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突然の別れ

いつもの神社で願掛けをしているとあのチンピラ男がフラリとやって来た。

また博打で大勝ちでもしたのだろうか……


「おいっ小娘。俺に嘘教えやがっただろ?」

「なんのこと?」


「すっとぼけんな!適当な道案内しやがって。」

「あなたにお似合いの見世を選んであげただけですけど?」


「……そりゃどういう意味だ?」

「あんたみたいな身分の人に花魁が買えるわけないってこと。」


花魁ともなると一晩で40両かかることだってある。

それは花魁への揚代あげだい以外にも芸者や太鼓持ち、その他の使用人への心付けや宴席の酒代なども加算されるからだ。


「うわ、たっけえ!こないだの遊女は一晩で80文だったのに?」


文句を言いつつもやることはやったんじゃん。

河岸見世に立ち並ぶ妓楼で買えるのは鉄砲女郎と言われる最下級の遊女だ。

流れ作業的に男の相手をする鉄砲女郎と華やかな花魁とでは歴然な差があるのだ。



「ところでおまえはいくらだ?」



こいつ……

私の価値を値段ではかる気だな。


「残念でした。私は水揚げもまだだから。」

「水揚げってなんだ?」


なんでいちいち説明しなきゃなんないのよ。

無視して帰ろうとしたら寄り添うように付いてきやがった。


「ああ、分かったぞ。水揚げってのは男でいう筆下ろしのことだろ?てことはまだ男を知らないんだな。だと思った!」

男はバカにしたように鼻で笑った。

ほんっっとうに無礼な奴ったらありゃしない!


「じゃあその水揚げってのを俺が買ってやる。いくらだ?」


………はい?

何言ってんだこいつは……無知にもほどがある。



「100両。」

「はあ?!そんな法外な値段があるか!!」


「私はいずれこの吉原を引っ張っていく花魁になるの!あんたなんかゴメンだわ!!」

「おまえまだ客と寝たこともねえんだろ?!選べる立場か!」


※ちなみに一両とは今の貨幣価値にしたらおよそ10万である。100両=1000万ね♡



「だいたい水揚げの相手は世話になってる花魁の姉さんが、馴染み客の中からこれぞという人を選んでくれるの!あんたなんかお呼びでないのよ!!」


「なんだそりゃ?好きでもない、ましてや好かれてもない男と最初の寝床まであげちまうのか?」



だったら何だっていうの……?

ここは吉原だ。私達遊女が客と寝るのは生きていくための仕事だ。

そんな一般的な理屈なんて通らない。


「遊女は惚れた腫れたの世界で生きてるわけじゃないの。」

「だからってそんなの…おまえさあ……」


さっきまで野良犬みたいにギャンギャンと吠えたててきたくせに……

男は悲しげな目をして私を見た。




「虚しくなんねえの?」




なに…まるで人を憐れむみたいに……

胸からきしむような音が聞こえた気がした。

背中には冷たい汗が一筋流れる……

なに私……動揺してる?

こんなこと……金を出して女を買ってる奴に言われたくない!!





「小春!!」





声のした方を見るとお薗さんが髪も着物も振り乱しながらこちらへと全速力で走ってきていた。

そばまで来ると私の両腕を痛いくらいに強く掴んだ。


「小春とは違うたか!はあ…良かった。葵は?葵は一緒じゃなかったのかやっ?!」


葵ちゃんのことは朝から見ていない。昨夜寝る時も部屋にはいなかった。

お園さんはいついかなる時でも稲本屋の遊女たるものは上品に振る舞うのでありんすとやかましいくらいに言ってくるのに……

その方言丸出しの切羽詰まった様子に只事ではないことが起きたのだと分かった。


「……どうしたの?何があったの?」

「堀で男女の水死体が上がったちいうき見に行ったら……まだ若い女の方の着物が…小春と葵がいつもお揃いで着ちょったのとよく似ちょって……」


そこまで言ってお園さんは泣き崩れた。

嘘でしょ……まさか葵ちゃんが?!

「お園さんをお願いっ!!」

もう一歩も歩けそうにないお園さんを男に預けて堀へと向かった。






この吉原は四方を塀と堀で囲まれている。

特に堀はお歯黒どぶと呼ばれ、5間(9m)もの幅があって汚水が流れており、遊女たちの逃亡阻止という役割もはたしていた。


高い塀の上にはたくさんの見物人がよじ登って大騒ぎしていた。

私も上にいる人に引っ張り上げてもらって塀の上からお歯黒どぶを眺めると、稲本屋の楼主が二つの死体を前にして項垂れているのが見えた。





葵ちゃんだったのだ───────……





お互いの手足を紐で縛って入水したらしい。

相手の男は同じ見世で働く若い衆だった。

汚水にまみれて赤黒く膨れ上がった葵ちゃんは、見るも無残な姿となっていた。





「あれは葵とやらだったのか?」



お園さんを稲本屋へと送り届けた男が、息を切らせながら塀をよじ登り尋ねてきた。


吉原には破ってはならない掟があった。

盗みや脱走はもちろん、この心中も大罪である。



「彼女は好きな男と添い遂げることを選んだんだな。」



男の言葉が隙間風のように体をすり抜けた。

掟を破った者の遺骸いがいは素裸にされ、粗末なむしろに包まれて吉原にある浄閑寺に投げ込まれる……

そこに人間の尊厳なんてものはない。犬や猫のような扱いを受けるのだ。


葵ちゃんだってそんなこと…分かってたよね?

なのになんでっ………



「おい、大丈夫か?体が震えてんぞ?」

「……バッカじゃないの……」



私の口から漏れ出た言葉に、驚いた男が目を見開い見つめてきた。

フツフツと怒りが込み上げてくる……

葵ちゃんはこんなことをするために、今まで頑張ってきたんじゃないでしょ?!




「一緒に死んだところで、幸せになんかなれるはずないじゃない!!」




怒りの収まらない私は塀から飛び降りて吉原の街を切るように突っ走った。


葵ちゃんはいつもニコニコと笑っていた。

よくブウたれてしかめっ面ばかりしていた私に、そんな怖い顔してたら幸せまで逃げていくよってたしなめてくれた。

同い年なのにしっかり者で優しくて…私はそんな葵ちゃんが大好きだった。

花魁になっても…ずっと友達でいようねって約束してたのにっ……



気付けば大門の前まで来ていた。

私達遊女はあの門を自由に出入りすることは許されない。

身請なんて話がくるのはごく一部の限られた遊女だけだ。


あの門をくぐりたければ、年季を無事に務めるか死ぬかだ。





あの門も…一緒に出ようねって……

指切りげんまん、約束したのにっ───────……




なのになんで自分から死ぬのよっ……


……葵ちゃん……



バカだ……






大バカだ───────っ!!!













知らせを聞いた高尾姉さんは、葵ちゃんが苦しんでいたことに気付いてあげれなかったことを悔やんだ。



「小春は悩みがあるならわっちに言うてな。誰かに聞いてもらうだけでも、楽になることはあるから……」



そう言って力なく微笑んだ。

この吉原で出来ることなんて限られている。

でも高尾姉さんなら、その身を削ってでも葵ちゃんに出来うる限りのことをしてあげただろう……



どんなに辛い日でも遊女に休みはない。


─────暮れ六つ。

今日もまた、大行灯おおあんどんの妖艶な灯りが吉原にともった。












葵ちゃんの水揚げの相手も日にちもそっくり私が受け継ぐことに決まった。

あんな狸親父なんて嫌だと言いかけたが、止めた。








水揚げの日まであと数日と迫ってきたある日、女衒ぜげんに連れられて新しい女の子が稲本屋へとやってきた。

随分と小さい…5歳くらいだろうか。

最初は泣いていたが、出されたご飯をペロッと平らげた。

きっと吉原へ行けば毎日白いおまんまが食べられるよと言われて連れてこられたんだろう……

そんなのは最初だけで直ぐに空腹に絶えなければならない日々がやってくる。

この子はこれから花魁の世話をしながら芸事や教養を教え込まれ、17になったら遊女として働かされるのだ。


やるせない気持ちになり通りを見ると、別の女衒が14歳くらいの少女を連れて歩いていた。

あの子は歳が行き過ぎている……

きっと吉原でも格下の妓楼に売られ、すぐに客を取らされることになるだろう。

そうなると花魁になれるという道はない。

借金まみれにされてここを出ていくこともままならず、体がボロボロになろうが死ぬまで働かされるのだ。




「小春、高尾姉さんに新規の客の予約が入ったから身支度のお世話したげて。」


私に他人のことを気にかける余裕なんてない。

花魁のマネージャー役を務める番頭さんに言われて高尾姉さんの部屋へと向かった。












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