番外編 悪意の正体 (ドリス)
アニエスを学園で最初に見た時、派手ではないけれど、綺麗な子だなと思った。
おとなしいというよりも、人と距離を置いているような感じがした。
クラスは違ったけど、寮の部屋が隣だったから、気になっていた。
肩までの亜麻色の髪を無造作に後ろに束ねて、多量の後れ毛がこぼれていてもお構い無しでいる。
髪色のせいか重くなくて、その姿が妙に似合っていた。
授業の無い朝は少しぼうっとしていて、髪は結わずに寝癖も気にせずに食堂でゆっくり朝食を取っている。
それでも彼女はなぜか清潔感を失わない不思議な人だった。
間違えて届いた私宛の荷物を私の部屋に持って来てくれたのがきっかけになって、それから会うと話を少しずつするようになった。
翌年同じクラスになると、更に親しくなっていった。
「せっかく綺麗な顔立ちなんだから、もっとお化粧とかおしゃれをすればいいのに」
「···あまり目立つことが好きじゃないの」
アニエスは困ったように答えた。
「修道女?!」
「うん、そう。卒業したら修道院へいくつもり」
「どうして?」
「亡くなった父が神官だったからかな。その影響が強いのかも」
彼女はそれがたいしたことではないような口ぶりで回答した。
「結婚したくないの?」
「あんまりないの、そういう願望が」
自分は変わり者だからと彼女は笑っていた。
アニエスの母親は再婚して弟が産まれたばかりだそうだけれど、親は修道女になることは反対しないのだろうか?
再婚した両親と折り合いが悪いのかなとその頃は思っていた。
でも、その義父がゾーイ様の親戚で彼との縁談を進めたらしいから、本当は修道女にはしたくはないのではないかと感じた。
だからアニエスの結婚が決まった時は私も喜んだ。
アニエスはいつも一緒にいるのに、心の奥底は見せない、どこか見えない壁のようなものを感じた。
穏やかな蒼い瞳、その瞳の奥は何も語ってくれない。
それでも私に優しくしてくれたし、私が困っていると親身になって助けてくれた。
なのにアニエスは、私を頼って来ることはほとんどない。
彼女は自分のことは何でも一人でやってしまうし、できてしまうから。
「アニエスは、悩みとかって無いの?」
「えっ?」
「困ってることがあったら、言ってね」
「ええ、ありがとう」
アニエスの弱味って何だろう?
私はそんなことを考えるようになっていた。
何でもできる、何でもできてしまう優等生。
それなのに誇りもせず、偉ぶらないし、いつも淡々としているだけ。
誰にでも優しい、ものわかりの良い、お人好しで、とてもいい子なアニエス。
あのゾーイ様との結婚が白い結婚でも平然としているなんて、どうかしているわ。
みんなが羨む立場にいるというのに、それを喜んですらいないなんて。
今の夫はゾーイ様とは同僚だったから、ゾーイ様とアニエスの噂や話が何か聞けるかもと思っていたのに、結婚後すぐに異動になってしまったから残念だった。
人が欲しがるものを欲しがらない。
アニエスって、なんだかもう、本当に修道女みたい。
もっと焦ったり、困ったり、怒ったりすることは無いのかしら?
悩みなどアニエスには無いのだろうか。
私を慰めてくれるのは嬉しいし、助かるけれど、でも、どこまでもいい子過ぎて嫌になるのよ。
時々それが癪にさわってしまうの。
私はアニエスが困り果てたり、怯えるところを見てみたい。
そして今はアニーといるのは、辛い。
アニーと自分の違いを見せつけられるようで、そこから逃げ出したかった。
だから私はアニーとの連絡を絶った。
アニーからの手紙にも返事を出さなかった。
そんな時、再婚した嫁ぎ先に、以前アニエスの家に雇われていた侍女がいることを知った。
何でもいいから、アニエスの失敗談、欠点、弱点を知りたくて仕方がなかった。
その侍女にお金を積んで根掘り葉掘り聞いて、ちょっと脅してみたら、神官だっだ父親がアニエスにしていたことを暴露してくれた。
それを聞いて私はゾクゾクしてたまらなかった。
これでやっとアニエスを汚せるって······。
いつもいい子のアニエスを、貶めたい欲望に私は抗うことができなかった。
お金なんてびた一文欲しくはない。
脅されて困るとか、慌てる様、絶望する姿やびくつく姿を見たくてしょうがなかったのよ。
頼むから止めてくれと頼むアニエスの姿をこの目で見てみたい。
ただそれだけだった。
ギース伯爵夫人からは何の反応もなかったから、直接アニエスを脅すように侍女に命令した。
侍女は腰が引けていたから、お金を取ってくるなんて期待ははじめからしていなかった。
アニエスに精神的なダメージを与えることができればそれで良かった。
夫がゾーイ様に呼び出されたと聞いて、ようやく私は自分のしてしまった愚行に目が覚めた。
ああ、やっと自分の暴走がこれで止めてもらえるんだとホッとした。
アニエスは過去のことを表沙汰にされたくないから、きっと示談にする筈だ。
私はこれで夫に離縁されるのだとばかり思っていた。
もう、どうにでもなれ
そんな自暴自棄な気分になっていた。
それなのに、ゾーイ様のところから戻ってきた夫は、予想もしなかったことを口にした。
「離婚はしない。これから君のことはもっと大切にするから、どうかもう二度とこんなことはしないでくれ」
しかもゾーイ様とアニエスは示談どころか、これ以上何もしないならば、今回のことは不問にすると言ってくれたというのだ。
······馬鹿だ。なんて馬鹿のお人好しなのか。
アニーはどこまでもアニーだった。
そう、私とはアニエスは人間の品格が違い過ぎるの。
あれだけ実の父から酷い目にあっても、それでも人として清くいられるアニエスは、私とは別格なのよ。
その苛立ちや焦燥感が私の悪意の正体だったのかもしれない。
私は自分の悪意に負けて、自分からアニーを手放してしまった。
アニーが私を許してくれても、もう元には戻れない。
夫から、ゾーイ様はアニエスにぞっこんで、白い結婚なんて嘘だよ、あれは絶対にゾーイ様が手放さないぞと聞いた。
だとしたら、アニーは修道女にはなれそうにないのね。
ふふ、ちょっぴりいい気味だと思ってしまったわ。
あなたが言っていた通り、私は再婚で良い夫を得て幸せになれた。
だからねアニー、あなたもちゃんとこれからは幸せになってね。
(了)
あと1話で完結です。




