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愛はうつろう

ドリスが第1子を出産し、その出産祝いにドリスの嫁ぎ先であるマッケナン伯爵邸を訪ねた。

夫君の姿はなかったが、嫡男である赤ちゃんはとても元気そうだった。


白いベビーベッドに淡いグレーのチェックとストライプの飾りが、赤ちゃんのピンク色の肌をより引き立てていた。

林檎のような赤い頬、ぎゅっと握りしめている小さな手が可愛くて、見ているだけで笑みがこぼれてしまう。


ドリスの赤毛と緑の瞳だ。


「ドリス、おめでとう!」

私はドリスを労うように抱き締めた。


途端にドリスは号泣した。


彼女がここまで激しく泣く姿を今まで見たことがなかった。

嗚咽が収まると、彼女は話しはじめた。


「信じられないでしょう?」


ドリスの夫には結婚前から隠れて付き合っていた令嬢がいて、その女性との間に子どもが二人もいたことが臨月の頃に発覚した。

しかもみな男児で、長子は既に四歳になっていた。

夫はドリスが産んだ子に対して「なんだ、また男か」と残念そうに言い放ったらしい。


人は見かけによらないというのは本当だ。ドリスの夫は世間では品行方正な好青年で通っている。

だが実際は、それは外面にすぎなかった。


「クズね」


王公貴族には愛人を持つ人はそれなりにいるものだけれど、妻の面子や立場は立てて、妻に対し最も配慮をするのがルールだ。


いくら妻と愛人の序列を守ったとしても、基本的に愛人を持つことを喜ぶ妻はいない。


それに、後々のことを考えて、跡目争い等が起きないようにリスクヘッジをするのが、本物の「できる男」というものではないのだろうか。


それすらもしないできないなんて貴族としても男としても三流以下だ。


「クズよね」


私は二度もそれを口にした。

男性嫌いなせいか、男性を見る目はよりシビアだ。


ドリスは離婚も考えたが、夫にダメージが無いのが悔しいから、まだ別れないと言った。


このまま離婚せずにいても、離婚して愛人を妻にしても、 どちらに転んでも夫には嫡男がいて影響が無いため、悪びれることなく余裕綽々としている夫を、なんとかして凝らしめてやらないと気がすまないらしい。


ドリスは夫に婚約者の頃から長年恋をしていたから、尚更裏切られた傷が深いのだろう。


誠実な人であれば、結婚前にちゃんと愛人の存在を明かして、それでもドリスと結婚したいという意思、ドリスを一番に愛し大切にすることを誓うこともできた筈だ。


そもそも、好青年は仮面でしかないなんて人は、妻子を幸せにはできないのだ。


「······愛ってもろいのね。こんなことがあってから、私はもうこれっぽっちも彼を愛していないのよ。愛していたのが嘘みたい」

「ドリスは何も悪くないわ。結婚するということは契約結婚でも無い限り、相手を愛する努力をする義務があるのよ。少なくとも愛がなくても相手を大切にしないとならないのに。それを怠るとかできないならば最初から結婚しなければいいのよ」

「嫌いになってしまった人の子を、これから一生育てて行かなくちゃならないのって、辛いわ。······自分の子どもなのに、愛せる自信がないの」


ドリスはまた泣き出した。私は彼女を抱き締めて必死に背中をさすった。


あんなに結婚を楽しみにして希望に満ちていた彼女が、こんな辛い境遇におかれてしまうなんて。


以前彼女とお茶をした時は、生まれてくる子を待ち望む、本当に幸せそうな妻だったのに。


なぜドリスの夫や私の父のような男は、妻子に対してこんな残酷なことができるのだろうか。


私の母も、あの父の元で暮らしていた頃はこんな悲痛な心境だったのだろうか。


母が私を愛せないという気持ちが痛いほど理解できてしまう。


そしてそんな自分自身に、目の前のドリスのように母も苦しんで来たのだ。


だから私は母を責めることも、憎むこともできない。


これ以上、母もドリスも傷ついて欲しくない。



「···アニ―、あなたはどうなの?」

すすり泣きをしながらも聞きたがる。そこがとてもドリスらしい。


「私とゾーイ様は白い結婚なの。後4年で離婚することになっているわ」

「······嘘でしょ!?」

驚きで涙も止まったようだ。


「本当よ。ドリスの推測通り、ゾーイ様の女避けよ。私は元々修道女になるつもりだったからお互いに都合が良かったの。でもこれは秘密にしてね」


彼が女性を愛せないことはドリスにも決して言えないことではあったけれど。


「本当に修道女になるつもりなの?」

「ええ、そうよ」

「···てっきりゾーイ様と上手くいってるから、あなたがこんなに綺麗になったんだと思っていたのに」

「精神的な変化があったのは事実ね。でも私は学園時代は美容やおしゃれに壊滅的に無頓着だったから、それが一番大きいと思うわ」


「フッ、フフフ···、あなたって寝癖も直さない子だったものね」

「そう、今の私は侯爵家の精鋭侍女様達のお陰よ」

「アニーったら」

ドリスは今日はじめて笑った。


学園の寮に侍女を連れて来なかった私は、毎朝ドリスの侍女の厚意でついでにお世話されていた。

当時から既に修道女のような、年頃の令嬢とは思えぬ簡素、清貧に近い暮らしぶりだった。


私は、所在なく心を閉ざしていたわりに、周囲にはとても恵まれていたと思う。


親子や恋愛関係、夫婦関係だけが愛ではないのだ。


気がつかなかっただけで、私のまわりには愛も光も沢山あったのだと、しみじみ実感した。


「私の母も再婚で幸せを掴んだ人なのよ。ドリスも諦めないでね。悩みや愚痴はいつでも聞くから」



一月後、ドリスは子どもを連れて実家に里帰りし、以後伯爵家には戻らなかった。

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