旅行者、異世界を食す(展示会場のカレー編)
※プロト版第2弾です。
俺、タクヤ・クロガネは、今日もトーキョーへとやってきていた。
今日の訪問先は、観光関連の大規模展示会。出展しているから取引先への挨拶回りと、新規開拓に向けた調査が俺のミッションだ。
会場となっているのはトーキョーでも一番大きいと言われている大型展示場だ。
初めてここを訪れた時には、正面に見えてきたピラミッドを逆さまにしたような異様な建物に驚いたのを覚えている。
そしてとにかく広い。端から端まで歩いて回るだけでヘトヘトになってしまう。こちらの世界ではうかつに移動魔法も使えないし、正直大変だ。
ということで、午前中に挨拶回りを終えてしまおうと会場内をくまなく歩き回っていた俺は、今日も早速ヘトヘトになっていた。
(ふぅ、さすがに疲れたなぁ……)
いったん会場の外に出て背伸びをすると、ぐぅー、と音が聞こえてくる。どうやら腹の虫のヤツが目を覚ましたらしい。
腕輪で時間を確認すると、ぴったり正午を指し示していた。俺の腹の虫は優秀なアラームとしても機能するらしい。
(ん?正午?しまった!出遅れた!)
呑気に構えている場合ではなかった。もう、正午になってしまっていたのだ。
これだけの広さの会場で行われる大規模なイベントだ、出展者や来場客を合わせれば“都市一つ分ほど”の人数がここにいるということ。これだけ人数が昼食時を迎えるのだから、限られた食事場所が大混雑になるのは必定だ。
普段であればそれを見越してこむ前の早めの時間に昼食を済ませてしまうのだが、今日は挨拶回りで時間がかかり正午を迎えてしまっていた。
急がなければ腹の虫が騒ぎ立てるのを抑えながら大行列に並ばなければならなくなってしまう。
俺は疲れて棒になった足にムチを入れながら、急ぎフードコートに向かった。
――――
(やっぱり遅かったか……)
案の定、フードコートは既に大行列だった。
この展示場のフードコートはかなり広いスペースを確保している。しかし、それでもキャパシティは十分とはいえない。現に今日も店の外にも行列が何重にも折り重なってしまっていた。
このまま並んだとしても注文できるまでに相当の時間を覚悟しなければならないだろう。そもそも席の確保だけでも大変そうだ。
腹がぐぅぐぅとなる。やはり俺の腹の虫も許してはくれないようだ。
俺はフードコートをあきらめ、別の飲食店を探した。
(最悪コンビニ飯か。出来れば落ち着いて食べたいんだけどなぁ……)
フードコートとは別の場所にある飲食店の集まった区画を目指しながら、俺は昼食を探すために再び歩みを進めた。
すると、ふと一つの看板に目が留まった。
(を、カレーか)
その黄色い看板には、茶色の文字で『カレーハウス』と書かれていた。横には、メニューを拡大したものが掲げられている。
カレー、スパイスを利かせたとろみのある辛い汁モノ、俺の好物の一つだ。辛さと旨さが織りなすその味わいを思い出し、喉がゴクリとなる。
店の中から漂う刺激的な香りが俺の心をわしづかみする。行列の長さもそこそこだ。香りに刺激された俺の腹の虫もよりいっそう騒ぎ立てている。よし、今日のランチはカレーに決まりだ。
並んでいる間に改めてボードに書かれたメニューを確認する。どうやらここのカレーは組み合わせをいろいろと選べるようだ。
(主食はライスか本格ナンか……。ライスは確かご飯のことだったな。もう一つは……これはパンみたいなものか)
俺は食べる場面を想像する。薄焼きパンに似たナンをカレーに浸して食べるのもまぁ旨い。しかし、カレーが掛けられたご飯には勝てない。カレーはライスで頂く、これが俺のベストチョイスだ。
(それでトッピングはっと……。あったあった、トンカツ、やっぱりこれだな)
カレーライスに何を載せるか。これもまた毎回難しい選択を迫られる問題だ。こちらの異世界の人たちと食事を一緒にした際に尋ねたこともあるが、どうやら宗教論争になるほどの深いテーマらしい。
そんな中で俺がいつも選んでしまうのがトンカツだ。最初はサクサクとした食感、そして食べ進めると衣にカレーが染みわたって実に味わい深い。ああ、ヨダレがとまらない……。
その後、5分ほど列に並んだ後で店内に入ることが出来た。どうやら先に注文した品を受け取ってから席につくタイプの店のようだ。
「カツカレー、サラダドリンクセットで」
元気よく声をかけてきた女性店員に心に決めていた注文を告げる。茹で卵やチーズのトッピングも勧められた、今日はノーサンキュー。今日の俺の腹の虫は純粋なカツカレーでなければ収まらない。えっと、ドリンクはって? じゃあ、アイスティーで。
注文の品を受け取って会計を済ませた俺は、トレーを両手でしっかり持ち、まずはサービスコーナーへ向かう。そこでスプーンや箸、おしぼりを確保してから、通路を歩きながら空席を探す。
(さて、どこが空いてるかな……)
さすがは昼時ということもあり、客席側も混雑していた。というか、空いている席がない。
ここでも待たされるのか……、そう思いながら空席を探していると、ふと一人の客の姿が目に入った。なんとそいつは既に食べ終えたトレイを前にして、スマートフォンというこの異世界のツールを弄っていたのだ。
(チッ、混んでる時ぐらい食い終ったらさっさと席を立てよ……)
俺は心の中で軽く殺意を覚えた。ここが異世界でなければ、ちょっと空を飛んで店の外まで移動してもらっていたところだ。
しかし、ここ異世界では魔法を自分以外に使うのはご法度だ。もし魔法を使えば腕輪に記録されて一発でバレ、二度と扉を使わせてもらえなくなる。
そうなれば、当然俺は会社をクビになるし、折角の楽しみも無くなってしまう。そんな代償は軽々とは負うことはできない。
魔法の使用をあきらめた俺は、そいつの席へと向かいながら、できれば席を譲って欲しいなという想いを込めた視線を送る。
を、どうやら視線に気づいてくれたようだ。何故だか慌てて立ち去る彼に俺は軽く会釈をする。そしてようやく開いた席に腰を落ち着けることができた。
(神よ、今日この場で素晴らしい食に恵まれたこと、感謝します)
いつもより略式の礼を済ませ、俺は早速スプーンを手にする。いよいよカレーだ。カレー。
受け取ってから席に着くまで少し間が空いてしまったせいか、ご飯やカツにやや濃い目の茶色をしたカレーのスープが染みこんでいる。皿に顔を近づければ、その刺激的な誘惑の香りが鼻をくすぐり、腹の虫が暴れまわった。
(っと、先にカツをよけて置かなきゃな……)
カツカレーを食べる時の俺の鉄則、それが『上に乗っているトンカツは、カレーに浸りすぎないよう避難させること』だ。
トンカツの醍醐味はサクサクとした衣の食感にこそある。もちろんカレーが適度に絡んだトンカツも旨いが、汁気を吸いすぎてしまっては、肝心の食感が台無しとなってしまう。
そのため俺はカツカレーを食べる時には、真っ先にご飯の上のカレーがかかっていない場所に避難させることとしているのだ。これは譲れないポイントだ。
(ようし、最初はライスからっと……)
カレーとご飯の境目を軽く混ぜ合わせながら、スプーンで一掬い。うむ、予想通り、旨い。
旨味と辛味が融合したカレーとご飯の甘みが一体となり、俺の身体を熱くさせる。
ややもったりとしたこの店のカレーは辛すぎることなく、すいすいとスプーンが進んでいく感じだ。
(さて、お次はトンカツを……)
先ほど避けておいたトンカツにもスプーンを伸ばす。しっかりと厚みのあるトンカツは予め包丁で食べやすくカットされ、狐色の衣の中からしっかりと火が通った白い豚肉が見えていた。
最初はトンカツそのものの味を味わいたい。俺は、一切れをスプーンで半分にカットしてからカレーの付いていない部分を口へと運ぶ。予想通りサクサクとした衣、中の豚肉はしっかりした歯ごたえだ。ややあっさりめにつけられた下味が、豚肉が味わいを引き立たせていた。
お次はカレーがついた部分をパクリ。これも旨いのは当然だ。豚肉を噛み締めるたびに、カレーの旨みが口の中で爆発する。
そしてカレーとご飯を一緒にパクリ。やはりカレーはこうでなければならない。全てが混然一体となった、非常にボリュームのある味わい。やはりカレーにはご飯、そしてトンカツだ。
(くぅぅぅぅぅ、旨いっ!)
その旨さにすっかりやられた俺は、スプーンを進める手を止められないでいた。食べ進めるほどに身体がじんわり熱くなる。汗も滲んできた。
ふと店の入り口を見ると、順番待ちの行列が続いていた。先ほどよりも長くなっているかもしれない。俺は是非彼らに伝えたい。カツカレーこそ正義であり、正解だと。
今度は視線を店内に移す。ほとんどが俺と同じ一人客のようだ。そして、誰もが黙々と食べている。その表情は決して笑顔ではなく、どちらかといえば苦々しいようにも見える。楽しい食事の光景とは異なる、どこか重々しい雰囲気の店内。
(この雰囲気、まるで戦場の最前線だな……)
俺の脳裏に、昔読んだ戦記小説の一場面が思い浮かんだ。
緊張感溢れる戦場の最前線とはいえ、戦っているのが人間である以上当然のごとく腹は減る。
そのため、戦場の誰もが『食事』をとることになる。
しかし、そこに楽しさは一切ない。
周囲を警戒しながら黙々と進められる食事、いや『補給』という言葉の方が正しいかもしれない。
眼前に広がる光景はまさに『補給』を思わせるもの。そう、ここもビジネスという戦場の最前線なのだ。
出展者も来場者も、それぞれが目的を果たすために戦っている。
この店に集うのが“戦士たち”であれば、例え一時の休憩たる食事の場においても、真剣な面持ちとなるのも自然なことに思えた。
(戦場に笑顔は入らぬ……か……)
カレー、ご飯、カツとバランスよく残すことができた最後の一口を俺はパクリと食べ終え、口直し代わりにミニサラダを口の中へと一気に放り込んだ。
ミニサラダにはあえてドレッシングをかけない。辛くなった口の中をさっぱりとさせるためだ。
最後に残しておいたアイスティーを飲みながら、俺はもう一度店の様子を見回す。
カレーを求める人々の行列は未だ続いており、先程の俺のように空席を探す人の姿も見かけられた。
さっきのヤツのような振る舞いはしたくない。俺は早々に席を立った。
(ふぅ、食った食った……っと、げふっ)
店を出る時に、うっかりげっぷが溢れてきた。口の中にカレーの香りが充満する。
しまった、カレーは香りが強かったか。俺は急いで腕輪のエチケットモードをONにする。後でガムも噛んだ方がいいだろうな。
さて、午後からもう一回りだ。
旨い飯が食えた日はいい仕事ができるのが俺の信条。旨いカツカレーが食えたのだから、きっと良い出会いがあることだろう。
俺は一度背伸びをしてから、新たな出会いと成果を求めに会場へと戻っていくのだった。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。今回も旅行者ではなく、ただの旅行社の従業員だったこと、お詫び申し上げます。
プロト版の短編第2弾です。前回よりも情景・心情描写に心を配った……つもりです(汗
好評であれば、第3弾の執筆や、連載かも検討したいと思っています。
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マイページには、他の作品も掲載しておりますので、こちらも合わせてご愛読いただけましたら大変幸いです。
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