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始まりの出逢い


大門おおもんを抜けるとそこは人々でごった返していた。

こんなにいっぱい、一体どこから湧いてきたんだろうか……

さらに不思議なことに、こんな大勢の人がたった一人の女性に見惚れていたのだ。



その人は───────……


薄紅色の花びらが舞い散る中でたくさんの従者とともに桜並木を練り歩いていた。


豪華絢爛な打ち掛けをまとって金ピカの帯をお腹の前で締め、頭には幾つものかんざししてツヤやかな黒髪を上品に結い上げていた。


高下駄を独特の足運びで闊歩かっぽする姿は実に威厳があって秀麗で……

まだ9歳と幼かった私にはそれはそれは衝撃的な光景で目がくらむほどだった。


「お母さんっあの綺麗なお姉さんはお城のお姫様?」

「違うよ。あれはね、花魁ていうのよ。」


おいらん……?

道行く人がみな、この世のものとは思えない美しさに心を奪われていた。



「すっごく素敵っ!私も花魁になりたい!」



無邪気なことを言う私に気付いた花魁は、フワッと花が咲くように微笑んでくれた。

それはまるでお人形さんのように可愛く、それでいてはかなげで……

私の胸に憧れという夢を残して去っていった。


「きっとなれるよ。おまえは母さんに似て器量も良いし利発だからな。」


いつもは厳格で怒ってばかりの父が珍しく私のことを褒めてくれた。

今日はなんて良い日なんだろう。甘味処でお団子も食べれたし、花魁にも出会えた。

吉原っつうところは恐ろしいところだあなんて噂をきいたことはあったけれど、全然そんなことはない。


すっごく楽しいっ!





その日、父と母は私を妓楼ぎろうに連れていった。





安政4年、春。

時は江戸時代末期。


そう……

私は吉原へと売られたのだ───────……






吉原とは江戸幕府によって公認された遊廓ゆうかくであり、男性に性的サービスをする目的のために作られた一角を指す。


この当時は農村・漁村などの貧しい家庭の親が、生活難のために娘を遊郭に売ることが多かった。

女衒ぜげんという人買いが貧しい村に赴き、表向きは奉公という形で若い娘を買って遊郭へと売り飛ばしていたのだ。


私の家は農民で五人の兄弟がいた。

女衒に渡すのではなく、父と母から直接吉原へと連れてこられて最後に優しく接してくれたのは、私に対するせめてもの情けだったのだろう──────……


















「花魁になれますように!!」



吉原で過ごすようになって8年が過ぎた。

「花魁花魁花魁花魁…私は花魁にな──るっ!!」

自分の運命を呪うことなく、私はたくましく育っていた。

長かった修行期間も終わり、もうすぐ客をとるようになる。

どうせやるならてっぺんに立ってやろうじゃないかと意気込んでいた。

いつものように神社でお参りしていると、一人の男が話しかけてきた。



「そんなんじゃ駄目だな。神様には自分の名前と、お力を貸して下さいってへりくだった言い方で願うもんだ。」



熱心に願掛けをしている私に向かって、初対面なのにダメ出しをしてくるってなんなの?

男は縞模様の羽織を肩にかけた着流し姿で、前髪を撫で付けて後ろに流して結んだ総髪そうはつと呼ばれる髪型をしていた。


着るものは身分をあらわす。

洒落しゃれていてモテそうではある色男だけれど、お世辞にも身分が高いという感じには見えない。

ここは吉原だ。

大方、博打ばくちで大勝ちして意気揚々と遊女を買いにやってきた口だろう。



「な〜んだ。後ろ姿が色っぽかったから声をかけたのに、前から見たら小娘じゃねえか。」


人の胸をジロジロと見ながら失礼きまわりないことを言われてカチンときた。

平たくて悪うござんしたねえ…こういう品のない男は嫌いだ。

ギロりといちべつを食らわせてとっとと去ろうとしたのだが……


「なあ、おいっ。」

「きゃっ!」


男が着物の袖を強く引っ張るもんだから肩が丸出しになってしまった。

なんなのこいつはっ……!

えりを直しながら再び男をにらみつけた。


「ああ悪ぃ。一流の遊女のいる店を教えてくれ。」

「……一流って?」


「今言ってた花魁てのが一流なんだろ?どんなもんか抱いてみたい。」

はあ?花魁を軽々しく抱きたいだなんて……



遊女には格がある。

花魁になるためには美貌だけではなく教養も必要で、言うまでもなく最上級遊女だ。


早く教えてくれと急かす男に、私は庶民的な妓楼が立ち並ぶ河岸見世かしみせの方を指し示した。

あんがとよと言って男は軽快に去っていく……

男が向かっていった先には花魁はいない。

花魁が相手をする客は大名か豪商か、それ同等の殿方だってことを知らないらしい。


あんたみたいなチンピラ風情がおいそれと会えるわけないじゃない。バーカ!








私のいる妓楼『稲本屋』は江戸町1丁目の表通りにあり、遊女や奉公人を合わせると百人にもなる吉原一の大見世だ。


どの妓楼にも一階には遊女達が並ぶ張見世と呼ばれる部屋があり、初めての客は通りに立って格子越しにお気に入りの遊女を見つける。


ちなみに妓楼を「店」ではなく「見世」と書くのは、格子の中の遊女を「世間」に「見せ」ることに由来しているのだという。








「小春…その膨れっ面はなんざんす?もっとあおいみたいにニコニコいたしんす!」



書道の勉強中、おそのさんに扇子でピシャリと手の甲を叩かれた。

隣に座っていた葵ちゃんが筆を止め、あちゃ〜と気まずそうに微笑んだ。

だって…昨日会った失礼な男のことを思い出したら未だに腹が立つんだもん……


「小春はその鼻っ柱の強いとこがいりんせん。一端いっぱしの遊女になりたいんなら、好かねえことも優雅に流しておくんなんし。」


さっきから私にばかりチクチクと言ってくるお園さんは見世では鎗手やりてと呼ばれ、私達のような遊女見習いの教育や見世の切り盛りなどが主な仕事だ。

歳は40だとか言っているけれど、絶対60は越えている……

元遊女なだけあってかバリバリの廓語くるわごを使いこなす。

廓語とは地方から来る遊女が多かったので、訛りを少しでも品よく見せるためにと覚えさせられる言葉だ。

私はどうもこの言葉遣いが苦手だ。

喋ろうとすると舌を噛みそうになる。





「葵さんに小春さん。高尾姉さんが部屋でお呼びですよ。」


そう声をかけてきたのは若い衆と呼ばれる妓楼で働く男性だ。

オーナーである楼主ろうしゅ以外は女の園と思われがちな世界だが、意外と見世で働いている男の人は多かったりする。



そして高尾姉さんとは……

ズバり!私の憧れの人!!


私達が部屋に入ってきたのに気付いた高尾姉さんは、花が咲くようにフワッと微笑んだ。

はあ〜…今日も惚れ惚れするくらいにお綺麗だ。

何を隠そうこの高尾姉さんは、私が初めて吉原に来た時に出逢ったあの花魁だ。

まさか私の姉さんになるだなんて……

8年そばでお世話をさせてもらっているけれど、花魁道中を練り歩く姿は今でも眩し過ぎて直視出来ない。



「葵の水揚げのお相手が決まったんよ。」

「えっ?!葵ちゃんの相手が!!」


私の方が驚いて素っ頓狂な声を出してしまった。

同い年の葵ちゃんだが、吉原には二年早くやってきたので私より先輩だ。

没落したとはいえ武士の出身なので、品もあり教養も高い葵ちゃんの方が将来有望な花魁候補だったりする。


そっかあ…葵ちゃんは一足先に水揚げかあ……



水揚げとは男性客と初めて床入りをする儀式だ。

最初の相手が乱暴だったり下手だったりすると恐怖心を抱いてしまう。なのでその道に長けた40歳ぐらいのお金持ちの男性にこちらからお願いするのだ。

にしてもお相手はあの狸みたいな商屋の旦那かあ……

分かってはいたけれど、やっぱりおっさんなのね。


「私の時はもっと若くて男前がいいな〜。」

「こら小春。そんなことを言う子にはあげへんでえ?」


そう言って飾り棚から取り出したのはなんとお団子だった。

高尾姉さんは優しい。客が持ってきたお土産を私達のために残しておいてくれたりするのだ。


おっとりとしていながら気遣い上手な高尾姉さんには大名やそのクラスの客が何人もご贔屓ひいきにしていた。

京都生まれではんなりとした言葉遣いなのも凄ぶる受けがいい。

その人気は妻や妾にしたいという身請みうけ話が何件もくるほどだった。花魁ともなれば身請には何百両もの大金を払わなければならないのにだ。


でも高尾姉さんは決して首を縦には振らなかった。

というのも……


「高尾姉さん、また海老様の浮世絵見てるね。」


お団子を頬張りながら葵ちゃんがこっそりと耳打ちしてきた。

海老様とは今大人気の歌舞伎役者、八代目石川海老蔵だ。

高尾姉さんは海老様のファンというわけではない。似ているのだ。

昔、まだ駆け出しだった頃に足繁く通ってきた旗本の次男坊に……

二人は愛し合っていたのに位がどんどん上がって花魁となってしまった高尾姉さんには、彼の身分じゃとてもじゃないけど通える金額ではなくなってしまったのだ。


遊女になったら10年働き続けなければならない。

10年経てば晴れて自由の身となれる。これを年季明けという……


高尾姉さんは年季が明けたら彼と一緒になろうと約束をしているのだ。

その日まで後もう一年を切っている。

さすが高尾姉さん、何から何まで素敵ったらありゃしない。


「これぞ真実の愛よね〜ああ出来ることなら真似したいっ。」

「本当…高尾姉さんが羨ましい。」



年季が明けても多くの遊女は自由にはなれなかった。

それは自身が売られた時の代金が自分の借金となっていたからだ。

さらには着物や髪飾り、化粧代なども全て自腹。

花魁ともなると付き人である私達のような見習い遊女の分まで代わりに面倒をみなければならないのだ。


10年務めあげた遊女の年齢はおおよそ27歳……

その多くは病気により、道半ばで不遇の死を遂げる。

遊女の平均寿命は22歳ともいわれていた。


でも高尾姉さんは客を慎重に選んでいるから病気知らずだし、借金返済だって年季が開ける頃にはちょうど返し終える。



「本当…羨ましい……」



葵ちゃんは同じことを二度呟いた。












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