閃き(インスピレーション)
自らを仮死状態にするという命懸けの計略で牢を抜け出したミラは、生死の境を彷徨ったものの、なんとか踏みとどまった。
そうして意識の覚醒したミラは、久しぶりに明るい光を感じ、薄く目を開く。
しかし次の瞬間、看守の男と目が合った。
「マジかこいつ!あの状態から意識を戻しやがった!くそっ!」
看守は、寝かしていたミラを乱暴にベッドから引き摺り下ろし、石床へと転がす。
そのまま圧し掛かり、ミラの腕を取って背中側に捻り上げた。
覚醒したばかりのミラは、抵抗らしい抵抗もできず、されるがままだ。
(くっ、失敗した。すぐに目を開けたのはバカだった。まさかこんな近くに看守がいるなんて。今すぐ何とかしなきゃ!他の看守を呼ばれたら終わり!)
看守の男は、ミラの背中に体重を乗せ、万が一にも逃げられないように押さえ込む。
体格差は歴然であり、ここから形勢逆転するのは不可能に思えた。
「ちっ、手間かけさせやがって。うぇ、臭えし汚えのがついちまった」
(今ならまだ油断してる!誰かを呼ばれたら終わり!今すぐ何とかしなきゃ、全部台無し!そんなの絶対嫌だ!)
絶体絶命とはまさにこのこと。
しかしミラは、生殺与奪の権を奪われた状態でなお、諦めてはいなかった。
(まだだ!まだ終わってたまるか!)
絶望的状況の中、ミラの脳裏に起死回生の閃きが走る。
「"複製"!」
ミラは固有技能を発動した。
「なっ!?ガッ」
看守の男は、ミラの声に反応し拘束を強めようとするが、しかしそれは叶わなかった。
鈍い衝撃音。
その三秒後、看守の男は崩れるように倒れた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
ミラは自分の体の上に折り重なるように倒れた看守の下で、玉の汗を流して荒い息を吐く。
(あ、危なかった。もし、ちょっとでも何か掛け違ってたら、ここで終わってた……。でもまさか、私の固有技能にこんな使い方があったなんて……)
ミラの固有技能"複製"は、一つの物を二つに複製するという能力だ。
例えば、右手にパンを持って"複製"を発動すれば、左手にもう一つのパンを複製することができる。
便利な場面は多々あるが、およそ戦闘の場面においては、役に立たない能力。それがミラの認識だった。
しかし、絶体絶命の危機において、ミラは己の固有技能たる"複製"の新たな可能性を見出した。
そもそも、"複製"には、三つの工程が存在する。
一、複製する物を認識すること。
二、認識した物を複製すること。
三、複製した物を現出すること。
これに照らして、たった今の出来事を説明する。
第一に、石の床の一部だけを複製対象として認識、そして複製。
次に、複製した石の床、即ち石の塊を看守の頭上高くに現出。
後は、自由落下する石の塊が、無防備な看守に直撃したというわけだ。
(偶々上手くいっただけだけど、運が向いてきてる!いける、絶対いける!)
ミラは小さくガッツポーズをした。
その時、
「うぅ……」
ミラの心臓が跳ねた。
それは、看守の呻き声だった。
しかし、看守は呻きながらも気絶しているようだ。
(こうしちゃいられない、看守が起きる前に早く出ないと!)
ミラは看守の重い体から体を捩って抜け出した。
看守を改めて観察するが、やはり気絶しているようだ。
看守を観察していて、ミラはポケットの膨らみに気づいた。すかさず、看守の服のポケットに手を突っ込む。
(……あった、やった!鍵束!あとはラムのところまでたどり着ければ!)
ミラは周囲を見渡す。
小さい部屋だ。ミラは休憩室のような場所だろうと予測する。
出入口は扉が一つだけ。あるいは、窓から外に出るという手段も考えられる。
窓から見える外の景色は、ミラにとって久方ぶりのものだった。
窓には、大きな門と高い塀が見える。
ミラが見た大きな門は、この監獄全体の出入口だ。
ただし、現在は堅く閉じられている。
他方、高い塀は監獄全体を取り囲む防壁である。
塀は高くそびえ立ち、とても人が登れる高さではなさそうだ。
太陽は、塀に下側半分以上が隠れている。
時刻は夕暮れ時のようだ。
ミラは、太陽を再び目にし、自然に涙腺が緩むのを感じた。
(バカ!感動してる場合じゃない!まだまだこれからよ!)
ミラは首を小さく振り、自らの頬を両手で叩く。
そして、外の世界を映す窓に後ろ袖を引かれながらも、扉の方へ歩いて行った。
ミラは扉の前に立ち、集中して耳を欹てる。
看守の靴音は聞こえない。
「ふぅ」
ミラは短く息を吐き、覚悟を決めて扉を開けた。
扉の向こう側は通路だった。
ミラは先ほど目にした門と反対方向へ、音もなく駆け出す。
靴音が煩い看守とは違い、裸足のミラは殆ど足音がしない。
やがて、ミラは三叉路を迎えた。
右か、左か。ミラには究極の選択のように思えた。
その時だった。
「カツ、カツ、カツ、カツ」
右の通路から、看守の足音が聞こえる。
(ヤバい!)
ミラの心臓が早鐘を打つ。
心臓の鼓動で胸が痛い錯覚を覚えた。
ミラは一瞬の逡巡の後、左の通路へと駆け出す。
(ヤバい、ヤバい!迷ってる場合じゃない!)
幸いその通路は一本道で、今のところは前方から看守が現れる気配もない。
「カツ、カツ、カツ、カツ」
しかし、ミラの背後の足音は、ゆっくりと、しかし着実にミラの背後に迫っていた。