ただれた注文
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
う〜ん、つぶらやさん、どれがいいと思います?
なにがって、バイトですよ、バイト。一人暮らしをしたいと言ったら、自分で稼ぎなさいよと返されて、こうして求人情報誌とにらめっこなわけです。仕送りはあるんですけど、家賃を始めとする、月々に必要なもので、ほとんど吹っ飛んじゃいます。
一人暮らしって、お金かかるんだなあ。実家にいたまんまじゃ、知らないままでしたよ、これらの出費、負担。苦学生の友達の苦労が、しのばれるというものです。
……ふむむ、やっぱりこんなところですかねえ。
つぶらやさん、この丸をつけたもののうちの、どれがいいと思います? 大丈夫だと思うんですが、接客業務が入ったものは、混じってないですか? 私、接客は絶対嫌なんで。
――何か、理由があるのかって?
まあ、元々、知らない人に接するのが嫌だというのに加えて、親戚のお姉さんが体験したことがありまして……あ、このシール貼りの仕事が候補ですか。ありがとうございます。お、履歴書不要とは、ますますグッドですね。
それじゃ本来、履歴書に使うはずだった時間で、つぶらやさんにお話をしましょうか。
親戚のお姉さんは、飲食店でアルバイトをしていました。お酒は扱っていますけど、居酒屋ではなく、食券を預かってキッチンに注文を伝えていく、ホールの仕事をしていたみたいです。
一応、ホールだけでなく、ひととおりの仕事はできるように仕込まれたみたいなんですが、肝心の店舗責任者の人は、複数のお店を兼任していて、めったにお店にいない。その時の時間帯ごとのリーダーが実務を統括。互いのフォローは十全に行われず、自分の力で何とかしないといけないシーンも多かったとか。
メンバーの入れ替わりも激しい。一、二回で顔を見せなくなった人もいる。お姉さんが辞めなかったのは、家が近かったのと、深夜シフトの実入りがそれなりに良かったため。仕事中はできる限り淡々とこなすよう、スイッチを切り替えていたのだとか。
ある時。お姉さんはスタッフルームで、たまたま着替えのタイミングが重なった女性の先輩から、一つの話を聞きます。
先輩は週の半分以上、夜中のシフトを入れていて、お姉さんが出る時以外も仕事をしています。そして、お姉さんがシフトに入っていない、数日前の夜のこと。
お客がすっかりはけた店内。キッチンの近くのテーブルから、順番に拭き掃除をしていると、入り口の自動ドアが開く音がしたんです。
「いらっしゃいませ〜。食券をお買い求めください。その後、お好きな席へどうぞ」
先輩は顔を上げると、ニコニコしながら明るく告げました。衛生のためにはめていたゴム手袋も、新しいものをつけなおします。
入ってきたお客さんは、だいぶお年を召した男性。こめかみから頭頂にかけて、すっかりはげあがっており、こめかみ辺りから頭のうしろにかけて、のれんのような白髪を垂らしている。けれど、より目を引いたのは、彼の顔。
あちらこちらに、赤みがかった斑点や、ブツブツが浮かんでいる。なんどもこすったらしくて、血の混じったかさぶたも見受けられます。
アトピーだ、と先輩は思ったみたいです。
小学生からの同級生が、同じような容姿で悩んでいたから、初めてというわけじゃありません。けれど、どうしても自分の中の美意識が、かすかな拒絶反応を出し始めるのを、感じていたとか。
おじいさんは、入り口に仁王立ちして動きません。すぐ近くに、券売機があるにも関わらず、先輩に向かって告げるのです。「900円」と。
「食券をお買い求めください、と言ったのが聞こえなかったのか」と先輩はカチンと来ましたが、そこは接客業。笑顔を崩さず、おじいさんの元へ向かいます。
900円という言葉。メニューの中で900円のものということか、と先輩は900円のメニューを思い浮かべます。しかし、おじいさんに伺うと、そのどれもが違うというのです。
「餃子……餃子とチャーハンをつけて、900円……」
おじいさんはそう告げました。
セットメニューです。このお店ではすべてのメニューに、いくつかの選べるセットをつけることができ、餃子とチャーハンのセットもその一つに当たります。セットで頼むと、10円や20円の割引になり、お得なのです。
口頭でメインメニューは何かを聞きましたが、おじいさんの言は今一つ判然とせず、自分でボタンを押すそぶりも見せません。明らかに、代わりに食券を買ってくれるのを待っています。
先輩は湧き上がる怒りを押さえつつ、メニューを計算しながら、食券機に手をつけます。しかし、接触が悪いのか、手袋越しだと反応してくれません。やむを得ず、手袋を外して素手で操作をします。
頭の中で餃子とチャーハンセットで900円になる組み合わせの計算を始めるのですが、なかなかぴったりになりません。かといって、少しでも操作しない時間を作ると、後ろでおじいさんがいらいらと足を踏み鳴らし出すのです。
爆発しそうになりながら、入力しては取り消しを繰り返し、ようやく900円ぴったりのメニューを選び出した先輩。「こちらでよろしいですか?」と尋ねると、黙ってうなずくおじいさん。
先輩は食券を買って渡しますが、完全に腹に据えかねていました。店内に客はほとんどいませんが、水を出す時とお皿を下げる直前――半分以上、食べ残していました――に、「ありがとうございました〜」と後ろ姿を見送る時以外、顔を向けることは一切、なかったとのことです。
もし、出くわすことがあれば、不快なこと極まりない客。せめてメニューのあらゆる計算を、すぐにできるようにしておいた方がいいわよ、と先輩は言い残して、一足先にスタッフルームを出ていったそうです。
それからひと月ほど経って。その日の夜中はキッチンに一人。ホールにお姉さん一人というシフトでした。すでに最後の客がいなくなって、30分は経過しています。
お姉さんは各テーブルに置かれているウォーターピッチャーを、新しいものに取り換え始めましたが、ほどなく入り口の自動ドアが開きます。
「いらっしゃいませ〜」と反射的に応えて、目を向けるお姉さん。
いました。ご老人が。
はげあがった頭頂部。こめかみから伸びる、のれんのような髪の毛。顔中に広がる赤い斑点とブツブツ、無数のかさぶた。先輩から聞いた人相書きと、ほぼ同じ。
「1230円」と、おじいさんは静かに告げます。
「来たか」とお姉さんは思いましたが、顔には出さず、歩み寄りながら、頭の中で計算していきます。そして、あらかじめセットメニューも想定をし始めます。
「じゃこ飯と、みそ汁をつけて……1230円」
近くまできたお姉さんに、おじいさんは付け足します。「そうら、おいでなすった」とお姉さんは、心の中でほくそ笑みます。瞬時に頭の中で計算。該当の料理を選び出します。
食券機の反応こそ悪く、手袋を外して素手でやらざるを得ませんでしたが、タッチは必要最低限です。スムーズに食券を出して、手渡すお姉さん。
おじいさんはわずかに眉を持ちあげましたが、やがて「ああ、すまないがビールとアイスも」と、お金を出しながら臆面もなく告げます。
負け惜しみか、とお姉さんは得意げな笑みを殺しながら、注文を追加。了承を得ておじいさんがテーブル席に座ると、キッチンに食券を届けます。
つい、にやつきながら、ホールに戻るお姉さん。先輩はよく見なかったようですが、おじいさんがどんな人なのか、さりげなく観察してやろうと思ったのです。
ところが、キッチンからひょいと顔を出した時、お姉さんは声をあげそうになりました。先ほどまで座っていたはずのおじいさんが立ち上がり、食券機の画面を両手でベタベタと触っているのです。先ほどまで、指を向ける仕草すらしなかったのに。
おじいさんはお姉さんと目が合うと、ずんずんと迫って来て「トイレはどちらですかの」と白々しく尋ねてきたのです。お姉さんは素直に答えるしかなかったとか。
トイレから戻り、注文の品が運ばれてくると、おじいさんは箸を使って食べ始めました。しかし、何回か口に運ぶたびに箸をおいて、両手でぼりぼりと顔面や二の腕を引っかくんです。時にはシャツやズボンの中に手を突っ込んで、かいています。
アトピーなら、かゆみが出るのは仕方ない。でも人目がつかない場所。それでこそトイレにして欲しい。
お姉さんは気分が悪くなってきましたが、注意するのも怖かったとか。見て見ぬふりをしながら、空いた席の掃除をしつつ、「早く帰って」と念じ続けたのだとか。
数十分後。席を立つおじいさん。料理は半分以上、残されていました。
「ありがとうございました〜」
「二度と来るな」と脳内で叫びながら、お礼を告げるお姉さん。おじいさんが店から出ていった後も、外に出てその背中を見届けます。
すっかり元気のなくなった街灯の下を、おじいさんは歩きながら頬をぼりぼりとかき続けます。お姉さんが顔をしかめながら、店内に戻ろうとした時。
「お前らも、美味しかったか?」
おじいさんの声。連れもいない独り言とは思えない。お姉さんは今一度、彼へと目を向けます。その視線の先で。
おじいさんがぼりぼりとかいていた頬から、イソギンチャクのような触手が、何本も飛び出します。シャツやズボンのところどころからも。
おじいさんのふらふらした足取りと一緒に、彼らも上下左右の別なく、バラバラに動いていました。おじいさんが通りの向こうに消えていくまで、お姉さんはその姿から目を離すことができなかった、とのことですよ。




