ン〜ンン〜」
「ヴァ……ヴア……」
この子、体力ヤバい。
体格からしてオレよりも大きいのだが、それにしたってオレが息切れしながら走る距離を鼻歌混じりで走っていやがる。
いや、考えてみればオレは少しばかり筋肉が付いただけで、優れた身体能力を持っている訳ではないのだ。
所詮は小柄でひ弱なガキの思い上がりだったという事か。
「ンー?」
「ァ……」
軽々振り返って気を遣われた。
その身軽な動きが妬ましい……!
「アウ」
背中をさすってくれるのは嬉しいが、ちょっと惨めさが増すぜ。
カッコつけてやろうと思ったんだけどな……オレの自己分析能力はまだまだらしい。
444号はやけに楽しそうに笑っているから、まあいいか。
「──ァア!」
おや、この掠れ声は。
436号が控え目に手を振りながらやって来た。
心なしか普段よりも笑顔が輝いているように見える。
こちらは笑う余裕がないのだが。
「ガガァ!」
「ギギィ!」
「グガァ!」
436号の背後から一人、二人、三人と仲間達が現れた。
この三人が時間にこんな元気なのは珍しい。
普段ならボーッとしているのに今は子供らしい笑顔で笑っている。
……こんなに感情が豊かな様子は初めて見たかもしれない。
「……アァ」
436号が少し緊張した様子で、大切に抱えた何かを差し出して来た。
「アヴァ?」
それは防寒手袋。
そういえばオレ達は持っていないな。
これは……くれるのだろうか?
「ギギ!」
戸惑っていると、焦ったのかオレの手を取り強制的に装着させ始めた。
不器用で中々入らないが、やろうとしているのだから任せてみる。
苦戦しつつもオレの両手に手袋は嵌って、指先まで暖かい。
しかし、何故?
疑問に思って首を傾げると、四人は各々ワチャワチャと身振り手振りを初めて奇妙な舞踏のようだ。
「ガガウ!ガァガァ!」
「グァー!」
「ギギギァ!」
「──ッ!ァ……ァッ!」
うん……何も分からないけど伝えたい事が沢山あるのは分かる。
同じ身振りを繰り返さずに、色々動いているのは試行錯誤じゃなくて、伝えたい別の事が山程あるんだろう。
そんなに感謝されるような事を沢山した覚えは無いけれど、ありがたく受け取っておく。
手袋は飾り気などないシンプルなものだが、オレにとってはとても良い物だ。
これはどのようにして手に入れたのだろう?
絶対に悪い事はしていないだろう、そんな事をする子達じゃない。
言葉を話せず、文字も分からずにどのようにして手にしたのか。
自主性が無かったこの子達が自ら選んで、これをオレに贈ってくれた。
ならきっと……オレの想像も出来ない苦労が、冒険があったんだろう。
とても、とてもとても嬉しい。
嬉しいがこれをどうやって伝えよう。
言葉があればいいのにと、これ程思った事はない。
悩む、悩むが良い手段が思い付いた。
オレ達はこれで想いを伝えられる。
「アー!」
手袋で暖かい手を全力で広げて抱き締める。
四人纏めてだから全く幅が足りないが、向こうもこちらを抱き締めて良い感じに揉みくちゃだ。
生きていれば良い事があるものだな。
まさかこんな事があるなんて。
「ン……!」
おっと、一歩離れた位置から444号が不満そうにしている。
仲間外れは嫌だったか。
片手を広げてハグを促してみると、パァっと弾けた笑顔に変わって近寄り……ハグ。
えっ!?オレ単独?
「ヴァ……?」
「ンン〜!」
ご機嫌なら、まあ良いか。
これが心と身体が温まるオレの幸せ。
ずっと続いて欲しい日常。
だが……長くは続かないだろうと心の片隅では思ってしまう。
オレの人生はいつもそうだ。
上がると、落ちる。
これまでも、多分これからも。