恋文
華やかに着飾って張見世に座り、客からの指名が入れば相手をする……
一見優雅な生活に見えなくもないが、花魁ではない遊女達の生活は超ハードだった。
朝を告げる暁の鐘が鳴ると、一晩を共にした客の身支度を手伝い、また来なんしと言って自宅へと帰る後ろ姿を見送る。
それから10時頃まで二度寝をする。
二度寝といっても客がいた間は熟睡など出来ないので、この時間だけが貴重な睡眠時間となる。
そして朝風呂に入り遅めの朝食を取る。
ちなみに髪の毛を洗うのは月に一度。
食事は麦ご飯に汁物、お新香といった粗末なもので、とても空腹を満たせる量ではなかった。
身支度を整え束の間の休憩のあと、昼の営業、昼見世が始まる。
午後四時。昼見世が終わり遅めの昼食を取る。
夕食は出ない妓楼も多く、あっても営業中に食べるので落ち着いては食べれない。
昼食後は二時間ほどの自由時間はあるが、芸を磨いたり客に手紙を書いたりして各々自由に過ごす。
─────暮れ六つ、午後六時。
大行灯の妖艶な灯りがともり、夜見世が始まる……
多くの遊女は万年寝不足ぎみだった。
一晩に相手をする客は一人とは限らず、複数の男性と性行為をすることもあった。
休みは正月と盆の二日のみ。生理だろうが関係ない。
こんな生活が10年も続くのである─────……
本来ならば水揚げを終え、私もみんなと同じような毎日を送るはずだった。
でも俺以外の客は取らすなと花月から言われたので、身請までの全ての日にちを花月が買い切ったという形になり、私は張見世には出ていない。
水揚げの日にあてがわれた豪華な個室をそのまま与えられ、歌山様がいついらしてもお相手出来るように念入りに身支度を整えておくようにと楼主からは命じられた。
毎日とは言わなくても、こまめには通ってくるのかなあなんて思っていたのに……
「……んのヤロ〜っ……」
なんと花月はあれから三週間全く姿を見せなかったのだ。
あんだけガンガンきたくせにどうなってんの?
べっつに会いたくなんかないけど、毎日すかされる私の身にもなれってんだ!
楼主の目があるので営業中は気を休めることも出来ず、部屋で一人やることもなくヒマを持て余し、動かないのに腹は減る。
他の客を取れないから祝儀がもらえないし、客の金で出前を頼むことも出来ない。
今までは高尾姉さんのお付きだったからいろいろと食べ物にありつけていたけれど、それも出来ない。
「……このままじゃ私、餓死しちゃわない?」
私の独り言に腹の虫がぐ~っと返事をした。
花月からもらった100両は元々は花魁を呼んだわけでその代金の支払いがあるからと私の手元には渡ってこなかった。
相場の倍以上ももらったのに、私に労いの1文もくれないって酷くない?
くっそあの守銭奴楼主めっ!!
最近はあまりにヒマなので、お園さんがいる遣手部屋にお邪魔していた。
「歌山様に文でも書いたらどうでありんすか?」
「お腹が減りましたって?」
「そんな色気のないのを書いてどうするでありんすか!」
「お園さんさあ、無理して廓語使わなくてもよくない?私、土佐弁しゃべるお園さん好きだよ?」
やかましいわと部屋から追い出されてしまった。
お園さんが言うように手紙でも書いてみようかな……でも私、この手の文章を考えるのが苦手だ。
指南してもらおうと久しぶりに高尾姉さんの部屋を訪れた。
「あら小春やない。遊びに来てくれたん?」
そう言って高尾姉さんはうんしょと布団から起き上がった。
こんな昼間に床に伏せてるだなんて…気分が優れないのだろうか。
「手紙の内容を考えるのを手伝ってもらおうと思ったんですけど、出直します。」
「昨日少し飲み過ぎただけやしもう大丈夫よ。それって歌山様への?楽しそうやない。一緒に考えよ。」
顔が青白いし鼻声なのも気になる。とても回復したようには見えないのだけれど……
わっちを頼ってくれるやなんて嬉しいわあと言うので甘えることにした。
遊女が客に文を送るのはよくあることである。
客は遊女からの熱烈な思いを文章から感じ取り、自分だけが特別な存在なのだと酔いしれるのである。
特に高尾姉さんが書く恋文は、相手の心をくすぐるような気の利いた内容を書けるだけでなく、字の綺麗さも抜群だった。
「放ったらかしにされて何を考えてるんだかさ──っぱり分かりません。」
「一人の夜は貴方のことをもっと知りたいと胸が焦がれます。に変えようか?」
「このままではお腹が減って死にそうです。」
「貴方に会えなくて食事も喉を通りません。」
「散々振り回してくれてんじゃねえ、ど阿呆が。」
「……小春。果たし状じゃないんやからね?」
高尾姉さんが書き起こしてくれた見本で何度も清書を繰り返し、花月の元へと送った。
今日は27日、洗髪日だ。
遊女は独特の華やかで大きな髷を結っていたため、決められた日以外は髪を洗うことが出来なかった。
頭がかゆかろうがフケが気になろうが、櫛でとかして整えるしか手はない。
なので今日は月に一度、存分に洗ってサッパリと出来る遊女にとっては楽しみな日なのだ。
まずは髪を固めてある鬢付け油を洗い流さなくてはならない。これが熱いお湯で何度洗い流してもなかなか落ちなくて大変だった。
何人もの遊女がいるので朝から大釜で大量のお湯を沸かさなければならず、営業も昼見世はお休みとなるほどの大仕事だった。
「小春さん、次どうぞ。」
若い衆に言われて風呂場へと向かった。
最上級の花魁から順に髪を洗うので、下っ端遊女の私の番になる頃にはお昼を回っていた。
この大量の油の浮いたお湯でさえ、出汁が出てて美味しそうに見えてしまうのはもう自分でもヤバいなと思った。
頭が軽くなったようなこの開放感はとても心地が良い。
髪の毛をそよそよとうちわで乾かしながら涼んでいると、何食わぬ顔をした奴がやってきた。
「おっ?髪下ろしてるなんて色っぽいじゃねえか。」
──────か、花月!?!
「小春は艶っほくて綺麗な涅色の髪してんな。」
そう言って私の髪をひとつまみすると、指の間でとくように手を滑らした。
なんか何事もなかったみたいに話しかけてきてるんだけど、先ず私に詫びろ!
この1ヶ月、私がどんな思いで過ごしてきたと思ってんの?!
言いたいことは山ほどあったのに、変わらず元気に笑っている顔を見たらなんだか胸がいっぱいになってきた。
もしかしたら恨みを買ってどっかで野垂れ死んでんじゃないかとも頭に過ぎっていたからだ。
花月がじーっと私の顔を見つめてきた。
「なんだ泣かないのか。ようやく小春の泣きっ面が拝めるかと思ったのに。」
「誰があんたの前で泣くかあ!!」
信じらんない!この無神経男が!!
本当に死んじまえば良かったんだっ!
「小春さあ、手紙くれたのは嬉しかったんだけど意味が分からん。」
は?意味が分からんてあんな最高傑作をっ……
花月が広げた紙には焼き魚や蕎麦やお団子などの拙い絵が並んでいた。
これって……私が食べた気分を少しでも味わいたくてヨダレ垂らしながら描いた絵だ……
まさかそっちを送っちゃったの?!
よりにもよって江戸一の浮世絵師にこんな落書きをっ!
「ここに描いてあるものを食わせろってことか?」
「違っ…それはっ!」
ぐぎゅるるる〜っ。
腹の虫が私の代わりに盛大に返事をした。
一気に赤面した私に花月が堪らず吹き出した。
「腹は素直だな。そっかそっかー悪かったな、ひもじい思いさせちまって。」
もう……サイアク………
もぐもぐもぐもぐ……
花月のお金でこれでもかってくらい出前を頼んだ。
「良い食いっぷりだな。美味いか?」
……私、怒ってるんだけど?
ご飯を食べながらもツンケンしているのに、花月は疲れたと言って私の膝にゴロンと頭を乗っけてきた。
疲れたって…来なかった間に何をしてたんだろう。
他の女でも買って励んでたとか?
だとしたら許せないっ。
「1ヶ月間何してたの?」
「やっぱ小春の怒ってる顔はそそるねえ。」
「私は真剣に怒ってるの!楼主からいつになったら歌山様は来るんだって圧が半端なかったんだからね?!」
「まあまあそんなに怒んな。さすがに1000両ともなると今までみたいに絵だけ描いてりゃいいって訳にはいかないのさ。」
聞けば浮世絵を作る上で欠かせない優秀な彫師と摺師を一点に集めた工房なるものを作り、作業を迅速化させて大量に生産出来るようにしたらしい。
そしてその浮世絵を全国規模で販売出来るように上方を初めとした在郷商人などとの取引を成立させ、さらには歌舞伎で賑わう芝居小屋のど真ん前にも全ての品を揃えた直営店を構えたのだという。
さらにさらに大きな声では言えないが、幕府が不謹慎だと取り締まっている春画と呼ばれるエロい浮世絵も、裏で売りさばくルートを確立したとか……いや、犯罪じゃんっ。
にしても花月って凄い。絵だけでなく商売の才能にも長けていただなんて……
「集められる当てもないのに小春に会いにだけ来るなんてセコい真似は出来ねえだろ?これからは大手を振って毎日来てやるよ。」
この1ヶ月間……
約束を果たすために駆けずり回っていたんだ──────……
「……もう、来ないのかと思った……」
「ま〜だ信じてなかったのか?困った女だなあ。」
花月の惚れたという言葉に嘘偽りがないことは私にも分かってる。だからといって、身請金を払えるかどうかなんてのはまた別の次元の話だ。
きちんと目処が立ったからこそ、こうしてまた堂々と会いに来たんだ。
そんな花月の男気も分からずに、腹を立てていた自分はなんて情けないんだろう……
私の太ももを枕がわりにする花月が、下から愛おしそうに見つめてきた。
「安心しろ。俺が必ず吉原から出してやる。」
……花月………
花月が懐から小春にやると言って渡してきたのは、雲母摺や空摺といった細かな技法で緻密に描かれた浮世絵だった。
この絵の女性って、もしかして私……?
彼女は花が咲き乱れる川辺で儚げにたたずんでいた。
吉原ではない、外の世界────────……
あの大門を見る度に、生きてあそこをくぐりたいと切に願った。
この吉原はまるで蟻地獄だ。
一度ハマると抜け出すことは困難で、もがけばもがくほど深みへと落ちていく……
みんなはくるはずのない身請話に夢を馳せていたけれど、私は花魁になって地力で這い上がるしかないと思っていた。
だからこそ、あの日見た高尾姉さんのような花魁を目指して、前だけを向いて生きてきたんだ。
花月の言葉が熱く胸に突き刺さる。
まさかまだ上り始めてもいない私を、上から強引に引っ張り上げてくれる人が現れるだなんて思いもしなかった。
花月に見つめられているだけで、胸にある心臓という臓物が尋常じゃない速さで脈打ってきた。
「どうした小春?」
「ちょっと…心臓からの音がうるさくて……」
花月が体を起こしてどれどれと胸に耳を押し当ててきた。
そして流れるように、唇を重ねてきた────……
「……小春ごめん。約束破ってもいいか?」
約束って、それって私の体に指一本触れないっていう方……?
てか今、口吸したよね?こないだだって散々人の体をいじくり回してきたくせにっ何を今更……
花月は私を布団へと押し倒し、耳元でささやいてきた。
「小春…返事をくれ。」
これはつまり、触れるだけでなく…最後までしようっていうお誘いなんだよね……
私は遊女なんだから手を出しても構わないのに。
そりゃ確かにあの時は花月に対して嫌悪感があったからあんな約束しちゃったけど、今はむしろ……
……良い男だなって、思い初めてるし……
耳に当たる花月の吐息が熱すぎて背中がゾクゾクしてきた。
心臓が…口から飛び出てきそうなくらい激しく高鳴る……
「……いいで、ありんすよ?」
花月の体から力が抜けて体重が重くのしかかってきた。
耳に聞こえるクカ〜っという寝息……
「……花月?」
花月は瞼を閉じて深い眠りに落ちていた。今までの疲れが相当貯まっていたらしい。
相変わらず人のことを振り回してくれやがる……
花月の重さを全身で感じながら、乱れた髪の毛を指で整えてあげた。
なんだか大きな赤ん坊みたいだ。
──────不思議な人。
普通の人なら無理だと到底諦めてしまうことでも、平気でやってのける。
こんな人を世間では“粋”な人って言うんだろうな。
朝になり大門まで花月を送っていった。
「……小春。昨日の返事、いいって言ったよな?」
「夢でも見た?私はダメってはっきり断ったよ。男だったら一度約束したことはきちんと守ってよね。」
だけどよ〜と言って花月は唇を尖らせてブウたれた。
子供みたいに拗ねる花月が可愛くて笑いそうになってしまう。
「ほら、奉公所の役人さんが呆れて見てるからもう行って。」
「分〜ったよ。また夕方くるから、待ってろよ。」
花月は私にチュッてすると、大きく手を振って大門をくぐっていった。
嘘ついてゴメンね花月……
吉原に囚われた遊女としての私ではなく、晴れて夫婦となってからの私を抱いて欲しい。
その頃にはきっと私も……花月を好きだと胸を張って言えるようになっているから──────……