脱走(エスケープ)
「ラム!ラム、どこ!?」
ミラの声が聞こえて、ラムは目を開けた。
「ここだ!ミラ!こっちだ!」
ラムは声を張り上げて応えた。
耳をすますと、ペタペタとした足音が聴こえてくる。
しかし、己の願望がもたらす幻聴ではないか、ラムはそんな錯覚を覚えた。
「ラム!?」
「ミラ!俺がラムだ!」
ミラの目の前の牢にいた男は、重厚な声に似合う巨漢だった。
(なんて大きいの。彼がラム……)
ミラは首を大きく伸ばして見上げた。
女性としては平均よりも身長の高いミラより、頭二つ以上は高い。
ミラは数秒間放心状態に陥った。
「はっ、ごめん!今、開けるから!」
ミラはラムの牢の錠を開けようと、鍵束の鍵を一本ずつ試す。
「……ミラ、本当に成功したのか?」
ラムは信じられないものを見るような目で、ミラを凝視した。
「そう、自分でも信じられないけど、ここまで何とか来れたわ。でも、ここからが本番。そうでしょ?」
ミラは自分に言い聞かせるようにそう言った。
二つあるうちの、一つ目の錠が開く。
「……ぁあ……。そうだ、ここからが本番……だ。でもまさか、信じられねえ!ミラ、よくここまで辿り着いたな!正直なところ、十中八九駄目だと思ってたぜ」
「私だって、何度ももう駄目だと思ったわ。でもそんなこと、もうどうだっていい。ここから一緒に出ましょう、ラム!」
二つ目の鍵が開く。
十一年間閉ざされていた牢が、遂に開いた。
「あぁ、任せろ。この恩は一生忘れねえ」
「お互い様よ、よろしくね。頼りにしてる!」
ミラはラムと共に、地下牢から地上へと再び登り出した。
一度通った道なので、道順に迷うことはなかった。
「不気味ね」
ミラは呟いた。
「何がだ?」
「こんなに看守と遭遇しないなんて変よ。私、二人の看守を倒して放置してきたのに」
「何だと?戦闘になったのか?よく切り抜けたな!」
「うん、間一髪だった。運がよかっただけだと思う」
ミラは戦利品の短刀を握りしめる。
一本は手持ちに、「複製」した二本目はラムに手渡していた。
「……戦闘の心得があるなら、自分だけ逃げるって選択肢もあったんじゃないのか?」
ラムは言いにくそうにしながらも、その質問を口に出した。
「魔法はまだしも、それ以外は全然駄目。戦闘の心得なんてないわ。固有技能を使って、偶然対処できただけなの。それに、ラムがいなかったらここまで来れなかったのに、裏切れるはずないでしょ」
「この、お人好しめ!」
ラムはキツい口調だが、表情は嬉しそうだ。
二人はとうとう地下牢から地上へ抜ける扉の前まで来た。
鍵を開けて入ったので、今度は鍵はかかっていない。
はずだった。
「開かない!?なんで!?外側から鍵がかかってる!?」
「どけミラ!任せろ」
予想外の事態だが、ラムは冷静だ。
ミラはラムの言っている意味が咄嗟に理解できなかったが、言葉どおり一歩下がった。
ラムはミラが用意した短刀を右手に構え、目を瞑って神経を研ぎ澄ます。
そして、
「真風一刀流奥義、晴嵐の太刀」
下から上へ閃光が煌めいた。
ラムはそのまま扉の中央に蹴りを入れる。
「……すごい」
ミラは息を呑んだ。
扉は蹴破られ、道が開いた。
錠は縦に真っ二つに破壊されていた。
「ミラ、行くぞ」
「う、うん」
二人は廊下を走り出す。
ミラはラムの実力を目の当たりにして戦慄していた。
人間業とは思えないほどの剣の腕前だ。
「しかし、厄介だな」
ラムは呟く。
「どうして?」
「あんなところに錠が掛けられてるってことは、俺たちの脱獄はバレてると思っていい。しかも、あれは時間稼ぎしてやがる。この先、集団で待ち伏せされてるかもしれねえ」
「ラムなら、どうにかなるよね?」
「……分からねえ。普通の看守が何十人いようと問題にはならねえが、監獄には絶対強いやつがいるはずだ。そいつの実力次第ってとこだな」
ミラには、魔法が使えないこの環境下で、ラム以上の実力者が想像できなかった。
「私も、できるだけサポートするから」
「いや、ミラは下がってろ。人質に取られる可能性もある。そうなると厄介だ」
「う、うん」
二人は長い廊下を抜けると、分岐路に辿り着いた。
「たしか右に行くと、看守の休憩室があるわ。左はわからない」
「その休憩室に窓はあったか?」
「たしか、あった」
「なら右だ、窓から外に出よう」
ミラの記憶を頼りに、二人は休憩室を目指す。
ここまで、看守とは一度も遭遇していない。
監獄内に何人の看守がいるのかは不明だが、ミラには偶然だとは思えなかった。
「ガチャ」
二人は休憩室の扉を開けて、中に入った。
魔道具の灯は消えており、ミラが倒した看守の姿もない。
窓からはうっすらと外の景色が見える。
時刻は夜になっており、月明かりだけが部屋を照らしていた。
「ここからはたぶん戦闘になる。ミラ、覚悟はいいか!」
「もちろん!」
ミラは考えるまでもなく答えた。
覚悟は既に決まっている。
警戒しつつ、ラムが窓を開けた。
窓の開いた次の瞬間だった。
「待っていたよ」
静かな、しかし凛と響く不思議な声だった。