縁談
学園の卒業が迫って来た頃、突然義父から縁談を持ち込まれた。
相手は義父の親戚筋にあたるモンテルラン侯爵家の次男だ。
社交界を知らない私は、その令息の噂を全く知らずにいた。
彼は女性ならば皆思慕や憧れを抱くような眉目秀麗な容姿で、歩く美術品とまで言われている御仁なのだとか。
「ええ!? アニエスったら、まさかゾーイ様を知らないの?」
学友のドリスに目をむかれてしまった。
あんな有名人を知らないなんてと呆れられた。
社交界とは無縁な私は全く興味も関心もなかったから知らなくても仕方がない。
「修道院へ入るつもりだったのに······」
「アニエスは美人なんだから、もったいないわよ!」
ドリスは婚約している6歳上の伯爵令息と、卒業後すぐに結婚が控えていた。
彼女は寮では隣の部屋だった。
非社交的で他人とは距離を置きがちな私を、朗らかなドリスがいつも人の輪にほぼ半強制的に引っぱっていってくれた。
学園で孤立しなかったのは彼女のお陰だ。
「でも、彼には色々噂があるって聞いたけど、ドリスは何か知っているの?」
「当たり前よ! ゾーイ様は女嫌いで、実は男色だというものよ。でもそれは眉唾だと思うわ」
「どうして?」
「物凄くモテる人は、女避けのための悪い噂をわざと流すこともあるのよ。仮婚約して他の令嬢を寄せ付けないようにすることもあるって聞くわ。ゾーイ様もそうじゃないかと私は睨んでいるの。絶対そうに決まっているわ!」
自信満々のドリスのどや顔に吹き出しそうになった。
学園に入ったばかりの頃のようなソバカスは気にならないほど薄くなり、明るく物怖じしない性格に似合う赤い髪と緑の瞳の魅力的な女性に変貌したドリスをじっと眺めた。
「ドリスこそ綺麗になったわ。結婚式が楽しみよ」
ドリスには本当に幸せになって欲しい。
光の中を歩くに相応しい彼女の未来が、どうか磐石でありますように。
「あねーぅえ!」
ギース伯爵邸に赴くと、3歳の異父弟が出迎えてくれた。
抱っこをせがまれ、母の顔をチラと見やると許可を与えるように軽く頷いた。
抱き上げると幼児の柔らかい身体の感触に癒された。
この天使のような子、光の塊のような弟に、あの父の血が入っていなくて本当に良かったと思う。
しばらくすると満足したのか、母の方へ駆けていった。
母は以前よりも若返ったように見える。
仕方なく私を見る視線が以前よりも幾分やわらいだように感じた。
父の生前には暗く沈んで見えた緑色の瞳が、生気に満ち輝いている。
自分の母とは、こんなに美しい人だっただろうかと驚く。
きっと母は今幸せなのだ。
「君が修道院へ行きたがっているのは知っている。白い結婚で構わないから、数年ほど彼 のところへ嫁いでくれないだろうか」
義父はこの縁談が白い結婚である事情を説明した。
侯爵令息の男色の噂を打ち消すための、うわべだけの妻を演じることを請われた政略結婚だった。
ゾーイ様の女嫌いは事実で、恋愛の対象は男性だという。
懇意にしている令嬢もおらず、跡継も設けなくてもいい立場から女性との結婚は眼中にないらしい。
今も男性の特定の恋人がいるそうで、それは承知しておいて欲しいと、義父はとてもすまなそうな表情をした。
それでも侯爵家の世間体を守りたいという令息の両親の切実な思いから、親戚である義父も頼まれて断れないのだろう。
「すまんが、頼む。悪いようにはしないから」
「アニエス、行ってくれるわね?」
母としても、娘を放置して再婚し修道院へ追いやったという外聞から逃れることができるので、両家の利害が一致しているのだ。
母のあまりに早い再婚に、亡き父の親族から非難を受けたということを私は知らなかった。
父の親族とはそれによって絶縁状態なのは私にとってもありがたい。
父の血縁者とは関わりたくないのは、私も母と同じだったからだ。
数年ほどしたら離縁して、それから修道院へ行くという話でまとまった。
私はこの白い結婚をやむを得ず承諾した。
卒業と同時に侯爵家に嫁ぐことが決まり、ドリスと互いに喜び合った。
もちろんゾーイ様が本当に男色で同性の恋人がいるということ、自分がこれからするのは白い結婚だということはドリスにも伏せてある。
「アニー、幸せになろうね!」
「そうね」
弾ける笑顔のドリスに私は偽りの笑みを返した。