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闇夜

その男に自分が瀆される時は、神の存在を疑いたくなる。


私を恐怖と恥辱に突き落とすのは、私の実父だ。

「売り物としての価値が下がるから、純潔だけは奪わないでやろう」


私の亜麻色の頭髪は父の唾液で既にベトベトだ。


誰が自分の父親にこんな性癖があると思うだろうか?


私が8歳で初潮がはじまると、その日から父の性的な悪戯でしかない『お浄め』と称する儀式が開始された。

こんな父がこれでも神官なのだから、随分とイカれている。

この国では神官も妻帯できるのだ。


母は私が父から夜な夜なされていることを知っていたが、知らないふり、見ないふりを貫いた。

私という存在を母の中から消しただけで、私を父から守ってくれることもなかった。


父も父だが、母も母だった。


私は両親を、神を憎んだ。

両親も穢れた私も、きっと天国には行けない筈だ。


私が12歳になったばかりの時、父は神殿で倒れそのまま亡くなった。


これは天罰だと思った。


現金な私は神にここぞとばかり感謝した。


葬儀の日、私は一滴も涙を流さず、神官の仮面を被った狒々爺(ひひじい)から解放された歓喜と安堵で満たされた。

放心した母も喪服のベールの下に泣き顔はなかった。



母は一人娘の私を全寮制の女子学園に送り込むと、自身は実家の子爵家に戻った。

父と暮らしたオトゥール子爵邸は売却されたが、半年後に不審火で焼失した。


負の記憶を留めるあの家がこの世から無くなったのは、私にとっては祝福に思えた。



母は父の喪が明けるとすぐに再婚した。


再婚相手は三十も歳上だった亡き父とは違い、母よりも八歳若い美麗で優しげなギース伯爵だった。


結婚式の日、母が乙女のように頬を染めていたのを見て、私は憎しみよりも同情がわいてきた。

父との暮らしは、母にとって辛い日々でしかなかったのだ。

できるならば全部忘れてしまいたいものなのだろう。


私がいなければ、そんな思いをせずに済んだのだから、私は母の幸せを心から祈った。


私はもう母への憎しみを抱くことはないと思う。


「お母様、どうかお幸せに。学園を卒業したら修道院へ入ります。私のことはどうぞもう忘れて下さい」

母は一瞬顔を歪めたが、「わかりました」とだけ、私を見ずに答えた。


「お義父様、母をよろしくお願いいたします」

「ははは、しっかりしたお嬢さんだね。ええ、わかりましたよ、私が亡きお父上の代わりに幸せにいたします」

義父は爽やかな笑顔で誓ってくれた。


その言葉を聞いて母はまた頬を染めた。



私は亡き父には似ても似つかない容貌をしている。

亜麻色の髪以外は母にもそれほど似ていなかったのは幸いだった。

鏡に自分の姿を映しても、あのおぞましい父のことも、自分が苦しめて来た母のことも思い出さずに済むからだ。



母が結婚し、私はアニエス·オトゥールからアニエス·ギースになった。

父との繋がりはこれでこの身に流れる血だけになった。


母のように、いっそ父とは赤の他人ならば良かったのに。


自分に醜悪な獣のような父の血が流れていることが、この上なく不快だった。


時々嫌悪で気が狂いそうになる。


私を瀆す父が死んでも、これは一生ついてまわることなのだ。



女子しかいない学園は気が楽だった。


同じ年頃の男子だけでなく、男性全般が苦手だったからだ。

特に上背のある体格のいい男性は怖い。

父は中肉中背だったが、幼い頃の私には実際よりも大きく思えていた。

父に似た人、父のような声、父の仕草に似たものを目にするといまだにビクリとしてしまう。


私は神殿には行けなくなった。


神官服に身を包む人達を見るのは嫌だったからだ。


ダンスの授業はあったが、社交界にはデビューせず夜会にも行かなかった。

学友達がする恋愛や結婚の話には適当に相槌を打ってやり過ごした。


「アニエスは、どんな人がいいの?」

「う~ん······」

好みの男性、理想の夫像を尋ねられても明言せずに誤魔化した。

「私は子どもを大切にする人がいいわ」

と誰かが言った。

「そうね」

私は全くその通りだと、激しく頷いた。


子どもに暴力を振るわず虐待をしない人、我が子に性的な悪戯などを一切しない人でなくちゃ。

子と妻を心身共に苦しめるような人、子や妻を追い詰めるような人ではいけないのよ。


学友達が善き伴侶に恵まれることを願っている。


自分には結婚や出産する未来は無い。

母に学園を卒業したら修道院へ入ると言ったのは、自分への縁談は不要だという意味でもあった。


けれど、私のような穢れた者が、修道女などになってもいいの?

神殿を避けているこんな自分でもなれるものなのだろうか?


神の前ですら身の置き所の無い私は、一体どこに居れば良いのだろう······。



希望と期待に満ちた未来を語る友らが羨ましく、眩しかった。


彼女達の清らかさは、私にはあまりにも遠い。


まるで別世界の住人のよう。


彼女らは光の満ちた場所にいて、私だけが影に、闇に身を潜めている。


見た目には同じ場所にいたとしても、その隔たりは埋められそうにない。


父から解放されても、まだ私は汚泥の中でもがき、独り取り残されていた。

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