邂逅(エンカウント)
(迷うな!走れ!)
そう自分に言い聞かせ、ミラは走った。
筋肉に負荷をかけることさえ久しぶりで、ちょっと走っただけで膝が笑ってしまう。
それでも、ミラは走り続けた。
後ろから看守が歩いてくることが分かっている。
しかしそれは逆に、今この道が地下牢へと続いている可能性を示していた。
事実、道を進むにつれ、事務所から離れていく。
運が良ければ、このまま地下牢へと辿り着けるかもしれない。
ここまで、道は一本道だった。
一度だけ角を曲がったものの、分岐路はなかった。
ミラは廊下を走って進んでいるが、まだ終わりが見えない。
それは、この監獄の敷地の巨大さを示していた。
それでも、ミラは遂に道の終着点にたどり着く。
「うそでしょ!?」
しかし、そこは行き止まりだった。
いや、行き止まりというのは正確ではない。
そこは、地下牢への入り口だった。
しかしそこは、無情にも閉ざされた扉だった。
(鍵束のどれかの鍵だろうけど、ガチャガチャ試してる時間は無い!戻っても一本道。看守が迫ってる。闘うしか……。でも、どうやって?魔法は使えない。固有技能を使ってどうにかするしか……。)
ミラはその場で決断した。
それは苦渋の決断ではあった。
しかし、迷いはなかった。
迷ってる暇はないのだ。
ミラは踵を返すと、今来た廊下を逆走する。遮蔽物などないため、歩いてくる看守からは丸見えだ。
ミラは、せめて気づかれないように、足音を忍ばせながら走った。
「カツ、カツ、カツ、カツ」
相変わらず看守の靴音が、規則正しいリズムを鳴らしていた。
曲がり角を曲がり、ミラは看守の姿を目視する。
看守は考え事をしているのだろうか。
すぐにはミラに気付かない。
その距離は約15メートル。
ミラはスピードを緩めずに突っ込む。
気付かれたら勝ち目は薄い。
気付かれる前の一瞬で勝負を決める必要があった。
彼我の距離は10メートル。
不意に、看守が目線を上げた。
ミラは、看守と目が合う。
残り8メートル。
看守は一瞬の逡巡の後、胸ポケットに右手を突っ込んだ。
残り6メートル。
看守が取り出したのは短刀。
左手で鍔から刃を抜き出す。
残り4メートル。
ミラは両手を前にクロスさせて突っ込む。
それに対して、看守は短刀を両手に構え、溜めをつくった。
そして、看守も地を蹴ってミラに突撃する。
残り2メートル。
突如として、看守の視界からミラが消えた。
いや、消えたのではない。
目の前で転倒したのだ。
そのままミラは、勢いよく地面に手をついた。
「"複製"!」
転倒と見せかけて地面に触れたのは、ミラの渾身の狙いだった。
先刻、別の看守を気絶させた一手を再び使おうとしたのだ。
つまり、地面の一部を「複製」して、相手の看守の頭の上に「現出」させる。
あとは自由落下だ。
(この位置なら当たる!)
その瞬間、ミラは確信した。
ミラと看守のシルエット交差する。
看守の短刀は空を切り、ミラはその下を潜り抜けた。
「ガタッ!」
鈍い音がした。
脇の下を潜って看守を通り抜け、ミラは振り返る。
「痛っ!!!くそがっ!!!」
しかし、看守は意識を失っていなかった。
ミラの「複製」した地面の一部、つまり岩の塊は看守の頭にたしかに当たった。
しかし、気絶させるには至らなかったのだ。
むしろ激昂させる結果となった。
看守は足元のミラに向かって、おもいっきり蹴りを入れる。
「ぐはっ!」
ミラは蹴りを手でガードしようとしたが、間に合わず鳩尾に食らってしまった。
後ろに吹っ飛ばされて、地面に背中を打つ。
その衝撃にミラは息ができない。
看守が飛びかかるように短刀を振り下ろす。
ミラに思考の時間は残されていなかった。
無我夢中、とはまさにこのこと。
それは判断して行動したのではなく、本能的に反応した行動だった。
「"複製"」
ミラは酸欠に陥りながらも、なんとかその一言を絞り出した。
「複製」するのは先刻と同じ、地面の一部。
「現出」させる位置も同じく、看守の頭上……では間に合わない。
ミラは「現出」の位置を看守自身に定めた。
「ぐわぁぁあああ!」
次の瞬間、看守の慟哭が響いた。
看守は右手の短刀を取り落とし、左肩を押さえていた。
看守の左の肩口には、ミラが「複製」した地面の一部がめりこんでる。
めりこんでいるという表現は正確ではない。
看守の左肩の内部に、突如として岩の直方体が「現出」したのだ。
元あった肩の肉は弾け飛んでいた。
左の肩から鮮血を流し、看守はその場に膝跨く。
ミラはその隙を捉え、もう一度唱えた。
「"複製!」
今度こそ看守の頭上に出現した地面の岩の塊は、落下して看守の脳天を直撃した。
看守は白目を剥くと、その場に倒れ込む。
ミラは右手で地面に手をつき、左手で鳩尾を押さえながら、ただその様子を見ていた。
気絶した看守。
その辺りの床には血溜まりができていた。
暫くの間、ミラはその惨状を放心状態で見つめていた。
男の蹴りを食らったミラは、その苦しさから短い息を繰り返していた。
それでもやがて息を整え、すくっと立ち上がった。
ミラは意識のない看守から短刀を拝借し、地下牢へ続く扉へと進んでいく。