愛よりも深く、私は私を愛す
「姉様!」
「ユーグ、元気にしていましたか」
異父弟も八歳になり、以前のように抱きつかれることはなくなったけれど、キラキラした目で慕われると悪い気はしない。
よりお義父様にそっくりになって来た。ゾーイやシェリほどではないけれど、なかなかの美男子だ。
異父妹メリッサも生まれ、益々母は幸せそうで、私は嬉しい。
母は頃のごろ私にも笑顔で接してくれるようなった。
可愛いユーグがもっと成長したら、ダンスをしたり、普通にハグや挨拶のキスをできるようになりたくて、私はダンスを特訓し、ゾーイと共に社交に出る数を少し増やすようになった。
ゾーイとシェリ以外の男性にもなるべく自然に振る舞えるように努めている。
もちろん無理をしない程度に。
相変わらず私達は白い結婚のままだったけれど、ゾーイとは暇さえあれば一緒に過ごし、夜は添い寝をするのが日常になった。
二年前にシェリが家を離れてから、夫婦のようにお互い振る舞っている。
もう誰もゾーイが男色だとは噂をしなくなった。
シェリは今、この国の大使として内外を忙しく飛び回っている。
「そのうち、絶世の美女を妻にするよ」と彼は言ったが、今はまだ自由を満喫したいらしい。
ドリスは今も音信不通で、きっともう元に戻ることはないと思う。
夫のノーム侯爵令息が近々育児のための長期休暇を取るということをゾーイから知らされた。
乳母なしで夫婦で育てるという、貴族としてはかなり珍しい選択だ。
あれから離婚もせずに夫婦関係は良好そうでなによりだ。
ゾーイ曰く、ノーム卿は恐妻家ではないかというが、私は愛妻家だと思っている。
先日、ゾーイの投獄されていた実母が獄中死したとモンテルランの本家から連絡を受けた。
ゾーイは既に明かりをつけなくても眠れるようになっている。
アイマスクは出番がなくなったけれど、耳栓はまだ手放せない。
薫風漂う四阿で、私は読書を、ゾーイは昼寝をしている。
修道女にはなれなかったけれど、この四阿が今では私の小さな礼拝堂、祭壇代わりになっている。
『愛よりも深く、私は私を愛す』
心の中でそう唱えた後、「今までありがとう」と御守り代わりだった隠し剣を睡蓮の池へ放った。
水面に波紋を作ると静かに沈んでいった。
「ん·····」
膝枕で寝ていたゾーイが目を覚ました。
「今、何か言わなかった?」
『愛よりも深く、私は私を愛す』
私は呟いた。
「それは誰の言葉? 詩か何か?」
「子どもの頃、自分の死を考えてしまった時に、突然降って来た言葉なんです」
「···降って来た? 天の啓示みたいな?」
「神かどうかはわかりませんが、私が作った言葉ではないのは確かです」
私はゾーイの目元を覆い隠している銀色に輝く髪を指で直した。
ゾーイはされるがままになっている。紺碧の瞳が眩しげに細められた。
私の夫は今日も呆れるほど美しい。
白い結婚生活も五年目を過ぎ、私達はお互いに触れることも、触れられることにも随分慣れてきた。
でもそれはお互いが特別なだけで、他の異性はこうはいかない。
「魔法の呪文ではないんだね」
「そうですね。でも、この言葉は私をこの世に繋ぎ止めるような強い力を与えてくれるので、魔法の言葉に近いかもしれません」
「確かに、いい響きだ」
ゾーイはゆっくりと身を起こした。
「この言葉は、とにかく何があっても私は私、私であれと奮い立たせてもらえる気がします。······子どもの頃は、意味などよくわからずに、自分は生きていてもいいのかなと思えただけですけど」
ゾーイは腰近くまで伸びた私の髪を、指先でもてあそんでいる。
「 アニー、あのペンダントはどうしたんだ?」
先程まで私が首から下げていたものが消えていたので気になったのだろう。
「あれはもう良いのです。私にはそれ以上のものがありますから」
「君がそれでいいなら、かまわない」
「先日あなたに素敵な琥珀のペンダントをいただいたから、これからはそれを身に付けます」
角が丸い、手書きで描いたような、ざっくりした十字架型に見える大粒の琥珀は、見ているだけでほっこりする。
とろりとした透ける琥珀色の濃淡、太陽の光を固めたような、蜂蜜を思わせる美味しそうな色のペンダント。
琥珀の内包物の輝きを見ていると、なんだか幸せな気分になる。
ごく小さな花が入った花琥珀だ。
琥珀は伴侶から贈られると、その伴侶は幸福になると言われているらしい。
私の心も光に溶けていく。
今まで気がつかなかったけれど、十字架って、光の煌めきの形なのね。
水面で煌めく光を見つめながらそう思った。
修道女ではない人生も、これはこれで悪くない。
『愛よりも深く、私は私を愛す』
私は、この言葉と共に私を生きてゆく。
(了)
本編はこれでおしまいです。
あと2話ほど番外編を追加します。それで完結です。
尚、著者はクリスチャンではありません···。
修道女はアイコンとして好きですけど(笑)
特定の宗教も信仰してはおりませんのであしからず。




