監獄(プリズン)
ジメジメとした気怠い空気に満ちた室内。
照明は無く、光源は鉄格子の向こう側から漏れる控えめな明かりのみ。
そこは監獄の一室、いわゆる独房だった。
ミラの体はそこにあった。
まだ意識は目覚めず、無造作に投げ捨てられたままの姿勢だ。
「う、うぅん」
ミラは目覚めた。
まる1日眠っていたかのように、体が怠い。
疲れが全く取れていない。
それどころか、ベッドではなく硬い地面で寝てしまった時のように、体の節々が痛んだ。
「いたたたた……って、え?ここどこ?」
違和感があった。
ミラは、次第に現状を把握していく。
自宅のベッドの上でないことだけは確かだった。
慌てて辺りを見回すが、暗くてはっきりしない。
ミラは暗闇に目を凝らす。
かろうじて見えるのは、古びたベッドと柵状の影ぐらいだ。
「え?」
それに気付いて、ミラは息を飲んだ。
「鉄…… 格子…… ??」
次の瞬間、本能が無意識に蓋をしていた記憶が覚醒した。
「不敬罪に処す」
無慈悲な王子の宣言がフラッシュバックする。
「何これ?牢屋……なの?私、牢屋に入れられちゃったの?嘘!嘘!嘘!嘘よ。こんなのただの悪い夢!」
ミラは目を瞑りながら膝を抱えて座り、夢が覚めるのを待った。
1分、2分、3分。
油断したら涙が溢れそうで、目を固く瞑る。
5分、10分、15分。
目を開けた時に自分の部屋の中じゃなかったら、心が折れてしまいそう。そう考えると、いつまで経っても目を開けられなかった。
そうして優に1時間を超えた頃。
あえて頭を空っぽにしていたミラは、いつの間にか微睡の中にいた。
「おい!飯だ!」
それを無遠慮に呼び戻す声。
ミラは反射的に目を開けてしまった。
薄い暗闇の中、かろうじて見えた声の主は、絵物語に出てくるような典型的な「看守」の服装をしていた。
「あ、あの!」
ミラは膝立ちになって、一歩前に出た。
「ここはどこですか!?私、何もしてません!何かの間違いなんです!ここから出しっ」
「うるせえ!」
「キャッ」
看守は思い切り鉄格子を蹴った。
「お前が罪人だろうが、そうじゃなかろうが、俺には関係ねえ。この監獄に捕まった以上、もう出られやしねえんだ」
「そ、そんな!?後生ですから!」
ミラは鉄格子に両手を掛けて、看守に必死に頼み込む。
「あぁ、なるほどな。てめえ、新しく入ったやつか。だったら忠告しといてやるよ。俺らはお前ら囚人とは口を聞かねえ。毎日毎日、食事を届けてやるのと、糞尿の瓶を交換してやるだけだ。分かったら大人しくしてろ、よ!」
「痛っ!」
看守の男は、ミラの右手ごと鉄格子を思い切り踏みつけた。
「ああ、もう一つ教えといてやる。あんまりうるせえと、飯抜きだ。これに懲りたら、次からは大人しくすんだな」
そう言い残した看守は、食事の配給もせずに立ち去った。
ミラは独房に横たわりながら、ジンジンと痛む右手の甲を摩る。
(この痛み……やっぱり夢じゃないのね)
ミラの大きな瞳から、涙が溢れた。
(ねえ、私これから……どうすればいいの?)
一度崩壊した涙腺は、止まるところを知らない。
ミラは、知らぬ間に着ていた簡素な服の袖で、そっと目尻を抑えた。
袖に涙が浸み込んでいく。
(あぁ……何でこんなことに?……不敬罪?嘘よ!私、そんなつもりじゃなかった……。こんなのおかしい。私が何をしたって言うの?私、悪いことなんてしてない!そんなのしたことないよ……)
一度考え始めると、もう止まらない。
何度も何度も、思考がループしていく。
(ーーあの時、呼鈴を無視して休憩に入ってしまえばよかった。すぐに、ギルマスを呼びに行けばよかった。調子に乗って、説教なんてしなきゃよかった)
後悔の念が、ミラの精神を押し潰していく。
「ぐすっ、ぐすん」
泣き疲れたミラは、鼻をすすった。
鼻水を飲み込むと、空腹の胃に滲みるようだ。
そのまま、さらに時間だけが過ぎていく。
陽光の届かない牢屋内、ミラはもはや時間の感覚が麻痺していた。
「ぐぅ~」
ミラの腹の音が鳴り、空しく響いた。
最後に食べた出勤前の朝食から、どれだけ何も口にしていないのか。
「えっぐっ……お腹減ったよぅ……」
ミラは声に出すと、嫌というほど空腹を自覚した。
もう、お腹いっぱい食事できる日は来ないかもしれないと考えると、絶望はさらに深まる。
(こんなことなら、体型なんか気にせずに、もっと美味しいものいっぱい食べとくんだったな……。何にも気にせず、お腹いっぱいの御馳走が食べたい……)
ミラの思考は、現実逃避気味に逸れていく。
(……そうだ、祝勝会だ。ダンジョンをクリアしたら、アレンが祝勝会するって言ってたわ。アレンなら、きっとクリアできたよね?でも、もしかして私のせいで中止になっちゃったのかな?)
ミラは、アレンのことを考え始めた。
(あぁ、もしアレンがあの場にいたら、助けてくれたのかな?うん、きっと助けてくれたよね?)
そう考えると、気分が楽になった。
ミラも現実逃避の自覚はあったが、悲観するより良いと思った。
これ以上の悲しみは、受け止め切れない。
(それにしても、アレンから誘ってくれるなんて、珍しいよね。戦う時はもちろんカッコいいんだけど、あれでアレンは女子に臆病なとこあるからなぁ)
「ふふふ」
ミラは口角を少しだけ上げて笑った。
笑った拍子に、涙の残滓が鼻の奥を刺激するが、努めて無視をする。
(アレンは、私が困ってる時はいつだって駆け付けてくれた。だから今回だって、アレンが助けに来てくれるかもしれない)
精神の安静を図るために、ミラは最も都合の良い未来を想像して、心の拠り所をつくった。
「コトン」
それは、小石が落ちるような音。
妄想の世界に浸っていたミラは、当初その音に気付かなかった。
「……コトン。……コトン。……コトン」
しかし、鳴りやまぬその小さな音に、遂にはミラも反応を示した。
ミラは顔を上げて辺りを見渡す。
しかし、独房の中に音の発生源は見当たらない。
「パラパラ……。コトン」
再び音が聞こえた。
今度は間違いない。
ミラの視界の端に、壁から小石が落ちた。
「おーい」
「えっ!?」
ミラは、その壁の奥から人の声を聞いた。
「まさか、アレン!? 助けに、来てくれたの?」
そんな都合良いことがあるわけない、そうわかっていても、ミラは期待せずにいられなかった。
ミラは恐る恐る壁に這い寄る。
「アレン?」
「あぁ……いや、悪いな。そりゃあ人違いだ」
それが、ミラとその隣人とのファーストコンタクトになった。