隣人(ネイバーフッド)
「悪いな。そりゃあ人違いだ」
それは、ミラが聞いたことのない低い声だった。
声の主がアレンでないことに落胆しなかったと言えば嘘になるが、想定内ではあった。
「ちょっと離れてくれ、もうすぐなんだ」
ミラは訳もわからぬまま、とにかく声の指示に従う。
「カッ、カッ、ガラ、ガシャン」
何か小さな棒状の物が貫通して、石の壁に小穴が空いた。
「よお、お隣さん。驚かせて悪かったな」
ミラは手で口を押さえる。
戸惑いで言葉が出てこない。
「そう、警戒するな、俺はお前と同じ穴の狢だ」
「えっ……あっ、あの!あなた誰?」
ミラは恐る恐る尋ねた。
「同じ穴の狢だって言ったろ。つまり、俺たちは監獄に囚われた囚人仲間って話だ」
(囚人!?)
ミラはかえって警戒心を抱いた。
つい先日まで一般人だったミラにとって、囚人相手に話すこと自体が恐怖だ。
(囚人が私に何の用?しかも、壁に穴……この穴は何?囚人が穴を掘ってる理由なんて、一つしか思いつかないけど……)
「ま、お察しのとおりだ。何はともあれ、自己紹介といこうぜ。名前を呼べないことには面倒だからよ。俺はラムってんだ。お前の名前は?」
ミラは躊躇する。しかし、すぐに意味のない躊躇だとかぶりを振った。
監獄に閉じ込められること以上に、事態が悪化することなど考えられなかった。
「ミラ、私の名前はミラよ」
「そうか。やっぱり、女か。女の声に聞こえたが、今の今まで信じられなかったぜ。まあいい、何にせよ俺らの独房は隣同士らしい。これからよろしくな、ミラ」
ラムの言葉に、ミラは反応する。
「隣同士?ここには私達みたいな、その、囚人、が他にもいるの?」
ミラは胸が痛んだ。
自らを囚人と名乗ることに、強い抵抗があった。
「おっと、興味津々じゃあねえか。さてはミラもあれだな、興味あるんじゃねえのか。『脱獄』によ」
ミラは、分かりやすいほど大きく唾を飲み込む。
小さく深呼吸をして、言った。
「興味ない訳、無いじゃない!」
「だよな!」
これに、ラムは胸を撫で下ろす。
これでチクられたら万事休す、全てが水泡に帰すところだった。
「俺たちは同類だよ。それに、共犯者だ。仲良くしようぜ」
「共犯者?うん……そっか。……わかった。よろしくね、ラム」
ミラはラムの話に興味が湧いた。
脱獄の誘いは罠かとも思ったが、この状況で手の込んだ罠を仕掛けられるとも思えなかった。
「ミラ、もう少しこっちに寄ってくれ。あまり大きな声で話せることじゃない」
ミラは指示どおり壁の穴に近寄った。
穴の中を凝視するが、ミラの方から穴の奥は見えなかった。
「こりゃ、えらく別嬪じゃねえか。信じられねえ」
肩まで伸ばした金髪、小顔で全体的に整った目鼻立ち、細身で引き締まった身体。
ラムは短く息を飲んだ。
「ミラは、どうしてこんなところに入れられたんだ?」
ラムは続けて、この状況なら聞きたくなるのが当然の問いを投げかける。
「何も……してない。私……悪いことなんてしてない」
ミラは悲痛な声を絞り出した。
「なに?そりゃあ、どういう意味だ?」
会ったばかりの、しかも囚人を相手に自分のことを打ち明けるなんて、馬鹿だと思った。
だが、ミラは話し出した。
最初はポツリポツリと、しかし後半は堰を切ったように、夢中で理不尽を訴えた。
誰かに聞いてほしい気持ちがあったのかもしれない。
ミラはラムに、あるがまま事の顛末を伝えた。
「ーーなるほどな。そりゃあ災難だったな。やっぱり権力に笠を着てる奴らはクソばっかだぜ」
「ラムは?ラムはどうしてここに?」
ミラは尋ねる。
ラムに気を許す前に、これだけはどうしても確認したい。
「俺か。あー、俺の話は面白くもなとんともねえが、ミラの話を聞いちまった以上、話さねえ訳にもいかねえよな……」
「……うん」
ラムは気乗りしない様子だが、渋々と語り出した。
その内容に、ミラは波乱万丈な物語のようだと思った。
ラムの故郷は貧しい村だった。
ある日、村の領主が代替わりし、税が一気に高くなった。
そんな税を払っていては、村人の半分は死に絶えてしまう、そんな状況だった。
その時、ラムは立ち上がった。
元々、村の自警団のリーダーだったラムを中心に、義賊団を立ち上げた。
義賊団は領主軍と戦った。
結果、意外にも義賊団は連戦連勝。
義賊団はその士気もさることながら、ラムを筆頭に個々人の戦闘能力が異様に高く、俊英揃いの集団だと噂された。
そして、ラムは遂に領主の城を攻め滅ぼした。
しかし、そこで万事解決とはならなかった。
国からは代わりの領主が派遣され、新領主はラム達の存在を許さなかったのだ。
ラム達は再び剣をとるか、新領主に跪くかの選択を迫られた。
ラムの村は後者を選んだ。
それは村にとって悪い選択ではなかった。
先の戦いで、ラム達の戦闘能力の高さが知れ渡っていたため、多少の譲歩を引き出すことができたからだ。
その条件は、村の税を元の基準に引き下げる代わりに、義賊団のリーダーであるラムの身柄を、国に引き渡すことだった。
こうして、ラムは囚われの身となったのである。
ラムの語り口は決して上手ではなかったが、所々にエピソードを交えたり、当時の心情を吐露したりと、臨場感を感じる語りだった。
(この紛争の話、聞いたことあるわ。その当事者が……ラムなんだ……。それに、ラムの話しぶりに嘘を言ってる違和感も無い……よね……)
ミラは、なんとなく、ラムの話が真実であることを認めていた。
「っと、まあ俺の話はこんなところだ。だいぶ長く話しちまったな。そろそろ次の食事の時間が近い。看守が来るかもしれねえ。続きはまた後でな」
「えっ、ちょっとラム!?」
「心配するな、時間はたっぷりあるんだ。それより、この穴のことは絶対に悟られるな。理由は聞くまでもないよな?看守が、食事を置いて去ったらまた来る。じゃあな」
そう言い残して、ミラが返事をするよりも早く、ラムの気配は消えたのだった。